カインの傷跡
目覚まし時計の音が鳴った。今日も目覚めの良い朝だ。玄関扉のポストに新聞を取りに行き、リビングのテーブル上にそれを投げ出し、朝食の準備にとりかかる。
朝食は毎日、トーストと前日にコンビニで買ったサラダだ。健康にはそれなりに気を遣っている。朝食を摂りながら新聞に目を通す。
お目当ての記事は、三面記事に載っている。しかし、今日は探している記事が見当たらない。「今日はお勉強ができへんな」と、つい呟いてしまった。トーストをほおばりながら、社会面の記事に目を移す。少子高齢化の記事に目が止まった。
少子はともかく、高齢化のおかげで俺は稼いでいる。見出しだけ読んで、記事は斜め読みし、経済面に目を移すと、当たり前のことだが世の中は儲かっている会社と傾いている会社に二分化されていた。
傾いている会社の社員は大変だな、と哀れみの感情が少しだけ湧いた。お目当ての記事がない新聞は捨てるが、探している記事が載っている新聞は職場へ持って行く。勉強会を開くために必要だからだ。だから今日は新聞をビジネスバッグへ放り込む必要がない。
朝食を終えると食器を洗い、ゴミはきっちりと分別する。住んでいるマンションの住人として当たり前のことをしているだけであるが、以前の俺は、そんなに周りを気にせずに生きてきた。しかし今は別だ。周りに迷惑をかけて注目されることだけは避けたい。
倫理とかマナーにとらわれているわけではない。俺のビジネスにおいて注目されることは、避けるべき要点だからだ。
朝食の後始末が終われば、洗面所に移動し、丹念に歯を音波歯ブラシで磨く。洗面を終えると寝室に戻り、クローゼットから今日着るビジネススーツを選ぶ。
どのスーツも地味な色合いと形で値段も高くない。スーツを購入する際も目立たないという要点に沿っている。ぶら下がっているスーツの群れから紺色のスーツを選び、クリーニングから返ってきたビニール袋に包まれた白いカッターシャツを袋から取り出す。カッターシャツは全て白色だ。柄の入っているカッターシャツは買わない。今の商売をするまでは平気でピンクのストライプが入ったカッターシャツを着ていたのに俺も成長したもんだと思う。スーツに合わせて地味なネクタイを選び、それをきつく締め、再び洗面所へ移動する。
髪も丹念に整える。昔は茶髪であったが、今は黒色に戻して襟足も刈り上げ、一見して真面目なサラリーマンの風貌を作り上げている。
出勤の準備が完了し、黒色のビジネスバッグを手に持ち、自宅を出ると最短距離で歩けば10分で着く最寄り駅へわざわざ遠回りして、20分程かけ、しばしば後ろを振り返りながら歩いて行く。
毎日、決まった道は通らない。雨天の時は流石に煩わしいが、ビジネスを長く続けるためには必要なことだから、欠かさずこの習慣を繰り返している。
最寄り駅に着き電車に乗ると満員電車で、今日もうんざりした気分で電車に揺られる。これまで、様々な仕事をしてきたが満員電車の苦しみを味わうことはなかった。
よくもまあ薄給で働くために、こんな電車に乗れるもんだと思う。俺はそれなりの収入を得るために満員電車に乗っている。
職場の最寄り駅に電車が滑り込み、7が三つ揃った際にパチンコ玉が排出されるかのように俺は電車内から吐き出された。
改札を出ると、職場まで徒歩で15分かかる道のりを25分かけ、遠回りして向かう。時折、振り返って尾行されていないかを確認する頻度は更に増える。
職場は、分譲マンションの2階にある。借りている部屋は賃貸物件として出されたものだ。オートロックのマンションは職場を設定する際の最低限の条件だ。2階を選んだのは、いざとなればベランダから飛び降りて逃げることができるからだ。
職場のドアには『(株)ドリーム通商』と、プラスティック製のプレートが貼られ、玄関の上部には防犯カメラを設置して室内のパソコンで外の様子を確認できるようになっている。
ドア鍵を解錠し、室内に入るとリビングから朝のワイドショーの音声がテレビから流れて聞こえた。腕時計を確認すると午前8時45分。いつもの時間だ。リビングに通じるドアを開けると、3人の男達から注目された。俺の職場の仲間達だ。
マサ、シン、ケン。名字や本名は知らない。知らない方が良い。知らなければ尋問されても答えることができない。
「おはようございます」と、リビングのソファーに座っていた男達は立ち上がりながら俺に挨拶した。3人の服装も俺と同様でどこから見ても真面目なサラリーマンだ。勿論、茶髪の者はいない。3人の中で一番年上で、俺の右腕ともいえるマサがテレビの電源を消して、
「タクミさん、今日の勉強会の資料です」と、新聞を俺に差し出した。
持っていたビジネスバッグをフローリングに投げだし、俺は空いているソファーに深く腰掛けながら、新聞を広げるとメンバーもソファーに腰掛けた。
俺を含めた4人はそれぞれ異なる新聞を定期購読している。お目当ての記事が載っていれば、こうして職場へ持ってくる。今日は一紙しかないが、場合によっては4紙揃う日もある。
今日の記事の見出しは『特殊詐欺の出し子を逮捕』とある。あまり勉強にはならない記事ではあるが、他のグループの動きを察知することはできる。
俺達が求めている記事は警察が新たに導入した取締りの手法や被害防止策だ。警察が新たな特殊詐欺対策を導入すれば、その上をいく抜け道を検討する。それが俺達の勉強会だ。警察が銀行員やコンビニの店員にATMで携帯電話で話しながら操作している高齢者を見つけたら声をかけ、振り込め詐欺に遭っていないかを確認するように協力依頼したことは新聞を読んで知った。
その記事を読んでから俺達のグループは、無人ATMにターゲットを誘導し、振り込み作業を行わせるようになった。
「やっぱりカネを直接受け取る出し子を使うんはアカンな。受け子がパクられたら、また闇サイトで受け子を募集する手間が要るからな」俺がそう言うとマサが、
「うちは、ちゃんと道具に投資してますからね。通帳一通で20万は高いけど、ポリは騙された作戦とか使って、カネの受け渡しで捕まえに来よりますもんね。しかし、最近では高校生がアルバイトで出し子やるんやから驚きですわ」と、呆れた表情を見せた。
「そうやな。高校生が老人からカネとるのは驚きやな。暴力団系のグループが増えてトカゲの尻尾切りみたいに切り捨てられる受け子を使うグループが最近は多いな。うちみたい暴力団の絡んでないとこで、長く安全に稼ぐんやったら、それなりに投資して安全を確保しなアカン。シン、ケン、ちゃんと出勤する時、後ろを確認してるか?」
「はい」と、2人は声を合わせて答えた。続けて一番年下のケンが、
「後ろを確認しながら出勤するってスパイ映画みたいで、わくわくしますわ」と、戯けた。
「命にかかわることや。ちゃんとしろよ。ヤクザの尾行がついたら直ぐに逃げなアカンからな」と、俺はこれまで何回も口酸っぱく言っている台詞をシンとケンに向け投げた。
「昨晩、道具屋から聞いたんやけど、1週間ほど前に大阪で別のグループが、運転資金から個人のカネから全部、ヤクザにいかれてもうたらしいわ」道具屋との接触を任せているマサが重々しい口調で語った。
「命は助かったんですかね?」シンがソファーから起ちあがり、スーツの上着を脱ぎネクタイを外しながら訊いた。
「運転資金は、うちと同じように事務所に置いてたらしいから真っ先に押さえられ、メンバー全員にチャカ突きつけて個人で溜め込んだカネも在りかを吐かされて全部持っていかれたらしいで・・・。ヤクザに察知されたきっかけは稼いだカネで金曜日の晩にミナミでメンバー揃って豪遊してたかららしいわ」と、マサも起ちあがり上着を脱いだ。ケンも上着を脱ぎ始めている。俺も起ちあがり上着を脱ぎ、ネクタイを外しながら
「警察は、逮捕するだけや。カネさえしっかり隠しとけば出所した後、困らんけどヤクザは平気でカネをとるためやったら、命狙いよるからな。ヤクザに狙われても警察に駆け込めんところが、俺らの弱みや。全員、尾行だけは充分に気をつけてくれ。それじゃあ今日も頑張りますか」
俺の指示が終わるとメンバーは脱いだ上着を肩にかけ、3LDKのそれぞれの部屋へ携帯電話を片手に散って行った。営業開始である。各部屋には、営業の命ともいえる高齢者の住所、氏名と電話番号が記載されている名簿が置いてある。
俺は自分の居場所であるリビングで、名簿に載っている高齢者へ電話をかけ始めた。時間はちょうど午前9時。役所が業務を開始する時間だ。俺達は飛ばしのスマホを駆使して名簿に記載されている高齢者へ電話をかけまくる。飛ばしの携帯電話は、1ヶ月間は無料で使える。この携帯電話にもカネがかかっている。特殊詐欺のグループが増えて、飛ばしスマホの需要が高まり値段が上がった。現在は1台30万円程度だ。特殊詐欺のグループが増えた要因は、犯罪の中でも比較的安全で、警察に捕まるリスクが低く、しかも大金を稼げるからだ。ひったくりや車上ねらい、空き巣、どれも捕まるリスクが高い割に稼ぎは良くない。最近は高性能な防犯カメラシステムが安価で販売されているから、一般家庭にまで防犯システムの導入が広がり、窃盗はリスクが高すぎる犯罪だ。
元々、特殊詐欺は20年以上前にヤクザがシノギとして始めたものだ。ヤクザは自分達だけでは手が足りず、アルバイトを雇っていた。
俺も雇われたアルバイトの1人だった。フリーターをして、フラフラと日常を過ごしていた20代後半の頃、パチンコ屋で互いに常連客として顔を見知った30代前半の男にアルバイトを誘われた。
その男は羽振りがよく、声をかけてきた晩は、キャバクラで奢ってくれた。定職にも就かずカネを持っていなかった俺は、男の提示したアルバイト料に目が眩み何の仕事かも、はっきり知らないまま働くことを承諾した。
男がヤクザだったと知ったのは働き始めて直ぐだった。広めの賃貸マンションに連れていかれた俺は、ヤクザが作ったマニュアル本のとおり、高齢者に電話をかけまくった。
直ぐに、この仕事が詐欺だとわかり、同時に男がヤクザだと推測できた。当時は、高齢者の息子を騙って株で損を出したとか、痴漢で捕まったので示談金が必要だとかの話をさせられた。いくら馬鹿な俺でも嘘の電話をかけてカネが儲かるのだから俺がやっていることは詐欺だと認識できた。
それまで警察に捕まったことのない俺は、当初、良心の呵責を感じていた。しかし、電話をかけるだけで毎月50万円ほどのアルバイト料をもらっていた俺はカネの魅力とヤクザに関係してしまった恐怖で、仕事を辞めることができなかった。
また、感じていた良心の呵責もヤクザの一言で吹き飛んだ。
「高齢者でカネを持っている奴はバブルの時代にいい思いをしてた奴らばかりや。バブルという、俺らにとって迷惑なものを作り、悪影響を与え、生き残ったジジイやババアが大金を持って悠々自適に過ごしてるんや。そんな奴らからカネをとって何が悪い」
この言葉は強烈だった。俺の親父は電機メーカーに勤めるサラリーマンだった。バブルが弾けて俺が幼い頃、リストラにあった。親父は、バブル崩壊後、社会が混乱している中、どさくさに紛れて企業側にとって都合良く作られた人材派遣会社に勤めたが、給料は最低だった。
この頃、勝ち組・負け組という言葉が生まれたが親父は紛れもない負け組だった。
俺は何とか高校を卒業するまでは養ってもらったが、大学に進学するカネなどうちにはなかった。ただし、そんな境遇は俺だけではなかった。周囲にも同じような境遇の同級生がたくさんいたから、俺はそれが普通だと思ってた。親父が、
「すまんな。カネがないから大学には行かせられない」と、俺に謝ったが、奨学金を借りてまで進学するつもりもなかった俺はフリーターになった。
成人して親父と酒を飲んだ時に、
「昔は親が借金してまでも子供を大学に行かせたのに、借金もできん・・・・・。不甲斐ない親ですまんな・・・・・」と、泣きながら俺に謝ったが、俺はピンとこなかった。
俺の同級生で、どうしても大学に行きたい者は自分で借金して進学した者が当たり前のようにたくさんいたからだ。
ただし、大学を卒業した際に300万円前後の借金を背負ったまま社会に出るという、この国の構図には疑問を持った。親が節約に迫られ余裕のない生活を送っている姿を見ながら育った子供は社会へ出る際に大きな借金を背負い、マイナスからのスタート・・・・・。
若者の車離れという話を新聞記事で読んだことがあるが、親が、生きていくだけで必死な姿を見て、自らは大きな借金を背負っている多くの若者が高価な車など買うはずがない。
