その⑬
「『せどり』って言葉を、知っていますか?」
「え…」
僕が固まったのを、「無知」と捉えた女は、唇に指を押し当てて言った。
「古本屋で売られているような本を、転売目的で購入し、高い値段を吹っ掛けて他に売りつけるという行為です…」
「それが…、どうしたんだよ」
急に古本の話を始めた女を僕は睨みつけた。その瞬間、背筋がまた冷たくなり、はっとする。
「まさか…」女は悪びれる様子もなく頷いた。「我々は『神』ではありません。ましてや『予言者』なんて崇高な者ではありません。『未来の売買人』でございます。わかりますか? これは『商売』なんですよ。まあ、せどりのような法外な値段は吹っ掛けませんが」
「じゃあ…」
頬を熱い液体が伝った。冷や汗ではない、涙だった。
女はすくっと立ち上がると、僕を見下ろした。そして、マントの埃を払うような仕草をしたのち、今日また僕の目の前に現れた理由を語った。
「貴方は、私に『未来』を売ってくださいました。『今日』だったのですよ。今日がその日だったのです。貴方が売った『未来』の出来事が、『今日』起こるはずだったのです」
「それは…、小説のことか?」
「はい…、本来ならば、貴方は、小説賞で最優秀賞を獲得し、その連絡を今日受けるはずでした。ですが、『未来』を売ってしまったばかりに、その出来事は起こらなかったのです。きっと、貴方の小説は素晴らしいのでしょう。ですが、不思議なことに、その小説が日の目を見ることはありません。あの日から、そういう『運命』になっているんです。今日は、それを確認するために、貴方のもとにはせ参じました…」
ぺろっと下唇を舐める。
「そして、『商売』をしにきました」
先ほど、女が僕に言った言葉が脳裏を過る。
「『未来』を買いませんか?」
「買おうじゃないか」僕は頷いた。「買い戻そうじゃないか…、僕の未来を…、小説家になれるはずだった未来を…」
「無理ですよ」
女は笑った。小ばかにしているような声だった。いや、最初から、僕からこの言葉を引き出そうとしていたのかもしれない。
「貴方が売ってしまった『未来』は、もう、『現在』に変わってしまいました。空白になった運命にはもう、別の『未来』が流れ込んでいます。例外を除いて、買いなおすことはできません。先に言っておきますけど、貴方は『例外』ではありません」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」




