6:棺桶の黒傘
あの後、しばらく無言のまま二人は時が経つのを待つ
が、一月は先ほどのことを思い出し、浩二に声をかけた
「浩二、そろそろ振り返りでもやろうか」
「あ・・・そうですね。お願いします」
振り返りとは、三国と別れる前にしていた研究所内の階級のことだ
これからの浩二には必要な知識だろう
自分の振り返りも兼ねて、一月は浩二に語り始める
「さて、浩二・・・君は研究所内の階級をどんなものだと把握している?」
「ええっと、所長と、総合室長・・・そして各室長・・・そして一般職員が事務系の役職階級ですね」
「ああ。三国は大層な肩書を持っているが、事務職だけで見ると・・・下から二番目だ。次に研究職では?」
「ええっと、研究職は博士と助手研究員、一般研究員と研究補助員・・・が階級ですよね?」
「その通り。研究職だと僕が一番上、浩二は下から二番目の階級になる。横に並べて見ると、浩二と三国は同じ階級みたいなものだな」
「そうですね・・・まとめれば三国さんの方が上ですが・・・」
「そうだな。では三国は事務関連、僕は研究関連の系列で異なるのだが、どちらが役職としては上だと思う」
「・・・やはり三国さんですか?室長ということは、一月博士の属する第四室の長ということですから・・・」
単純に考えればそうだろうと一月は思う
しかし全然違う
「残念ながら、総合的に見れば僕の方が上だ」
「え?」
「三国より階級は僕が上。君にわかりやすい例をいうなら、推薦状の件が僕らの階級差を明確に示している」
「・・・確か、三国さんが書いてもなかなか通らなかったんですよね」
「ああ」
浩二には思い当たるところがあった
階級差を詳しく言うなら、一月と三国の階級差は一つ
たった一つでも明確に異なるのだ
一月を事務系に当てはめれば、一月は総合室長に当たる
逆に三国を研究系に当てはめれば、助手研究員に当たる
当然だが、階級が高い方が推薦状を出したとしても通りやすいに決まっている
それに至るまで数々の功績を挙げているのだから
最も、三国の場合「五ノ井の生き残り」というのが尾を引いている
仕方のない部分の方が大きいが、一番大きい部分はこの階級である可能性があのだ
「まあ、三国は室長でも珍しく水の研究をしている研究者でもあるからな・・・あいつは室長の中でもそこそこの権力は持っている。けれど僕には及ばない」
「・・・なるほど」
「まあ、そういう事だな・・・」
一月が話を締め括り、顔を上げる
先ほどはまばら程度にしか開いていなかった席の大半が埋まっていた
それは同時に、そろそろ開始時刻が迫っている事を示していた
「・・・そろそろ集まってきましたね」
「ちょうどいい時間になっただろう。移動の準備はいつでもできるようにしておけ」
「順番は最後、でしたよね」
「ああ。けれど・・・この発表会。割と非道な連中が多い。順番は唐突に変わることも少なくない。感情に任せて動くなよ。理不尽だと喚きたてるなよ?」
「・・・大丈夫ですよ。理不尽には慣れています」
「ああ。十分慣れさせたかと思うよ。理不尽は我慢して、傍観したまえ。馬鹿共の狂騒を」
「わかりました。黙って傍観ですね。約束します」
「それでいい。さあ、始まるぞ」
浩二に声をかけた瞬間、室内の照明が落とされる
「・・・始まりですかね?」
一度も参加したことがない浩二にとっては、これが当たり前の事なのかもしれないと思い楽観的にとらえるが、常日頃からこれに参加している上層部は不審感を覚えてざわめきだす
「いや、おかしい・・・」
「何がです?」
「照明が落ちることなんて一度もなかった。それにいつもなら、所長の長ったるい挨拶から始まるのだが・・・」
「一月!」
「三国、何が起こってるかわかるか」
緊急事態と察した三国が、自分の席から一月の席までやってくる
「さっぱり。でも、いつも通りじゃない」
「いつも通りじゃねえのは当たり前だろうが、三国。俺がここにいるんだからさ」
