表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そこそこへの挑戦  作者: 幸 弘
8/11

第七話 ひとり言


 今オレは自宅の玄関先で屈伸して体をほぐしている。これから早朝ジョギングに出るところだ。日課だった早朝散歩のバージョンアップだな。現在、朝の4時半過ぎだが、いつも夜9時には眠くなって朝4~5時には自然に目が覚める。そのパターンがいつの間にか定着してしまった。まあ、体調はすこぶるいいので何も問題ない。


 結衣の家は表通りから奥まった場所にあって、昼夜問わず車が少ないからジョギングにはもってこいだ。


 まだ暗いうちに家を出て、玄関から右に向かってゆっくり走り出す。そのまま進んでいくと、やがて土手に突き当たる。土手の上は片側一車線の道路が川沿いにあって、これから出勤する人やトラックで荷物を運ぶ人達が、ヘッドライトを(とも)してこの時間もまばらに走っている。


 突き当たりの土手を左に曲がり、3棟並んだマンションを超えてまた左に曲がる。そのまま真っ直ぐ進んで裏道の信号を二つ越え、さらに行くと信号の横にコンビニのある通りに出る。通りといっても市バスも走ってない、裏道に毛の生えたような道だ。


 そこを超えてさらに進んで行くと、左側に公園が見えてくる。ここに来ると今も心穏やかではいられない。この公園は結衣が意識を失って倒れた場所であり、オレが死んだ場所でもあるからだ。やり場の無いモヤモヤとした気持ちがどうしても湧き上がってくる。


 なるべく公園を気にしないようにしつつ、次の点滅信号を左に曲がる。この辺りでジョギングコースの約半分、時間にして15分程度。細い一方通行の道を抜けて、次の角を左に曲がる。今の時間帯に人影はなく、時々新聞配達のカブとすれ違うぐらいだ。


 タッタッタッタッ……

 オレは軽快に走る。(今朝もいいペースだ)


 こうして体を動かすことで体力が付いてきたと感じるし、なにより結衣の体に慣れてきた。ただ筋力の差なのか動作がどうしてもワンテンポ遅れる。イメージと実際の動きにややズレる違和感があるのだ。


(普段の生活では気にならないが、何かスポーツする時は目立つかもな。あとは体の重心がシックリこない。たぶん男女の違いなのだろう。内股で脇を閉めて腕を左右に振って走る、いわゆる女走りってのは、女の体には意外と理にかなった走り方なのかもな)


 そんな事を考えていると、いつもクールダウンするために立ち寄る、自宅からも近い小さな神社が見えてきた。


 オレは徐々にペースを落とし、神社の前でトントンと軽くステップして息を整える。そして鳥居をくぐって三つしかない石段の二段目に腰を下ろした。住宅に挟まれたこの小さな神社は、オレがタバコでむせ返った場所でもある。



 ふう

「ここは稲荷神社だったな」

 鳥居の傍には向かい合わせで白狐の像が建っている。

 神仏を全く信じないオレでも、そのくらいの違いは判る。信じないといっても付き合いで初詣くらい行くしな。


 それからこの神社には猫がいる。なぜ知っているかというと、石段に座ったらすぐに膝の上に乗って来るし、すでに今も乗っているからだ。近所にエサをやる人が居るのだろう。ちょっと太目の三毛猫で人懐っこい。立ち寄る度にすぐ寄って来る。


 猫を撫でながら結衣と会う夢のことを考えてみる。最初こそ街をてくてく歩いて寮まで行っていたが、今ではいきなりドアの前に現れる。そのまま階段を下りて街を散策する事もできるが、たいていの場合すぐに結衣のいるあの部屋に入る。


 オレはドアを開けて入るんだが、結衣からすると突然その場に現れるそうだ。近頃はオレが来る時が何となく判るようになったらしい。


 その結衣だが、今では夢のお部屋ライフを満喫している。これは予想外で、オレとしては「早く元に戻せ」とゴネられると思っていたから、まあ、うれしい誤算というやつだな。結衣は機嫌がいいし、そのお陰で体調も良く学習が捗っている。


 ただ学習作業の方は意図的にペースダウンしてる。問題集をベースに授業と教科書で軽く補完する形だ。


 学校のテストは100%教科書から出る。問題集は教科書の重要な部分を集めた物だから、いわばテストに出やすい箇所の集合体だ。理屈の上では問題集だけでも70~80点ぐらいは取れるのだ。


 一発勝負の転入試験では、教科書もキッチリ読み込んで全力を出したが、人間は常に100%で行くと続かない。来月、10月の中頃には中間テストがある。今後はそこそこの点数を取りつつ、そのレベルを継続する方向にシフトする。


 そして、その浮いた時間を自宅で英語の発音練習に当てる。


(英語だけはな~。オレが中1になった時に驚いたもんな。教師のカタカナ英語をさんざん聞かされ続けたせいで、たまに授業で流すテープのネイティブ発音が全く聞き取れない。あれ嫌がらせだろ)


 まあ過去をグチッても仕方ないんで、コツコツやってくしかないんだよな。ただ最近はいい事もあった。ある時スマホで英単語を検索したら、なんと発音機能が付いていた。声は機械の合成音声だと思うが、日本人教師のカタカナ英語より、はるかに参考になる。