バブルの時代が終わり、20年以上経つが未だにその傷跡は、現在の日本に残っていると俺は感じている。詐欺の手口を進化させるために購読している新聞だが、俺は経済面にも目を通す。日本って国は戦後、物作りで発展成長してきた国だ。世界があっと驚く製品を安価で作り、それを全世界に売りまくり高度成長した。バブルが弾けて、この国の企業は目先の収支バランスを守るためだけに技術者までリストラした。
リストラされた技術者が近隣アジア諸国の企業に雇われ、日本で培った物作りの技術を海外に流出させた。そんなアジアの企業が成長し、いま日本企業のライバルになっている。
日本の企業はバブルの傷跡にさいなまれ、ノスタルジーに浸かったままで、冒険的な新商品など作らなくなった。失敗を恐れて動かない経営者が多くなり、クールジャパンと呼ばれるような商品は長い間、見たことがない。スマホの売れ筋機種、やたら吸引力の強い掃除機、電子煙草・・・・・。全て外国製品だ。
企業だけではない。日本人そのものがリスクを恐れて、人生を小さく送る者が増加したと感じるのは俺だけなのだろうか。人生を小さく送るというよりも夢を持って生きていないと表現した方が、より正確なのかもしれないが、夢も持てない今の日本を作り上げたのは、今生きている高齢者だと確信している。格差社会という言葉もあるが、それは企業にとって有利に運用されている派遣会社が原因だと思う。派遣社員で人件費を削り続けて多数の企業で内部留保金が莫大に貯まった。
企業は会社の経営が困難になった際の保険的な内部留保だと言うが、日本が経済危機に面した時に企業は内部留保に手を付けるのだろうか? 俺は日本が危機に陥っても政治家、企業共に内部留保には言及しないと思う。
多くの人の血で積み上がった内部留保は人を救うことには使われず、企業はひたすら利益を追求することしか考えないだろう。そんな社会を創ったは当時の政権と今の高齢者だと思う。人材派遣という制度は今の日本国民にとって足枷となり、ワーキングプアという言葉はモチベーションを下げ続けるだろう。
ヤクザが発した一言で今、生き残っている高齢者に対する良心の呵責は、木っ端微塵に吹き飛んだことは事実だ。
心に足枷がなくなった俺は、真面目に働いていては、稼げないカネを危ない橋だと思いつつヤクザの下で稼いだが、終わりは急にやってきた。俺を雇っていたヤクザが別件の傷害事件で逮捕されて管理者がいなくなり、俺の属していたグループは崩壊した。ヤクザが作ったグループを存続させようとした者はいなかった。
下手に存続させれば更にヤクザとの縁が深くなる。この時、ヤクザの下で働いて5年が経過していた俺は、詐欺に使う道具の調達も任されていて、特殊詐欺のノウハウを完全に習得していた。
俺はグループが崩壊する直前、毎月100万円程度の収入を得ていた。高額な報酬を諦めることができなかった俺は、自分自身が管理者となって新たにグループを作ると決めた。
大阪府内のパチンコ屋で、ヤクザが俺をスカウトしたように詐欺ができる人間を探して俺がボスになり、新たなグループを作った。
現在、世間で活動している詐欺グループは同じような経緯でヤクザの下を離れた者が新たに作ったグループと暴力団系の半グレが作ったグループに二分されている。
元々はヤクザが考えたシノギだが、独立してヤクザ以外の者が運営するグループが増えて、ヤクザの動向に異変が生じた。
非暴力団系のグループからカネを奪い、暴力団系グループで業界を独占化するという方向性に変化した。それは俺達にとって危険をもたらした。
非暴力団系グループを締め出し、同時に俺達が溜め込んだカネを奪う。本当にうまい考えだ。俺達からカネを奪っても、決して被害届は出されないという利点がある。
ノーリスクで大金を一瞬で稼げるのだから、ヤクザが俺たちをターゲットにしたことは自然な流れかもしれない。俺達、非暴力団系のグループを発見できれば莫大なボーナスを得るのと同じだ。
警察に助けを求めることができない俺達にヤクザは荒っぽいことを平気でやってのける。だから安全を確保するために今のグループに引き入れる者は人選した。派手好きな者は仲間に入れなかった。世間から身を隠す行動ができる者を選び現在の4人のメンバーになって3年が経過していた。
午前中、俺達4人は目一杯、電話をかけまくって12時ちょうど休憩に入った。
一番年下のケンが一人だけ先に業務を終えて正午前に4人分の弁当を買い出しに行く。昼食代は稼いだカネから経費扱いで落とす。
俺達はリビングの地べたに座り込み車座になって弁当を食べながら、午前中の結果について報告を行い合う。
警察が振り込め詐欺の防止策として様々なキャンペーンや広報を行ったおかげで、最近は電話をかけても直ぐに看破されることが多いが、それでも数撃ちゃ当たる。今の俺達の手口は、健康保険料の割戻金が3万円ほど戻ってくると話を持ち掛けて相手が信じれば、次ぎに携帯電話を持っているかを尋ねる。ターゲットが携帯電話を持っていなければ無人ATMに誘導できない。更にターゲットの預金残高を聞き出すわけだが、
「割戻金を振り込む銀行口座の預金残高が100万円以上無いと振り込み手数料がかかります」と、言うと大半の老人は素直に残高を答える。この作業を経ることでターゲットから幾らカネをとれるか値踏みできる。
ある程度カネをとれる相手なら、無人ATMが設置されている場所へ誘導し、携帯電話で話ながら
「私の言うとおりに操作してください」と、指示し、ATMを操作させる。相手はカネが振り込まれる操作だと思っているが、その実、カネを俺達に振り込んでいるわけだ。
銀行は一度に振り込める限度額を設定していることが多いので、1回目の振り込み作業が成功すれば、ターゲットに
「送金に失敗しました。どうやらボタンを押し間違えたようですね。再度、私の言うとおりボタンを押してください」と、再度指示し、振り込み作業を繰り返させることで、ターゲットの口座から全額いただく。
ターゲットに振り込み作業を終えさせると俺達が使用している口座が凍結される前にカネを抜く出し子作業を行うわけだが、この作業は緻密な行動が要求される。振り込みが完了するまで、変装した姿でATM周辺で待機し、ターゲットに振り込みを完了させたことを伝える暗号、
101 150
を、ショートメールで受信すれば、即座にATMへ行き振り込まれた全額を引き出す。101は振り込み作業が完了したという意味で150は振り込ませた金額を意味しており、入金されたカネは150万円ということになる。
出し子は変装した姿で、ATM周辺に潜んでいるから不審者として警察へ通報されるおそれがある。だから出し子待機している時が一番怖い時間帯だ。待機する際は、防犯カメラの設置場所や人通りを見て目立たない場所を選択するが、その作業は神経をすり減らす。
現金を全額抜けば、直ぐさま仲間に作業が完了したという暗号、202をショートメールで返信し、現場離脱する。適当な場所で変装を解いて作業が完了するが、元の真面目なサラリーマン姿に戻るまでは気が抜けない。出し子作業は逮捕される可能性があり、また精神的にも疲れることから、みんな敬遠する。だからジャンケンで出し子を決めている。
一昔前は、もっと簡単にカネを振り込ませることができたが、銀行が振り込め詐欺対策を行い始めてからは、数をこなさなきゃ稼げない。今は一日に一件も成功しない日が多いが、それでも俺達のグループは1ヶ月で800万円前後のカネを稼いでいる。稼いだカネは、運転資金を充当し、残りを完全に山分けしている。
運転資金は常に3千万円をプールするようにしている。この3千万円から定期的にアジトを引っ越しするための費用と、詐欺に必要な道具にかかるカネを支出している。またヤクザに見つかった時の逃走資金という保険的なカネも含んでいる。
俺は常に安全を確保することを念頭に置いている。俺がボスだからといって多くカネをとることはしない。俺達は互いに危ない橋を渡って、それぞれの働きでカネを稼いでいるのだから山分けが妥当だ。俺も仲間がいないと稼げないし、俺が多めにカネをとったりすればメンバーに不満がつのり、裏切りというリスクが生じる可能性がある。自分自身の安全を確保するためにも山分けって方法が最良だ。
今日の昼食時の報告会で、感触が良い相手を見つけたのは一件だけであった。カネを振り込みそうな相手が見つかれば、メンバーの内、1人は午後から出し子待機となる。
アジトから遠く離れた場所の無人ATMへ行き、振り込みが確認できれば直ぐに口座からカネを引き出す。警察に銀行口座を凍結される前に口座を空にするためだ。出し子はいつも、この昼食時の報告会で決める。
午前中、それぞれがかけまくった電話で、感触の良い相手を見つけることができなかった者が、出し子をやる。相手を見つけた者は引き続き電話で相手方に振り込み指示を行わなければならないので、当然アジトに残す。
今日はマサが感触の良い相手を見つけたので、残りの3人がジャンケンをして出し子役を決めた。俺がジャンケンで負ければ、俺が出し子だが、今日はケンがジャンケンに負けた。
今日の出し子役に決まったケンが弁当を食べながら、
「昔みたいに1日でウン千万稼げた時が懐かしいな~」と、軽口を叩いた。
「そやな。このメンバーで最高に稼いだのは1日で3千万円やったな。確か痴漢の示談金名目で稼いだよな」と、今日、感触の良い相手を見つけたマサがお茶のペットボトルの蓋を開けながら呟いた。
「確かに昔は稼いだよな~。でも3千万振り込んだ婆さんが、後日自殺したってのが新聞に載ったときは、正直びびったわ。完全に俺達が悪魔になったって思った・・・・・」シンが暗い声で弁当を地べたに置いた。
皆がばつの悪そうな表情になり、場の雰囲気が暗くなった。
「どうせバブルの時代に悪どいことして稼いだカネや。気にすることない。それに俺達が直接殺したわけちゃう」と、俺が昔、ヤクザに言われて罪悪感を吹っ切った台詞を吐いた。
メンバーは暫く黙り込んでいたが、ケンが「ですよね~」と、戯けると、みんなに笑みが戻った。
このメンバーで稼ぎ始めて直ぐに3千万円というカネを1日で稼ぎ、皆で歓喜しだが、1週間ほど経った日の勉強会に4人全員が新聞を持ってきて顔色が暗くなった。
全紙に大きい見出しで『振り込め詐欺の被害者が自殺』と、報じられていたからだ。
流石に俺も気分が暗くなった。命まで奪うつもりは当然になかったからだ。
メンバー全員が相当の罪悪感を抱いていることは皆の顔色で察知できた。俺自身、大きな罪悪感を感じていた。
しかし、引き返せない道を進んでしまったのだから、メンバーの罪悪感を払拭するために俺はヤクザから言われた台詞をそのまま投げつけたが、完全には全員の罪悪感を払拭できなかった。
結局、罪悪感が薄らいだのは、時間の経過だった。人間という生き物は都合良くできている。嫌な思い出も時間が経てば自然と忘れてしまう。また、俺達のような学歴の無い人間でも、月に1人当たり約150万円以上ものカネを手に入れることができたことも罪悪感を薄くさせた。
罪悪感は薄くなったが消滅はしなかったという点が、俺達のグループと暴力団系グループとの違いだった。
俺達は警察に捕まるか、目標の金額を稼ぐまで、この商売を辞める気はなかった。俺が既に目標の5千万円を稼いだのに、この商売を続けているのはメンバー全員が目標に辿り着くのを見守るという最低限の責任感が原因だ。全員が目標金額に辿り着けば当然足を洗う。だからメンバーには、
「稼いだカネで豪遊するな。カネが溜まってから商売でもして正業で儲けてから豪遊しろ」と、何回も繰り返し言っているのは自分が早く足を洗いたいからだ。
メンバーの過去がどのようなものであったのかは訊かないようにしているので、それぞれの目標金額がどれくらいなのかは知らないが、シンとケンは未だに目標金額には達していない。
山分けにしているのだから、俺と同じ金額は稼いだはずであるが・・・・・。どうせカネを溜めるより、遊びに浪費しているのだろう。 なんせ2人はまだ若い。マサも俺と同様、シンとケンが目標金額に達するのを待っている。
「どうせ、他にやることもないし、暫くは手伝ってやるわ」と、目標金額に達した時にシンとケンに言っていたが、マサも連帯感と責任感で動いているのだと思う。そういうヤツだからこそ、俺は道具屋との接触係をマサに任せている。
午後1時になり、マサはターゲットに電話をかけ誘導作業に入る。 スマホってのは本当に便利だ。ターゲットの住所近くの無人ATMを検索すれば簡単に所在地を教えてくれる。ケンは出し子の役目をこなすためにアジトを出る。俺は、
