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懐中時計を巻き戻す

作者: たつたろう

壮大な時間旅行に至る僕の、ファーストステップ。

 守時時計店。

 街角にひっそりと佇む、侘しい一軒の店へと、僕はやってきていた。


 父が亡くなり、葬儀を終えて一週間。

 住む者のいなくなってしまった実家を引き払い、諸々の手続きを済ませて漸くひと息ついた僕は、ぽっかり空いてしまった時間を埋めるべく、昔過ごした地元の街をぶらついているうち、ここへたどり着いていたんだ。


 僕は、ジャケットの内ポケットから、懐中時計を取り出した。

 実家の物は全て処分してしまったけれど、唯一、この壊れた懐中時計だけは、形見として取っておいた。

 まだ実家に住んでいた頃、父は度々、もう壊れてしまっていた、この懐中時計を取り出しては、ぼんやりと眺めながら、酒をちびちび、過ごしていたものだった。


 どうして壊れているのだろう。

 何故、父は直さないのだろう。

 なんで、その懐中時計を、そんなに眺めているのだろう。


 子ども心に気になって、様々に憶測したり、父に聞いてみようと思ったりしたものだったが、一度思い切って尋ねてみたところ、「ああ、うん……」と言葉を濁してから、それっきり答えてくれることは無かった。

 それ以降、聞くのは憚られ、なんとなく過ごしているうちに、ついに聞くことはできなくなってしまった。


 懐中時計の蓋を開けて、眺めてみる。

 ガラスはひび割れていて、針はもう、ねじを巻いても動かない。


 まるで吸い寄せられるようにやってきてしまった、この時計店は、ずいぶんと年季が入った様子であったし、修理をしてもらえるかもしれない。


 懐中時計を再びジャケットの内ポケットに戻し、意を決して時計店へと足を踏み入れる。

 木製のドアを押し開けると、キィ……と小さく軋んだ。





 カチ……        カチ……      コチ……

    チッ……   カチ……    シャッ……

   コチ……        チッ……

 シャッ……     ボーン……        シャッ……

      ボーン……

                コチ……



 壁に掛けられた無数の時計が、それぞれの時を刻んでいる。

 現在の時刻を指しているものが大半だが、中には、全く違う時刻を指しているものも見受けられた。

 ショーケースの中には、最新式のデジタル時計が鎮座しているが、壁に掛かっているものは振り子時計や鳩時計、何やら人形が顔を出している物など、仕掛け時計の数々が飾ってあった。


