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青春惨禍症候群―壊れた日々と、天秤の君―  作者: 文海マヤ
二章 「壊」
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二章 その3

 ***



「私は、対馬有佐(ありさ)、って言います。有無の有るに、大佐の佐で有佐です」


 場所を図書室の隅、普段であれば文芸部が読書会を開いている、机の並べられたスペースに移して、彼女はそう名乗りを上げた。


 あの後、委員会に戻っていく佑香を見送った僕らは、そのまま解散というわけにもいかず、適当な席に腰を下ろすことにした。


 見間違えてしまい気恥ずかしかったのもあるが、佑香の妹だというのなら挨拶くらいはちゃんとしておいた方がいいだろう、ということで、まずは非礼を詫びることにしたのだ。


「その、さっきはいきなり声をかけて悪かったよ。姉の方と、見間違えちゃってさ」


 そういいながら、僕は彼女の方に目を向けた。

 背筋をピンと伸ばした有佐は、返すも返すも佑香とそっくりだった。


 一卵性双生児。目元も、顔立ちも、おそらくは身長や体つきも、二人はまるっきり同じなのではないだろうか。


 ただ一つ、佑香が前髪の右側の房を結っていたのに対して、有佐は左側の房を結っていた。

 それと話した雰囲気くらいしか、二人の違いは見受けられない。


「ああ、いいんですよ、気にしなくて……」彼女は佑香と同じ声色で、信じられないくらいに小さな声で言う。

 「私の方も、お姉ちゃんから聞いていたのに気づかなかったので」


 有佐はそうして、手にしていた本の頁をめくった。

 聞いたことも、見たこともない海外の作家の本だったが、彼女は真剣に、文を目で追っている。


「……読書、好きなのか?」


 僕は恐る恐る訊いた。有佐の雰囲気は姉とは違い、どこか冷たいというか、尖ったような気配を帯びていたからだ。


 彼女は頁から目を離すことなく、それに答えた。


「はい。人並みには、ですけど」


「そうか、どんなジャンルが好きなんだ?」


 すっ、と有佐は手に持っている本を目線の高さに挙げた。

 今読んでいるのと同じもの、ということなのだろうが、残念ながら僕はそこまで海外の作家に明るくない。


 訪れる沈黙。胸に湧いてきたのは、理由のない焦り。

 何か喋らなければ、間を繋がなければと、言葉を探す。


「……あの、そんな無理に私と、話さなくてもいいですよ」


 そんな僕に、有佐はどこか申し訳なさそうに、そう言ってきた。


「いや、そんな無理にとかってつもりは……」


「いいんです。わたし、お姉ちゃんと違って話上手くないですし。私たち姉妹、よく似ているので、間違えられることも多いですから、さっきのことも気にしてません」


 ぴしゃり、と彼女はそこまでを口にして、再び活字の世界に潜っていった。


 無理もないか。初対面の印象は最悪だ。

 数少ない友人の妹だというから仲良くしたかったのだが、僕には弁解の余地もない。


「……わかった、悪かったよ。読書の邪魔になるもんな、嫌われたって仕方ない」


 それでも皮肉っぽい響きになってしまったのは、僕の底意地の悪さがそうさせたのか。


 僕はそのまま無視されれば、立ち去るつもりだった。

 彼女に不快な思いをさせるのは本意ではなかったし、あまりしつこくして、後から佑香に愚痴を言われるのも嫌だったからだ。


 しかし、有佐の反応は意外なものだった。


「……別に、嫌ってわけじゃないです。ただ、私にはその、信濃くんの昼休みの時間と天秤にかけるような価値がないんじゃないか、って思うので」


 彼女はどこか気恥ずかしそうに、本で顔を隠した。


 その物言いが、ほんの少しだけ引っかかった。

 普段同じ顔で、歯に衣着せずズケズケとものを言う姉の姿を見ているからだろうか。


「天秤……って、そんな風に僕は、杓子定規(しゃくしじょうぎ)に人を判断したりはしないって」


「でも、私と話しててもつまらないのは本当のことじゃないですか?」


 どうやら彼女には、物事を悲観的に考える癖があるらしい。


 なのに、譲らないその調子が、なんだか少しだけ可笑しかった。


「ほら、話題があんまりさ。共通の話題って言ったら佑香のことくらいしかないけど、姉妹の話って振られる側は結構困ったりするもんだろ?」


「それは……そうですけど。それなら趣味の話とかはどうですか? 最近はゆっくり本が読めるようになったので、私はもっぱら読書ばっかりになってますけど」


「うーん……確かにそうだな、でも、僕とあんたじゃ趣味も違う。僕は漫画やライトノベルばっかりで、それも月に一冊読めばいい方だ」


「本、あんまり好きじゃないんですか?」有佐が覗き込むようにして、目を合わせてくる。


「そんなことはないんだけど、避けてる節はある。小説とか随筆って、筆者の考えがめちゃくちゃ溶け込んでるものだろ? 怖いんだよな、自分の頭の中に、他人の思考を入れるのって」


