1話・調教
物心ついたくらいの頃から薄暗くて狭い部屋に閉じ込められていた。ずっとそうだったから、それが異常だと気付かなかった。
ある程度成長した頃、ようやく部屋の外へと連れ出された。そこで目にしたのはきらびやかな世界。今まで自分がいた場所がどれほど酷い環境だったのかをその時に初めて知った。
汚れた身体を洗われ、真新しい服に着替えさせられた。屋敷の一角にある部屋に通されると、そこには一人の男の人が待っていた。
「──済まない、私を許しておくれ」
立派な身なりの大人の男の人が自分の前に膝をついて頭を下げ、綺麗な顔を歪めて謝罪を繰り返す。意味が分からず何も反応を示せずにいたら、悲しそうに涙をこぼされた。自分と同じ鮮やかな金色の髪。
後で、あれが父親だと知った。
その日から生活が一変した。
自分の部屋を与えられた。広くはないが清潔な部屋だ。触れるのを躊躇ってしまうほど上質な寝具に慣れず、床で寝ていたら世話係に悲鳴を上げられた。
食事の内容も変わった。これまでは芋を蒸かしたようなものばかりだったが、綺麗に盛り付けられた温かな料理が卓に並べられた。ひび割れた手指と骨と皮ばかりの体がみるみる回復していった。
家庭教師が付き、言葉や常識を一から教わった。それまで他人と喋ることがほとんどなかったから声の出し方すら知らなかった。字を覚えれば本が読める。本が読めれば知識が増える。一年ほどで基本的な知識を得ることが出来た。
外に出ることは許されず、扉は廊下側から施錠された。待遇は改善されたものの、自由になったとは言い難い状況。
それでも、たった一人で薄暗い部屋の片隅で膝を抱え、何もすることもなく、ただ時が過ぎていくのを待つばかりの頃よりはマシだった。
「先生が褒めていたよ。おまえは物覚えが早いと」
「いえ……」
月に一度、僅かな時間だけ父親が面会に来た。少しだけ言葉を交わすと、見張りが退室を促してくる。それには逆らえないようで、父親はすぐに去っていく。元々何の情もなかったが、徐々に別れを寂しく感じるようになっていった。
「こんなに大きくなったのだとリディアにも教えてやりたいが」
「リディ……?」
「おまえの母さんの名だ。……まだ小さかったから、覚えていないか」
「……」
黙っていたら悲しそうな顔をされた。
母親。言われてみれば、遠い記憶の中にあたたかくてやわらかなものがある気がした。覚えてはいないが、ひとりで閉じ込められる前、母親や父親と一緒に暮らしていたのかもしれない。
この部屋に移ってから初めて自分の顔を鏡で見た。髪や顔立ちは父親によく似ていたが、瞳の色は違う。見た目も声も覚えていない母親の名残りがそこにある気がした。
いつからか父親が部屋に訪ねてくるのが待ち遠しくなった。褒めてもらえるよう一層勉強に取り組んだ。また母親の話を聞きたいという気持ちもあった。世話係に無視されてもじっと耐えた。外に出たいという気持ちも押し殺した。
だが、次に部屋を訪れたのは父親ではなかった。
「まあぁ、本当にルキウスそっくりね!」
つかつかと歩み寄り、間近で顔を覗き込まれる。編み込まれた赤い髪が印象的な女。年の頃は二十代後半くらいだろうか。ゴテゴテに着飾っている上に化粧が濃い。強過ぎる香水の匂いに顔をしかめると突然頬に痛みが走った。扇の柄で叩かれたのだ。
「教育がなっていないわ。これじゃあ表にはまだ出せないわね」
「……」
「なぁに、その目は。まったく、生意気なところはあの女そっくりね」
あの女とは誰のことか。
「……おかあ、さん……?」
頬を押さえて立ち尽くす自分を見下ろし、女は小さく舌打ちをした。そして、使用人に命じて暖炉から火かき棒を持ってこさせた。
「二度とあの女のことを口にするんじゃない」
熱い鉄の棒を着衣のまま背中に押し付けられ、悲鳴を上げる。身体を押さえ付けられながら自分の皮膚が焼ける音を聞いた。
尊大な物言いと周りの人間の態度から見て、あの女性には逆らってはならないのだと悟った。ただし、彼女に認められれば外に出る機会がある。先程の言葉をそう受け取り、己の態度を改めた。
それ以降は父親が訪ねてくることはなくなり、高貴な女性に対する接し方を中心に教え込まれた。
これが何のための教育なのか知らずに。




