5話:口火
ヴィエーストの護衛の一人として隣国にやってきた。この国の王都は海に面した場所にある。開放的で、とても美しい街並みだ。
新婚旅行先の候補にあったエーゲ海の風景に似ている、と思ったらまた虚しくなってきた。実際は予算が合わなくて別の場所に決めたんだった。転移しちまったせいで新婚旅行以前に式すら挙げられてないんだが。
澄んだ深い青の海。
そこに浮かぶ無数の帆船。
眩しい太陽と青い空、白い雲。
まるで絵画のような美しい光景。
「わあ、素晴らしい眺めですね!」
「……ああ、本当に」
この景色を愛里と並んで見たかった。それなのに、何故。考えても仕方がない、意味がないと分かっているのに、ぐるぐると思考が止まらない。
そんな状態の俺を気遣い、ヴィエーストは手ずから飲み物を差し出してきた。
「大丈夫ですか。具合が悪いのでは?」
「いや、平気だ。問題ない」
「なら良いのですが……マサル殿は兄上様からお借りした大事な方。何かあっては私が叱られてしまいます。無理せず馬車で休んでいても良いのですよ」
「どこも悪くない。護衛の仕事はできる」
言葉は丁寧だし悪気はないんだろうが、人を勝手に貸し借りすんな。心配するにしても言い方ってもんがあるだろう──とは言えない。
当然、護衛は俺ひとりではない。皇子の親衛隊が他に数人。新参者の俺が皇子と同じ馬車に乗ったり何かと気遣われている状態が面白くないのだろう。休憩地点で顔を合わせる度に睨まれている。
帝国ではヴァーロートの目があったから何も言われなかったが、ここは隣国だ。ヴィエーストの見ていない所では何をされるか分かったもんじゃない。負ける気はしないが、余計な揉め事を避けるためにもヴィエーストから離れないでおく。
今回は国の代表として政略結婚を申し込みにきた。当然外交担当も同行している。皇帝が寄越した使者だ。皇帝の言葉をそのまま伝え、返事を持ち帰るのが仕事。
「我が国の第二皇子とそちらの姫君との結婚をもって二国の絆を深め、友好関係を築きたい。もし断わるのであれば、敵対する意志があると判断する」
ただの脅しじゃないか。
ヴィエーストも自国の使者の物言いにやや驚いていたが、公の場で『皇帝からの言葉』を否定する訳にもいかず、額に汗をかいている。
単なる表敬訪問だと思っていたのだろう。突然の申し出に驚きつつも、隣国の国王と王妃は「取り敢えず顔合わせだけでも」と場を用意してくれた。
護衛として俺もその場に居たのだが、二人が同じ部屋に入った瞬間、空気が変わるのが分かった。
「まあ、あなたがヴィエースト様?」
「タラティーア姫、なんと可憐な……」
まさかの両者同時一目惚れ。
他人が恋に落ちる瞬間を目の当たりにしてしまった。タラティーア姫は十代半ば。ヴィエーストは十代後半。年齢的にも釣り合う。
やや気の強そうなお姫様ではあるが、優しく穏やかな雰囲気のヴィエーストの前では借りてきた猫のように大人しい。これにはタラティーア姫付きの女官も驚きを隠せないようだった。国王と王妃も、愛娘が乗り気であれば何の否やもない様子。
「ヴィエースト殿が誠実そうな青年で安心したよ。妹を頼む。少々お転婆だが、可愛いところもあるんだ」
「ちょっ……お兄さま!」
「ははは。いえ、こちらこそ未来の兄上様がお優しい方で嬉しく思います」
兄のガルティヤ王子もヴィエーストを気に入り、早速意気投合している。
これはうまくまとまりそうだ。揉め事はないに越したことはない。このまま結婚話がまとまって、二国間の友好の証として国民から祝われればいい。
チクリ、と胸が痛む。
俺は幼馴染みの婚約者と引き裂かれて二度と会えないかもしれないのに、こいつらは会ってすぐ相思相愛で、更に周りから祝福されるだと?
ふざけるな。
いや、そんな風に考えては駄目だ。
戦争なんて起こらない方がいい。結婚だって、望まぬ相手とするより惚れた相手とした方がいいに決まっている。ヴィエーストは良いヤツだ。幸せになるべき人間だ。
だから、この黒い感情には蓋をしなくては。
次回、第6話『羨望』