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そこそこへの挑戦  作者: 幸 弘
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第一話 ねじ込め転入試験


「結衣、また右手を噛んでくれ」


「右手を噛む?」


「この前別れ際に思いっきり噛み付いただろ? 目覚めたら右手に歯型がついてて、そのおかげでお前に会ったことを憶えていたんだ。だから頼む」


「ん」

 ガブゥッ!


(ぐがーっ)

 オレは夢の中で気を失った。


「ハッ」

 あまりの痛さに飛び起きた。

 気を失って目を覚ますとは……、いや日本語としてはおかしくないのか……な?

(ぐうう、それにしても躊躇なく噛みやがって、あいつ相当オレのこと恨んでるだろ)

 見れば同じ場所にガッツリ歯形が付いていた。


(だけどアイツもしまいにゃ冗談は言うし、それに少しだけ笑ってたな。次に会う時までに何か楽しくなる事を考えてやるか)


 時計を見ると朝の5時半だった。


 オレはベッドにあぐらをかき、腕組みして考える。

(さて、親に転入希望をどう切り出すかだが、まずは結衣母からだな。結衣母を味方につけて2対1に持っていき、2人で本丸である結衣父を落とす。これでいこう!)


 その頃1階のリビングでは、結衣母がテーブルに突っ伏して溜め息をついていた。


「はあ~」

「ど、どうしたんだい? ママ」

「う~ん、ちょっとね……」

「結衣のことかい? あまりアセってもしょうがないと僕は思うけどな」

「そうなんだけどぉ……」

 あの子と話していると、時々自分の娘じゃないような気がするのよねぇ。病院の先生は一時的なものかもって言ってたけど、本当に治るのかしら……。


「そろそろ行くよ。月に一度の早朝出社の日だからね」

「お勤めご苦労さまです。ありがとうパパ」

「いつもそう言ってくれてうれしいよママ。でも今朝は結衣ちゃんの見送りは無しか……」

「この時間は、まだ寝てるわよぉ」


(それが既に起きていて、2階からコッソリ様子を伺っていたりする)


「じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい。気をつけてねぇ」

 そして玄関のドアが閉じる音がした。


「さて行くか」

 オレはパンパンと両手で頬を叩いて気合を入れると、自室を出て1階に下りた。



「あら結衣ちゃんおはよう。今朝は早いのねぇ。でも残念、パパもう行っちゃったわよ」ニッコリ

「おはようございます。実は頼みが一つあります」


 この丁寧な言葉使い。やっぱり心配だわぁ

「頼み? 結衣ちゃんが? ママに出来ることならしてあげるけど、何かしらぁ?」


「私立愛知聖徳中学校の転入試験を受けさせてください」

「私立……、えっ? ええっ!?」


 待って待って、この子なに言ってるの!? 聖徳 ( せいとく )っていったら輝城 ( きじょう )檜山 ( ひのきやま )と並ぶ女子の名門じゃない! 行きたくても行ける学校じゃないわ。特にこの子の成績じゃあ……


「……本気なの?」


 コクリ

「挑戦させて欲しい」


 挑戦!! 素敵! ママその言葉に弱いのよう


「わかったわ! ママ応援する。勉強もソフトボールも挑戦が大事だわ!」


 うおっ、フンスカ鼻息が荒いぞ。言葉を尽くすつもりがいきなりOKかよ! 「挑戦」が結衣母にとっての殺し文句 ( キラーワード )だったか。


「でも試験を受けたいってことは、転校したいってことよねぇ。手続きとかどうすればいいのかしらぁ?」


 そこでオレは用意しておいた一枚の紙を手渡す。


「これは?」

「受験までの流れです」

「こんな物を用意しておくなんて、本当に本気なのね?」


 コクリとオレはもう一度うなずいた。そしてその夜、結衣父が帰宅し夕食後に家族会議となった。



「ダメだ!」

「パパッ!!」

 結衣母が立ち上がってバンッとテーブルを叩く。


 まあ、こうなるわな。この場合は結衣父の反応が普通なんだよ。そう予想できたからこそ、あらかじめ結衣母を味方につけて、2対1の状況を作っておいたわけだ。だが数の優位だけじゃ結衣父は落とせない。オレは2人の言い合いを見ながら、「うん」と言わせる為に用意しておいた必殺技、キラーアイテムの出しどころを探っていた。


