第三次キューブブーム
~ ウルトラキューブとレガシーキューブ ~
ルービックキューブ型モバイルスマートスピーカー、商品名「ウルトラキューブ」が発売されたのは僕が生まれる少し前。非常に高価でおいそれとは買えない値段だったが、これが意外に売れ、ルービックキューブの三回目の大ブームのきっかけになった。ちなみに一回目の大ブームは僕のおじいちゃんが子供だった昭和時代のこと、二回目は僕のお父さんが子供だった平成時代のことだ。
ウルトラキューブとは簡単に言えば、スマートスピーカーとルービックキューブを合体させたものだ。持ち運びができて、通常のルービックキューブとしても遊べる。他にも多くの機能が搭載されている。新しいモデルが出るたびに新機能が追加され、六面全面がモニターになっているモデルもある。
最大のウリは人工キャラクターとの自然な会話だ。ルービックキューブには21個のパーツがあり、パーツの並び方は数千京通りあるらしい。「千京」というのは「千兆」の 一万倍だ。簡単に言えば地球の人口をざっくり100億人とすると、地球10億個分の総人口が「千京」となる。とにかく「数千京通り」というのは途方も無い数だ。
1 一
1万0000 一万
1億0000万0000 一億 (一万の一万倍)
1兆0000億0000万0000 一兆 (一億の一万倍)
1京0000兆0000億0000万0000 一京 (一兆の一万倍)
100億0000万0000 ・・・ 地球の人口
× 10億0000万0000 ・・・ 地球が10億個あるとする
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1000京0000兆0000億0000万0000 ・・・ 地球が10億個分の総人口
ウルトラキューブはその「数千京通り」という途方も無い数の一つ一つに異なる人工キャラクターを割り当てているらしく、仏様のような人格者から、頭のネジがぶっ飛んだヤツまで様々だ。さすがに反社会的なキャラは排除されているらしいが、理想のタイプのキャラを探したり、好きなマンガやアニメの登場人物に似たキャラを探したりすることに没頭する人が続出した。キャラの作り方アルゴリズムは非公開であるため、インターネット上のオープン参加型のキャラクターデータベースが盛り上がり、アルゴリズムを見つけてやろうとウルトラキューブマニアが多数出現した。
発売当初は一部のお金持ちだけのものだったが、人命救助機能搭載モデルが自然災害で多数の人命を救助したことがニュースとなり、ウルトラキューブに対する社会的評価が一変した。ウルトラキューブは危険を察知すると人命優先モードに切り替わり、あらゆる手段を使い持ち主の命を救おうとする。例えば、建物が崩落する前に脱出させようとしたり、浸水する前に安全な場所に移動させようとしたり、する。仮に持ち主が瓦礫に埋もれてしまった場合でも、ウルトラキューブは諦めない。周囲の情報をかき集め、何としてでも持ち主を守ろうとする。電池が尽きるまで救難信号を発信することもあれば、光や音で周囲の人に助けを求めたりすることもある。持ち主の意識が無くても、持ち主の怪我の程度や持病などを救助隊に正確に伝えることもできる。事実、ウルトラキューブに命を救われたと証言する人の多くは、ウルトラキューブを「命の恩人」、「救世主」、「天使」、「神」と呼ぶ。「理想のパートナー」、「究極のパートナー」と呼ぶ人もいる。大きな災害の度にウルトラキューブがニュースとなり、結果、大きな災害の度にウルトラキューブが爆発的に売れるという現象が起きた。
その一方で、ウルトラキューブは社会問題を引き起こした。代表は「ウルトラキューブ依存症」だ。ウルトラキューブが持つ人工キャラクターにのめり込み過ぎてしまい、自ら社会と隔絶し、引きこもってしまう人もいた。また、ウルトラキューブ所有者には少なからず、自殺者、失踪者、行方不明者、災害に遭い亡くなる方がいた。原因、理由は様々だが、一部のマスコミは「ウルトラキューブは天使か悪魔か」、「ウルトラキューブの危険性」等の報道をするマスコミもあった。
社会に多大な影響を与えたウルトラキューブが売れた一方で、レガシーキューブも売れた。レガシーキューブとは従来型のルービックキューブのことだ。コンピューター非搭載のルービックキューブと言ってもいい。指先を動かすこと、指先を刺激すること、パーツの動きを見て理解すること、実際にキューブを回して色を揃えたり模様を作ったりすること、これらすべてのことが右脳も左脳も活性化させることが知れ渡り、ブームになった。お菓子のおまけや雑誌の付録にルービックキューブが付いたり、全国的に小規模なルービックキューブ大会が開催されたり、学校、町内会、子供会、敬老会、病院、高齢者施設、障害者施設などなど、様々な団体や施設でルービックキューブイベントが開催されたりするようになった。
そして僕が小学生のとき「全国高等学校スピードキューブ選手権大会」、通称「夏の兼六園」が始まった。