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青春惨禍症候群―壊れた日々と、天秤の君―  作者: 文海マヤ
一章 「礫」
8/37

一章 その7

 ***



 夜の浅海神社は、ひどく暗かった。


 数年前に大きな地震があってから、夜間に灯りをつけるのを止めてしまったらしい。

 そのため、辺りは一寸先すらも定かではない闇に包まれてしまっている。


 僕らがこの場所を選んだのは、まずもって人目につかないという理由からだ。深夜に高校生が二人、往来で話していれば立派な補導対象だ。


 それに加えて――追跡者からも、身を隠せる。


「ほら、買ってきたわよ。どっちがいいかしら」


 先輩は入り口にある自動販売機で買ってきたのだろう、清涼飲料水の缶を両手に一つずつ持ちながら突き出してきた。


「あ、ありがとうございます」おずおずと、それを受け取りながら。

「でも、何ですか。さっき言ってた"病"って」


 僕はプルタブに指をかけつつ、そう問いかけた。

 カシュッという音と共にアルミの接合面は裂け、ブクブクと炭酸が吹き出していく。


「そうね、何から話したものかしら」


 先輩は手元に残ったもうひとつの缶を両手で包み込むと、暫く考え込む素振りを見せた。

 長い睫毛(まつげ)を数回瞬かせた彼女は、ゆらり、と僕の方に視線を向ける。


「私が追っている病気、正式名称を"青春惨禍症候群"というの」


「……"青春惨禍症候群"?」


 聞いたことの無い病名だった。

 少なくとも、今までの人生十七年の検索結果にその名前はない。


 しかし、ずいぶんと物騒な響きをしている。


「ええ、そうでしょうね。未だに正式に学会で発表されてはいない病気よ。それに、症例もとても少ない」


「その病気っていうのが、さっきの奴と何か関係があるんですか?」


 僕の頭の中には、先ほどのフードの人物が浮かんでいた。


 あんな動き、人間にはとてもできないだろう。

 それに、教室に遺されていたアレは、どう見ても――。


「――死体だったわね」僕の思考を接ぐように、先輩は口にした。


 死体。


 普通に生きていれば、目にする機会はそうそうないだろう。


 暗がりでハッキリとは視認できなかったが、女子生徒だったと思う。

 首がおかしな方向に曲がり、脱力し、歪な姿で椅子に座っていた。


 明らかに生き物ではなく。

 タンパク質とリンで作られた、モノになってしまっていた。


「あの場所では、殺人が行われていた。そして犯人は、さっきのフードの人物で間違いないでしょう」


「……確かに、そうでしょうけど。それが"症候群"ってのと――」


 僕の言葉を、細い人差し指が遮った。

 そして、先輩はよく通る、朗々とした声で告げる。


「"症候群"には三つ大きな特徴があるの。その中でも一番顕著(けんちょ)なのが、殺人衝動の加速。発症者はほんのわずかなきっかけで、人殺しに走ってしまうようになる」


「人殺しに、って……」


 にわかには信じがたい話だった。


 人を殺すというのは、とんでもないことだろう。

 少なくとも幼い頃から叩き込まれた倫理観の盤上では、それはとびっきりの大罪として扱われていたはずだ。


 それが、病の症状によって引き起こされるというのだろうか。


「別に、珍しいものではないわ。間欠性爆発症のように、心のコントロールを手放してしまう病気というのは珍しくない」


「カッとなってやってしまった、ってやつですか。確かによく聞く話ではありますけど」


「そう、いくらでもあり得る症例よ。ただ、"症候群"は違う。理性のハンドルを握ったまま、罹患者たちは人を殺すようになるの」


「まさか」僕は狼狽(ろうばい)を隠そうともせずに言った。

「そんなの、無茶苦茶だ。それってカッとなりやすいとか、サイコパスとか、そういう人だけのことじゃないんですか?」


 先輩は僕の言葉に、ゆるゆると首を振った。

 どこか呆れたような様子ですらあったかもしれない。


「そんなことないわ。"症候群"は誰にでも発症の可能性がある。人当たりのいい、明晰(めいせき)な、そして何より理性的な人であったとしても、ある日突然狂ってしまうの」


