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もう未来なんて売らない  作者: バーニー
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その④

「私は、あなたの未来を買った者よ」


 女はそう言うと、持っていた杖を壁に立てかけ、スニーカーを脱いで男の部屋に上がり込んだ。埃っぽい空気を揺らし、壁で身体を支えながらこちらに向かってくる。その途中、ショルダーバックに手を入れ、中の何かを弄っていた。そして、固まっている僕の鼻先に、ショルダーバックから取り出したものを突きつけた。


「これ、証拠!」


 それは、一冊の単行本だった。


 有名イラストレーターによる、透き通るような青空の表紙。白く明朝体のフォントで、「幽鬼羅刹幸あれ」の文字。ペンネームは、「林道美桜」。金色の帯に、「○○小説賞 大賞受賞作品!」と表記されていた。


「あ…」と、思わず変な声が洩れる。


 彼女が見せてきたその小説は、僕が応募して、落選した小説賞の大賞作品だったのだ。


「これ…、キミが書いたの?」


「うん。私が書いた」


 女…、林道美桜はこくっと頷いた。


「あなたの未来を…、使って書いた」


「いや…、ちょっと待ってよ」僕は声を上擦らせながら、女を制した。「な、なんだよ。急に。何が言いたいんだよ」


「だから…」女は苛立ったように言った。「そのままの通りよ。私の名前は、林道美桜。ヒイラギくんの未来を買って、この小説を書いたって言ってんの」


「…僕の…、未来?」


 僕があまりに間抜けな顔をしていたためか、今まで確信を持った顔をしていた林道美桜の顔に、困惑が宿った。突きつけていた単行本を下げ、半歩下がる。


「人違い…じゃないよね?」

「違うな。僕の名前は、ヒイラギマコトだから」

「やっぱりヒイラギくんじゃん」

「だから…、わからないんだよ」


 僕もまた、苛立ったように言った。


「どうして、僕の未来を買った奴が、ここにいるんだよ」


 言葉のキャッチボールができていない。女は何かに焦って、言葉を端折っている部分がある。僕は突然のこと過ぎて、脳の処理が追いついていない。


 ぎくしゃくとした時間が部屋に流れた。

 僕は部屋の薄い酸素を取り込むように、口をぱくつかせた。肺に空気が流れ込み、脳に酸素が回る。水の中に絵の具を垂らしたように、不確かな確証が、じわじわと広がっていった。

 ああ…、そうか…。って、やっと理解する。


「キミが…、僕の未来を…」


 女がこくっと頷く。



 女が差し出した単行本の帯には、「○○小説賞 大賞受賞作品!」。その下に、少し小さな文字で、「新進気鋭作家 鮮烈デビュー」という煽り文。


 僕は売った。「小説家として大成する未来」を。

 彼女は買った。「小説家として大成する未来」を。

 僕は夢破れた。彼女は夢を叶えた。つまり、そういうことだった。


「はは…」


 乾いた笑いが零れ、ベッドの隣の壁に背中をもたれる。


「そうか…」


 売ってしまった未来はもう、「現在」に変わってしまった。もう買い戻すことはできない。わかっていたはずだ。だけど、その現在が、誰かの所有物になっていたんだ。死体蹴りっていうか…、もう、完膚なきまでに希望を叩きつぶされた気分だった。


「キミが…、僕の未来を買ったのか…」

「うん…」


 林道美桜は頷き、単行本をきゅっと握った。

 僕は笑ったまま言った。


「なんだ? 僕を馬鹿にしに来たのか? 『こんな素晴らしい未来を買い叩かれてご苦労様』って、言いに来たのか?」


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