その⑪
「まあ、頑張れよ。その未来はもう、お前のものさ。好きに使うと良い。僕は売って得た金で、悠々自適に楽しむとするよ。お前が恥かく姿を見ながらな!」
首だけで振り返る。案の定、林道美桜は顔を真っ赤にし、目には大粒の涙を浮かべて、子犬のように震えていた。そして、爆発したように言った。
「金を優先した馬鹿に言われたくないんだけど!」
「あ?」
聞き捨てならなかった。振り返り、林道美桜を睨む。
林道美桜は吹っ切れたように、早口でまくし立てた。
「馬鹿なの? 小説に興味無い私だってわかるよ。『小説家』って夢がどれだけ偉大なものかって! 人に娯楽を与えるんだもんね。そんな素晴らしい未来を、アンタは売ったのよ? そんなに金が欲しかったわけ? 金が幸せの価値基準だと思ってたわけ? バッカみたい! あんなおんぼろアパートに暮らして…、惨めな生活を送っちゃってさ! 失敗したのはどっちよ!」
僕は林道美桜の方に一歩踏み出した。林道美桜は肩を震わせ、半歩下がった。
僕は腕を振り上げた。林道美桜が顔を伏せる。
僕は殴らなかった。
「馬鹿じゃねえの」
代わりに、小学生みたいな罵倒を彼女に吹っ掛けた。
「だれが好きで、自分の未来を売ったりするんだよ…」
頭の中に、屑な母親の姿が浮かんだ。
殴られないとわかった林道美桜は、恐る恐る顔をあげ、何とも言えない様子で僕を見た。
ほら…、よくあるじゃないか。本当に困った時に、何かを犠牲にするって話。まさにそれだったのだ。十年前…、僕は母さんに死んでほしくなかった。どうしようもなかったから、未来を売ったのだ。決して金欲しさじゃない。孤独が怖かっただけだ。
そう、林道美桜に言うのは辞めた。どうせ理解してくれないと思った。
コイツには金があるんだろうな。だから。僕の未来を買えたんだ。そうして、努力しなくても、彼女は『運』に助けられて、これから栄光の道を歩んでいく。僕は、努力しても報われず…、孤独な日々を送っていく。
こんな人間に、わかってたまるかって話だ。
僕は林道美桜の黒い頭をポンポンと叩いた。
「驚かせて悪かった。話はこれでおしまいだよ。さっきのは八つ当たりだから気にしなくていい。今の自分に…、失った未来を持つキミのことを直視できる自信が無いだけだ。だから…、インタビューは自分で何とかしてくれ…」
それじゃあ。と言って、林道美桜に背を向ける。彼女は何かを言いかけたが、すぐに口を噤んでしまった。それでよかった。
あーあ…、嫌な気分になっちゃったよ。
僕は舌打ち交じりに、林道美桜のアパートを出ていった。