 染まってしまいそうで、と続きは飲み込んだ。


 伊予辺りは外出もできないのにどこから持ち込んだのか、日がな分厚いハードカバーとにらめっこしていることもあるが、僕はいつもそれを、遠巻きに眺めるのみだった。


「そうですか? 私は素晴らしいと思いますけど」


 有佐はそこで、読んでいた本にしおりを挟みこんだ。

 そして、ぱたりと閉じる。微かな風圧に乗って、紙の匂いが僕の鼻先まで漂ってきた。


「私たちは、人ひとり分の人生しか生きられないんですから。どれだけ羨んでも、どれだけ焦がれても、眩しい誰かの人生を同じようになぞることは、出来ないんです」


「……それは、確かにそうだな」


「でも、本を読めば、まるでその登場人物になったかのように、あらゆることを追体験できるんです。ファンタジーでも、SFでも、ミステリーでも。本に没頭している間は、自分が自分であることを忘れられるんです」


 世界と切り離されて、空想と活字の世界に浸る。


 なるほど、それは読書というものの、ある意味では醍醐味と呼べるものかもしれない。

 彼女のように言語化はしなくとも、フィクションの世界に楽しさを見出している人間は、多かれ少なかれそこにある非日常を楽しんでいるのだろう。


 しかし、なぜだろうか。先ほどよりも少しだけ、饒舌(じょうぜつ)になった彼女の顔は――ひどく悲しそうに見えた。


「……そうか、本にも楽しみ方ってのがあるんだな」


 僕は佑香とは違う雰囲気を纏う彼女に、どこか惹かれていた。


 これもまた、色恋とは違う。かといって先輩に抱いたような興味とも違う。


 一番似つかわしい言葉を選ぶのなら、"危惧"だろうか。対馬姉妹はまるで、陰陽図のように白黒がはっきりと分かれているかのように、僕には映ったのだ。


 社交性があり、明るい性格の佑香。

 かたや、喋るのが苦手で、読書を好む有佐。


 光と影――とまで言うつもりはないが、有佐は佑香の陰に隠れてしまっているような印象を受けた。

 思えば、今日までの付き合いの中で彼女と知り合うことがなかったというのも、そのイメージを後押ししているのかもしれない。


 だからというか、ほんの少しだけ、怖かった。


 今日、このまま立ち去ったら、もう二度と会えないのではないか。もう二度と、言葉を交わすことはないんじゃないかと。


 ――だから。


「そうだ、よかったらさ、僕におすすめの本を一冊、見繕ってくれよ」


 僕はそう申し出ることにした。深い考えはなく、どちらかと言えば、手から転び落ちた湯呑に反射的に手を伸ばすような、そんな感覚だった。


「……私が、ですか? でも、私の好みで選ぶことになっちゃいますけど」


「ああ、それでいいよ。久々に活字に触れるし、読書好きのあんたが面白いって言う本なら、外れがないだろうから安心だしな」


「そんなこと――」と、彼女は口にして、そこで止めた。あまりにしつこい僕に嫌気がさしたのか、それとも、言っても聞かない性格だと思われたのか。


 彼女は立ち上がると、先ほど本を選び取ったのと同じ、西洋文学の棚に向かって歩き始めた。


「……わかりました、いいですよ。私なんかでよければ、選ばせていただきます」


「そりゃありがたいな、次に会ったときにでも、感想聞かせるからさ」


「楽しみにしてます……ところで、好きなジャンルとか、展開とかってありますか?」


「ジャンルとか、展開か」僕はしばらく考えて。

「あんまり問わないけど、ハッピーエンドがいいよな、どうせなら。何時間もかけて読むんだ、最後は浮かばれなくっちゃあ、なんだかやりきれないからさ」


 僕の言葉に、有佐はどこか、可笑しくて仕方がないとでもいうように笑った。


 そんなに変わったことを言っただろうか、と眉を寄せる僕をよそに、有佐は棚の中段から、一冊を選び取った。


 そして。


「そんなあなたには、シェイクスピアがお似合いですよ」


 悪戯っぽい笑みのまま、それを差し出して来るのだった。


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