声と同時に舞台上の照明が付く
そこには、あの男が不敵な笑みを浮かべて立っていた
薄汚れた白衣と同じ色をした灰色の髪を揺らし、血のような赤い目を一月と三国がいる方向へ向ける
まるで、それ以外はどうでもいいかのように
「紳也・・・!」
壇上にいた男の名前を叫ぶ
三坂紳也。一月と三国と共に廃棄区画で育ち、この研究所にも所属した天才
そして、ふとした瞬間に行方不明になった天才の青年は時を経て再び第三白箱研究所に舞い戻ってきた
その衝撃に驚いたのは一月や三国だけではなく、他の上層部もざわめいていた
「一月、三国。そしてその他の老害共!久しぶりだな!」
舞台上のスポットライトに照らされた紳也の周囲には、黒衣に身を包んだ何者か達が立っている
「三坂紳也・・・博士。彼が、あの・・・」
「浩二、黙ってろよ。あの変態に興味を持たれたら最後。死ぬまでモルモットだ」
「えっ!?」
「まあまあ、一月。落ち着けよ。俺に会えたのが嬉しくて、他の奴らも求める俺を独占しようなんざ・・・きちんとお前だけの時間は確保するからさ」
「何をほざくか人でなし。君との時間を取るぐらいなら、もっと有益なことをする」
一月の暴言に隣の浩二は若干引きつつ、三国は無言でそれを聞いていた
紳也はいつも通りの一月の姿に若干の安堵を覚え、楽しそうに笑う
久々の再会。いつも通り変わらずに接してくれる一月
変わらない、なにもかも
その変わらない厳しさは、紳也に「あの男」の姿を彷彿とさせた
先日「時計」を送ったパトロンの男に―――――
そう言えば、あの男には一月が生まれた年の一年ほど前あたりで「淵」の調査をするために廃棄区画に行った記録があった
せっかくだ、ダメ元で反応を見てみようと紳也はその名前を一月に出すことにしてみる
けど、一月に問うのはダメだ
後ろにいる、正直な青年
彼に問おう
「三国」
「・・・な、なに?」
「一ノ宮刻明」
「・・・え」
三国の反応は、紳也が期待した通り
この白箱の管理機関に籍を置き、白箱内の秩序を守る「枠」に属する男
融通の利かない堅物な男。豊かな感情も、それに左右されていた表情筋は「淵」に置いてきた無感情の鉄人
そして、紳也が推測した一月の実父
三国の反応を見るに、その推測は当たりらしい
「・・・なぜ、お前が」
「殺されたくなければ、黙れよ。一月」
「・・・」
その名前を出されると、一月は黙るしかない
一応、一ノ宮刻明という男は一月の父親だ
関わりたくないと思っているが、唯一の肉親でもある存在に死んでほしいとは思ったことはない
口を噤んで紳也を睨む
それを見た紳也は楽しそうに一月に向かって手招きした
それを目視で確認した一月は面倒くさそうに溜息を吐いたのちに、自分で車椅子を動かし始める
一月の腕力では、自分で車椅子を押すのも一苦労だ
辛そうな一月を見た浩二は自分がと思い立ち上がろうとするが、一月はそれを止める
「浩二、三国とここで待っていろ。三国、浩二は表に出すな。紳也に興味を持たれたら厄介だ」
「了解。気を付けてね、一月」
「言われずとも」
二人に指示を出すと、浩二はすぐに冷静さを取り戻し一月の方を向いた
自分が、何もできないと理解して
「・・・わかりました。お気をつけて」
期待されたのに、世界の為に共に駆けることを望まれたのに
今は、守られることしかできない
一月は二人を後ろに、本来なら浩二に押されて進むはずだった道を進む
そして、舞台の真下
紳也と向かい合って話せる場所まで下り、一月は彼を見上げる
「全く。何しに来たんだ、ド腐れ外道」
「お前にプレゼントしに来たんだよ。一月
その瞬間、紳也の後ろのスポットライトが点灯した
その眩しさに一瞬目がくらんだが、目を慣らしてその光景を直視する
そこには、梱包された大きな箱が五つ
梱包を、紳也と共にいた黒衣の人間たちが解く
舞台上に置かれていた箱の中から棺桶らしきものが現れ、それらはライトで照らされる
