第三話 新学期初日
今後は投稿ペースを落とします。気長にお付き合い頂ければ幸いです。
幸 弘
聖徳中学校3階
2年D組 新学期初日
「(今日、転校生が2人来るって聞いた?)」
「(聞いた聞いた。1人は気の弱そうなチビだって)」
「(ま、アレにも飽きて来たし、いいんじゃない?)」
クスクスクス……。
私の斜め前の席でヒソヒソ話しているのは、高木、岸江、桑石の3人。クラスの……、いやこの学年で一番の問題児たちと言っていい。「アレ」というのは西岡すみれの事だろう。噂では陰でいじめているらしい。
噂でというのは本当かどうかハッキリしないからだ。西岡は何も言わないし、周囲の生徒も巻き添えを恐れて避けている。だから証拠らしい証拠が何も無い。
「(あんた達いい加減にしないと、そのうち酷い目にあうわよ!)」
(((……)))
「(……酷い目ってなんですかね?)」
「(証拠でも有るんですかね~? まじめな学級委員さま?)」
ニヤニヤ
「(次やったら退学になるって言ってるのよ!)」
だいたいこっちは「証拠」なんて聞いていない。それを自分たちから言葉に出すなんて、自らゲロってるようなもんじゃない。
実は、この3人には私も責任を感じている。1年生の時にいじめを見つけて、その場で思わず3人とも投げ飛ばした事があるのだ。それからだ。見つからないように陰でコソコソするようになったのは。
そして2年生になっても私がこの3人と同じクラスなのは偶然じゃない。当時の担任に言われた。
『お前は抑止になるから、あの3人と一緒のクラスになる。そう会議で話しが出た。悪いな美山』
『はあ……』
3人は柔道やってる私みたいな強い人間、あるいは自分たちより上だと思う相手には、絶対に手を出さない。気の弱そうな子をターゲットにする。1年生の時は一週間の停学ですんだけど、次は本当に退学になるかもしれない。
(西岡も心配だけど、あんたたちの事も心配してるのよ私は!)
そしてチャイムが鳴り、担任の吉岡先生が転入生2人を連れて教室に入ってきた。
吉岡道代先生、45才のベテラン女性教師。先生は高木たち3人を抑えるために、自分からこのクラスの担任になったと聞いている。
少しザワつく教室
「(聞いた通りチビだね~)」
「(もう1人は普通だね)」
「(ふふ……、楽しくなりそう)」
(ホントにこいつらは……)
「起立!」
「礼!」
「着席」
「今日は転入生を2人紹介します。これから皆さんと共に学ぶ新しい仲間です」
「立花結衣です。聖徳の生徒として皆さんと学べる事をうれしく思います。よろしくお願いします」
ペコリ
「立花さんは軽い記憶障害だった事があり、今も少し言葉使いに変わったところが有ります。でもとても良い子です。仲良くしてあげて下さい」
パチパチパチパチ!
「(記憶障害だってさ)」
「(キ〇ガイの間違いだろ?)」
ニヤニヤ
(あー、もう!)
「次は笠原田 栞さん。さあ皆に自己紹介して」
「笠原田 栞」
シーーーン……
「「「えっ、それだけ!?」」」
3人だけでなくクラス全員が少しざわめく。私もちょっとビックリした。
「あー、笠原田さんは無口なところがありますが、これも一つの個性です。仲良くしてあげて下さい」
パチ…… パチ……
「美山さん」
「あ、はい」
先生に呼ばれて席を立つ。
「彼女が学級委員の美山さん。2人とも分からない事は彼女に聞いて下さい」
「学級委員の美山です。遠慮せずに何でも聞いてね」
「はい」
「……」
(それにしても1人は本当に無愛想ね)
「2人は次の席替えまで一番後ろになります。では移動して席に着いて下さい」
「はい」
「……」
「(あっ!)」
先生が2人に移動を促した時に気付いた。3人のリーダー格、高木が通路に足を出している。ジャマする気だ!