「尾行と防犯カメラに注意しろよ」と、声をかけケンを送り出した。
「へいへい。ちゃんとマスクと帽子はバッグに入れてます」と、ケンは軽いノリで応えた。今は至る所に防犯カメラが設置されている。出し子作業で気をつけなければならないのは、防犯カメラから追跡されることだ。
ATMの近くだけで、顔を隠していては直ぐに他の防犯カメラから追跡される。駅のトイレで帽子とマスクを装着し、上着も着替える。その後、無人ATMでカネを引き出せば、周囲に防犯カメラが無い適当な場所で変装を解く。最近の警察は無人ATMの周辺だけではなく、広範囲な防犯カメラの捜査を行い足取りを追う。
この捜査手法は新聞記事から学んだことだ。他のグループが検挙された記事が載っている時は新聞記事から(なぜ逮捕されたのか?)という視点で検証を行い、俺達が商売する上でのマニュアルにしている。だから朝の勉強会は欠かせない。稼いだカネも銀行口座には入れないし、自宅にも置かない。
警察に逮捕された時に捜索されれば口座のカネや自宅に置いてあるカネ全てを押収される。これも新聞記事で学んだことだ。メンバーには、
「カネは現金で誰にも知られないように自宅以外で保管しろ」と、指示している。警察に逮捕されても稼いだカネはギャンブルで全て遣ったと言えば裏付けできない。刑務所から出所した後にカネさえ残ればなんとかなる。
それより、やっぱり怖いのはヤクザだ。これまで他のグループがヤクザの襲撃にあった話を道具屋を通じて聞いたことがあるが、まあ大抵半殺しの目に遭っている。溜めたカネの在りかを白状しようとしない者は、1本、1本、指を裁断機で落とされた。
指を失うだけでも恐怖だが口封じで殺されて、死体を細切れにされ淀川に捨てられた者もいるらしい。
半殺しの目に遭っても警察に助けを求められないことは俺達とって唯一の弱点だ。だから、用心しなければならない。
俺が選んだメンバーは、若いが用心に関しては信頼がおける。スカウトする際に全員をパチンコ店で観察したが、大負けをしない打ち方だった。3人とも熱くなって、大金を突っ込むようなことをしなかった。また儲け話を持ちかけ、即答で了承した者はメンバーに入れなかった。
俺がスカウトした3人は俺を怪しみ当初拒絶していたが、何とか口説き落としてメンバーに引き入れた。そんな連中だから信頼もしたし、俺の方から口説き落としたという経緯上、メンバーの安全確保に重大な責任を感じていた。俺が悪事に引き入れたのだから、絶対に警察やヤクザから守ってやると・・・・・。
ケンは予定どおり、カネを引き出して午後3時には戻ってきた。その頃には俺達も電話をかける作業を終えていた。ATMへの誘導作業が翌日に持ち越すことだけは避けるようにしていたので、午後3時が業務終了の潮時だ。翌日に持ち越すと誰かに相談されて警察へ通報される可能性がある。
昔は振り込み先の銀行口座を伝えて振り込ませていたが、今は決して口座番号は伝えない。警察に通報されれば口座は凍結されて、新たな口座を用意しなければならないからだ。
口座を買うにも大金がかかる。ATMに誘導し、電話で指示してターゲットにパネルを押させることで俺達の口座は控えられることもないし、記憶にも残らない。振り込みの控えは、捨てるようターゲットに指示する。
この指示で怪しむ者もいるが、大抵の者は俺達を信じ切っているせいか控えを処分しているようだ。なぜ控えを処分しているのか、わかるかというとカネを奪っても俺達の口座が暫くは凍結されずに生きているからだ。
ケンが回収した現金は、運転資金を収納している二重のビニール袋に入れた後、生ゴミが入ったゴミ箱の一番下に置き、その上に生ゴミを被せて隠す。人は汚い物に躊躇するだろうという考えで、この隠し方を採用した。
運転資金は常に3千万円をプールし、残ったカネを月末に現金で分配して、それぞれがカネを持ち帰る。まあ月末が給料日ってところだ。午後3時以降、仕事はしない。みんなスマホをいじったりテレビを見たり、雑談したりして午後5時まで時間を潰す。
アジトは会社を装っているから、退出する時間を午後5時以降にしなければ周りから怪しまれるからだ。こうして俺達の1日は終わる。アジトを出る時は、どう見ても真面目なサラリーマンだ。帰宅する際も尾行に気をつけてルートを毎日変更し、時間をかけて自宅まで戻る。俺達全員で飲みに行くのは月末にカネを山分けした日だけだ。高級な店は行かずに、大衆的なチェーン店でメンバーをねぎらうために俺が奢る。メンバーの結束は仕事をする上で大事だ。
店では決して仕事の話はしない。それぞれの趣味の話で盛り上がる。 全員交際している女はいない。足を洗うまで女は作らないことをグループの規則にしているからだ。ケンは毎週、水族館に行って魚を眺めて過ごしている。シンはバイクにカネをかけてツーリングで楽しんでいる。マサは早朝に起床して磯釣りに行く。
メンバーの休日の過ごし方を聞いて、目立った行動がないかをチェックすることも安全管理上、重要な作業だ。
俺はカネを山分けした週の土曜日に必ず生駒山へ行く。別に登山が趣味ではない。必要だから行くだけだ。
車でJR野崎駅まで行き、コインパーキングに駐車すると、そこからは登山だ。昔、ガキの頃に、この山でよく遊んだ。ロープを持って行き木の枝にくくりつけて、ターザンのように遊んでいた。そんな生駒山には俺しか知らない秘密の場所があった。
山の中腹に小さな溜め池がある。水はかなり綺麗で水底まで見える。夏場はここで、よく泳いだものだ。この溜め池に葦が生い茂って、人はなかなか通れない獣道がある。その道を越えると山の傾斜にそびえ立つ立派な巨木があり、木の太い枝に古びれたロープがくくりつけられている。昔よく遊んだ木だが何の木かは知らない。
枝は池に向かって張り出ており、子供の頃、ロープにしがみつきながら池にダイブしてスリルを味わって楽しんでいた。今は仕事でスリルを味わっているが、決して楽しいものではない。
昔、楽しませてくれていた木の根本に俺はカネを隠していた。この木が生えている場所から山頂方向、15メートルくらいの所にシャベルを隠している。俺は傾斜を登り、地面を覆っている枯れ葉を軽く足で蹴散らしてシャベルを取りだし、木の根元へ戻る。木の根本にも枯れ葉がある。今度は手で枯れ葉を取り除き、傍らに盛っておき、その後シャベルで土を掘る。掘った土は枯れ葉の山にかからないように盛る。約1メートル掘ると大きな円形状で水色のゴミバケツの蓋が姿を現す。蓋を外すと1千万円単位でビニール袋に包まれた現金とのご対面だ。
これが俺のカネの隠し場所だ。登山という労力は必要だが、ここには絶対誰も来ない。
俺は毎月この儀式ともいえる行為を必ず行っている。カネを収納し、土を被せ地面を踏みならし、上から枯れ葉を被せて元の状態に戻す。儀式を終えると俺は木に登り、枝に腰掛けて煙草を吸い、純真で将来のことなど深く考えず、無邪気に遊んでいた子供の頃を思い出しながら池の水面を眺める。
時折、涙が出る。涙が悲しみという感情を原点に流れ出ていることは理解しているが、なぜ悲しく感じるのか、自分でもよくわからなかった。俺は悲しみの根源を探り、突き止めてしまうと自分が壊れてしまいそうで考えないようにしていた。
月に1回の儀式以外の休日は、読書か映画鑑賞をして過ごしていた。付きあっている女はいない。女と付きあうのは、この商売から足を洗った後だと決めている。女と付きあえば、俺の仕事がどんなものであるか必ず訊かれるだろう。嘘をついても、いつかは怪しまれる。だから俺の規則をグループの規則にした。
グループにはもう一つ規則がある。実家に連絡を取らないことだ。女を作らない理由と同様だ。親に連絡を取るのも足を洗ってからだ。これはリスクを避けるために科したルールだ。
休日を終えると、またアジトでの仕事が始まる。悪事に塗れた、こんな俺でも、足を洗えば幸せな家庭を築けるのだろうかと考える時がある。そう思わせるのは罪悪感の残骸が未だ俺の心の隅に張り付いているからだ。
早く足を洗いたい。そのためには、シンとケンが目標金額に達してもらわなければならない。
いつものように、ターゲットに電話をかけまくっていた午前中、アジトの外が物音で騒がしくなった。最初、頭に浮かんだのはヤクザの襲撃だ。俺は直ぐさま表の様子を確認するために防犯カメラの映像を受信するノートパソコンのディスプレイに目を走らせた。
映像には引っ越し業者の制服を着た男達が、隣室へ家具を運んでいる様子が映し出されていた。ヤクザならいきなりドアをぶち破って入って来るはずだ。
あと考えられるのは、俺達の動向を探るために隣室を警察が借り上げたのではないかという疑念だ。俺はパソコンを操作し、アジトの部屋に割り当てられている一階のポスト内に仕込んだ防犯カメラ映像に切り替えた。このカメラ映像でエントランスを行き来する者の様子を確認することができる。マンション前の道路にはテレビコマーシャルでよく目にする大手引っ越し業者のロゴが入ったトラックが駐車し、業者に何やら指示している老人の姿が確認できた。
その老人は、若い引っ越し作業員と比べても背は低くなく、紺色のジャージを着ていたがジャージのブランドが流行のものを着ていたので高齢者独特の老人臭さを感じさせることなく、また綺麗にオールバックで整えられた白髪交じりの頭髪は品格が漂っていた。
額に刻まれた皺から、どう見ても60歳を超えており、老人の雰囲気に警察の偽装工作は感じられなかった。俺は安堵し、各部屋で電話をかけまくっているメンバー達に小声で隣室へ人が引っ越してきたことを伝えた。
午前11時を回って、俺は感触の良いターゲットを見つけることができなかったので、俺が昼食の買い出しに行くことをメンバーに伝えると1番年の若いケンが、
「俺もターゲット見つけていないので俺が買い出しに行きます」と、気を遣ったが、この申し出を俺は断った。買い出しに行きながら、隣室に引っ越して来た老人が安全な者であるかを確認したかったからだ。
警察が引っ越し作業の時だけ、一般人に協力してもらっているかもしれないという疑いがまだ残っていた。もし、そうであれば、引っ越し作業が順調に進んでいるのかを確認するために刑事が周囲に潜んでいるはずだ。
俺はマンションを出ると引っ越し作業が行われているトラックを横目にマンションの周囲をそれとなく見回した。周囲に他の駐車車両は見えない。
その後、マンションの外周を歩いて見て回り、隣接している建物の高所から様子を伺っている者がいなかを確認したが、それらしき者は見当たらなかった。俺はとりあえず、いつもより更に尾行に気をつけながら弁当の買い出しに行き、マンションに戻って来た。
再度周囲を確認したが、怪しむべき要素は発見できなかったし、引っ越し作業員も休憩に入ったのか姿が見えなかった。
俺がアジトに戻ると時間は午後0時を越えてており、腹を空かしたメンバー達が俺の帰りを待ちわびていた。
地べたに座り弁当を食べながら、隣室に引っ越して来た人物は今のところ怪しむ点が無いので、挨拶されたら、清々しい態度で挨拶に応じるようメンバーに指示した。
この日は俺が買い出しに行った後にケンが感触の良いターゲットを見つけた。誰が出し子作業をするか決める際、ジャンケンではなく、俺が出し子をすると告げた。身の回りにいつもと違うことが起こった日は、更に用心深く動く必要があったので自ら出し子を買って出た。午後1時になり、俺は出し子作業のためアジトを出た。
隣室の引っ越し作業は続いていた。作業員が運んでいる家具に目をやると、大きな冷蔵庫や書棚を確認することができた。段ボール箱も相当数ある。警察ならばこんなに荷物はないだろう、と思い隣人は安全な人物であると俺は確信した。
そして気を引き締め、出し子作業を行うために遠く離れたATMへと向かった。
出し子作業は細心の注意を払い、安全に終了した。この日は150万円を手にすることができた。ターゲットに3回振り込み作業を繰り返させたことになる。たった3万円前後のカネがもらえると持ち掛けただけで、怪しむこともなく俺達の指示とおり動くターゲットの高齢者に対し苛立ちを感じ、
そんな目先のことばかり考えるからバブルって時代を作って俺達に負の遺産を背負わしたんや、と声に出さず心で叫んだ。
ただの言い訳だってことはわかってる。俺達の行為は紛れもなく悪事で、俺は社会のゴミくずだ。他のメンバーも心のどこかで認識している。しかし大金が手に入るという魔性の魅力に取り憑かれて抜け出せない。俺は自分を正当化する呪文の効力が消えないうちに足を洗いたいと思いながらアジトへ現金を持ち帰った。戻った時間は午後4時を少し越えていた。
