その③
「はーい」
林道美桜は軽い声で頷いた。
僕は足元に置いたナップサックから、クリアファイルに入った原稿を取り出すと、そこにまとめたデータを参考に、彼女の…、もとい、『本来は僕が出版するはずだった小説』の感想を語った。
「林道の小説の感想…、あと特徴だけど…、導入が良かったね。ポエミーな回想から始まって…、読者の心をがっちりと掴んで…、そこから主人公とヒロインの出会いから、クライマックスに至るまでの心情を…、すごく丁寧に書けていた…。伏線の張り方も上手かった。それを最後の最後で回収して、クライマックスからさらに大どんでん返しに持っていく展開は…、読んでいて唸ったよ」
そして、「僕のもののはずなのに」と嫉妬した。
「『青春』ものとも『ミステリー』とも言える傑作だ…。表紙のイラストも、人気イラストレーターを起用して描いているから、ジャケ買いしやすい…。キミの技術もさることながら…、編集の宣伝が上手い作品だよ」
「そ、そうかな…? そんなに良かった? 私、マジでわからないのよ」
「うん、良かった」
正直、読んでいて泣いた。机の上にぽろぽろと流した涙の七割が「感動」で、二割が「後悔」。そして、一割が「嫉妬」だった。
「とりあえず、この作品は必ず映画化されるし、色々な人の目に触れることになるから…、新作の執筆と平行して、この作品の理解を深めていこう。いつ、何を言われても返せるようにさ」
「あ、そうだ」
林道美桜はぽんっと手を叩いた。
「そうそう! うん、それ。私、神宮寺さんに新作のプロットを考えろって言われているの」
「当たり前じゃないか。林道は、注目の若手作家なんだから、次回作は手を抜けないぞ」
「いや、それはわかっているんだけど…、その、『プロット』って何?」
「……お前…、本当に何も知らないのか?」
「うん!」
林道美桜は、自信満々に薄い胸を張った。
「だって、小説とは無縁の生活を送ってましたから!」
「ねえ、パソコン見せてよ。あるだろ? 処女作の原稿。あれ書くときに、プロット、作っていないの?」
「あ、はいはい。少々お待ち」
林道美桜は、部屋の隅の執筆用机の上にあるノートパソコンを取って戻ってきた。
パソコンを起動し、ワードを開いて僕に見せる。
「これだよ。デビュー作のデータは」
「………」
本編の原稿はどうでもいい。
僕はパソコンのファイルを開いて、隅々まで確かめてみたが、文章データは、その原稿以外見当たらなかった。つまり、彼女はプロットも作らず、その他資料も作らず、ぶっつけ本番であの小説を書いたというわけだ。
普通なら「天才」と言いたいところだけど、運命に突き動かされた故の所業か。
「なるほどね。林道なら、プロット無しでも書けるのか。だけど…、神宮寺さんとの打ち合わせで見せる機会が増えると思うから…、一応作った方がいいかもな。何なら、本編を書き上げた上で、繕う形で作っておくとか…」
「だから、そのプロットってなによ」
「小説の設計図だよ。どんな登場人物が出てくるだとか…、彼らの性格とか好きな食べ物はどうなっているのかだとか…、起承転結はどうするかだとか…」
「はい! きしょうてんけつって何ですか!」
林道美桜が手を挙げて、小学生みたいに言う。マジか。
「それも知らないのか…」
「仕方ないでしょうが…、小説に興味なんて無いんだから」
「いや、学校の授業の知識を疑うレベルだぞ? 起承転結を知らないのは」
「そ、そんなの習ってない!」
何故かムキになる。