「いらっしゃいませ」


 店の奥の方から、40手前くらいの、人の良さそうな中年の男性が、にこやかにやってきた。


「なにか、お探しですか?」

「あ、はあ、えーと、その、ちょっと、これなんですけど、直るかなと思って……」


 僕は、しどろもどろになりながら、どうにか懐中時計を取り出して、店主らしき男性に手渡した。

 なんというか、店の雰囲気に似つかわしくなく、やけにフレンドリーで気後れしてしまった。


「ははあ。ではちょっとお預かりしますね。う~ん。ひび割れちゃってますね~。これ、開けてみてもいいですか?」

「はい、どうぞどうぞ」

「では、調べてみることにします。お父さん、これ見てみてくれませんか」


 中年男性はそう言いながら、店内の一角へと歩いていき、懐中時計を手渡した。

 それまで全く気が付かなかったのだが、顕微鏡の倍率レンズのようなものを片目にはめた白髪のおじいさんが、作業台に座っていた。

 お父さん、と呼ばれているところをみるに、この中年男性の父親らしい。もしかしたら、このおじいさんの方が店主なのかもしれない。


「ん」


 おじいさんは、一言、低く呟くと、懐中時計を受け取って調べ始めた。

 しばし見守っていると、また「ん」と一言頷いたかと思うと、指を3本立てた。


「どうやら、すぐに終わるようですね。店内をご覧になりながら、今しばらくお待ちください」

「はあ……」


 この親子のやり取りは意味不明だが、すぐに直るらしい。

 3分後だろうか、それとも30分後だろうか。あるいは、何かの部品の指示だったのだろうか。

 僕は特段、急いでいるわけでもない。お言葉に甘えて、待たせてもらうことにした。


「ちなみに、簡易的に直すだけならすぐに終わるんですが、オーバーホールとなると、このくらいになりますね」


 中年男性に、料金表を渡される。

 うげ、2万円もするのか。意外とするんだなあ。


「どうします? 一応、蓋の交換とオイルだけなら3,000円ですぐに済みますが」

「あ~……ちょっと検討します」

「そうですか。では、ごゆっくり」


 それきり、中年男性の方も、黙ってしまった。

 おじいさんの方は、もとより黙ったままカチャカチャとやっている。


 オーバーホールかあ……。どうしようかな。

 そんなことをぼんやり考えているうちに、また「ん」と一言あって、中年男性を経由して手元に懐中時計が帰ってきた。


「とりあえず、動くようになりましたよ。ご確認下さい」


 そう言われて、懐中時計をのぞき込んでみる。

 確かに、チッ、チッ、チッと、小さな音を立てながら、ちゃんと動いている。


「おー、ホントですね。ちゃんと動いてますね」


 ただちょっと、時間がズレているみたいだな。

 僕は、スマホを取り出して時間を確認して、ねじを回したりしてみながら、時間を正しく直そうとした。


 この分なら、時計を進めるより、巻き戻した方が早いかな。



 僕は、懐中時計を巻き戻す。



 顔を上げると。

 中年男性は消えていた。


「え……? えっ?」


 慌てて周りを見回してみると、おじいさんは消えておらず、相変わらずカチャカチャとやっている。

 ちら、とこちらを見てきたが、すぐに興味を失くしたようで、作業に戻ってしまった。


 わけが分からない。


 呆然としていると、外から「パープー」という音が聞こえてきた。

 豆腐屋の音だ。

 今時、豆腐屋なんているのか、と思いながら、しかし、思考は消えてしまった中年男性へと戻っていく。


 おじいさんは商談などしてくれそうな雰囲気もないし、修理代はどうすればいいのだろうか。

 僕は戸惑いながらも、とりあえず3,000円を店内に残し、ふらふらと外へ出た。


 ……疲れてるのかも知れない。

 今まで慌ただしかったものだから、気が抜けてしまったのかも知れないな。

 無理矢理自分を納得させながら、ホテルへと向かう。



 ホテルがない。

 なくなっていた。


 道中、色々とおかしいと思ってはいたものの、これは決定的だった。

 駅前にできたばかりのホテルなのに。

 街並みも、見覚えのない店がたくさんあった。

 全体的に、建物が低い。そしてどこか古臭い。


 これは、あれだ。

 3丁目の夕日とか、男はつらいよとか、そういうので見たことがあるような、レトロでノスタルジックな風景で。

 要するに、昭和っぽかった。


 ホテルがあった筈の場所に鎮座ましましていたのは、小さな旅館やら、個人商店やら住宅やら、統一性のない雑然とした建物群だった。

 本当にここで合っているのか。

 そう思って、もう一度周囲を見渡してみれば、他の建物とは趣の異なった、コンビニを発見した。

 確か、あれはホテルがあった頃にも見た覚えがある。


 ……僕は、吸い寄せられるように、そのコンビニの店内へと入っていった。



 ピンポンピンポーン


「いらっしゃいませーー」


 無感情な店員の声に誘われて、店内に視線を走らせる。

 店内に流れているBGMも、やはりどこか、古臭い。

 コーヒーメーカーもないし、一番くじやらキャンペーンやらで賑わっている筈の棚も、どこかうら寂しくうつる。


 入口に突っ立っていては迷惑になると思って、僕は店内に足を踏み入れて、ぐるっと売り場をまわってみた。


 あっ。カールが置いてある。これはもう販売中止になった筈なのに。本のコーナーにはアダルト雑誌も置いてあるし。


 僕は立ち止まり、その場でひとつ、息をつく。

 ふう。

 これってやっぱり、「そういうこと」、なんんだろうね。


 どうやら僕は、タイムスリップか何かをして、過去に迷い込んでしまったらしい。

 怖いけど、確認しないわけにもいかないだろう。

 意を決して、僕は入口の方へ戻り、スポーツ新聞を手に取った。おそるおそる、日付を確認してみる。



 あちゃー。


 平成4年10月21日。

 30年くらい前じゃないか。僕なんて、本来生まれて間もないくらいの。


 やっちゃったかー、タイムスリップ。

 どうしよう。



 ピンポンピンポーン


「ありがとうございましたー」


 とりあえずスポーツ新聞をラックに戻して、店外に出た。


 あてもなく歩き、公園を見かけてベンチに座り込み、頭を抱えてしばらく過ごした。


 ようやく、落ち着いてきたように思う。

 さて、どうしたものか。


 暗くなり始めた景色を見ながら、漠然と考え始めた。

 今、何時くらいだろうか。

 ポケットに入っていたスマホを取り出してみたところ、13時20分。

 いや、そんなはずはないだろう。どう考えても夕方のはずだと思うのだけど。


 慌てて、今度は懐中時計を取り出してみれば、こちらは5時40分。

 おそらく、17時40分を指しているのだろうな、と思う。

 懐中時計の方が合っている、のか?