「いいかい? 結衣ちゃんは逆バトルONEなんだ。高望みはしちゃいけないんだよ」

「パパッ! それはやめてって何度も言ってるでしょ!!」

「だって本当の事じゃないか」


ん? 逆バトルONE? よく分からんがそろそろ頃合いか。これ以上この場が熱くなるのは良くない。ほうっておくと2人の泥仕合に発展しそうだ。そう判断したオレは、スッとある物をテーブルの上に置く。


「えっ?」

「結衣ちゃん、これは……貯金箱?」


 そう、オレが用意した必殺技( キラーアイテム )は結衣の部屋にあったブタの貯金箱。いくら入っているかは知らないが、けっこうな重さがある。こいつを切り札にオレは最後の殺し文句 ( キラーワード )を叩きつけた。


「これで転入試験を受けさせてください。落ちたら今までどおり今の中学に通います。でも、もし受かったら転校を認めてほしい。卒業までにかかった費用は将来働いて返します」


「「 !! 」」


 一瞬の静寂のあと、結衣母が上気した顔とプルプル震える体で静かに、そして力強く言葉を絞り出す。


「結衣ちゃんはお金のこと気にしなくていいです。その分ママが働きます。2人でガンバリましょう」


「ちょ、ちょっと!?」


「パパはもういいわぁ、結衣ちゃんがこんなにやる気を出したの初めてだもの。本気の気持ちが伝わったわぁ、こうなったらママも負けてられない」


「ママァ!?」


 あー、この流れはちょっとまずいな。金を出してくれるならどっちでもいいんだが、家庭不和は困る。


「できれば2人とも協力して欲しい」


「「 !! 」」


「そっ、そうだよね。もちろんパパも応援するぞ!」

「ええ~~っ、さっきまで反対してたのは何なのぉ~? せっかく2人で盛り上がったのにぃ」


「2人ともありがとう」

「ゆ、結衣ちゃん!」

「い、いやぁ、ははは、パパも最初から転入試験はいいと思ってたよ」


カチン!

「パパ! なに言ってるの!」


 その後しばらく2人の言い合いは続いたが、とにかく両親の協力を取りつける事はできた。これで転入試験に一歩近づいた。だが、まだ大きなハードルが残っている。

そいつを解決するために翌日、担任の山下に連絡を取って学校で相談にのってもらう事にした。




 次の日オレたち家族は結衣の通う中学校に来ていた。今は応接室で担任の山下が来るのをおとなしく待っている。

(てか、結衣父もいるんだが会社はいいのかよ。オレ的に戦力が多いのはありがたいんだが、少し心配になるぜ)

 ちなみに今のオレの格好は中学生の制服、つまりセーラー服だ。清潔であれば着る物には拘らないオレでも、さすがにこれは躊躇したぞ。てか着かたが分からず結衣母に手伝ってもらったしな。

 もし今、突然元の体に戻ったら完全に変質者だ。(ははは……)


 ……戻らないよな?



