8話・事変
酒に溺れて何もかも分からなくなればいいのに。
こっちの世界の酒はそこまで強くない。浴びるほど飲んでも翌朝には抜けている。だが、飲んでいる間だけは気分良く酔うことが出来た。一人の時間は酒を飲み、酔って眠る。そんな日々を繰り返した。
サキとはあの日以来会っていない。俺が住んでいるのは男だらけの帝国軍兵舎。彼女が自分から訪れることはない。
当初、俺達をくっつけようとしていたヴァーロートも、魔獣化の方法を発見してからは研究に夢中になっていた。サキを慰み者にしていた農村の男どもを全員食わせ、更には投獄されていた囚人や他国の捕虜まで食わせ始めた。
魔獣の材料となる獣は大森林に出向いて捕獲した。兵舎を幾つか改築し、より多くの魔獣を飼えるようにした。護送用の檻付き馬車が何十台も造られた。
手始めに国境を接するロトム王国内に魔獣を放ったら、すぐに降伏の使者がやってきた。それくらい魔獣という存在は恐ろしいものなのだ。その功績で、ヴァーロートは父親である皇帝から褒められて喜んでいた。何故か俺の給金が上がったので、酒代を引いた分をサキに渡すように頼んだ。
何をやっているんだろう。
一方、ヴィエーストの結婚話は順調に進んでいた。帝城の敷地内にタラティーア姫を迎えるための離宮を建造し、専属の女官の育成も始まったとか。
初顔合わせから一年。
式の打ち合わせや新居の希望を確認するために、数ヶ月に一度の頻度で彼の国を訪れている。ヴィエーストに請われ、その度に護衛として同行した。
幸せいっぱいの二人を見るのは正直ツラいが、ヴァーロートの側で獣に人間を喰わせる様を眺めているよりはマシだと割り切った。
滞在中に事件が起きた。
タラティーア姫の兄、ガルティヤ王子が急死したのだ。死因は毒殺。王宮内は騒然となった。
ガルティヤ王子には人望があった。ヴィエーストの護衛の一人に過ぎない俺にも声を掛けてくれるような気さくで立派な青年だった。
国王と王妃の悲しみは深く、タラティーア姫もショックのあまり部屋に閉じこもった。重臣達の嘆きの声が響き渡り、いつもは明るい王宮が濁った沼底のように重苦しい空気に包まれた。これでは結婚の打ち合わせどころではない。
更に、王子殺しの犯人が帝国であるかのような噂が流れ始めた。
「帝国は近隣諸国に戦を仕掛け、先日は我が国とも国境を接するロトム王国を脅して降伏させた。姫様との結婚話も元は我が国への挑発。帝国には動機がある」
「ガルティヤ殿の死は誠に残念に思います。ですが、我が国を疑うのはやめていただきたい。二国間で争いが起きるのは私の本意ではありません」
あちらの外交官の主張に、ヴィエーストは狼狽えながらも反論した。当然だ。彼にはガルティヤ王子を殺す理由はない。傍目から見ていても仲が良かった。義理の兄弟になる予定だったのだから。
国王と王妃はそんな中でも落ち着きを忘れなかった。しかし、国民はそうではなかった。王都だけに留まらず、近隣の町の住民までが帝国への怒りを剥き出しにして暴動を起こしたのだ。
この国の民は温厚で穏やかなものだと信じていた。つい先日までは姫君の選んだ相手だからと、街行く者はみなヴィエーストに好意的だった。だが、王族を殺された事で、忠誠心がそのまま敵意となって爆発した。
「ヴィエースト殿。済まないが、跡継ぎのガルティヤが亡くなった今となってはタラティーアを帝国に嫁にやる訳にはいかぬ」
「そんな……!」
事実上の婚約破棄。
仕方のないこととはいえ、これまで順調に進んできた婚約話は白紙に戻された。
食い下がって話し合いをしようにも、王都では暴動が起き始めている。この状況での滞在は難しいと判断し、俺達は予定よりかなり早く帰国することになった。暴徒と化した国民達を振り切るのに苦労しつつ、逃げるように帰路についた。
「マサル殿がいてくれて良かった。私達だけではあの包囲網を抜けられたかどうか……」
「ああ。しかし驚いた。王族が慕われているのは知っていたが、まさかあれほどまでとは」
「……もう結婚どころではないですよね……ああ、どうしたら」
「ヴィエースト、おまえは悪くない。何もしていないのは俺がよく知っている。大丈夫、そのうち誤解は解ける」
「マサル殿……」
帰りの馬車の中では失意のヴィエーストを励まし、慰め続けた。行きの浮かれた様子から一転、今は絶望の淵に立たされている。
気の毒に、と本心から思う。それと同時に、ざまあみろと嘲笑う気持ちもあった。
おまえにもようやく俺の気持ちが理解できたか?
「タラティーア姫……」
辛くて悲しくて苦しくて、でも自分では何も出来ない。
希望は絶たれ、虚しさだけが胸にある。
──これでおまえも俺と同じだ。
次回、第9話『前夜』