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婚約が成立した

 

 人の良さそうなサランジェ伯爵と年齢を感じさせない美しい夫人、その夫人によく似ているご令嬢が揃って微笑んでいる。

 

(なんだ?これは何か裏がありそうだな)

 

 今までの顔合わせでは、公爵家に取り入りたい当主はニコニコとしていても、令嬢から笑顔を向けられることはほとんどなかった。


 笑顔を向けられたとしても、笑顔とは言えないひきつった笑顔が最大であり、怯えられるのが常。それなのに、この家に来てから会った人は全員が笑顔だ。

 

 客人を歓迎する家人として当たり前の光景であるはずが―――歓迎され慣れていないヴァレリオにとっては、微笑みを向けてくる夫人と令嬢、それに使用人達が不可解に見えていた。

 


 俺が把握できていなかっただけで、実は借金まみれで結婚と引き換えに援助を申し出るつもりか?

 それとも、令嬢にはすでに身分違いの恋人がいて、政略結婚として愛人を黙認して欲しいと言われるか?


 政略結婚をする貴族の間では結婚生活の様々な条件を取り決め、跡取りを残した後に自由恋愛をするというのは珍しくない話だ。これだけの美人がまだ未婚という事は、ありえない話ではないな。

 それならそれで、役目さえ果たしてくれれば文句は言うまい。

 

(でも……―――笑顔で出迎えられるだけで、受け入れてもらえるのは、こんなに嬉しいものだとはな)

 

 

「ヴァレリオ・クローデルと申します。この度は縁談の打診を受けてくださり、ありがとうございます」


「サランジェ伯爵家当主のローレンツです。妻のリリーと、そしてこの子が娘のリラです。我が娘に縁談のお申し込みをいただき、本当にありがとうございます。早速ですが、当方といたしましてはこのご縁を喜んでお受けいたします。どうぞ末永く、よろしくお願いいたします」

 

 夫妻と令嬢が揃って軽く頭を下げた。


 令嬢の耳に掛けた夫人と揃いの淡い金髪がさらりと流れ落ち、緩く波打つ髪が窓からの光に反射してキラキラと艶めいている。

 その光景は酷く現実感がなく、時間がゆっくりと流れているかのように見えた。


 そのため、耳から聞こえた音を理解するまでに時間が掛かってしまった。

 

『喜んでお受けいたします』

 

「――――――……………はっ?」


「え?」


「「………………」」

 

 

(ん?待て。俺は今、打診を受けてくれてありがとうってちゃんと言ったよな?打診って抜けてたか?いや、縁談ではなく縁談の打診をって、最早言い慣れていて間違えようがない。で?伯爵はご縁をお受けしますと言わなかったか?俺を前に緊張して言い間違えたのか?いや、待てよ。末永くよろしくとかも言ってたな……―――え?つまり?縁談成立ってこと?なんで?)

 

 断わられ慣れすぎてしまったヴァレリオは混乱をきたしていた。眉間に皺を寄せてテーブルを睨みつけているような顔はなかなかに恐ろしかったが、混乱しているヴァレリオは表情を取り繕う事に意識が向かない。

  ヴァレリオの顔が険しくなるにつれて、サランジェ伯爵と夫人が顔を見合わせ、令嬢は不安そうな表情になっているが、気が付かなかった。


「………………」


「……あの、クローデル公爵?」


「あ、失礼。いや、その……え?えーっと、縁談成立ということです、か?」


「はい。どうか娘のことを末永く、よろしくお願いいたします」


「あ、はい。こちらこそ……?……え!?本気ですか!?」


「本気ですが、もしや!実際に会ってみて娘では公爵様のお眼鏡にかなわなかったのでしょうか?」


「いやっ、いやいやいや!そんなことはない!決して!逆です。よ、良いのですか?私で」


「はい。娘自身が是非にと望んでおります」

 

 嘘だろ!?伯爵のゴリ押しだろ!?と思って、令嬢の方を見てみると、頬を染めてきらきらした瞳でじっとこちらを見ていた。


 あまりにも真っ直ぐに見つめてくるので俺の方がたじろぎそうになったが、真意を確かめようとじっと見返す。


 恥じらっているのか頬の赤みが強くなり、一瞬瞳が伏せられたが、また目が合った。

 一度瞳を伏せたせいで今度は軽く上目遣いになっている。


(……可愛い。っていうか可愛すぎる。なんだこの可愛い生き物は。女性というのはこんなにも愛らしい生き物だったのか?)