隣室の引っ越し作業は終了し、静けさを取り戻していた。俺はメンバー達に「お疲れ様でした」と、ねぎらわれた後にカネを生ゴミの下に収納した。
退社時間まで、メンバー達がくつろいでいるリビングのソファーに腰掛けて、今日一日の株価をスマホで確認した。
勉強会のために新聞の定期購読を始めたが、経済面を読むようになって株に興味が湧き自分なりに勉強した。株は社会の動きに対し敏感に反応する。「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺が当てはまる。一見して何の因果関係も無いような会社の株価が社会の動きによって上下する。裏に隠された因果関係を読み取る力は知識と発想力が重要だ。
俺達の行っている詐欺は時代の流れを読み手口を進化させなければ、使えないものになってしまう。俺は詐欺を行うために新聞を読んで、社会の流れを読み取る力を培っていたが、その能力が株価予想に少なからず影響を与えていた。未だ株を買ったことはないが、俺の株価予想は、75パーセントくらいの確率で的中していた。これからもっと的中率を上げて、足を洗った後は、株で生計を賄うことを考えていた。
株価を確認していた際、不意にアジトのチャイムが鳴った。メンバー全員が驚き、顔を見合わせた。アジトに人が訪ねてくるなど、これまで皆無だった。全員がパソコンのディスプレイを覗き込み防犯カメラ映像を確認した。アジトを訪ねて来たのは、紺色ジャージ姿の今日引っ越して来た隣人であった。
左手には、大きめの紙袋がぶら下がっていた。この様子から、引っ越しの挨拶に来たのだと判断した俺は、メンバーに「俺が対応する」と、告げて玄関へ向かった。玄関の扉を開けると老人は、
「今日、引っ越してきたタカハシと申します。今後よろしくお願いします」と、丁寧に挨拶しながら深々と頭を下げた。間近で見たタカハシには、やはり品格が感じられた。警察官のような泥臭さやヤクザのような狂気は微塵も感じない。俺達とは育ちが違う、という雰囲気を持っており、大阪では珍しい紳士の匂いがした。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします。私は、ドリーム通商の代表を務めているヤマダと申します」と、清々しく見られるように声のトーンを明るくし、偽名を告げながら頭を下げ返した俺にタカハシは、
「こちらは、会社なんですか? 社員さんは何名おられますか? 引っ越し祝いに信州から取り寄せた蕎麦を持ってきました。乾燥麺ですが、出汁も付いていて美味しいんですよ」
「うちは小さな会社で社員は私を入れて4名です。会社なので昼間しかいませんし、どうぞお気遣いなく」
「蕎麦はたくさん用意したので、ご心配なく。どうぞお受け取り下さい」と、紙袋の中からビニールで真空パックされた箱を取りだして俺に差し出した。
「この1箱で、ちょうど4人前が入っています」
受け取らなければ、この場を自然に収められないと考えた俺は、素直に蕎麦を受け取った。タカハシは「それでは失礼します」と、告げ再度、頭を下げて他の部屋へと向かった。
タカハシが他の部屋へ挨拶へ向かう後ろ姿を確認し、俺は室内に戻った。メンバーに、
「引越祝いなんて生まれて初めてもろたわ。しかもご丁寧に信州から取り寄せた蕎麦らしいで。隣りはタカハシって名前の老人や。明日の昼飯は、この蕎麦食べよか? タカハシと会えば清々しい態度で挨拶しろよ」と、指示するとメンバー全員が頷いた。
翌日の昼食は、タカハシからもらった蕎麦を食べた。流石に蕎麦だけでは腹持ちが良くないので、総菜店で唐揚げを購入し、蕎麦と一緒に食べた。アジトには調理器具も置いてあり、時々簡単な調理で昼食を作る時があった。調理するのはいつも俺だ。昔、フリーターをしていた時に、中華料理店の厨房で仕事をしていたので、料理はお手の物だった。
俺にしてみれば料理は気分転換になったので苦痛でも何でもない。もらった蕎麦は茹でて、温めた出汁に放り込むだけなので、料理と言えるものではなかったが、メンバーは「信州の蕎麦はやはり美味いっすね」と、言うようなことを話しながら美味そうに蕎麦を食べた。
この日は、午前中、誰も感触の良いターゲットを見つけることができなかった。こういう日の午後は慌ただしい。午後にターゲットが見つかれば、直ぐに出し子作業に取り掛からなければならない。
ターゲットを午後3時なんかに見つけてしまえば、午後5時までの2時間で出し子作業を行うことになる。俺達は迅速に動けるがターゲットは高齢者なので、無人ATMへ辿り着くまでに時間がかかる。それを上手く誘導しなければならない。
そんな慌ただしい午後もあればボウズで午後3時に終業を迎え、退社するまでの間、アジトで時間を潰すだけの日もある。タカハシからもらった蕎麦を食べた日の午後は後者だった。午後3時までにターゲットを見つけることができずに、メンバーは退社時間まで各々、好きに過ごしていた。俺は株価をチェックし、株の勉強をして過ごし、退社時間を迎えた俺達は全員揃ってアジトを出た。
アジトはマンションの2階なので、エレベーターは使わず、階段で1階へ降りた。オートロックの自動ドアを越えて、マンションから出る際に、食材が入ったスーパーのレジ袋を右手にぶら下げたタカハシと鉢合わせた。
昼食で食べた蕎麦を思い出し、
「こんにちは。いただいた蕎麦を昼食で食べましたが、とても美味しかったです」と、社交辞令のつもりでタカハシに声をかけた。 タカハシは優しそうな笑顔で
「そうですか。喜んでいただいて幸いです。お仕事は終わりですか?」
「はい。今日は業務終了です」
「それは、お疲れ様でした。私は今から夕食の準備です。1人暮らしなので毎日大変です」
「そうですか。お1人でお困りの際は、声をかけてくださいね。うちには若い社員が、こんなにいますので」と、好感を持たれるように慣れない愛想を言ったが、言い過ぎたと後悔した。
メンバー全員が軽く会釈をしてタカハシと別れた。これまで、アジトとして設定しているマンションの住人と会話を交わすことなどなかった。
俺が住んでいるマンションでも住人同士が会話することなどない。マンションに住む者達は近所付き合いを敬遠するためにマンションに住んでいると思っていた。
他人との接触を控えていた俺は、タカハシとの、こんな短い会話が新鮮に感じた。会話をするきっかけとなったのは、引っ越し蕎麦をタカハシが持って来たことだが、久しぶりに仕事以外で、赤の他人と会話した俺は、人という生き物は、本来この様なコミュニケーションから繋がっていき社会を形成していることを思いだした。
今の日本はネット上で見知らぬ者同士が盛んにやりとりしている割に生の人との係わりを避ける傾向が強い。親との関係を疎ましく思っているのかわからないが、血の繋がった高齢の親を1人暮らしさせている者も多数いる。独居の高齢者が多いから俺達の仕事は上手くいっている。子供達と同居している高齢者は、俺達が持ちかける嘘を子供達が看破して防止するからカネを奪うことは難しい。高齢者の『独居』というキーワードは俺達の仕事が上手くいく上で重要なポイントだ。
タカハシは1人暮らしだと言っていたから、俺達のターゲットになり得る存在だが、流石に隣人をターゲットにする気はない。ただ、怪しまれないためだけに、タカハシとは良好な関係を築かなければならない。安全を確保するために細心の注意を払っても、出し子作業がある限り、危険な場面は嫌でも遭遇する。
タカハシが引っ越して来て10日くらい経ったある日の午後、ジャンケンで負けた俺は出し子作業を行うために遠く離れたATMへと向かった。勿論、俺は革の手袋をはめて野球帽にサングラス、薄手で赤色のジャケットを着用し、完璧な変装を施して無人ATMに行ったが、キャッシュカードを差し入れると見たくもない表示がディスプレイに映し出された。『このカードはお取り扱いできません』簡潔な表現だが、振込先に使用していた銀行口座が警察の通報により凍結された結果だ。
この表示が出るとキャッシュカードは排出されない。銀行に回収されたカードは警察へ渡り、指紋検出の作業が行われる。だからカネを引き出す際は手袋をはめなければならない。俺は直ぐさま手袋の下にある腕時計で時間を確認した。警察官が駆けつけるまで最短3分。その間に逃げなければならない。俺は足早にATMから離れ、防犯カメラの設置状況を確認しながら進むべき方向を選んだ。
幸い周辺には、一戸建ての家が建ち並ぶ住宅街があった。俺は住宅街が見える方向へ細街路を進んだ。ビルが建ち並ぶ場所は、防犯カメラだらけだ。早く変装を解き、どこにでもいるサラリーマンの姿に戻らなければならない。心臓の鼓動は早くなる。俺達のビジネスでしばしば起こる危険な場面だ。
携帯電話でアジトへ口座を凍結されたことを知らせながら安全な道を探す。こんな場面で、いつも思うことがある。それは、よく見ると今の日本は防犯カメラだらけってことだ。個人宅にも防犯カメラの設置が増えている。防犯カメラが警察の情報システムと直結されていないことだけが救いだった。
将来、警察の情報システムと街中の防犯カメラが直結されるようなことになれば大半の犯罪は行えないだろう。
歩きながら耳を澄ませる。パトカーのサイレンの音を探知するためだ。凍結されたキャッシュカードが使用されると直ぐさま警察に通報が入り、パトカーがサイレンを鳴らしながら向かって来る。鼓膜に遠く離れた場所から発せられたサイレンの音が届いた。腕時計を確認すると4分が経過していた。
警察官が現場に駆けつける時間としては平均的な時間だった。しかし容易に変装を解く場所が見つからない。俺は焦りながらも住宅街の中をサイレンが聞こえる方向とは逆方向に進む。住宅街では防犯カメラ以外にも人の目を気にしなければならない。窓越しに不審な行動をとる俺の姿が見られている可能性がある。
家と家の境に人が1人通れるほどの空間が目に入り、ここで変装を解くか迷ったが、こんな場所に俺が入って行くところを目撃されたら、警察へ通報されると考えて断念した。
そうこうしている間に住宅街を抜けるところまで来た。サイレンは聞こえない。パトカーはATMに着いたのだろう。ここからは、自転車に乗った警察官に見つからないようにしなければならない。
住宅街を抜けると片側1車線の道路が交差している十字路だった。 低層商業ビルと3階建て住宅が混在している風景が目に入った。俺は住宅が建っている方向へと道路を渡った。商業ビルは防犯カメラが設置されている可能性が高いからだ。
住宅が数軒立ち並ぶ場所へ進んだ時に古めかしいコンクリートブロックで囲まれた月極駐車場を発見した。防犯カメラも設置されていない。俺はこの駐車場内で変装を解くことを決め敷地内へと進んだ。 人影が見えないことを確認すると駐車場の一番奥へと進んだ。幸いなことにブロック塀の側にワンボックスの車が駐車していた。俺は車と塀の間に身を潜めビジネスバッグの中からスーツの上着を取りだし、代わりに変装用具を放り込んだ。やっと心臓の鼓動が元のペースに戻ってきた。変装を解けばタクシーを見つけて、この場所を離脱するだけだ。
誰にも見つからず変装を解くことができた俺は、駐車場を出て焦りを感じさせない歩調で大通りを目指した。車が走り去る音を最大限感じられるよう鼓膜を集中させ、車の通行が頻繁な場所へと向かいつつ、現在地をスマホの地図アプリで確認した。
今の俺はどこから見ても普通のサラリーマンだろう。異質な行動を取らない限り、警察官から職務質問されることはない。心臓の鼓動も平常に戻った。
地図で大通りを確認した俺はタクシーを探しながら歩いた。もう少しで大通りに辿り着く寸前に前方から自転車に乗ってやって来る警察官を発見し、鼓動は再度速まった。警察官は左肩に装着している無線のマイクに耳を寄せ周辺を見回しながら近づいて来た。踵を返したりすれば、即座に職務質問されるだろう。どう、やり過ごすべきか考えながら俺は歩を進めた。警察官が俺に近づき目があった瞬間、俺は咄嗟に自ら警察官に話しかけた。
「杉並産業って会社を知りませんか?」さっき地図アプリで道路を確認した際、地図上に表示されていた会社の名前を俺は告げた。警察官は自転車を降りて
「番地は、わかりませんか?」と、答えた。まだ20代の若い警察官だった。
