その⑨
僕はあらかじめ買っておいた、彼女の分のミネラルウォーターを渡す。
「まあ、上手くいって良かったよ」
「うん、本当にありがとう」
「…どうせ、まだイベントがあるんだろう? 次はいつだ?」
「ええと…、次は一週間後だね。文芸雑誌のインタビューが入ってる」
「わかった。また答える内容は考えておくから…、林道も、もう少し小説を読んで知識を深めておけよ。僕の力だけじゃ、お前を『小説家らしくする』のには無理がある」
「え…」
林道美桜の目が丸くなる。
「なんだ? 不満なのか?」
「いや、これからも協力してくれるの?」
「そうしないとダメだろう」
僕はめんどくさそうに頷いた。
そうやって息を吸い込んだ瞬間、誰かが林道美桜の名前を呼んだ。
「林道さん!」
振り返ると、男が、爽やかな笑みを浮かべて林道美桜の方に手を振っていた。
男は小走りにこちらにやってきて、林道美桜の前で止まった。
「ここにいたんだね。林道さんは足が悪いんだから、無理をしちゃダメだよ」
見た目は二十代後半から、三十代前半。髪を焦げ茶色に染めて、柔らかに流している。深みのある藍色のジャケットを身に纏い、鎖骨の浮き出た首もとで、高そうなネックレスが光っていた。なんかこう、林道美桜と同じで、「成功者」って感じの気配がした。
林道美桜が「いやあ、全然大丈夫です!」と、声を一オクターブ高くして言う。
爽やかイケメン男は、僕を見ると、おやっと言いたげな顔をした。
「キミは…、イベントがはじまる前に林道さんと出ていった」
「ああ、ヒイラギマコトです」
「あ、私の知り合いなので、悪い人じゃありませんよ」
まだ知り合いにもなっていないのに、林道美桜は平然と、僕との関係を偽った。
それで信じたのか、男はまた爽やかな笑みを浮かべ、ジャケットから取り出した名刺を僕に渡した。
「どうも、僕は『神宮寺直也』って言います。○○出版で、林道さんの担当編集をしているんですよ」
「担当編集…?」
名刺を受け取る。確かにそこには、「○○出版 編集部員 神宮寺直也」とあった。
この年で編集者か。いや、編集者の平均年齢はよく知らないんだけども。
「そうか…、担当編集か…」
そりゃそうか。小説家だもんな。担当編集くらいつくか。