 


「あの……怖くないのでしょうか?私は、その、女性には好かれない容姿をしていますが」


「容姿など全く気にしません。ですが私には公爵様はとても素敵に()()ます」

 

 女性に好かれないなど自分で言いたくはなかったが、令嬢は緩く首を振って否定する。


 笑顔で素敵に見えるなど初めて言われる言葉だったので、素直に信じることはできなかった。お世辞にしても見え透いた嘘がすぎるだろ。


「はぁ……。でも、この頬の傷とか、目の上の傷とかも怖くないのですか?」


「怖くなんてありません。騎士様ですもの。国や王族を護ってこられた証です。いわば名誉の勲章。敬意を感じこそすれどうして怖いと思えましょう」

 

 顔の傷を名誉の勲章と言ってくれた令嬢は初めてだった。

 騎士仲間はこの傷を怖がることはないし、名誉の勲章だと揶揄されることもあったが、貴族令嬢は傷を見るだけで一様に嫌がったり怖がった。


 この傷はクーデターの時に陛下や殿下をお守りする際に負ってしまったものだ。傷は負ってしまったし、守れなかった命もたくさんあり、後悔も沢山したが陛下と殿下は守り抜いた。近衛騎士として最大の功績であり、それは騎士としての誇りと自信になっている。俺の根底にあるものだ。


 俺にとってこの傷を怖がられる事は、騎士である俺を、俺自身を否定されているようでいつもいつも悲しかった。荒事を嫌う女性には理解してもらえない事かと諦めていた。


 しかし、リラ嬢は違う。理解してくれた。本心からの言葉かは分からないが、仮に表向きだとしても理解を示してくれた女性は初めてだ。この女性は俺を理解し認めてくれたと思うと、込み上げてくるものがあった。


 俺の事を認めてくれる女性と漸く出会えた気がした。

 

 


 ◇

 


 

 気が付くと馬車は公爵家に着いていた。

 

 あの場でどんどん話が進んで、お互いに婚約に同意した。

 まだ今日のところは口約束までかと思いきや、伯爵が婚約誓約書を準備していたため、その場でお互いにサインして婚約が成立したのである。

 

 とんとん拍子過ぎて不安になる。

 

(今更ながら、何故リラ嬢は俺と婚約してくれたのだろうか?)

 

 彼女はなかなかお目にかかれないくらいかなりの美人だった。

 ご令嬢に疎い俺でも、人気の令嬢は夜会で子息らが集まっていたり騎士団でも噂になっているので、名前くらいはなんとなく知っているが、彼女の顔は初めて見た。何故今まで顔を見た記憶がないんだ?それ程人に囲まれているのか?

 

 少ししか話はしていないが高慢な感じもしないし、美人というだけでなくそこはかとなく可愛いらしいし、何よりこの俺の事さえ理解を示す懐の深さまである。

 男性から引く手数多なのではないのか?何故俺なんだ?

 条件の良い家なら、うち以外の公爵家や侯爵家にもまだ候補はいるだろうに。彼らのなかには浮き名を流しているが婚約者のいない美丈夫もいる。


 年齢から考えるに、より良い条件の人をと選り好みしているうちに婚期を逃しそうになっていたのだろうか?

 

 モテないんだから興味を持っても仕方がないと思っていたが、こんなことならご令嬢たちにもう少し興味を持って情報を集めておけばよかった。

 


 馬車を降りると、フィリオが出迎えてくれた。

 

「おかえりなさいませ。いかがでしたか?」


「あ、あぁ…婚約が成立した」


「なんと!同意だけでなく成立まで行きましたか!俺はいつかヴァレリオ様の良さを分かってくださるご令嬢が現れると信じていましたが、そうですか。本当に良かった!」

 

 フィリオがこんなに感情を表に出して喜ぶとは珍しい。

 

 この男は、6年前のクーデターの際に利き手に怪我をしてしまい、騎士を引退した。

 同じ隊で働いているときに、幼い頃から近衛騎士になるのが夢だったと語っていて、珍しく照れくさそうに話をするのが印象的だった。

 

 それが、当時まだ19歳という若さで近衛小隊の副小隊長に抜擢されて間もなく、部下を庇って怪我をしたのだ。

 

 全く剣を持てない訳ではないが、怪我の影響で以前の様には動けないと分かった時も、怪我の影響で近衛騎士や副小隊長の地位のままではいられないと分かった時も、感情を表に出すことはなかった。

 

『どうするつもりだ?』

『辞めます』

『騎士を、か?辞めてどうするのだ?』

『まだ何も……実家に帰っても、末端男爵家の次男ですからね。道楽をする余裕もありませんし、適当に仕事を見つけて働きます』

『―――なら、うちに来ないか?』

『それは、どういう……?』

『おまえは事務処理も得意だっただろ?うちの執事が高齢で後任を探そうと思っていたところなんだ。公爵家の執事とはいえ、今より給料は減るがな。俺としてはおまえが来てくれると助かるんだが』


 一般の騎士として城下警備担当になるか、辺境へ派遣されるか、騎士団の事務方になるかという状況でどれも選ばず、潔く騎士団を辞めるという。

 辞めた後の事は具体的には考えていないというので、余計なお世話かと思ったが公爵家で働くことを提案してみるとすぐにやって来た。

 

 祖父の代からいた執事について仕事を学び、先代の執事が高齢を理由に引退したため、数年前から公爵家の執事として働いているが、騎士時代から合わせてもこんなに感情を表に出しているのは殆ど見たことがなかった。

 

 フィリオの喜ぶ顔をみて、漸く自分が婚約をしたという実感が湧いてきたのだった。

 

 


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