「・・・死体を愛でる趣味は僕にはないのだが」
「嘘つけ。解剖解体大好きじゃないか」
「必要なことだから仕方なくやっているんだ。それにそんなこと、今はどうでもいいだろう。何をくれるんだ。折角だし、貰えるものは貰っておいてやる」
「開けてみてからのお楽しみだぜ。選べよ」
「・・・・」
棺桶には「1」「2」「3」「5」そして「10」の番号が彫られている
数字が小さくなるにつれて、なんの用途で取り付けているのかわからない緑色の液体が収められた機械が増えている
一月はどれを選ぶべきか真面目に考える
一番好きな数字で選ぶのなら「2」。あのフニャンとした感じがなんとなく好きなのだ
そう言っても誰も理解してはくれなかったが
次に選ぶなら「1」だろう。なんせ自分と縁のある数字だ
悩んだら常に一番・・・と、考えているが思いとどまる
しかし・・・今回はそれでいいのだろうかと思うのだ
注目すべきはあの緑色の物体
液体ではあるが、パージ鉱石と同じ色をしたそれを多く持っている
あの鉱石の液体化に成功したという話は聞いたことがないが、紳也が発見した新技術の可能性もある
その存在が、一月の中で引っかかった
そうすると、自然的に選べる番号は一つしかない
「・・・「10」の棺桶を貰おうか」
「っ・・・・」
一瞬、紳也の表情が失せた
なんだか、面白くなさそうに・・・しかしすぐに先ほどの表情に戻る
「わかったよ。壇上には上がれないのか?」
「・・・あいにく、その壇上にはスロープがついていないんだ。僕一人では登れない」
「三国でも呼べよとは言いたいが、時間がないし仕方ないか。・・・じゃあ、今ここで開ければいい」
そう言って、紳也は「10」棺桶を蹴飛ばした
隠せない苛立ちをそれにぶつけるように
それは床を滑り、一月の足元で移動をやめる
一月はそれを確認した後、ゆっくりと車椅子から降りて、その棺桶の鍵に触れる
音声認識パスコードのようだ
登録された声で決められた言葉を言わなければ開くことがない
「声はまだ登録してないけど、言葉は登録している。今回はそれで開く。パスの変更方法はその棺桶の中に入れているから、後で変えろ」
「わかった。ちなみに、今登録している分は?ヒントの一つくれるんだろうな?」
「お前に希望を与えた男の名前を」
「・・・そんなの、一人しかいないではないか」
「早く言え」
紳也の奴が急かすように告げる
一月の人生を大きく変え、彼女に希望を与えた男なんて一人しかいない
かつて、廃棄区域で出会ったあの青年の名前は・・・
「・・・くろかさ、あまは」
あの日、腹をすかせた一月に食事を与え、三国と紳也が存ぜぬところで読み書きを教えてくれた青年
誰よりも廃棄区域が似合わない、優しい料理人であった青年の名前を告げると棺桶がゆっくりと開かれる
そこには人が眠っていた
「・・・な、んで」
そこには確かにいたのだ
一月に希望を与えてくれた張本人である「黒笠天羽」が眠っていた
死んでから十年が経過しているはずなのに、彼はいままで生きていたかのような雰囲気で眠りについていた
彼と共に棺桶の中には紙と黒い長傘が収められている
そして、眠る彼の胸元には、大きな鉱石のペンダント
色合い、発光具合
その全ての条件に当てはまる鉱石は、この世界にはただ一つ
パージ鉱石、だけだ
「ん・・・あ、ふわぁ・・・」
呑気な欠伸を大きく一回
生きた人間のようにふるまう彼は、あの日から全く変わっていない
目の前で死を確認した
息絶えた瞬間も、隣にいたのだから
動かない足が痛む
彼を庇って付けた傷は、今もなお一月の生活に枷を残す
あの日のことを思い出し、古傷が酷く痛みだす
胸から血を流し、最期に一月へ願いを託したことも鮮明に覚えている
彼は死んだ。確かに、目の前で死んだ
「なんで」
今、目の前にいる彼は、過去の彼がそのままここにやってきたように
死んだ事実がなかったように、一月の前に再び現れた