(コイツ!)
だが私が何か言う前に驚くことが起きた。
グキッ!
「ぎゃああああっ」
ニヤニヤ笑いながら高木が出していた左足を、転入生の立花が踏ん付けたのだ! しかも体重を乗せて思いっきり。
「どうしました!? 何ですか!?」
先生は何が起きたか分かってない。
「~~~ッ」
顔を真っ赤にして苦しむ高木。その時3人のうちの1人、岸江が声を上げた。
「先生わたし見ました。立花さんが高木さんの足を踏んだんです」
「な、そうなんですか? 立花さん」
「踏んでません」
(え~っ、踏んだよ! いま絶対ワザと踏んだよ! 別に3人の味方するわけじゃないけど、完全にワザとだって!)
「何言ってんだ! 踏んだだろ! いって~~」
踏まれた高木が激高する。
「立花さん、高木さんはこう言っていますが?」
「では先生にお聞きします。どう歩けば机の下にある足を踏めますか?」
「そんなの通路に出してたからに決まってんじゃねえか!」
高木が叫んだ。
「「「(あっ!)」」」
(うわっ、今の一言で盛大に墓穴掘った。これは高木の嫌がらせが原因だとクラス全員が気付いたはず)
「そう……、では高木さん、なぜ通路に足を出していたのか説明しなさい」
「それは……、あっ? いや、その……」
痛すぎて思わず口走ったのだろう。他の2人も気まずそうにしている。
「……もういいです。高木さんは保健室に行って診てもらいなさい。美山さん付き添ってあげて」
「はい、分かりました。」
私は席を立って高木のそばに移動する。
「ほら、高木行くよ。肩かしてあげるから」
「くっ……」
体を支えつつ肩を貸して廊下に出たところで、また高木が怒りをあらわにする。
「アイツ絶対に許さねえ」
「悪いのはあんたの方でしょ! いい加減にしたら?」
「あのチビ笑いやがったんだ。私の目を見て」
「何その被害妄想。あんた本当に退学になるわよ。先生たちに目を付けられてるの判ってるでしょ!?」
そもそも問題のある3人をまた同じクラスにするなんて、学校側の意図が透けて見えるじゃない。更正すれば良し。ダメなら纏めて処分できるからよ。
校舎1階 保健室
「あの~、保科先生いますか~?」
シーーン……
「あれ? いないね」
足を引きずる高木を支えながら保健室に着いたけど、担当の保科先生は不在だった。とりあえず高木をベッドに座らせる。
「たぶん職員室にいると思う。ちょっと呼んで来る」
そう言って部屋を出ようとしたら、高木に腕をつかまれた。
「ん? なに?」
「美山は好きでこの学校に入ったんだろ?」
「そうよ。あんたは違うの?」
「私は……、違う」
「好きでもないのに入ったの?」
「親が決めた」
「別にいいじゃない親が決めたって。あんた成績はいいんだし、公立に比べてここは全てが上でしょ?」
「好きなヤツがいたんだ!」
!
好きなヤツって……、入学前だから小6の時よね。
「親には言ったの?」
「言ってない……、言えるわけない」
「まあ、そう……だよね」
あー、こいつが悪さする理由が分かった気がする。
「他の2人は?」
「知らない。でも私について来るんだからワケありなんだろ」
「そう……、あんたの事はなんとなく理解したけど、だからといってイジメは良くないわ」
「分かってる。分かってるさ、そんな事は!」
……
「とにかく先生呼んでくる」
その時グッと、また腕をつかまれた。
「おい、今の話し誰にも言うんじゃないぞ」
コイツ、なんでスゴんでるの?
