その⑧
「でもね…、『未来』を買った途端…、急に小説が書けるようになったの」
この感覚、わかるかしら? と言って、彼女はゆっくり、噛み砕きながら、「未来を買った者」に起こる症状について説明を始めた。
「わからないの。よくわからないのに、何故か小説が書けるの。別に何かを表現したいわけでも…、人と変わった感性を持つわけでもない…。空の色は青色だと思うし、ご飯を食べたら『美味しい』と思う…。普通のはずなのに…、何故か…、人とは半歩ずれた観点から斬り込んだ小説が書けちゃうの。まるで…、誰かが私に取り憑いているみたいに…」
肩を竦める。
「実際、友達に言われたの。『全然小説を書ける雰囲気をしていない』ってね。私、昔はスポーティーなイメージがあったのよ。今は『文学少女』って感じの雰囲気を出しているけど、時々、思いっきりスポーツをしたくなる時もあるわ…」
「それは…」
「この症状については、あなたも良く知っている未来売買人が言っていたわ。未来を買ってしまった以上、運命は、そうなる未来へと動くって。つまり…、小説とは全く縁が無かった私が、『小説家として大成する』という未来を買うと…、本人の意思とは関係無しに、そうなるようにイベントが起こるってことなの」
「…なるほどね」
いまいちピンと来なかったが、林道美桜の真剣な眼差しに圧倒され、適当に頷いた。
頭の中で、ゆっくりと噛み砕く。
林道美桜は元々、小説を書く気は無かった。どちらかというと、天真爛漫で、身体を動かすことを好んでいた。それが、僕の未来を買った。運命は、「彼女が小説家として大成する」ように動き始めるのだ。彼女のいう、「身体が勝手に動いて小説を書いてしまう」という症状は、運命がそうなるようにしているということ。
なるほど…。未来を売ると、売った未来があったところに「空虚」が流れ込むというメリットは知っていたが、逆もあったのか。逆に未来を買うと、自分の身の丈に合わないことが巻き起こり、精神的な違和感を覚える。そういうことなのだろう。
「でも、なんでだよ」
その話を聞かされた上でも、彼女のいう、「この運命の扱い方を教えてほしいの」の意味はわからなかった。
「なんで…、そんなことを僕に言ったんだ?」
「だから、こう言うことなの!」
林道美桜はそう言うと、バシッ! と、目の前にガラステーブルの上に、白いプリントを叩きつけた。
僕はふかふかのソファから背中を剥がすようにして身体を起こすと、彼女が見せてきたプリントを眺める。
「ええと…、『作者インタビュー&サイン会』…? なんだよ。インタビューとどう関係があるんだよ?」
「あんた、印象通り、鈍いね」