 僕は少し震え始めた指先で、慎重に慎重に、懐中時計の時間を進めてみた。

 するとどうだろう。周囲の景色がだんだん暗くなり、遂には夜になってしまった。


 この懐中時計、時間を操っているのか?


 ぶるり、と身体が震えた。

 寒さを感じたのは、決して夜が深まったせいだけではない。



 僕は再び、懐中時計を巻き戻す。


 暗かった空が赤く染まり、昼になり、また暗くなった。

 それを何度か繰り返した後、僕は……。


 タクシーを拾い、駅に着いた。

 道に迷っていたのはこれにてノーカン。


 僕は、駅前にあった派出所に今日の日付が出ているのを確認して、懐中時計の針を進めた。


 進めて、進めて、進めて……。


 駅舎や周辺の建物が、早回しで変化していく。日付も高速で進んでいき……やがて止まった。


 それ以上、いくら針を進めてみても、周囲に変化はない。


 スマホを取り出して比較してみると、どうやら本来の自分の時間のようだった。


 本来の自分の時間に、戻ってくることができたみたいだな。

 そして、それ以上、未来へ行けるわけではなさそう、と。


 僕はホッとして、その実少しガッカリしながら、懐中時計をしまった。


 とりあえず、時間の中で迷子になるような事態は避けられそうで、良かった。

 そうなると、次に気になるのは、アレだ。

 バタフライエフェクト、である。


 こういったタイムスリップに関して、いつもついてまわる命題。それは、過去や未来を変えようとするとどうなるのか、ということだ。


 過去に戻って自分の親を殺すと、どうなるか?

 宝くじの当選結果を知って、お金儲けができるのか。

 歴史的大事件を未然に防ぐと、歴史はどう変わるのか。


 形は様々だけど、結果は2パターン。


 つまり、過去や未来は変えられる。

 バックトゥザフューチャーとかハッピーデスデーみたいな。


 または、変えられない。

 プリデスティネーションとか、タイムリープとか。


 変えようと思って色々がんばっても、結果としては変えられない、ってのが、個人的には好みなんだけど、はてさて。



 僕は、色々とあってみた。

 といっても、大それたことをしたわけじゃない。

 新聞を読んだり、事故や事件の行く先をこの目で見届けた上で、既に起きてしまったことを、起こらないようにしてみた。


 刃物を持って暴れる人が、刃物を買わないように妨害したり、炎天下に脱水症状で倒れる人を助けたり。


 結論としては。

 全て、徒労に終わった。

 僕が関わった事実は、針を進めると、「なかったこと」になっていた。


 それが判明した時、僕は。

 無力感に苛まれて、しばらく立ち直れなかったけれど。

 幸いにして、時間だけはたっぷりとあったから、そのうち持ち直した。


 僕は、こう思うように、意識を切り替えた。


 この懐中時計は、タイムスリップをするのではなくて、ただ過去を覗き見ることができるだけなんだ、と。


 これは、上手く使えば警察や探偵、占い師も真っ青だろう。

 何せ、占いなら的中率は100%。

 あなたは今日、誰それと会ってきましたね、あれを食べましたね、なんてさ。

 窃盗事件が起こったら、誰が盗んで、どこへ向かったかなんて余裕で分かっちゃう。


 ただなあ。


 事件そのものをなくすことは、残念ながらできないからなあ。

 僕のような一般ピープルには、病んでいく未来しか想像できないや。

 だから、いっそのこと関わらないようにしようと決めた。


 好奇心、猫を殺す、なんてことわざもあるけど、それでも、人並みに好奇心はあるわけで。


 僕は、身のまわりの気になってしまったことにだけ、時計を使おうと決めたんだ。


 僕が気になったこと。

 それは、この時計のこと。



 懐中時計を巻き戻す。


 父が、どうしてこの時計を大事にしまっていたのか。

 この時計は、どうして壊れてしまったのか。



 それを突き止めるために。

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