 それは、とても恐ろしいことなのではないかと思った。


 ある日突然、隣人が。

 それこそ気の置けないと思っていた間柄の誰かが狂気に落ちる唐突に牙を向き、命を脅かす。


 日常に潜んだ狂気の種が、一息に芽吹いて喉を締め上げる。


「……なんだって、そんな。病気ってことは、原因があるんすよね?」


 希望的観測を述べることしかできなかった僕に、彼女は再び首を振った。


「一応、強いストレスが原因とされているけど、詳細はわかっていないわ。二つ目の特徴として、私たちと同じ十代後半の中高校生が(かか)りやすいというのはあるけど、それ以外は一切不明なの」


「……精神病なんて、どれもそんなもんな気がしますけどね」


 結局のところ、心のダメージを僕らが自覚することは難しい。


 鬱病の患者が自分のことを健康体だと思っているように、暗がりにいる自分自身を俯瞰することなど、誰にもできないのだ。


「そう、ここまでなら別にあり得ない話じゃない。人を攻撃的にする病なんて、いくらでもあるわ」


「じゃあ、"症候群"ってのも、そのうちの一つってことになるんじゃないですか?」


 先輩はそこで、ニヤリと口角を上げた。

 まるで、その質問を待っていたとでも言いたかったかのように。


「……そこで、三つ目の特徴のお話になるわね。これが一般的な精神病と一番大きく違う部分なんだけど、発症者は――」


 先輩は勿体つけるように語尾を伸ばした。


 何が来るのだ、と身構えた僕の表情は僅かに固くなっていたことだろう。

 何かとんでもないことを言い出しそうな、そんな雰囲気が彼女にはあった。


 そんな僕を嘲笑うように、彼女は。



「――()()()()()使()()()()()()()()()()



「まさか」僕はそれを聞いて、思わず立ち上がった。

「そんなわけないでしょう、人を馬鹿にするにもほどがある」


 いくらなんでも、超能力などあり得ない。

 先輩が僕をからかっていると考えた方が、まだ自然だ。


「それが、本当なのよ。あなただって見たでしょ、さっきのフードの奴の、あり得ない動き」


 確かに、あれは明らかに異常な、それこそ人間離れした動きのように見えた。


 壁やロッカー、果ては窓までを蹴りながら三次元的に跳び続けるあの走法。

 それこそマンガの中の忍者くらいしか、そんなことができる人間は見たことがない。


 凄まじく、そして恐ろしい追跡者だったことは間違いない――だが。


「……なるほど、わかりました。わかりましたよ」


 僕は降参、とばかりに両手を上げた。

 超能力だのという馬鹿らしい話を信じたわけではない。


 最悪、先輩が妄想に浸るタイプの電波女だったとしても、それはそれでいい。


 現に、僕は先輩に救われている。

 あのフードの人物が僕らを追いかけてきていて、先輩に手を引かれなければ、どうなっていたかわからなかったのだから。


 だから、議論すべきはそこではない。


「それで、先輩。あんたは僕に何を言いたいんですか? 」


 結局、どれだけ話していてもそこが見えてこない。


 "症候群"のことはわかった。

 そんな恐ろしいものが、僕らの生活のすぐ背面にあったのはというの確かに恐ろしいものの、けれど、それがどうしたというのだろうか?


