その⑩
そりゃそうか。小説家だもんな。担当編集くらいつくか。
僕が名刺をまじまじと見ていると、神宮寺さんが林道美桜に言った。
「林道さん。今日はお疲れ様。本もたくさん売れたし、良かったね」
「はい。ありがとうございます」林道美桜の作り笑い。「すっごく緊張しましたけど、すっごく楽しかったです」
「うん。これから先、インタビューとか、サイン会とか、公の場所に出ないといけないことがあるから、少しずつ慣れていこうね。そこまで気負う必要は無いよ。本業は小説家なんだから」
「はい、よろしくお願いします」
「そうだ、イベントの成功祝いに、食事でも行かないかな? いいレストラン知っているんだよ。ついでに、軽く新作の打ち合わせもしたいし」
「え、いいんですか?」
「うん、僕の奢りだから」
「やった! 行きます!」
林道美桜が僕の方を振り返っていった。
「じゃあ、ヒイラギくん、私はこれで」
「ああ、また今度」
僕は喉に小骨が引っかかったような感覚のまま、彼女に手を振り返した。
林道美桜は、神宮寺さんに連れられて、ショッピングモールの出口の方へと歩いていった。
彼女が杖を突く、カツン…カツン…カツン…という音が遠ざかっていく。
二人が見えなくなると、たちまち、僕の周りを行き交う雑踏の音が耳に飛び込んできた。
僕はコーヒーを飲み干すと、自販機の横にあったゴミ箱に放り込む。そして、ぐっと伸びをする。薄い肉の奥で、背骨がボキボキと鳴った。
作家である林道美桜と、その担当編集である神宮寺さん。二人の会話が、鼓膜にへばりついて、ずっと反響していた。
本来ならば、あのイベントの壇上には僕が立っていて、ファンたちの質問には僕が答えるはずだった。本来ならば、「○○さんへ 柊木誠」ってサインを書くのは、僕のはずだった。担当編集と一緒に、豪華が食事をして、次回作について話し合うのは僕だった。
すべて…、林道美桜のもの。
「………」
ほんと、何やっているんだろうな。