「たぶん、このあたりだと思うんですけど・・・・・」俺は平静を保ちつつ周囲を見渡した。
「私の持っている地図は会社まで詳しく載ってないかもしれませんが・・・・・」と、警察官は自転車の荷台にある黒いボックスの中から、折り畳まれた地図を取り出し、ボックスの上で広げた。
「やはりこの地図には載ってませんね。あなたはスマホをお持ちじゃないんですか?」
心臓が更に速まった。今時、スマホさえあれば道に迷うことなどない。当たり前の質問だ。俺は、
「うっかりしてスマホを職場に置き忘れたんです。スマホを持ってりゃ、お巡りさんに道なんか訊きませんよ」と、切り返した。
「そうですよね。私の私物ですが・・・・・」と、警察官は右胸ポケットからスマホを取りだして俺が告げた会社名を検索し、
「あっ、ここから近いですね。あっちの方向に約20メートル行った右側です」と、親切に指で方向を示しながら教えてくれた。
「いつの間にか通り過ぎてたんですね」と、俺が言い終えたと同時に警察無線が『ピー』という短音を4回繰り返し発した後に、
「再度手配を行う。出し子の男は野球帽にサングラス、赤色の上衣を着用。黒色のバッグを所持。徒歩で北方向へ逃走。各局は逃走方向の防犯カメラ設置状況を確認するとともに被疑者の発見に努めよ」警察官は耳をスピーカーに傾けて、険しい表情で手配を聞いていた。
俺は心臓が破裂しそうだった。俺の手配が流れている。手配は、今の俺の服装ではないが、黒色のバッグは手配と合致している。バッグの中身を質問されればアウトだ。俺は次ぎに何を言うだろうかと警察官の口元の動きを凝視した。警察官は、
「振り込め詐欺の出し子なんですよ。今、無線で流れた服装の男を見かけませんでしたか?」と、尋ねてきた。俺はバレていないことを確信した。心臓の鼓動はゆっくりと緩やかになった。
「さあ見かけませんでしたね。お疲れ様です」
「もし、見かけたら110番してください」と、警察官は告げて自転車に乗って立ち去った。俺は警察官の後ろ姿を見送った後、再びタクシーを探した。早くこの場から立ち去りたいと焦っている時にタクシーを発見した。
手を挙げるとタクシーは直ぐに俺に気がついた。タクシーが俺の前に向かってくる光景は白馬の騎士がやって来るかのように見えた。タクシーへ乗り込み、運転手に隣の市にある駅名を告げた。やっと心臓の鼓動は元に戻った。
駅前に着きタクシーを降車し、一目散に改札へと向かった。改札が目前に迫った時、背後から
「タクミやんけ」と、懐かしくも聞きたくない声で呼び止められた。
振り向くと、俺をこの世界に引き込んだヤクザのオオツキが笑みを浮かべて立っていた。俺は、
「あっ。お久しぶりです」と、答えながらオオツキを観察した。 黒のスーツを身にまとい、さっぱりとした短い頭髪のオオツキは、以前と変わらず若く見えた。もう40代半ばになっているはずだが老けた感じがない。しかし眼光は狂気を潜めていた。オオツキが未だヤクザの世界で生きていることを推測させた。
「やっぱりタクミか~ 久しぶりやの~ 茶~でも行かへんか?」ヤクザの誘いを断れば、面倒くさいことになると思った俺は、即座に
「仕事中なので短時間なら・・・・・」と、応じオオツキと駅前の小さな喫茶店に入りテーブル席で向き合った。オオツキは店員に「ホット2つ。2つともブラックやからミルクも砂糖もいらへんで」と、注文した。
オオツキは俺の好みを覚えていた。
「懐かしいの~ 俺がパクられて以来やな~ 元気しとったか?」
「元気ですよ。オオツキさんは?」
「俺は3年くろたけど出てきて、今は若頭補佐や。ところで、お前、足洗ったんか?」
一番訊かれたくないことをオオツキはズバッと訊いてきた。この男には絶対にバレてはいけない。この男の下で働いていた当時、オオツキは面倒見の良いヤツだったが、金儲けのためなら平気で人を殺す狂気を持っていた。俺は、
「今は、堅気ですよ。オオツキさんがパクられた時に路頭に迷いましたが、何とか就職して今はサラリーマンですよ」
と、笑いを込めながら返した。
「そりゃ、すまんことしたの~ しかし、お前が堅気の仕事に戻るとは思わんかったわ~ いいセンス持ってたのにな~ 今は何の仕事しとんねん?」
オオツキの眼光が嘘を見抜くために鋭くなった気がした。俺は、ここが正念場だと考え
「隣の市にある杉並産業って会社で営業の仕事をしています」と、さっき窮地に立った時に使った会社名を再度告げた。オオツキは、
「スギナミサンギョウね~」と、言いながらスーツの内ポケットからスマホを取りだして操作した。
「お、ちゃんとあるやんけ~」ヤクザってのは本当に狡猾だ。嘘がバレたら俺は、どんな目に遭うかわからない。オオツキは納得したのかスマホを内ポケットに戻し、
「ところで・・・・・」と、話を切り出した時に店員がコーヒーを運んできた。
オオツキは会話を一旦止め、店員が立ち去るのを確認した後に
「ところで、お前、昔のメンバーの連絡先、知らへんか?」いやらしい笑みを浮かべながら訊いてきた。
「足洗った時にメンバーとは縁を切りましたからね。連絡先なんて知りませんよ。オオツキさんは、またあのシノギを再開してるんですか?」
今度は俺が質問する番だ。
「いや~ あのシノギはもう直接はやってない。初期投資要るし、管理が面倒くさいからな~」
「じゃあ、どうして昔のメンバーの連絡先なんて知りたいんですか?」
「新しいシノギで昔のメンバー使えるんちゃうかと思ってな」
「新しいシノギって、どんなシノギです?」
「それはシークレットや」
オオツキが特殊詐欺をやっている者を狩ろうとしていることは明らかだった。
俺は何としてでも、この場を安全に切り抜けることだけを考え様子を伺ったが、オオツキは俺が堅気になったと信じた様子で、俺に興味がなくなったようだった。オオツキは俺の携帯電話番号を訊いてきたが、
「もう堅気なんで勘弁してくださいよ~」と、懇願し、困った顔を作った。
「わかった。わかった。でも、もし昔のメンバーの連絡先がわかったら、この番号へ連絡してや。小遣いになる情報料は払うからな~ 仕事中に悪かったな。ここは俺が払うとくわ」と、携帯電話番号と氏名だけが記載された名刺を差し出した後にオオツキは席を立ち店を出た。俺はオオツキの姿が見えなくなるまで、喫茶店の窓からその姿を追った。
姿が見えなくなったと同時に大量の汗が噴き出した。オオツキが目前にいる際は抑えていた汗だ。喉がカラカラに乾き、俺は店員にコーラを追加注文した。最低の1日だった。
口座は凍結されるし、絶対に遭遇してはいけないヤクザと遭遇した。警察官とヤクザという真反対の者に対して嘘をつき通した。
嘘をつく際に汗を抑えることまで、できるようになった自分を褒めてやりたいと思ったが、同時に嫌悪感が走った。本当に俺は足を洗い堅気に戻り、普通の人達と接していけるのだろうかと・・・・・。
窓の外を眺めると、そこには駅前を多数の人が行き交っている。ほとんどが善良な普通の人達だ。その普通の人達の中に俺やオオツキのようなゴミくずが社会の中で目立たないように混じっている。そんな陰気なことを考えていると自分が惨めに思えたので思考を止めた。
アジトの最寄り駅に着くと、午後4時半を超えていた。悪いことが続いたので、更に用心してアジトまでの道程をいつもより遠回りし何度も尾行がないかを確認して戻った。
アジトに着いた時には午後5時を少し過ぎていた。アジトのエントランスに着いた時、買い物袋をぶら下げたタカハシと出くわした。 「
外回りされてたんですか? 何かお疲れのようですね?顔色が悪いですよ」(・・・・・今、俺は、そんなに疲れた顔をしているのか)
「今日は営業で、かなり歩いたんで」
「そうですか。それは大変でしたね」と、タカハシと会話しながら2階へ上がった。
「1日、お疲れさまでした」と、タカハシは会釈し、俺は無言で会釈を返した。
こうやって普通の人と接している。足を洗えば普通に生きているける、と自分に言い聞かせながら部屋へ戻った。
「遅かったっすね~ 大丈夫ですか?」
ケンが心配そうに俺を出迎えた。出し子作業で口座凍結というトラブルが発生した場合は、直ぐに凍結された口座をアジトに伝え、以降はアジトに戻るまで連絡を入れるなというルールを作っていたので、状況を伝えることができなかった。
俺は今日起こった2件のトラブルをメンバーに話した。
「ポリはともかく、ヤクザが怖いっすね。そのオオツキってヤツ、明らかに狩る相手を探してますよね?」マサが重々しい表情で視線を床から俺に向けた。
「でもタクミさん流石っすね・・・・・。2件のトラブルをちゃんと回避するんやから」シンは缶コーヒーを俺に差し出してくれた。
「また新しい口座ストックしなきゃいけませんね。留学生が帰国する時、日本で作った口座を小遣い稼ぎで売って帰るけど、たかが口座やのに高いですから」ケンは軍資金に手を出すことを気にしていた。
本当に疲れた1日だった。狼から安全に逃れた後にライオンに出くわしたようなものだった。今考えると、この最悪の1日は、俺だけではなくメンバー全員の心に少なからず影響を与えていた。
これまで、道具屋を通じて世間話として聞いていたヤクザによる『狩り』の話は恐ろしいとは思っていたが、あくまで他人事で本当の話であるのか懐疑的に受け止めていた。オオツキと遭遇し話したことで、『狩り』が現実に起こっていると実感したことは、このビジネスのリスクは恐怖心を増幅させた。
この日以降、出し子作業を決めるジャンケンが重く感じられたのは俺だけではなかったと思う。俺達にとって危険な場面は出し子作業とヤクザの襲撃だけだ。そんなリスクがあるからこそ、高額な報酬を得ていると納得していたが、『狩り』の話は、安全を確保し、自分達を守るための戒めとしながらも、
(自分達に、そんなことは起こらないだろう)と、都合良く考えていた。
俺にとってオオツキと再会したことは、この黒いビジネスに身を染めたことを後悔し、更なる安全確保の契機とはなったが、罪を悔いたわけではなかった。罪を悔い改めた時は、このビジネスを継続することはできない。
だが緩やかに俺達の心に悔いを促す要因が生じた。それは、隣りに引っ越して来たタカハシの存在だった。俺達に、そんな気はさらさらなかったが、タカハシとの会話が思いもよらず増えていった。
俺達が退社する時、頻繁に買い物帰りのタカハシと出くわし、短いながらも会話をするようになった。勿論、話かけてくるのはタカハシの方からだった。
話というより、声をかけられたという方が表現としては正しい。当初、会話の内容は、社交辞令的なものが多く、
「今日は天気が悪かったですね」と、あまり意味のない話であった。タカハシの声かけに俺達は相槌程度で返答していたが、単なる声かけも回数が増えると親近感というものが芽生えた。それは俺だけではなくメンバー全員がそうだった。俺の指示でタカハシに愛想良く振る舞っていたメンバーだが昼食の買い出しの際に、タカハシと出くわすと
「今日も弁当屋へ買い出しですわ」と、短い会話ながらも自ら俺達の生活に係わることまで話してしまうようになっていた。
タカハシとは良好な人間関係を築いていた。これがもし、自分が住んでいるマンションであれば、こんなに進んで良好な関係を築いていなかったかもしれない。俺達が進んでタカハシと良好な関係を築いたのは、あくまで後ろめたいビジネスがバレないようにするためだったからだ。
俺達がタカハシと隣人としての人間関係を築いていたある日の夕方、いつもどおりメンバー全員でマンションを出た際に、またレジ袋をぶら下げたタカハシと出くわした。
「お帰りですか? 今日も1日お疲れ様でした。私は、今日も変わらず1人で夕食です。もし・・・・・良かったら今度うちにお招きしますので、一緒に夕食を食べませんか? 料理には自信がありますが、1人で食べる料理は味気ない・・・・・」タカハシが思わぬことを申し出た。
社交辞令の域を脱している。俺は躊躇した。俺達のアジトへ入れることは絶対にできないが、俺達がタカハシの部屋に入るのは問題ない。しかし、これ以上親しい関係になって良いものかと思考を巡らせていた時にケンが、
「はい。そのうちに」と、返事をしてしまった。俺は(おい)と、内心突っ込んだが表情には出さなかった。
「本当ですか? それは楽しみです。お招きする時は腕によりをかけますね」と、頬をゆるめるタカハシの表情を見てこれ以上、話を盛り上げては夕食会が現実のものになると思い、
「今日は、飲み会があるので、これで失礼します」と、告げ、メンバーを引き連れて立ち去った。
