その⑦
「うへえ、よくもこんなに書けるよね?」
「一人が書いたわけじゃないからね」
「それでもよ」
杖を突きながら、ふらっ…と小説コーナーに入っていき、並ぶ背表紙をぼんやりと眺める。
「小説なんて…、ただの空想でしょ? エンターテインメントってのはわかるけど…、みんな、どうしてそんなに必死こいて書いてるのかしらね? 空想に命を賭ける変態がこんなにもいるなんて、正直ドン引きだわ
と、大金は支払ったけど、努力はせずに小説家になった女が言った。
僕は林道の言葉が、レジで事務処理をしている店長に聞こえないのか気を付けながら首を横に振る。
「作家志望って…、案外いるんだよ。正確には数えられないけど…、莫大な数がいるんだ。みんな、自分の作品が書籍になることを夢に見ている…。足りないんだよな。この書店の本棚だけじゃ…、全ての作家志望の夢を叶えることはできないんだよ。だから、何人もが夢を諦める…、涙を飲む…」
僕もその内の一人だった。
「林道…、お前は感謝しないといけないよ。林道が大賞を取ったばかりに…、作家志望者の夢が一つ潰れたんだ」
「そう言われてもね。興味が無いものはしょうがないじゃない。猫に小判豚に真珠…、馬の耳に念仏…、猿も木から落ちる…」
うん、最後のは違うな。
「パンを主食にしている外国人に、『パンの美味さを知れ!』って言われたところで知ったこっちゃない」
「じゃあ…、なんで林道は…、『未来』を買ったんだよ…」
僕のふいに出た言葉に、林道の唇がきゅっと締まった。
僕は「あ…、まずい」と思い、口を噤む。
開店前の店内に、静かな空気が舞い降りた。
「ごめん」
「いや、ヒイラギくんが謝ることじゃない」
林道美桜はそう言うと、本棚の背表紙をしなやかな指で撫でた。
「別に、望んで買ったんじゃないから…」
「え…?」
僕が聞こうとした、その時だった。
「林道先生! 見てくださいよ」
店長が、レジから林道美桜を呼んだ。
彼女が指しているガラス扉の方に目を向けると、店の前に、客が十人ほど並んでいるのがわかった。
林道美桜がほっと息を吐く。
「よ、よかった! 誰も来てくれないと思ってた!」
「まさか…。全部、林道のファンだよ。良かったな」
本来ならば、僕のファンになるはずだった人たちだ。
「サインは…、大丈夫?」
「う、うん! ばっちり! 多分!」
サイン会をするにあたって、サインのデザインを決めなければならなかった。筆記体は小説家っぽくないとか、漢字は捻りがないとか、一日中議論し合い、少し形を歪ませた漢字に落ち着いた。多分、小説家をやっていくうちに変わると思う。
「ちゃんと笑えよな」
「もちろん」
林道美桜は、カクついた笑みを浮かべた。




