その⑦
「じゃあ、本題に入るよ」
「…うん」
やっとか。
美桜がソファに腰をかけ、ロングスカートを穿いた脚を組む。
僕が立ったまま、林道美桜の方を見ていると、彼女は鬱陶しそうに傍のソファ指した。
「ほら、座ってよ」
「あ、失礼します」
何故か敬語で、ソファに腰を掛ける。この世に、こんなふわふわな素材があるのかと内心感激した。
「最初に言った通り、私は、あなたの未来を買った者ね」
「あ、うん…」
「改めまして、名前は『林道美桜』。この近くにある、市立大学に通っているの」
「そりゃあ、ご立派で」
僕の小ばかにしたような愛の手に、林道は少し苛立ったように続けた。
「今回、あなた…、ヒイラギくんの所を訪ねたのは、当然、私が買った、キミの『未来』についての話ね」
そう言って、傍に置いてあったショルダーバックから、またあの単行本を取り出す。
その、瑞瑞しい表紙と、『○○小説賞 大賞受賞作品!』の文字を見ると、胸がちくっと痛んだ。僕が苦虫を噛み潰したような顔をしたのを、林道美桜は見逃さなかった。
「そうね…、あなたが小学生の時に、未来売買人に売ったのは、『小説家として大成する未来』。本来ならば、この小説賞は、あなたがとっているはずだったの」
「…それで?」
「この未来はもう、私のものなの。あなたが歩むはずだった栄光の道を、これから、あなたに代わって歩むのが私なの。この小説は、百万部を超えて売れ…、今年中には映画化が決定される。第二作品目も、五十万部を超えるヒット。三作品目も、四作品目も順調に書き、私は日本を代表する小説家になるわ。そう、決定づけられているの」
「なんだ、自慢か?」
「そうじゃない」
林道美桜は静かに首を横に振った。
「言ったでしょ? あなたにお願いがあるって」と言うと、その薄い唇で、部屋の甘ったるい空気を吸い込み、喉の奥で溶かしてから言った。
「あなたに、この運命の扱い方を教えてほしいの」
その言葉が、部屋に静寂を呼び込んだ。
言葉の意味を理解するのに三秒。それから、鼻で笑うのに二秒かかった。
僕は「なんじゃそりゃ!」と大げさに言って、ソファの背もたれにドカッと体重を掛けた。
「運命の扱い方だと? 何を言っているんだ。馬鹿にするのもいい加減にしろよな」
「私はいたって真面目だから。だから、わざわざ未来売買人に聞いて、あなたの居場所を突き止めたの」
「それ犯罪だからな」
僕の言葉を無視して、林道美桜はあることを言った。
「私ね、小学生の時は、数学が一番得意だったの」
急に何を言い出すんだ?
「その次に得意だったのが、体育ね。足が速かったの。毎回、リレーの走者に選ばれてた。体力テストも、五本の指には入っていた…」
「だから…」
「国語が一番嫌いだった…、『文章を読んで作者の気持ちを答えろ』なんて問題、見たらすぐに破り捨てたくなるくらい嫌いだったね。朝の読書の時間は、昆虫図鑑とか…、料理の本とかを読んで時間を潰していたわ」
首を傾げ、唇に指を押し当てる林道美桜。肩にかかった黒髪がずり落ちる。
「でもね…、『未来』を買った途端…、急に小説が書けるようになったの」