「もし言ったら何? あんたに私をどうこうできるの?」
「……」
「こういう時は、『お願いします。言わないで下さい』でしょ?」
「……」
「どうなの?」
「……お願いします。言わないで下さい」
ふぅ、
「先生呼んでくる。私はそのまま教室に戻るから、あとは先生の指示に従って」
そう言って保健室を出ようとしたら、ちょうど保科先生が戻ってきた。
ガラッ
「あら、どうしたの?」
保科友美先生。27才、白衣のクールビューティーと生徒達から呼ばれている。
「あ、2年D組の美山です。クラスの子が足をちょっと痛めちゃって」
「そう、分かったわ。診ておくからあなたは戻りなさい。もうすぐ始業式だから急いでね」
「はい、お願いします」
後は先生にまかせて、私は教室へと急ぐ。
足早に戻った教室で、私は異様な光景を目にした。
「えっ何これ!?」
時間は少し遡り、美山と高木が退出した直後の教室
「替われ」
オレは指定された一番後ろの、窓際の席に座っているんだが。
「替われ」
さっきから体を真横にして笠原田がオレに絡んでくる。
(どうしたもんか……)
実はチカン事件の時から相手の精神年齢や思考、それまでの人生といったものが分かるようになっていた。
精神年齢とは体のモヤっとしたアレだ。先日そのチカン事件で助けてくれた剣崎、そしてサラリーマンの浅野、この両家に結衣両親と一緒にお礼をしに行ったんだが、その時こっそり試してみた。さすがに恩人家族のプライバシーを覗く気はなかったので精神年齢だけに留めたが、ちょっと集中するだけで相手の内面情報が分かる事が確認できた。
(ハッキリ言ってチートだ)
しかし、こんな能力を使うまでもなく、横のコイツや悪意のある3人くらい判別できる。さっきは、あの3人の中心的なヤツに視線を合わせ、思わせぶりに笑ってやったが釣れてよかった。
「替われチビ。アタシは窓際が好きなんだ」
横のコイツ、制服は普通なんだが、なぜか昭和のスケバン臭がするんだよな。妙な懐かしさがあって、ちっとも腹が立たん。困った……。
「ちょっと、笠原田さん。前を向きなさい」
あ~、先生が気付いちゃったよ。
「早く替われ」
意に介さずか……。
「笠原田さん! 聞こえてないんですか!?」
担任が教壇を降りてこっちに来る。
(しゃ~ねえ)
オレは席を立って笠原田の背後にすばやく回り込むと、首に腕をまわして絞め落とした。
「グ……!!?」
ドサッ
椅子からズリ落ちて、床に崩れ落ちる笠原田。
「「「キャーーーッ」」」
騒然とする教室。担任が青い顔して駆け寄ってくる。
「な、何をしたんですか立花さん!?」
「意識を刈り取っただけです。心配いりません」
「意識を刈り……!?」
「すぐ蘇生させるので問題ありません」
オレは仰向けに横たわった笠原田の両足を、自分の両脇にかかえて持ち上げる。
「よいしょっと」
「い、いったい何を!?」
「こうすると頭に血が上って意識が戻ります」
「う、う~ん……」
「ほら」
「な、なんなのこれ!?」
教室に入ると転入生の立花が、同じ転入生の笠原田の両足を持ち上げていた。先生も他の生徒も呆然としている。
「あっ、美山!」
「先生、美山が戻りました」
「先生これはいったい!?」
「……」
吉岡先生は目を閉じて指で眉間を押さえたまま、こちらの問いに答えない。そして踵を返し、そのまま教壇に戻ってしまう。
(高木に次は無いので今回はウヤムヤする。これはいい。笠原田も性格に難があるのは分かっていました。これも想定内。問題はその2人に嫌がらせをされても、シレっと足を踏んづけ意識を刈り取る立花結衣!)
立花はおとなしい性格だと聞いていましたし、実際におとなしい。そして冷静です。でもこの生徒は何かが違う!