タカハシの反応が気になり振り返ると、未だ笑顔のまま俺達の背中を見送っていたので、再度軽く会釈した。
タカハシの姿が見えなくなった所でマサが、
「お前、勝手に応えるな」と、ケンを睨んだ。ケンは悪びれた様子も見せずに、
「そやかて変に間を空けて返事したら余計に疑われるんじゃないですか? そのうちにって絶妙なはぐらかしやと思うけどな~」と、俺が判断を躊躇していたことを見透かしたようなことを言った。
マサは「大丈夫ですかね?」と、心配そうな表情を浮かべ俺の顔色を伺った。
「まあ、ケンが言ったとおり、上手くはぐらかそう。しかし、ちょっと親しくなり過ぎたな」と、結局具体案を出せなかった。
対策が練れなかった俺はタカハシの申し出を適当にあしらい遠慮しようと考えていたが、そうはいかなかった。タカハシから申し出があった翌日以降、俺を含めたメンバー全員がタカハシと出くわすたびに、「いつ夕食会を開きましょうか?」と、笑顔でタカハシに迫られた。メンバー全員が、
「ちょっとスケジュールが・・・・・」と、お茶を濁すような返答を重ねていた。
しかし、いつまでも返事をはぐらかすことができないほど、タカハシは嬉しそうな表情で頻繁に俺達へ声をかけ続けてきた。
1回誘いに乗れば、その後もまたタカハシに誘われるだろう。親密になり過ぎると、俺達のビジネスがバレてしまう可能性が高まる。アジトの隣人と親しくなってしまった経験がなかった俺は(しくじった)と、思った。今後は、この経験を活かし、隣人との接触はもっと慎重にならねばと思った。
そしてタカハシの誘いに対する対策を決めた俺は勉強会の時に告げた。
「マサ、新しいアジトの物件を探しておいてくれ。今日から通常業務はしなくていい。このアジトもそろそろ潮時や。新しいアジトが見つかった時点でタカハシの申し出に応じる。夕食の時に会社が移転することをタカハシに伝え、頃合いを見て、ここは引き払う」
「それじゃあ、今日から不動産屋を回ります」マサが返答した後に、いつもは口数の少ないシンが
「親しくなったことが原因で別れって皮肉っすね」と、肩をすくめた。
「軍資金に手を着けちゃいますね。タクミさんなら引っ越しせずに済む対策を考えると思ったんやけどな~ アジトを変える費用が一番高くつく」、ケンは口惜しそうな表情を浮かべた。
「悪いなケン。お前の言うとおりや。でも、これ以上タカハシさんと親しくなるとリスクが高くなると思う。みんな、とりあえず物件が見つかるまでは、タカハシさんをはぐらかしてくれ。タカハシさんと晩飯を喰う時が、ここでの最後の晩餐や」と、俺は指示した。
しかし驚いたことにタカハシは、この日の正午前に俺達を訪ねてきた。勿論、俺が対応した。
常に糊のきいたカッターシャツにスラックス姿のタカハシは相変わらずの紳士ぶりで
「なかなか一緒に食事ができないみたいなので差し入れを持ってきました。豚バラ肉とズッキーニをマヨネーズで和えたものです。お口に合うかどうか分かりませんが昼食のおかずの足しにしてください」そう言いながらタカハシは料理の入ったタッパーを差し出した。
まだ温かさが掌に伝わるタッパーを俺は素直に受け取った。既にタカハシ対策の方針が決まっていたので、ここは受け取った方が良いと考えた。
「今、仕事がゴタついてて時間を作れませんが、必ず夕食に伺います」と、応えた俺にタカハシは、
「本当ですか? 楽しみにしてます。いつ頃になりますかね?」と、矢継ぎ早に訊いてきたので
「まあ2~3週間ほどで落ち着くと思います」と、答えておいた。 室内に戻り、買ってきた弁当にタカハシが持ってきた料理を加え、マサが不動産屋回りで不在の中、3人で昼食を摂った。
タカハシの料理は文句なく美味かった。まだ若いシンやケンにとっては、マヨネーズで味付けした料理は好評だった。俺は1番食いしん坊のケンに「マサの分を残しておけよ」と、注意した。ケンは、戯けながら
「は~い。俺、初めてズッキーニなんて食ったけどやっぱりキュウリとは、少し違いますね」と、料理を美味そうに口へ運んだ。シンは何も言わないが、やはり美味そうに食っていた。俺を含めたメンバー全員が手料理には飢えていた。
俺達のようなゴミくずにはコンビニの弁当がお似合いだと思っていた。それでもム所の臭い飯よりマシだと・・・・・。
その日の午後3時にアジトへ戻ってきたマサに俺はタカハシが来たことを話しながら、電子レンジで温めなおした料理を差し出した。
「2~3週間ですか? まあ何とかなると思いますが・・・・・。って、この料理、美味いっすね~ 夕食会は期待できるな~」マサは料理を頬張りながら言った。
退社時間の少し前に洗ったタッパーを持って、俺はタカハシの部屋を訪ねた。
「めちゃくちゃ美味かったです。社員全員喜んでいました」と、社交辞令ではない台詞を俺は告げた。タカハシは満面の笑みを浮かべ、
「本当ですか。それじゃ明日も持っていきます」
「そんな、ご迷惑をおかけするわけにはいきません」
「私は年金暮らしで昼間は何もすることがありません。生涯独身で親しい親族もいません。こんな歳になって人から喜んでいただけるなら、それはとても嬉しいことなんです」
俺は返答に困った。老人が、こんなにも活き活きしている姿を見たことは初めてであった。どう断れば良いか考えがまとまらなかった俺は、
「そろそろ退社の準備があるんで」と、結局はっきりと断ることができずに立ち去った。そしてタカハシは言葉どおり翌日から毎日、昼食時間前に料理を持ってきた。
タカハシが持ってくる料理はどれも、人の温かみを感じる美味い料理だった。最初は単に美味いものを食べられると喜んでいた俺達だったが、タカハシが嬉しそうに笑みを浮かべながら、
「若い時は体が資本ですよ。いっぱい食べてください」と、料理を持ってくる姿に、全員が徐々に戸惑いを感じていることに俺は気がついていた。なぜなら俺自身もメンバー同様の感情を抱いていたからだ。俺達がターゲットとして喰い物にしている老人から喰い物を運んでもらっているという皮肉な関係は、木っ端微塵に破壊したはずの罪悪感という火種を少しづつ育てていた。
そんな燻る火種を業火に変えたのは、勉強会で、いつも無口なシンが発した一言だった。
「俺達、いつまで、こんなことを続けるんですかね?」
メンバー全員がシンに視線を注いだ。
「電話で相手の声しか聞かずに騙くらかしてたから何とも思わんかったけど、タカハシさんの笑顔を見てたら自分達がやっていることが怖なった」と、続けたシンにマサが、
「お前やケンが目標金額に達してないから俺は付きあってやってるんや」と、厳しい台詞を浴びせた。
「俺とシンさんのせいですか? マサさんが足を洗わないのは?」ケンが険しい視線でマサに噛んだ。(やばい)と、思った俺は、
「やめろや。誰のせいでもない」と、強い口調で制止した。重苦しい雰囲気が漂い時間の経過を感じる体内時計が狂ったように感じた。このままでは業務を行えないと判断した俺はメンバーに問うた。
「もう、やめたいか? 俺やマサは目標金額に届いているから足を洗える。俺やマサが足を洗わずに2人を待ってるんは、俺達がやってきた事は等しく全員に責任があるからや。シンやケンのためじゃない。自分自身のケジメや。ここにいる全員が元々は、こんなことをするヤツやなかった。でもやってしもた以上、辞める時は全員で辞めるんやと思って待ってたんや」
「確かにまだ目標金額には達してないけど俺は辞めてもいいっすよ。足りない分は自分で何とかしますわ。ケンは、どうなんや?」
「俺も、辞めてもいいっす。みんなに言わんかったけど、俺、最近パクられる夢ばかり見るんですわ。しかも被害者はタカハシさんって設定の夢を・・・・・」
「わかった。足を洗おう。マサ、せっかく新しいアジトを探してもろうたけど、キャンセルや。タカハシさんとの約束を守ったら時期を見て、ここを引き払おう」
俺が淡々と提案すると皆、無言で頷いた。
「こんな状態じゃあ、もう仕事は無理や。ここを引き払うまで、みんな好きに1日を過ごしたらいい。勿論、外出してもかまへん。俺は残務整理をする。最後は軍資金を山分けして解散ってことでええか?」
全員が了承した。足を洗う時期が、こんな急展開で決まるとは思ってもいなかった。
全員が根っからの悪人ではなかったということだ。みんな顔には出さなかったが、悪事を働いていることに苦しんでいた。ケンが、パクられる夢を見て苦しんでいたなんて思いもよらなかった。
平静を保つ作業が、どれだけ精神的な苦痛を伴うかは、俺自身が1番理解していた。俺がメンバーをスカウトしたからこそ、この悪事に身を置き、苦痛を感じていたのだから1番悪いのは、やはり俺だ。だから俺が責任を持って、全員を元いた場所へ帰してやらねばならない。
この日から毎日、俺達は何もせずに夕方までの時間を過ごした。勿論、朝の勉強会もなくなった。毎日、アジトへ集まるのはタカハシとの約束を守るためだけであった。
タカハシは相も変わらず毎日、正午前になると料理を持ってきた。タカハシとの夕食会は3日後に迫っていた。夕食会を終えれば1週間後にアジトを引き払い、解散する予定になっていた。
何事もなく、この黒いビジネスから身を引けることを俺は神に感謝したが、残る心配事はメンバーの身の振り方だった。これまでパクられた時のことを考えてメンバーのプライベートに関して必要以上に訊かなかったが、俺の責任を果たすために今後の展望をメンバーに尋ねた。
マサは、やはりしっかり者だった。趣味の釣りを正業にして溜めたカネで釣具店を経営するということだった。釣りが趣味であることは知っていたが、店を持つとまでとは思っていなかった。
シンはバイクが趣味だと聞いていたがマサと同様、バイク店を開く予定だった。そのために足を洗った後は、整備士の専門学校へ通うそうだ。
ケンの展望が1番意外であった。いつも戯けて少年の匂いが抜けきれてていないケンからは想像がつかなったが、実家が潰れかけた魚屋で稼いだカネを投入し、店をリニューアルして、大型スーパーに対抗できるような店を開き、親の跡を継ぐとのことであった。
シンとケンに目標金額に達していない分をどう穴埋めするのか尋ねたところ、銀行から借りるとのことであった。
俺はメンバーに自分は株で生計を立てるつもりであることを話し、シンとケンに足りないカネを稼ぎたいなら株の売買を指南すると申し出たところ、2人とも話に乗ってきた。
俺の株価予想的中率を2人とも知っていたからだ。
結局、誰もサラリーマンになるという者はいなかった。これまで危ない橋を渡ってきたからこそ、好きなことをして人生を送りたいという考えを持つのは自然なことだ。3人は悪事を働きながらも、しっかりとした目標を持っていた。何も目標がなかったのは俺だけだ。株の売買で生きていくなんてことは、カネの稼ぎ方が犯罪から合法に変わっただけで、3人に比べると味気ない生き方だ。
いつかは俺にも何か人生の目標ができるのだろうかと思いつつ、メンバーが語る夢を聞きながら毎日夕方まで過ごしていた。
これまで、互いのプライベートなことは話さないでいるように指示していたが、もうその必要はない。夕方までアジトで過ごす時間、互いの身の上話しをするようになった。
そんな時間を過ごすことで、俺達全員の共通項が3点見つかった。1点目は全員が貧しい家庭で育ったということだ。
2点目は、その貧しさの原因がバブル崩壊の傷跡の影響によるものだった。戦後、目に見える焼け野原から立ち上がり、高度成長を成し遂げた日本人だったが、バブル崩壊という目に見えない焼け野原からは、未だ立ち上がれていない。俺には、はっきりと焼け野原が見える。単に日本経済に影響を与えたというものではない。焼け野原は日本人の心に(無難が一番)と、失敗を忘れないように戒めのため付いた傷跡のようだった。その影響を受けたのが俺達だった。
生きるだけで精一杯という時代の中で、学歴やコネを持たず人生に期待を待たずに生きていた混沌の中で特殊詐欺という悪事に辿り着いた。
3点目の共通点は、育ち方だった。全員がまともな親の元で育っていた。決して悪事を働くような育て方をされたわけではない。俺自身もそうだが、ふとした拍子で、こんな悪事に身を染めてしまったのは、閉塞感が溢れる今の日本で人生に希望が持てずに、ただ飯を喰うためだけに生きている者達から俺達のようなゴミくずが自然発生したんじゃないかと思った。
たぶん俺達のグループが解散しても新たなグループが自然発生するだろう。新たに生まれたグループのメンバーも俺達のように苦悩するのだろうか?