 今日のことは、僕に非がある。


 教室にある死体を目にした時点で、引き返すべきだったのだ。

 無様にも背を向け、一も二もなく身を(ひるがえ)すべきだった。


 僕をあの場に縫い止めたのは、恐怖や動揺では断じてなく、ただの興味だったのだから。


 ゆえに、この話はそこで終わるはずなのだ。

 僕が自虐気味に自省して、そこまでで綴じられるはずなのに。


「簡単なことよ、私たちの学校には"症候群"の罹患(りかん)者がいる」


 先輩はわざと、そこで言葉を切った。そして、俯いた僕の顔を引き起こすようにしてから、続けた。


「そして、殺人事件はこれからも起こり続ける。犯人が捕まる、その時までね」


「……どうして、そんなことが断言できるんですか?」


 僕はほんの少しだけ噛みつくように言った。

 そのすべてを把握しているかのような物言いが癇に障ったのかもしれないし、先ほど同居人にからかわれたのが効いていたのかもしれない。


 けれど先輩は、そんな僕の幼稚な癇癪(かんしゃく)など軽くあしらうように、鼻で笑う。


「あなたは知っているかしら。つい最近この学校の生徒が、殺されたって事件」


 僕は思わず、内臓が跳ねるのを感じた。

 "あの事件"のことなら、もちろん知っている。


 僕らの日々に落とされた一粒のインク、非日常、それが、どうして――。


「――あれも、"症候群"の患者がやったのよ」


「……まさか」声は、震えていたと思う。「こじつけじゃないんですか、そんなの」


「ちゃんと理由ならあるわよ。あなた、あの事件がどこで起こったか知っている?」


「……大通りの方の、裏路地だってのは聞きました」


 そこで先輩は、ゆるゆると首を振った。


「本当の現場は、私たちの学校よ。陸上部の部室。最近警察が出入りしていることくらいは知ってるんじゃないかしら」


「……僕らの、学校で?」


 心臓の音が、やけにうるさい。


 何かマズいことを聞いている気がした。

 知らなくてもいいこと。知ってしまえば引き返せないようなこと。知らないままなら、愚かに気づかずに過ごしていけること。


 思えば、そうだ。現場が校外なのであれば、学校内の施設を閉鎖する必要はない。


「ええ、そして今日も、校内で殺人が起きた。これって本当に、偶然だと思う?」


 "あの事件"と、今日の死体。

 そして先輩が追っているという、"症候群"。


「単刀直入に言いましょう。あなた、私に協力してくれないかしら?」


 先輩はまっすぐ、僕の方を見つめながらそう言ってきた。


「協力……? そりゃあ一体、どういうことですか」


「そのままの意味よ、患者を捕まえるのに協力してほしいの。正直、私一人では手が足りないと思っていたところだから」


 馬鹿な、と僕は思わず立ち上がった。


「どうして、僕にそんなことを頼むんですか。先輩、僕のことなんて何にも知らないでしょう」


「ええ、知らないわよ。でも、もうあなたも無関係じゃないから」


「なにが、どう無関係じゃないっていうんですか。だいたい、僕はそんな病気のことなんて、今こうして聞かされるまで知らなかったんですから――」


「――見られたのよ」先輩は、ほとんど叫ぶように絞り出した僕の言葉を遮るように。

「あなたも犯人に顔を見られた。私が犯人なら、あなたのことを放ってはおかないと思うわ」


 顔を見られた?

 確かに、僕と先輩は殺人現場の目撃者、言い換えれば第一発見者とも言えるかもしれない。


 ある意味では、一番危険な状況と言えるかもしれない。


 しかし。


「……なら、なおさらです。警察に任せましょうよ、そんなの。僕らが危ない橋を渡るような話じゃあないはずです」


「……あなた、ミステリー小説はあまり読まないのかしら」


「読みますよ、本棚には乱歩もホームズも詰まってます。でも、ここは現実だ。警察以上に優秀な捜査機関なんてないんですよ」


 僕はそこまでを早口でまくし立ててから、先輩に背を向けた。


 付き合いきれない。助けてもらったのには感謝するが、そこまでだ。

 先輩に興味はあるが、命と天秤にかけるほどのことじゃない。


 先輩にしてもそうだろう。僕ら子供にはどうしようもないのだ。

 学校にしたって先生たちがいるはずだし、むしろ僕らにうろつかれたら邪魔だろう。


 その場を辞すまでの足取りに、迷いはなかった。暗がりに踏み入る恐怖も、勢いがごまかしてくれたのかさほど感じない。


「――あなたの大切な誰かも、被害に遭うかもしれないのよ」


 先輩の声は、静かな境内によく響いた。けれどそれは、振り返る理由にはならなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 一章まで読ませていただきました。 ホラーテイストのミステリーといった感じで、謎いっぱいの序章なので、この先、どんな展開になるのか楽しみです。 文章もきれいですし、表現力も豊富で読みやすいと…
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