……だけど今は考えが纏まりそうにないわね。大切なのは始業式。立花のことは後回しにして、とにかく生徒を体育館に移動させましょう。
「美山さん」
「はい」
「悪いけど笠原田さんをつれて、もう一度保健室に行ってちょうだい」
「はい……」
(また?)
「他の人は体育館へ移動するように」
ガヤガヤと教室を出て行く生徒たち。私はまだ意識のハッキリしない笠原田をおぶって保健室に向かう。一応、体格のいい桑石にも付き添ってもらう事にした。岸江も高木が心配らしく、一緒に着いてくる。
今日二度目の保健室
ガラッ
「ハアハア……、保科せんせ~い」
「(降ろせ……、降ろせ)」
「動かないでよ、いま降ろすって」
「えっと……美山さん? 今度は何?」
「別の生徒が……」
「また!?」
「そう、またなんです」
「降ろせつってんだろ。このブス!」
カチン!
どさっ
「痛って~、何しやがる!」
「ご希望通り、降ろしたのよ」
「また足?」
「いえ、今度は絞め落とされて、一時的に意識を失っていたんです」
「絞め…… とにかくベッドで横になったほうがいいわね」
一緒に付き添ってきた岸江が不安げにキョロキョロしてる。
「あの、高木は?」
「高木さんは職員室で親が向かえに来るのを待っているわ。骨折の疑いがあるから早退させる事にしたの」
「「「骨折!?」」」
「たぶんね。後で吉岡先生に報告するけど、あなた達からも伝えておいて」
「……はい、分かりました」
「「骨折……」」
桑石と岸江がショックを受けているようだ。私はとにかく疲れた……。
「ここはいいから早く体育館に移動しなさい」
「はい」
「「……はい」」
体育館では全校生徒がすでに集合していて、体育座りで始業式の開始を待っている。私は急いで吉岡先生に高木の早退を伝えた。
「そう、ご苦労様……」
(なんか顔色悪い。先生もさっきので疲れてグッタリって感じ)
報告を終えて私も自分のクラスの列に並ぶ。
始業式自体は校長先生の話しも短かめでサクっと終了。朝とはいえ既に体育館の気温は高く、熱中症対策で式も早めに終わった。この後は帰りのHRだけだから、みんな教室に戻る足どりが軽い。ワイワイガヤガヤと賑やかだ。
(は~、やっと終わった。授業も無いのに、なんでこんなに疲れてるんだろう私……)
それでも式が終わった開放感からホッとしていた。
だが教室に戻ってギョっとする。笠原田が保健室から帰ってきて座っていたのだ。立花の席に! 机に肘をついて手に顎を乗せ、彼女はカーテンが揺れる窓から外を眺めていた。その席に居るのが当然のように。
((う、うわ~~))
皆それに気付いて静かに、おそるおそる自分の席に着く。そこへ立花が戻ってきた。
スタスタと歩いて笠原田の横に立つ立花。ジッと笠原田を見ている。
「「「……」」」
教室内にすごい緊張が走る。
そして立花は何も言わず笠原田の席に座った。教室の緊張感は張り詰めたままだ。
「おい」
((( ! )))
笠原田の発した一言で一気に緊張が高まった。
「おいチビ、なんか文句あるか? この席は今日からアタシんだ」
ガタッ
立花が席を立った!
「お? やるか? さっきのようには、いかねえぞ!」
それに合わせて笠原田も席を立つ。
そして次の瞬間。
ドンッ
「うわーーーっ」
なんと立花が右手で笠原田を押した。ここは3階だ!
