第九章 その③
そう、美桜の手紙は締めくくられていた。
「………」
手紙を読み終えた僕は、「馬鹿じゃねえの」と一言呟くと、それをくしゃくしゃにして、傍にあったゴミ箱の中に放り入れた。
隣に、未来売買人が立つ。
「…そういうわけですよ」
「うん、全部わかった」
ぼさぼさの髪をかき上げ、俯く。
「こうなる運命だったってわけだ」
女は挑発するように言った。
「…未来が返ってきたと言うのに、あまり喜ばないのですね。良かったじゃないですか。貴方が失った未来は、さらに栄光のある未来に変わり、そして、それを買い戻すお金さえも、美桜様が負担してくれました。貴方は何も損をしていません」
「……ああ、そうだな」
なぞるように頷いた。
「なあ…、未来を売ってしまった美桜は…、これからどうなる?」
「貴方と同じ道を歩みます」
未来売買人はそう言った。
「未来から『未来』が抜けてしまった場合、そこには『空虚』な運命が流れ込みます。何をするにしても上手くいかず、人にも見放され…、孤独の中を漂う日々です…」
「そうか…」
頷くと、女がふっと笑った。
そして、僕の脳裏に湧き出た「考え」を否定した。
「馬鹿なことはやめておいた方がいいですよ。ほら、バンジージャンプとかで、『これで死んでも自己責任です』って契約書を書かされるじゃないですか。それと同じですよ。美桜様は、そうなることをわかった上で、自分の未来を私に売ったのです。それとも、貴方がこれから稼ぐお金で、美桜様の未来を買いますか? まあ、それもいいでしょうけど…、あの人は他者の未来を得ることを嫌っていました。そうして、本当に彼女が喜ぶとは思いませんね」
白い手が伸びてきて、僕の頭をポンポンと撫でた。
「これで『ハッピーエンド』ってやつです。もう、運命を、未来をこねくり回すのは辞めておきましょう。未来売買人である私からのアドバイスです」
「………」
病室の扉が開いて、汗だくの月山さんが入ってきた。
「と、取ってきました。先生のノートパソコン…!」
ふっと、隣の女が消える。
月山さんはふらふらと歩いてきて、僕のアパートにあったノートパソコンを手渡した。
「こ、これでよかったですよね?」
「ああ…、ありがとう。でも、早かったね」
「そ、そりゃあ、先生のために車かっ飛ばしたんで」
「事故を起こさないでくれよ。危ないんだ」
「な! ありがとうございます!」
「え?」
走ったおかげか、それとも照れているからなのか、月山さんは終始顔を真っ赤にして、ベッド横の椅子に腰を掛けた。
「さあ、先生! 新作ちゃちゃっと書いちゃいましょう! 締め切りも近いですし!」
「ああ…、うん」
ベッドのテーブルにノートパソコンを置き、起動させる。
「先生の作品、本当に大好きで…はい! 実は、上にお願いして、担当編集になったんですよ」
「ああ、そうなの…」
「あの、私じゃ実力不足ですかね?」
「そんなことは無いと思うけど…」
そう適当に返しながら起動したパソコンを見る。
僕が今までに書いてきた小説のデータが、デスクトップにずらっと並んでいた。見知ったものから、書いた覚えのないものまで。
視界に、美桜の姿がちらついた。
喉に熱いものを感じている間も、月山さんは壊れたおもちゃのようにしゃべり続けた。
「いやあ、今回は本当に災難でしたね! 洗濯物を取り込もうとしてベランダから落ちるなんて。でも、高い場所じゃなくて本当によかったです。こんなことを言うのは不謹慎かもですが、あしの骨だけで済みましたからね。腕だとマジでヤバかったですから! ああ、そうだ! 多分、完治する前には退院できると思うんですけど、なんでも言ってください! できる範囲のことならしますから! はい、これも新作のためですよ!」
「…うん」
「あ、ごめんんさい! うるさかったですよね? あの、私、外に出ていますから! あと編集部の方にも連絡しないと…! その、だから、一人ですけど、執筆頑張ってください。原稿、楽しみにしていますから!」
そう言って、月山さんは木枯らしのように病室を出ていった。
せわしない女だな…。美桜とは大違いだ。いや、まあ、あいつも大概だったけど。
静かになった病室。再び、あの未来売買人が現れることはなかった。
僕は欠伸を噛み殺し、新作のファイルを開く。パチパチと美桜の姿がちらつく中、キーボードに手を添え、水を噛むように、ゆっくりと執筆を始めた。
取り戻した未来…、堪能するとしますか。




