その⑦
イベントの開始まではまだ三十分あった。そのため、主役本人が一度抜けることを、周りは快く許可してくれた。
非常階段の踊り場に出た林道美桜は、杖で身体を支えながら、警戒した声で言った。
「な、何の用?」
「ほら」
僕はそう言って、ポケットの中から何重にも折りたたんだ紙を渡した。
林道美桜はその紙にざっと目を通し、そして、意外そうな顔で僕を見た。
「…どうして?」
それは、インタビューの原稿だった。
彼女の小説(本来ならば僕のものだが)を読み込み…、何処が良かったのか、何処が見どころか…、これを書く際、どんなことを注意したのか、どんなことを伝えたかったのか…、全て想像して書いた。一夜漬けで仕上げたものだから、誤字脱字もあるが、まあ許してほしい。
「まだ時間はあるだろう? ざっと頭に入れておくと良いよ。インタビューで何を聞かれるのかは、一応想像して書いたから…。本番で読んでもいいけど、悟られないようにな。毅然と、小説家らしい凛々しい感じで臨めよ」
「いや、だから…、どうして?」
林道美桜は、嬉しいと言うよりも、不思議そうな顔をしていた。
「どうして…? 一度は断ったのに?」
「気が変わったんだよ」
ずっと悩んでいた。
「お前のことが心配になったんじゃない。僕の『未来』が心配になったんだ。小説に興味が無い、書くとは無縁の女に、僕の栄光ある未来がめちゃくちゃにされるんじゃないかって」
里親を見つけた子猫が、引き取り先で幸せにやっているのか気になる…みたいなものだ。別に、林道美桜が赤恥をかこうがどうか関係無い。未来に泥を塗られるのだけは、耐えられなかった。もう…、僕のものではないのに。
気恥ずかしくなった僕は、林道美桜に促した。
「ほら、早く読めよ。ギリギリの時間まで目を通せ」
「あ、うん」
林道美桜は頷き、それから、言った。
「ありがとう」




