表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青春惨禍症候群―壊れた日々と、天秤の君―  作者: 文海マヤ
四章 「獨」
26/37

四章 その4

 ***



 先輩が到着したのは、僕が連絡してから二分ほどが経過してからだった。


 ガラガラと、最早(はばか)ることなく、先輩は扉を開ける。

 そして、死体のすぐそばに腰を下ろした僕のところまで歩いてきた。


 カツカツと無遠慮な足音が、行き場を失ったかのように途絶える。

 ただ立ち止まっただけなのだろうが、それがひどく不吉に思えた。


「……まさか、もう既に犯行が行われていたなんてね。私たちは、今回も間に合わなかった……」


 僕の背に、そんな言葉がかけられる。けれど、僕には振り返る余裕もなかった。


 ただ、"彼女"だったものを見下ろしている。

 乱れた前髪、閉じられた瞳は、きっと猫のようなアーモンド型。それは、僕のよく知る顔だった。


「……対馬、有佐さんね。目立った外傷はないようだけど、毒か何か飲まされたのかしら?」


「……いや、それは違うと思いますよ」


 僕は、彼女の首元を指した。そこには、くっきりとした索条痕(さくじょうこん)が残されている。


 月光に照らされ、浮かび上がった肌の色は判然としないものの、ほんの少しだけ鬱血(うっけつ)しているようにも見えた。彼女は、首を絞められたのだ。


「絞殺……今回も、そうなのね。犯人は近くにいなかったの?」


 僕は首を横に振った。確かに、この体育館に入っていく人影こそあったものの、定かではない。


 最早今となっては、影法師か何かを見間違えたのではないかとすら思えるほどだ。


「……絞殺には時間がかかる……そうでしたよね? それなら、犯人はわざと、僕をここに誘い込んだんでしょうか?」


「そうと断言はできないわね。前回の淡路さんの例もあるわ。もしかすると、殺された後に運び込まれたのかも」


 先輩は、倒れ込んだ有佐のすぐそばに屈み込み、何事かを見聞しているだった。

 僕はその背中を、注意深く見つめる。


 僕は、未だにドクドクと、過剰なほどに脈打つ心臓を押さえつける。


「……着衣と、髪が乱れているわ。多少の抵抗はしたようだけれど、ダメだったのね」


 そう口にして、先輩はもう動かなくなった有佐の髪に指を通す。

 死人の頭髪は、恐ろしいくらいに冷たくて、まるでビニール製の作り物なのではないかと思ってしまうほどだ。


 真っ暗な体育館の中、窓から差し込んだ光に照らされたこの場所は、まるでなにかの舞台の上のようだった。


 そこで彼女が出演した演目は、恐らく悲劇だったのだろうが。

 演者までもがその一部になることは無いだろうに。


「……ずいぶん、落ち着いているのね」先輩は見聞の手を止めて、立ち上がる。

「淡路さんの時はあれだけ取り乱していたから、今回もてっきり、我を失うほどに悲しんでいるものだと思ったわ」


「……別に、悲しくないわけじゃないですよ。まだ、理解が追い付いてないんです」


 口にしながら、僕の脳裏に今日の有佐の姿が甦る。


 はしゃぐように跳ねる度、揺れる髪。

 飛び抜けて上手くはなかった歌声。ハンバーグプレートを注文するときの、照れた顔。


 全てもう、二度と見ることができない。それらは淡路の時と、なにも変わっていないはず――。


 ――なんて、本当に思っているのだろうか?


 僕は唐突に湧き出してきた心中の苦味に、思わず眉を寄せた。

 偽り。紛れもなく、僕は自分を偽っている。


 僕は知っているはずだ。


 今回の喪失は、淡路の時とは違う。


 同じだけど、違うのだ。


 だから冷静でいられる。この悲劇を、俯瞰して眺めていられるのだ。


「そう、どちらにせよ、冷静なのはいいことよ」


 先輩はそれ以上の追及をしてこなかった。一見すれば冷酷にも思えるが、これは先輩なりの誠意なのだろう。


 あらゆる命に貴賤はなく。

 公平かつ平等に扱われている。


 それゆえに、彼女にとっては数字でしかない。


 "四人目"という以上の認識を、先輩はこの死体に持っていないのだ。それは決して悪いことではない。


 僕の感情を抜きにすれば、受け入れられることだ。


 そんな思考など知らぬまま、先輩は冷たい調子で続ける。


「……ここまで、私たちは"患者"を捕まえられなかった。恐らく、次の犯行は明日行われるわ。そして、そこでも止められなかったのなら、その次は――」


 きっと。

 溢れた殺意は、犯人自身を殺す。


 そうなってしまうのが、最悪のバッドエンドだ。


 何があったとしても、それだけは止めなければならない。

 例えもう、これが手遅れであり、終わってしまった物語だったとしても、僕はそれだけは許してはいけないのだ。


 だって。

 だって、僕は。


「……先輩、先輩に二つ、伝えなきゃいけないことがあります」


 意を決して、それを口にする。


 今まで朧気だった、予想だとか疑念だとか、そんな名前の揺らいだ気配が、じわりと輪郭を帯びていく。


 いや、輪郭を帯びたのは、ここに来てようやくだ。

 見えなかったのではなく、見ようとしていなかったのだと、そう、思い知らされた。


 だから、終わりにしよう。

 終わりにしなければならない。


 他の誰でもない、僕の手で。


「……何かしら?」先輩は明らかに、怪訝そうな顔をしていた。


 当然だ、自分より明らかに愚かな後輩が、唐突にそんなことを言い始めたのだから。


 ゆえに、僕は続ける。そのまま、愚かなままで。戯れ言だと思うのなら思ったまま、聞き流してもらっても構わないと言うように――。


「……まず、ひとつめ。明日、殺されるのが誰なのか、僕にはわかっています」


 言い切るかどうかというところで、先輩の切れ長の目が大きく見開かれた。


 彼女の綺麗な唇が、疑問の言葉を紡ぐ前に、僕はその先を口にする。


「そして、もうひとつ。僕には全てわかったんですよ、この事件の、犯人が」


 そこまで口にしたところで、先輩は用意していた言葉を失った。

 驚愕する彼女の顔は、思ったよりも見応えがある。


 遠回りしてしまった。そして、そのせいで何もかも失ってしまったように思える。


 加えて、今から僕は、僅かに残ったものまで全てを燃やし尽くそうとしている。


 でも、それでいい。


 もう、こんな膿んだ日々に、未練はない。先に進むために、僕は全てを焼き払わなければならない。


 さあ、やろう。


 この悲しい舞台に幕を引こう。


 全ては明日の夜。


 僕らの天秤は――確かに、傾くのだから。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