「「「キャーーーッ」」」
「ぐギッ……」
笠原田は両手を壁と窓枠に引っ掛け、なんとか落ちずに耐えた。しかし立花は笠原田の首元に手をあて、さらに押し込む。笠原田の顔は真っ赤だ。落ちれば死ぬ可能性だってある。ただでは済まない。私もクラスのみんなも固まってしまった。どうしていいか分からない。その間にも立花は少しずつ、右手を通して体重を乗せていく。
「ッ……」
笠原田はもう声も出せない。歯を食いしばり、汗ビッショリでブルブルと筋肉が震えている。今はギリギリ指が引っかかってる状態だが、すぐに限界が来るだろう。
「やめて立花さん! 悪いのは彼女のほうだって皆も分かってる!」
怖くて近づけない。でも止めなきゃいけない。ほとんど無意識に私の口が叫んでいた。
「……」
そんな言葉でも立花の心に届いたのか、押していた右手が止まったように見えた。
そして右手を下ろす……と思いきや、今度は制服のスカーフを引っ張った。笠原田は一気に教室内に引き戻され、その場にへたり込む。そして立花が素早くその背後に回りこみ、首を絞めた。
キュッ
「ぐえっ……」
再び床に崩れ落ちる笠原田。
「「「(また!)」」」
今日二度目の意識刈り取りだった。
私もその場にへたり込む。いわゆる腰砕け状態だ。
「はあっ はあっ……」
クラスのみんなも最悪の状況は脱したおかげで、それぞれ緊張感が抜けていった。見れば立花が笠原田の両足をかかえて持ち上げている。
(なんだろう、この既視感。絞めて蘇生するこのルーティーン)
ハッ!
「だ、だれか先生を呼んできて。……いや呼ばないで! 呼ばなくていい!!」
もうたくさん! 先生に説明する気も起きないし、また背負って保健室にも行きたくない。
出て行こうとした生徒が足を止める。
「呼ばなくていいの?」
「呼ばなくていい。そのかわり……」
私は立花を見る
「立花さん、帰りのHRが終わったら教室に残って。目が覚めたら笠原田さんにも残るように言って」
「ああ、わかった」
(何故こんな事になってるんだろう)
他のクラスから時々聞こえてくる笑い声に、腰の抜けた私はボンヤリそう思った……。
放課後
もうすぐ昼だというのに窓から涼しい風が入ってくる。今ガランとしたこの教室にいるのは私達3人だけ。
「だまってちゃ分からないわ。どうして立花さんに絡むの?」
「……」
さっきから笠原田は何を聞いても答えない。このままじゃ埒があかない。立花は興味がないのか、ぼ~っと窓の外を眺めている。
「答えるまで、いつまで経っても帰れないわよ」
「……」
「ふう」
立花が小さく溜め息をついて席を立った。
(えっ? まさか……)
「うわーーーっ」
恐怖で絶叫する笠原田の背後にまわって、今日三度目の絞め落としにかかる。
「謝って! 立花さんに謝って! もうしないって!」
「ぐっ……」
コクコクコクッ!
「ほら笠原田さんが謝ってる! 立花さん!」
「ん? 謝ってないぞ?」
グイッ
「謝ってるじゃない! 何度も頷いてるでしょ! 首しめてたら喋れるわけないじゃない!!」
「ん? そうなのか? お前」
コクコク……
(うわっ、もう弱って来てる)
「そうか……」
そう言うと立花は腕を首から離した。
笠原田は絞められた首を押さえている。
「ヒュー、ヒュー……、げほっ」
(は、初めて見た。途中で止めるところ)
「じゃあ、もうちょっかい出さないな?」
立花が確認する。
「……」
プイッ
「ちょっと! 笠原田さん!」
スッ
座り直した立花が目を細めて再び席を立つ。
「うわーーーっ、しない! もうしない!!」
それに気付いた笠原田は手足をバタつかせ、椅子からズリ落ちそうになる。ほとんどパニック状態だ。
「やめて立花さん!」
じーっ
「本当か?」
「本当だ! 本当にしない!」
はあはあ……
ふうん……。
「委員長……美山だったか? もういいだろ、帰るぞ」
「あ……うん」
「ほら立て、お前もだ」
「うう……」
フラつく笠原田を立花と2人で支え、私達3人は教室を後にした。ようやくこれで、私の激動の始業式が終わった。
(疲れた……)
その日の夜 夢の中
(結衣の部屋がだいぶ充実してきたな)