俺達は、悪事に足を突っ込んだことを世間のせいにはしていなかった。自分が誤った道を選択して社会のゴミくずになったことは自覚していた。
だからこれまで、それぞれが苦しみ、タカハシとの出会いが契機となって苦しみが頂点に達した。タカハシとの夕食会は最後の苦しみを味わうだろう。いくら美味い料理を出されても、これまで喰い物にしてきた高齢者達が頭に浮かび、罪悪感で身を焦がすことになることはわかっていた。これは俺達が足を洗うための儀式かもしれない。ちゃんと苦痛を感じることができれば、今後、俺達は悪事を行うことなく生きていけるだろうと・・・・・。
そして夕食会の日を迎えた。俺達が真っ当な人生を送るための苦痛な儀式。いや受けるべき罰だ。
一張羅のスーツを着込んだ俺達は食後のデザートとしてケーキを手土産にタカハシの部屋を訪れた。満面の笑みで俺達を迎え、申し訳なさそうにケーキを受け取ったタカハシにリビングへと案内された。
室内は余分な家具がなく、1人暮らしを感じさせる無駄のないものだったが、まるで、この日を迎えることがわかっていたかのようにダイニングテーブルだけ4人がゆったりと座れるほどの大きさだった。
タカハシが、こんな大きなテーブルで毎日独り食事をしていたのかと考えると、人恋しくなっても当然かと思った。人を招きたいと思っていなければ、こんな大きなテーブルを置かないだろう。テーブルの上には、白いナプキンの上にナイフとフォークが並べられ、ご丁寧にワイングラスが人数分用意され、まるで高級レストランのようだった。
席に着き、どんな料理が出てくるのだろうと考えていると、タカハシが手際よく料理を運び始めた。
料理はトマトソースが変な形をした小麦粉を練ったものに和えられていた。その料理が何とかパスタだと判別できたので、運ばれた料理がイタリアンだとわかったが、これまで見たことがない料理でテーブルの卓上は埋め尽くされた。料理が揃うとタカハシはワインボトルを持ってきて1人ひとりの横に立ちワインを注いでくれた。
全員にワインを注いだ後、タカハシが自分のグラスに手酌でワインを注ごうとしたのを見て、ケンが素早く席を立ち「私が」と、短く言い、タカハシからボトルを受け取りワインを注いだ。
ケンは若いが、こんな気遣いができるヤツだった。全員のグラスが満たされたところで、タカハシは席に着き
「お待たせしました。それじゃあいただきましょうか。トマトには体にいいリコピンが多く含まれているので、今日はイタリアンにしました。乾杯しましょうか?」と、俺に目配せしながら促したので、俺は乾杯の音頭をとった。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます。いつも昼食に持って来ていただいている料理はとても美味しくいただいて感謝していました。会社の代表として厚く御礼を申し上げます。せっかくの料理が冷めてしまっては申し訳ありませんので、それではいただきます。乾杯」と、本心ではあるが慣れない言葉を連ねて夕食会が始まった。
みんな口数も少なく料理を口に運びながら「美味しいです」程度のことしか言えず、タカハシは料理を解説する程度の会話であった。
やはり苦痛だった。これまで高齢者を騙し続けた日々が脳裏に浮かんでは消えた。料理は文句なく舌に美味さを伝えたが、それを楽しむことができなかった。メンバーの表情を見渡すと、みな固い鉄のようだった。
この苦痛から逃れるため、またタカハシに俺達の表情を悟らせないようにするため、俺はワインの酔いを助力にして、最近読んだ本の話をして、会話を弾ませようとした。
マサが俺の深意を汲み取ったようで、努めて明るい口調で釣りの醍醐味を語りはじめた。マサに続きシンはバイクで風を感じる際の心地よさを話し、シンからバトンを受け取ったケンは将来大型スーパーに負けない魚屋を経営するんだと夢を語った。
俺以外は、もうすぐ辿り着く自分の夢を語ることで、この苦痛を和らげようとしていたのかもしれない。
俺達の話を一通り聞いたタカハシは、
「私は水彩画を描くことが趣味なんです。良かったら後ほど見てくれますか?」
と、誘われた。メンバー全員が絵画鑑賞など趣味ではなかったが、ホストの申し出を断れるはずもなく、快く承諾した。
俺達が手土産で持ってきたケーキをデザートにしてタカハシがコーヒーを煎れてくれた。コーヒーを飲み終えて夕食会の終焉を迎えた時、
「それでは恥ずかしながら私のアトリエへご案内します」と、タカハシは告げて俺達を案内した。タカハシがアトリエとして使用している6畳の洋室には中央付近にイーゼルとパイプ椅子が置かれ、壁には額に収められた大小様々な大きさの水彩画が多数飾られていた。
水彩画特有の淡い色合いが、油絵とは異なり目に優しく感じた。風景画が多かった。
風景には、どれも子供達が夕刻に遊んでいる様子の絵が描かれていた。メンバーは、壁に飾られた絵に近づいて眺めていたが、俺はイーゼルに立てられた描きかけの絵に目が止まった。少女が花咲乱れる野原を夕日に染まった空の下、後ろを振り向きながら走り、その少女の後ろを追う3人の少年達が描かれていた。
この絵を見た時、何かがこみ上げ、俺は自然と落涙していた。カネを隠している場所の木に登って、池の水面を眺めている時に流れる涙と同種だった。そして、この絵を見たことで、はっきりと悲しみの根源を理解した。俺が涙を流していることに気がついたタカハシが、
「この絵がお気に召しましたか? 涙を流されるほど・・・・・。この絵は私が幼いころに見た風景を描いたものなんです。まだ描きかけですが、完成すれば差し上げましょうか?」と、優しく告げた。
「いえ、私達は1週間後に会社を移転することが決まったんです。なかなか申し上げることができなかったのですが、せっかくお招きいただいたのに、今日が最後の晩餐です」
と、涙を指で拭きながら答えた。
「どちらに移転されるんでか? 遠くなければ、また夕食にお誘いできる」
悲しみと落胆を織り交ぜた表情のタカハシに俺は、
「東京進出です。だから、もうお会いできません」と、今後会えない理由としてでまかせを言った。タカハシは肩を落としながら
「残念です。せっかく話し相手になる若者と出会えたと思っていましたが・・・・・。また独りですね・・・・・」と、言葉をつまらせた。タカハシの気落ちした姿を見て、メンバーの反応が気になり、周囲に目を移すと全員が今まで見せたことのない悲しみ溢れる表情で、俺を見つめていた。
寂しげなタカハシに見送られ、俺達はビジネスバッグを取りにアジトへ戻った。リビングでシンが、
「そんなタクミさんやから、今までやってこれた」
と、ボソッと静かに呟いた。刹那、俺はまた止めどなく涙が零れ嗚咽し、顔を両手で隠した。どれくらい泣いていたかはわからない。 何とか涙が止まり、両手をどけるとメンバー全員が地べたに座り込み、静かに涙を流している姿があった。
タカハシは夕食会の翌日も料理を持ってきた。対応した俺に
「移転する日までに、あの絵が完成するよう、頑張って描いています。ヤマダさんが涙を流したのを見て、ぜひ差し上げたくなった」と、薄ら涙を浮かべた。(もうやめてくれ)と、心の中で叫んだ。あの涙は決して心地よいものではない。
絵をもらっても飾って眺めることなどできない。これが俺の受けるべき罰なのか・・・・・。早くタカハシと別れたいという気持ちが加速した。(あと少しで足を洗える)と、カレンダーに目をやる回数が増えていった。
しかし俺達は安全にその日を迎えることができなかった。アジトを引き払う予定日の3日前、ヤクザに襲撃された。それは、午後3時頃のことだった。防犯カメラに映し出された3人組の男達がアジトの玄関ドア前で鍵穴を覗き込む不審な動きをしている様子を俺が発見した。3人の中にオオツキの姿があった。俺は一瞬にして背中に汗が噴き出し、凍り付いた。
1人の男の手には電動ドリルが握りしめられている。男達には狂気と殺気が入り交じったオーラを纏っていることがカメラ越しにも伝わった。俺は(なぜオオツキにばれた)と、思考を巡らせながら、リビングでくつろいでいたメンバーに
「靴を持ってベランダから逃げろ」と、発して自ら靴を取りに玄関へ走った。
メンバーも俺の後ろを追いかける。玄関で鍵穴付近から金属を削る音が聞こえた。靴を手に取るとベランダへ走り素早く靴を履き、軍資金を隠しているゴミバケツをひっくり返して、ポリ袋に包まれた現金をバッグに放り込み俺達はベランダから飛び降りた。
アジトを2階に設定していて良かったが、2階でもそれなりに高さがある。俺は着地の際に足をくじいた。他のメンバーも足を痛がっている。こんな状態で逃げ切れるのかと思った刹那、目の前に白いバンが止まった。
俺はヤクザが外も固めていたと思い、戦慄を感じた。しかし運転席から降りて来たのはタカハシだった。
「どうしたんですか? 2階から飛び降りる姿が見えました。ただ事じゃないですね? とりあえず車に乗ってください」
タカハシはいつもの優しい口調で促した。
タカハシが憐憫を織り込んだ蜘蛛の糸を垂らしたかのように見えた。俺達は足を引きずりながらスライドドアを開け、車に乗り込んだ。車は急発進し、その場を離れた。しばらくは黙って運転していたタカハシから再度、
「何があったんですか?」
と、尋ねられたが、誰も何も答えることができず、ただ項垂れた。タカハシは俺達の様子を察し、
「とりあえず身を隠した方が良いみたいですね。私の別荘へ案内します。・・・・・少し遠いですが」と、バックミラー越しに告げた。
早くアジトから遠ざかりたいと思っていたので、遠い場所は都合が良かった。タカハシは黙ったまま運転を続け、車は兵庫県の山手方向へと向かった。
動揺し、車がどこに向かっているか正確にはわからなかったが、金持ち達が住んでいそうな大きな屋敷が建ち並ぶ場所で車は停車した。目の前には高さが3メートルはあろう白いシャッターが見えた。 タカハシはリモコンでシャッターを開け、俺達が乗る車は大きな屋敷の駐車場へ滑り込んだ。
駐車場は屋敷の1階部分にあったようで、タカハシの案内で鉄製の螺旋階段を昇り上階へと向かった。螺旋階段を昇る際、靴裏と鉄が奏でる不気味な足音は、螺旋階段が天国か地獄のような別世界へ向かっているように思わせた。
俺達は豪華な応接室へ通された。木製の立派な書棚が並び、木目の美しいモザイク模様の床に革靴の足音が、今度は心地よく響いた。茶色の柔らかい革でできた4人が楽に座れる大きなソファーに俺達は座らされた。
タカハシは、「コーヒーでも煎れます」と、姿を消した。タカハシが戻るまでの間、俺は軍資金が入ったバッグを膝の上に乗せたまま、オオツキがなぜ俺達のことを察知し、ヤクザからどう逃げ切れば良いのかを考えながらメンバーを見渡すと、全員がまだ小刻みに震えていた。俺自身もまだ震えは止まっていなかった。
思考がまとまらない。ただヤクザに身柄を確保されれば、恐ろしい目に遭うことだけはわかっていた。オオツキのいやらしい笑みが脳裏に浮かんだ。
ヤクザの襲撃に兆候はなかった。(どうして俺達の存在がバレた)と、何回も同じことが頭に浮かぶのは、これまで安全管理を徹底して行っていたにもかかわらず、この状況が発生してしまったからだ。オオツキと再会した際、完璧に窮地を乗り越えたはずであった。堂々巡りの中、タカハシがホテルで見かけるようなワゴンの上にコーヒーカップを並べて戻ってきた。
タカハシはポットからコーヒーを注ぎ、俺達にカップを差し出した。恐怖と焦燥感から大量の汗を流したせいで、喉がカラカラだった。俺達は出されたコーヒーを一気に飲み干した。俺達がコーヒーを飲み干した姿を見て、タカハシの表情が変わった。それは、今まで俺達に見せたことがない冷徹で爬虫類のような残忍な目だった。
その目に危険を感じた俺は「えっ」と、声が出た。次ぎに俺は目眩を起こし、足に力が入らず起てなくなった。俺は(タカハシさんが・・・・・)と、疑念を抱きながら意識を失った。
目が覚めると俺は固いベッドに横たわっていた。大きな丸いライトが数個見え、大きなビニール袋に包まれた空間の中で、手足を拘束され身動きがとれない俺に、緑色の手術着のような・・・・・。いや手術着を着たタカハシが俺の顔を覗き込んだ。マスクと帽子で目しか見えないタカハシは、
「先ずタクミ君から手術するね」
と、一切迷いのない口調で告げた。