 教科書の英文もスマホに入力すれば全て聞けるし、英単語が単体の時の発音と、文章に組み込まれた時の発音の違いを、実際に聞けるのも大きい。


(ホント、オレらの時代とは隔世(かくせい)の感があるぜ)



 オレは猫を膝の上から下ろして、裏の物置に掃除道具を取りに行く。掃き掃除を始めると猫が(ほうき)にじゃれ付いて来た。


「おい頼むぜ、掃きにくいだろ」

 猫は当然お構いなしだ。


 夢の中の部屋は、床はカーペットを敷いてそれっぽいんだが、なぜか天井と壁が作れない。その代わりに、ネズミや黄色い熊のアニメポスターを何枚も浮かせて壁っぽくしている。天井のルームライトも吊るしてあるように見せかけて、実は浮いた状態で照らしているのだ。


 一度だけ結衣と部屋の外に出た事があった。外といってもドアの外には出られないので、部屋の周囲に広がる暗闇のほうだ。アニメポスターの一部を消して外に出る。


 今でこそ結衣は部屋っぽい場所にいるが、元々ここは漆黒の闇が広がる何も無い空間だ。身長差があるので結衣はその小さな手で、オレの左手の小指をギュッと握って並んで歩く。互いの見た目では結衣は4~5才、オレは高校生くらいで、いちど鏡を出してみたが自分自身はモヤっとして写らなかった。


 このモヤッとした精神年齢だが、今まで大人と呼べるヤツに会ったことが無い。数は少ないが、せいぜい中高生くらいが最高齢だった。そして学歴や経歴、立場や職業に関係なく、幼いヤツもいれば、小学校高学年くらいのもいる。思うに精神年齢の最高は20才前後で、人間は一生をかけて大人を目指すのだろう。


 ちなみに聖徳での最高齢は、教師を含めても生徒会副会長の田畑だ。チラっと見てしまったが高校生くらいに見えた。本人と同じで冷めた目つきが印象的だった。精神が肉体年齢を上回るという、ああいうのが実際に居るんだよな。


 結衣と2人でだいぶ歩いてきた。足を止めて振り返ると、部屋のある場所が遠くでボンヤリ光って見える。例えるなら電灯の無い深夜の山道で、ポツンと自販機の灯かりを見つけた時のようだ。そこだけ暖かい感じがする。


 最初は無限に続くと思えたこの暗闇も、実際は野球場くらいの広さだと分かった。ある一定以上は前に進まなくなったからだ。何かにぶつかるわけではなく、ルームランナーに乗ってる感じで、どれだけ歩いても部屋の明かりが遠ざからない。



「掃除は終わりだ。物欲しそうに見ても遊んでやらないぞ」

(ほうき)に狙いを定めている猫に言ってやる。


 掃除道具を物置にしまって帰路につく。近いんで歩いてもいいんだが少しだけ駆け足だ。

(三毛猫って確かほとんどが雌だよな? あいつ雌だったのか……)


 自宅のドアを静かに開けて、そのまま風呂場に向かう。季節的に朝でもまだ暑いんで水のシャワーだ。素っ裸で体を洗いつつ思う。


(ほんと、性欲は無くなったよな)


 いや厳密には今でも一瞬「おおっ!」と思う事はある。しかしその感情が続かない。結衣の体だから女性ホルモンの影響だろうか?


 朝起きて

 先立つ物の

 無い悲哀


 先日なんて一句詠んじまったぜ。(虚しい)



 結衣に会って最初のころに立てた三つの目標について検証してみる。


 ① 結衣を正常な元の状態に戻すこと

 ② 学力の向上

 ③ その学力で転校して、今の友人関係を壊さないこと


 このうち③は目標達成。②は半分達成かな? あとは上げた学力を継続する事に気をつければいい。①はまだ手がかりすら掴めん。引き続き解決法の模索と発見に努める。


 いろいろ考えて三つの目標内容を若干変更した。


 ① 結衣を正常な元の状態に戻すこと

 ② 学力の継続

 ③ 英会話能力の向上


 英語について極端な話しをすれば、会話能力が身につくなら文盲でも構わないと思う。昔は英語圏にも文盲は多かった。しかしテストで点数は取らなきゃいけないし、そうも言ってられないけどな。


 風呂場を出て体を拭き服を着る。そしてそのままキッチンに向かった。炊飯器からはタイマーの時間通りに湯気が出ている。オレはコーヒーカップを二つ用意してポットの湯を注ぐ。一つは甘めでミルクたっぷり、一つはオレ用にブラックだ。


「おふぁよ~、ういちゃん」

 そこへ欠伸をしながら結衣母が起きてきた。


 その後は目覚ましにコーヒーを飲んで一息入れたあと、結衣母が朝食と弁当作りに取り掛かる。オレはその後片付けと洗い物だ。朝食の準備が整うと結衣母が結衣父を起こしにいき、3人で朝食を摂る。


 最初に家を出るのは通学に時間のかかるオレだ。これが毎朝くり返されるルーティーン。


 今日も一日が始まる。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