もちろん夢の中の部屋の話しだ。今では床にカーペット、机に椅子、クローゼットに小物入れ、クマのぬいぐるみ、そして転入試験の説得で使ったブタの貯金箱。これらは全部オレがイメージで出した物だ。不思議なことに結衣は自分の記憶からは出せない。しかし見せれば思い出す。そして一度見れば自分でも出せるようになるし、こうして維持もできる。
いま結衣はココアを片手に、ちゃぶ台で問題集をやっていた。
新学期が始まる前に、問題集を丸ごと出せるんじゃないかと思って試したら出せた。
完全記憶能力という言葉を聞いたことがある。でも完全記憶出力が正しい表現じゃないだろうか。オレも最初のうちこそウンウンと力んで出していたが(ウン〇じゃないぞ)、リラックスしたほうが楽にイメージできる。
普段は肉体の存在が抵抗になって思い出せなだけで、本当は誰もが完全記憶能力者なんだろう。肉体が抵抗にならないヤツが稀にいて、そいつは持ってる記憶を常に出力できるから、完全記憶能力者と呼ばれているのだと思う。
とにかく問題集をまるごと結衣に渡せたおかげで、学習作業が捗る捗る。それに現実では金を節約するために、問題とは別に答えを書き込む用紙が必要だった。しかしここでは直接書き込んでも、結衣が問題集を一旦消してから再び出せば中身はリセット。全て未記入状態に戻る。これはお得だ。
そんなことを考えていたら結衣が興味しんしんで聞いてきた。
「学校どうだった?」
「うん、まあ普通かな? あ、でも設備はどれも一流でスゴイみたいだぞ」
「スゴイ? そんなに?」
「ああ、まだ体育館しか入ってないがスゴかった。今から他が楽しみだ。結衣のほうはどうだ? 学習作業は進んでるか?」
「うん、ちょっとずつだけど」
「そうか、じゃあ切りのいい時期に試験を受けてみないか?」
「試験?」
「聖徳の転入試験だ。実は試験の内容を忘れないように、その日のうちに全部メモに残しておいた」
「!!」
「こいつに受かれば結衣も実力で聖徳の生徒だ。どうだ?」
「うん、分かった、やってみる! やりたい!」
「そうか!」
結衣の答えは予想通りだった。そしてオレはその答えに満足していた。同じ試験をクリアすれば、オレが聖徳に通っていても、結衣は後ろめたい気持ちにならずにすむ。
いや、むしろ誇りに思うはずだ。自分も聖徳の生徒だと!
「どれ、オレも一緒にやろう。少しつめてくれ」
そう言って結衣が今やってるのと同じ問題集を出す。
「え? でもこれお兄さんは何回もやったのだよ」
「別に何度やってもかまわないさ。それに2人のほうが楽しいだろ?」
「うん!」
そう言って結衣が笑った。最初に会った時とくらべて、ずいぶん笑顔が増えた気がする。
「ねえ、お兄さんは誰にこの方法を教わったの?」
「いや、これは自分で考えたんだ。誰かに教わったわけじゃない」
「自分で考えたの?」
結衣がビックリする。
「16才になって取りにいった原付免許が3連続不合格でな。なんとか合格しようと無い知恵絞って考えた。最初は苦肉の策だった」
「原付免許は難しいの?」
「いんや、普通は一発で受かると思うぞ。現にオレのツレは、みんな受かってた」
「そう……」
「な? オレは決して頭がいいわけじゃないんだ。んで試験は4択のマークシートなんだが、どれも似たような問題で、ようは引っ掛けだ。誤解を恐れずに言うならクイズみたいなもんだ」
「クイズ……」
「ああ、例えば『信号』と『進』の文字が4択全てに有るとする。
『信号が青に変わったら、進んでもよい』と、
『信号が青に変わったら、進まなければならない』では意味が違ってくる」
「同じじゃないの?」
「同じだと思うよな? 正解は『進んでもよい』なんだ。もし交差点内にまだ人や車がいたら、『進んでもよい、だけど、止まってもよい(注※結衣への説明の為の言い回しで正確ではありません)』と、『進ん(でも)よい』の(でも)の中に安全ワードの『止まってもよい』が隠れている」
「しかし『進まなければならない』では、交差点内にまだ人や車がいても、自身の自動車優先の意味しかない。つまり事故の原因になるので間違いになるんだ」
「なんか……、いじわる?」
「ははは、限られた交通ルールの基本で篩いにかけるには、仕方がないんだろうな。で、3回篩いにかかっちまったオレは、それまで教本だけ読んでいたのをやめて、免許の問題集をやってみることにした」
「いきなり問題集が生まれたんだ!」
ワクワク!
