15話・潜入
ディナルス様からの命令に従い、素性を隠したままエーデルハイト家の内部へと潜入する。
サウロ王国の中央にある王領シルクラッテ州とは違い、ユスタフ帝国との国境を接する南のクワドラッド州には常に緊迫した空気が流れている。高い城壁に囲まれたノルトンは要塞都市と化しており、兵士や伝令が慌ただしく行き来する姿がよく見られた。
戦争でゴタゴタしている時期だからこそ部外者である私が潜り込んでも怪しまれずに済んだのだろう。隠密や間者といった存在は皆一様に顔を隠している上、普段はほうぼうに散って任務に当たっている。多少見慣れぬ者が出入りしていても不審には思われない。あらかじめ入手した屋敷の間取りや関係者などの情報を元に、数日かけて周囲に溶け込んでいった。
エニア嬢の姿は簡単に見つけられた。若く美しいだけではなく活発で目立つ御方だ。ドレスではなく簡素な軍服をまとっているが、鮮やかな橙色の髪が存在感を際立たせている。民や兵士にも分け隔てなく接する姿に、彼女の人柄が見てとれた。
しかし、微笑ましく受け取れる光景ばかりではない。体格の良い若い兵士から気さくに声を掛けられ、笑顔で肩を叩き合う場面を見掛けて胸がざわついた。思わず物陰から飛び出しそうになる衝動を抑え、気配を消して様子を窺う。
「ちょっとエニア、少しは自分が年頃の貴族令嬢だっていう自覚を持ちなさいよ」
「あら、その『貴族令嬢』に指さして注意するのはいいワケ?」
「減らず口はいいから!ラキオスもよ」
「す、すまんエレナ」
「いいじゃない、友だちなんだから」
「だめよ、周りに示しがつかないわ!」
同じ年頃らしきメイドに人気のない場所に引き摺られ、説教されるエニア嬢と若い兵士。どうやらこの三人は幼馴染みで、故に自然と気安い接触をしてしまうらしい。
エレナと呼ばれたメイドに連行されていくエニア嬢を見送る若い兵士の眼差しに友情以上の感情が含まれていることに気付く。恐らく彼はエニア嬢に想いを寄せている。エーデルハイト家は貴族だが、当主であり現軍務長官であるグナトゥス様の妻は平民の出。互いの気持ちさえあれば出自は問わないのだろう。今は戦時下。ラキオスという名の兵士は落ち着いた頃に想いを打ち明けるつもりなのかもしれない。面白くない、と思う自分自身に驚きつつ任務に気持ちを切り替える。
私の任務は軍務長官ならびにエニア嬢に王国に背く意志があるか、ユスタフ帝国に通じていないかをこの目で確認すること。疑っているわけではないが噂になった以上捨て置くわけにもいかず、わざわざ他家の人間である私を寄越したのだ。ディナルス様のためというよりザフィリア様のためにも私が功績を上げねばならない。
ちなみに、ユスタフ帝国との戦争にサウロ王国の王国軍は参加していない。軍務長官がクワドラッド州で集めた私兵集団が第一線で戦っている。王国軍の関与を避ける点が疑われる理由だ。それと、他の貴族からの嫉妬もあるだろう。
隠密衆に混じって側で様子を窺った限り、当主のグナトゥス様もエニア嬢もひそかに謀反を企む性格ではない。意見があれば王宮に直接物申しに行くはずだ。
噂は所詮噂に過ぎない。そろそろ引き上げるかと考えていた頃に動きがあった。
「グナトゥス様が先日保護した少女を王都に移送するそうだ」
「戦場で見つけた風変わりな娘のことか」
他の隠密たちが交わす会話を聞き、首を傾げる。戦争の真っ最中にも関わらず、グナトゥス様自ら少女の身柄を移送するという。そんなことは部下に任せてしまえば済むのに何故。
近くにいた隠密に湧き出た疑問をそのまま問えば、鼻で笑われてしまった。
「おまえは娘が保護された時におらんかったから知らぬのだな。あれはこの世界の人間ではない。だからこそ適当には扱えんと主人は仰っておられた」
異なる世界の人間の存在は書物で読んだことがある。風変わりな衣服や道具を所持した者がどこからともなく現れたという昔の記録。まさか戦争中に発見されていたとは。
グナトゥス様が精鋭を引き連れて数日留守にする間、ノルトンの中心部に建つエーデルハイト家の屋敷内で調査を進める。立派な造りだが華美な装飾はなく、無骨な印象を受ける内装である。私服を肥やしているとは思えない。
エニア嬢は年頃でありながらドレスや宝飾品に興味を示さず、軍服姿で馬に乗って領内を巡回していた。兵士に混じって鍛錬をし、汗や土埃にまみれてばかり。幼馴染みのメイド、エレナから毎回小言を喰らっている。
謀反など有り得ない。
それが潜入捜査で私が辿り着いた答えだった。




