その③
二人で乗り込み、ボックス席に向かい合って座った。
一分も経たないうちに扉が閉まり、電車はゆっくりと走り始めた。
加速し、数十秒もすれば、町の明かりが流れては後方に消えるを繰り返す。
それをぼんやりと眺めながら僕は言った。
「……言葉が好きなんだよ」
「うん?」
林道美桜が首を傾げる。構わず続けた。独り言のようなものだった。
「絵を描くんじゃない…、『言葉』だ。言葉なんだよ。僕は、言葉を使ってこの世界を表現したいと思っている」
電車の揺れで、足元に置いていた紙袋が倒れた。
「中学で一番好きな授業は…『国語』だったんだ。担当は、三十代くらいの女の先生で…、綺麗で、教え方も上手かった。だけど…、中学生って、思春期真っただ中のマセ餓鬼の集まりだから…、彼女の授業をまともに受けるやつなんて、クラスでほんのひとつまみだったんだ。先生が綺麗な声で音読しても、狂騒に声はかき消される…、先生がプリントを配っても、紙飛行機になって教室を飛び回る…。先生も優しすぎるから注意しても意味がない…。もう、動物園みたいだったよ」
「まあ、私の中学もそんなものだったし。ってか、私も国語きらいだったから…、ちょっとうるさくしていたしね…」
国語を冒涜する女に天罰を下すのは後回しにして、僕は続けた。
「一度…、『小説を書こう』っていう授業があってな…。原稿用紙を二枚くらい配られて、まあ、適当に書いていれば点をもらえるやつだったんだ。僕はそこで初めて小説を書いたんだ」
ふっと息を吐く。
「これがな、もう、楽しくて、楽しくてたまらなかった。溜まりに溜まった耳くそをごっそり掻きだした時みたいな快感があった…。僕の胸に溜まっている『想像』の塊を文字に変換していくんだ…。すごいと思ったよ。そして…文字の可能性を知った…」
紙袋からはみ出した辞書をちらっと見る。
「二枚でよかったのに、三十枚も書いた…。それが先生に褒められて…、先生、よっぽど嬉しかったのか、それを文学賞に出したんだ。それが特別賞を受賞して…、また、めちゃくちゃ褒められた」
脳裏に、あの時の先生の喜び様が浮かんだ。今、どうしているだろうな?
「漠然と理解していたよ。僕はもう『未来』を売った。でもな、『小説家として大成する未来』は売ったとしても、『小説家の道を志す未来』は売っていなかったんだ。だから、失敗するってわかっていても、辞められなかった。小説ばっかり書いたよ…。楽しくて楽しくて、たまらなかった…」
僕の独り言のような回想を、林道美桜はロングスカートの膝にちょこんと手を置いて聞いていた。
何を思ったのか、一言。
「わかる」
「………」
「ヒイラギくんの気持ち、すごくわかるよ。楽しいものはしょうがないもんね」
「……」