「まあ、そうなんだが最初は普通にやってたな。ただ何度やっても間違えるんで、問題集を逆に使ってみることにした」
「逆に?」
「ああ、普通は4択のどれが正しいか考えるだろ? そこをオレは最初にまず答えを見て、4択の正解文と答えの繋がりや、正解文と他の三つの違いを比べる事にしたんだ。すると今まで気付かなかった事や、見落としがちだった言い回しなんかが分かるようになっていった」
「おおっ」
「答え→4択文、答え→4択文、と繰り返すうちに、答えと正解文の自然な繋がりを丸ごと覚えてしまっていた。尚且つ他の三つで引っ掛けようとしてくる文のポイントも、読んだ瞬間に怪しいと分かるようになっていった。そして十分いけると踏んだオレは4度目の試験に挑んだ」
「4度目! 受かった?」
「まあ、そう急くな。試験とは不思議なもんで、まあ、オレに限った事かもしれんが、落ちた時は3回とも自信マンマンだった。しかし問題集をやればやるほど不安になっていくんだ。なんなんだろなアレ。それでもオレは、その日の試験には手ごたえを感じていた。そして結果発表の時間が来た」
どきどき……
「発表は、試験会場1階の電光掲示板で行われるんだが、合格者の番号から次々と点灯していく。逆に不合格だと点灯せずに飛ばされて、次の合格者の番号が点灯するんだ。過去3回落ちた時はガッカリしたし、結果が信じられなかった。しかし4回目は……」
「4回目は……」
「4回目のオレの番号は点灯した」
「やったーーー!!」
両手を突き上げ、ガッツポーズする結衣。
「はははっ、まさにそんな感じだ。何度もガッツポーズをしたし、帰りのバスの中では即日発行された免許を見ながら、落ちた時とは別の意味で信じられなかった」
「スゴイ! スゴイ!」
「その時のやり方が土台になって、今の『いきなり問題集』ができたんだ。これがあれば君にもできる! さあ試験に合格して夢をつかもう!」
「ふふっ、塾のコマーシャルみたい」
「ははっ、そうだな。それじゃあやるか!」
「うん!」
そしてオレたちは、ちゃぶ台に向かう。カリカリとシャーペンの音とともに、時間だけがゆっくり流れていった。
朝5時オレは目を覚ました。
目覚ましは6時にセットしているが、たいてい4~5時には自然に起きる。
「ふぅ、よく寝た。しかしあの問題集を夢の中でもやるとは思わなかったぜ」
だが子供に大切なのは『勉強はこうやるんだ』と姿勢で見せる事であり、口先だけで『勉強しろ』と頭ごなしに言う事ではない。機会があればオレは何度でも結衣に付き合うつもりだ。
(さて、メモした聖徳の転入試験を清書しとかないとな……)
そうやっていろいろ考えていると、ある事に気付いた。
(あ……、右手を噛まれていない……)