その⑫
二日後。バイトを終え、茜さんと別れてから、電車に乗り込んで隣町の林道美桜のマンションに向かった。
守衛さんに許可を取り、エレベーターを使って六階に上がる。
僕のアパートの扉が、薄っぺらい半紙に見えるくらいに、黒く重厚な扉の前に立ち、インターフォンを鳴らす…、その前に、扉が勢いよく開き、僕の顔面に激突した。
「お待たせ、入ってどうぞ」
「……」
「何やってんの?」
林道美桜は、扉の前で顔を真っ赤にして倒れている僕を怪訝な目で見下ろしてきた。
僕は「何でもない」と言って、彼女を睨むのだった。
部屋に上がると、早速、林道美桜が「新作のことだけど」と、僕をノートパソコンが置いてあるリビングに案内しようとした。
僕は忘れる前に、彼女の話を遮って言った。
「今日は、お土産を持ってきたんだ」
「え、お土産?」
林道美桜の目が輝く。
「うん、お土産」
僕は手に持っていた紙袋を、彼女に差し出した。林道美桜が紙袋に食いつき、中に入っていたものを取り出す。そして、明らかに落胆したような顔をした。
「なにこれ」
「小説だよ…」
僕は「見ればわかるだろ?」と言うように、肩を竦めた。
林道美桜は「見ればわかるけどさあ」と言いながら、紙袋から取り出したハードカバーを、汚いものを眺めるような目で見た。
「なんで小説?」
「いや…、だって、林道お前、小説が嫌いだろ?」
「うん、嫌い」
はっきり言うなよ。
「だから、少しでも好きになってもらおうと思ってな」
僕は彼女から一度紙袋を取り上げると、中に入っていた五冊の小説を、次々に傍にあったガラステーブルの上に並べていった。
「色々見繕ってみた。児童書が多いけど…、大人になってから読んでも面白いものばかりだと思う。これなんか…、ホラー短編だからサクサク読み進められると思うんだ。とっつきやすいように、表紙のイラストが綺麗なものも選んでみた」
「そんなのはどうでもいいんだよ」
林道美桜は興味無さそうに言った。
「新作! 新作のプロットを考えなきゃ」
「気持ちはわかるけど…、言っただろ? 焦っちゃダメだよ。ってか、お前は小説の基礎基本を知るべきだよ…。これは僕の持論だけど…、児童書は一番勉強になると思う。子供が読むものだから…、最低限の表現しか使われないから、これで小説の形態を学べばいい」
喉に小骨が刺さったまま話しているようなだった。
林道美桜は傑作小説を書くことができると、運命で決まっているんだ。そんな彼女が今さら、素人がやるような小説の勉強をして何になるんだ? と。
「うー、うーん…」
反論してくるのかと思いきや、彼女は唇を一文字に結んで唸っていた。
「ま、まあ、うん、仕方が無いか…」
「焦らなくていいよ。今日一日で全部読めとは言っていない。一週間に一冊読めればいいさ。読み切ったら言ってくれ。解説するから」
「わかったよ…」
彼女が頷くのを確認して、机の上のノートパソコンを見た。
「じゃあ…、やっていこうか」
ほんと、何やっているんだろうな。