「これは何ですか?!」俺は叫んだ。
「君達が3千万円を奪った女性・・・・・。君が涙を流した絵に描かれていた女の子だ。彼女は私の幼なじみだった。彼女と私は結ばれることはなかったが、大切な女性だった。
彼女は、老後を穏やかに過ごすためにコツコツと溜めたカネを・・・・・息子を救うために全部投げ出した。
決してバブルで、がめつく稼いだカネじゃない。君達は彼女を死に追いやった。・・・・・罰を受けるのは当然だろ? ただし殺しはしない。君達も彼女を直接殺したわけではないからね。
ジャパニーズダルマって、都市伝説を知っているかね? 手足を切断されて見せ物にされる話だ・・・・・。君達にはダルマになってもらう。高齢者がカネを奪われることは体の一部を持っていかれるのと同じなんだよ」
俺の心臓は爆発するほどの勢いで鼓動が速まった。俺は叫び、涙を流しながら、
「ごめんなさい。許してください。誰か助けて!」
俺は大声で許しを乞い、助けを求めて叫び続けた。
「君達を探すのは苦労したよ。道具屋にGPSを仕込んだ携帯電話を君達に渡すように依頼して居場所を掴んだ。オオツキに君達のことをリークしたのは私だ。君達の軍資金をオオツキに渡し、更に口止め料で5千万円を支払うように要求された。・・・・・とんでもない奴だよオオツキは。アジトでの君達の会話はコンクリートマイクを使って全て聞かせてもらった。よくもまあ、あんなに毎日、電話をかけ続け高齢者を食い物にしたもんだ。君達の様子を伺うために毎日料理を運んだ。その気になれば料理に毒を盛ることもできたが・・・・・。本当に君達を殺すつもりはないんだよ・・・・・。そろそろ時間だ」と、言い終えるとタカハシは俺の口にシリコンでできたマスクを押し当てた。
俺は息をすると眠ってしまうと思い必死で呼吸を止めたが無駄だった。タカハシは俺の口にマスクを押し当てながら
「殺すつもりなら、こんな無菌室を用意しない。私は元外科医だ。安心しなさい」
と、優しい口調で告げたが、目は爬虫類のそれだった。そして俺は意識を失った。
意識が戻った時、最初に目に入ったのは見覚えのある天井だった。それはアジトの天井だった。俺は直ぐに自分の手足を確認した。手足はちゃんとあった。一瞬安心したが、右手拳には包帯が巻かれていた。辺りを見渡すとメンバーがリビングで横たわっていた。
俺は「おい」と、声をかけようとしたが、喉から音は出るものの発音できず、俺の声は呻きとして室内に響いた。口の中にあるべき物が無いように感じた俺は、洗面所へ走り鏡で口の中を覗いた。口内は歪な形状をしていた。
舌がなかった。俺は戦慄が走り、一瞬にして大量の汗が流れた。(もしかして)と、右手拳を確認すると指が全部根本からなかった。メンバーの身を確認するためにリビングに戻ったところ、全員の右手拳には包帯が巻かれていたので、俺と同じ状態であると容易に推測できた。
恐怖で体が震え涙を流し、崩れるように地べたに座り込んだ。俺はどうして良いかわからず、震えながら室内を見渡した。応接セットのテーブルの上に手書きの手紙が置かれているのが目に入った。手紙の上には文鎮の代わりに錠剤が入った薬瓶が置かれていた。
俺は何とか立ち上がり、テーブルに近づき手紙を手に取ろうとしたが、右手が使えない物になっていることを再認識させられ、左手で手紙を取り上げてタカハシからのメッセージを受け取った。
ダルマになれば君達は死を選ぶかもしれないと思ったのでやめた。そんな簡単に死なれては困る し、面白くない。
その代わり、高齢者に電話をかけ続けた指と騙し続けた舌を切除させてもらった。
話しただろ。高齢者がカネを奪われるってことは体の一部を持っていかれるのと同じだと。
残された左手の意味を考えて、これからの人生を生きなさい。
警察に被害届を出してもいい。どうせ罪を問われても傷害罪だ。置いてある薬は抗生物質だ。朝晩一錠を飲みなさい。手術の痛みも出るだろうが、痛み止めは渡さない。
と、タカハシが俺達を生き地獄に突き落とす、強固な意思が示されていた。
俺はメンバーを揺さぶり起こそうとしたが、なかなか目を覚まさない。俺が最初に手術されたから最初に目が覚めたのだろうと推測できた。
ようやくメンバー全員が目を覚ました時、リビングでは咆哮が響いた。全員が大量の汗と涙を流し、声にならない喉だけで発せられる音は、獣の咆哮だった。
全員が状況を受け入れて、これからどうすべきなのか相談するには数時間を要した。
俺達は左手でスマホを操作し、グループLINEを立ち上げて、そこに書き込んで話し合ったが、最初は後悔と俺を罵倒する文字しか並ばなかった。
罵倒を否定することはできない。これは俺の責任だ。それは間違いない。メンバー一人ひとりの夢が、目前で瓦解した。
メンバーの書き込みが、罵倒から今後のことを思案する内容に変化した時、俺はアジトを引き払い、これまで稼いだカネを種銭にして俺のマンションを新たな拠点とし、株の売買で生きていくことを提案した。
なかなか結論は出なかったが、最終的には全員が了承した。それしか、これから生きていく術が見つからなかったからだ。
俺は今までメンバーに教えていなかった俺の住所を掲示板に書き込み、これまで溜め込んだカネを持って集合するように指示してアジトを出た。
俺は自宅へ戻ると直ぐに車のキーを左手に取り、カネを隠している場所へと向かった。
もしかしたら、隠しているカネまで奪われたかもしれないと思ったからだ。
早くカネを確認したいという思いが山を登る足取りを速くさせた。動悸で心臓が苦しくなったが足は止めなかった。
カネを埋めている場所に辿り着き、地面を見渡すと掘り返されたような感じがした。
シャベルの隠し方にも違和感を感じた俺は、必死で土を掘り返した。右手は掌しか使えない。また、手術の痛みが右手に広がっていたが、焦りが痛みを和らげた。掌に力を込めてシャベルの取っ手に押し当てる。土は左手だけですくわなければならず、かなりの腕力を要した。やっと青いゴミバケツの蓋が見えた。俺は恐る恐る蓋を開けた。
・・・・・カネはあった。脱力感で土の上に崩れ落ちた。焦りが取り除かれ、右手には心臓の動きと同調する痛みが刺し込んだ。
地面やシャベルの様子がおかしいと感じたのは、タカハシの復讐劇で何もかもが信じられなくなっていたからだ。
俺達は詐欺のために嘘を並べる時に、些少ながらも苦痛を感じていたが、タカハシは俺達に恨みを抱き、復讐を成し遂げようと俺達を騙し続けた。俺達に向けられたタカハシの笑顔は、復讐を遂げることができる悦びから生じた本物の笑顔だった。俺達に見破れるわけがなかった。
カネを持ち寄ったメンバーは俺のマンションを拠点として、オンラインで株を売買し、何とかカネを稼いで生きた。
当初、オオツキが俺の部屋を襲撃し、種銭まで奪っていくのではないかと恐れを感じ、マンションの出入りには詐欺をやっている時と同様に尾行がいないかを確認していたが、数ヶ月経っても異変は起こらなかった。
タカハシが俺達に手出しをさせないよう計らったのだろうと思った。俺達が生きていなければ、タカハシの復讐には意味がない。
数ヶ月の間で俺達は、喉からの音で意思の疎通がとれるようになっていた。
4人の男達がうめき声をあげながら、マンションの一室で過ごしている様子は、端から見ると獣達が蠢いているように見えただろう。
俺達の毎日は詐欺をやっていた時と変わらなかった。話せないので昼食は、全てコンビニ弁当だった。舌がなく味を感じることができない俺達は、ただ生きるためだけに食事を流し込んだ。
とりあえず、話しができるようになるために舌を取り戻す方法がないかをネットで調べると、他の筋肉を移植する方法を見つけたが、保険のきかない手術で、また上手くいくか定かではなかった。
人と話すことが、人間にとってどれだけ重要なことであるかを思い知った。コミュニケーションをとることができない状態は、社会の中で大きなハンデだ。
俺達は、舌があった時、コミュニケーションを悪用し、多くの高齢者を騙し続けた。舌を奪われたことは、タカハシから与えられた最大の罰だった。警察に捕まって刑務所へ行くより、反省という面では絶大な効果があった。いくらカネがあっても、舌と指を失った4匹の獣に明るい未来など訪れるわけがない。
俺には確たる夢がなかったが、他の3人には夢があった。もう夢を見ることさえ許されない境遇に陥った3人の精神が、いつまで正常でいられるかが心配だった。
更に数ヶ月が経ったころ、やはりメンバーの精神状態がおかしくなってきた。
俺を含めた全員が意思を伝えるためではなく、時折、雄叫びをあげるようになっていた。互いの雄叫びに驚き恐怖を感じ、この苦しみから逃れるには死ぬしかないと考えるようになった時、タカハシから俺達に手紙が届いた。
あれから君達がどうやって生きていくのか観察していた。流石に、その体では悪事は働けないね。そのまま株で稼いで、ただ生きて行く君達の姿を眺めているのも楽しいが、いずれ私の方が先に逝く。
そこで提案がある。君達の指と舌は特殊な技術で移植できるように保存している。
私が出す条件を飲むのなら元に戻してあげよう。
条件は~
俺達は、手紙に書かれた条件をためらわずに飲んだ。直ぐに俺の車に乗り込みタカハシの屋敷へ向かった。
訪れた俺達をタカハシは相変わらず、爬虫類の目で見据えて迎えた。
「お前達がどうして、あんな悪事をしたかに興味はない。お前らのようなクズを助けるために条件を出したんじゃない。約束を守らなければオオツキに依頼して、お前達を拉致し、今度こそダルマにしてやる」
タカハシは、淡々としていたが、強い意思が伝わった。俺達は約束を反故する気なんてなかった。
指と舌を無くした数ヶ月の間で、受けるべき罰を受けたのだと全員が諦めていた。そんな時に差し出された施しを無にするほど馬鹿ではなかった。
俺達は手術を受けた後、療養のため2週間、タカハシの屋敷で過ごした。その間、タカハシは医師として俺達に接したが、タカハシの目から狂気が去ることはなかった。
タカハシの屋敷を立ち去る際に、
「これからも生きている限り、お前達を監視する。お前達からカネを奪わなかったのは、カネがあっても使い途がない人生を味合わせるためだった」
と、タカハシは吐き捨てた。
俺達は無言で頷き車に乗り込んだ。車を発進させバックミラーでタカハシの様子を確認すると、空を仰いでいる姿が見えた。その姿は、まるで天に話しかけているようだった。
舌と指を取り戻した俺達は、それぞれの生活に戻り、一度は閉ざされた夢に向かって3人は歩き始めた。
タカハシが出した条件は守った。嫌々、約束を守ったわけではない。タカハシが出した条件を履行することで、俺達は普通の人として生きていけるのではないかと思ったからだ。
タカハシの出した条件は難しくない。多少経費はかかるが、俺達には残されたカネがある。提示された条件を満たすために、毎月1回メンバーは集合する。
集合場所は空港か、新幹線の停車駅だ。そこから目的地に向けて出発する。
毎月、全国のどこかの盛り場で、俺達に起こった出来事を夜の女に話すこと。それがタカハシの出した条件だった。
47都道府県、全て終えれば俺達は完全解放される。タカハシは、こんな条件を出した理由について何も語らなかったが・・・・・。
俺達に起こったことは、ジャパニーズダルマの都市伝説より生々しい。
「やだ~ こわい~」
と、目の前にいる派手な身なりをした若い女が大袈裟に甘く甲高い声を上げた。店内は猥雑な空気に包まれている。タカハシが出した条件を満たした店だ。俺の横に座っていた甘い香りを纏った女が、
「誰からそんな怖い話を聞いたんですか?」
と、首をすくめながら、甘えた声で戯けるように尋ねた。
俺達は、ポケットに差し入れていた右手を抜き、笑顔で接客する女達の眼前にかざし、指の根本に刻まれた目立つ傷跡を見せた。
タカハシがわざと大きく残した傷跡だ。女達は表情にくもりを見せ、喉を上下に大きく動かした。
他の客が座るボックス席では、絶え間なく歓談の声が響いていたが、俺達の席には静寂が訪れた。沈黙と女達の怯えを確認し、俺達は無言で席を起った。
店を出てネオンが放つ妖しげな光りを浴びながら、俺達はビジネスホテルへと向かった。
ホテルに着く直前、背後から、
「お~タクミやんけ~ こんな所で奇遇やの~」
懐かしくも聞きたくない声が、ネオンの光り届かぬ闇の中から飛び出して俺の背中を突き刺した。