 コンコン、ガラッ

 指定された時間を少し過ぎて山下が部屋に入ってきた。


「いやあ遅れました。こんにちはお父さん、お母さん。立花も元気そうだな」


「こんにちは山下先生。今日はお忙しいところ、貴重なお時間を娘のために割いていただき、ありがとうございます」

 結衣父がサッと立ち上がって頭を下げる。それに習ってオレと結衣母も立ち上がって頭を下げた。


「これはご丁寧に、でも気にしないでください。自分の教え子のことですから何かあれば相談に乗るのは当然です。さ、どうぞお掛けください」


 その言葉で全員イスに座り本題に入る。


「それで私学へ転校したいとのご相談でよろしかったですか?」


「はい、娘は聖徳を希望しています」

 ここで結衣母が身を乗り出した。なんか昨夜からずっとスイッチが入りっぱなしだ。


「聖徳ですか……、う~ん」

 腕を組んで厳しい顔の山下。

「やっぱりダメですかね? なんせウチの娘は逆バトルONEなので」


「パパッ!!」


 出してきたな「逆バトルONE」。オレも思い出すのに苦労したぞ。バトルONEとは勉強ができる頭のいい子供と、スポーツが得意な体格のいい子供の2人が、友情パワーで合体して1人のヒーローに変身。そして悪の組織と戦う昔の子供アニメだ。


『それぞれの長所を生かせば凄いことができる』

 というテーマだった筈だが、こいつの言ってるのはその逆。つまり結衣父の低い運動能力と結衣母の勉強が苦手な頭という、それぞれの短所を併せ持って生まれて来たのが結衣だと言っているのだ。


(結衣が「私はできそこない」と言っていた原因はこれか! コイツ自分ではウケ狙いのつもりで、普段からひんぱんに口にしているみたいだしな。しかし……)


「逆バトル? あっ!! ……え~っと」


 見ろ、意味を理解した山下も反応に困ってるぞ。結衣母が毎回怒るのも当然だ。誰1人ウケないギャグ、しかも自身の子供を傷つける事を、繰り返し撒き散らしているんだからな。


「あー、すまんが立花は席をはずしてくれ。少し込み入った話しをご両親とするんでな」


「……はい」


 このタイミングで退席させるのは結衣に対する配慮だ。ここまでは予想の範囲。このあと山下は徹底したダメ出しで、2人に転校を諦めるように説得するはず。しかしその対策を結衣母には伝えてある。(ついて来るとは思わなかったから、結衣父には言ってないが、まあ、これは仕方ない)


 オレは応接室を出ると、とりあえず用を足しにトイレへ向かった。

「うっかり男子トイレに入らないよう気をつけないとな……、ん? タバコ?」


 タバコの匂いにつられて給湯室を覗くと、プカーーッとやってる若い女と目が合った。


「あら、あなた山下先生んとこの、ええっと、立花さんでしょう? 体はもういいの?」

「はい、今日は私学へ転校の相談に来ました」

「そう、引っ越すのね」

「いえ、引っ越さないです」

「引っ越さないのに転校できるの!?」


 そうなのだ。私立でも転校できる条件は一家転住が基本。

もちろん基本である以上、なんらかの応用、つまり転校先の学校を、納得させるだけの理由とかが用意できれば可能かもしれないが……。

(友人関係を壊したくないなんて言っても、鼻で笑われるだけだしな)

 結衣母に託した山下対処法は「とにかく熱意で粘ってくれ」だ。ドロくさいが他に思いつかんかった。どんな形でも転入試験を受けるか、せめて聖徳と交渉できるまで持ってかないと話しにならん。


「で、希望校はどこなの?」

「聖徳」

「あら聖徳? そう聖徳なの……。ふ~ん」


 そうつぶやくと、吸いかけのタバコを灰皿でもみ消した。


「いいわ。ついてらっしゃい」

「えっ? 何処へ?」


 女はこちらの質問に答えることなく、オレの腕をつかんで引っ張るようにスタスタ歩き出す。


 バーーン

 そして着いた先の部屋のドアを勢いよく開けた。


「おばあちゃーん」


 おばあちゃん!?


「なんですか騒々しい。ドアは静かに開けるよう言ってるでしょう」

「この子が聖徳受けたいって!」


 ハァ、相変わらず人の話しを聞かない子ね。

「その件は山下先生から聞いています。いま応接室で面談中の筈ですけど?」

「それが、ちょ~~っとワケありなのよね」


 突然の急展開に驚いたが、どうやらここは校長室で、目の前にいる初老の女性は校長先生らしい。しかし中学の校長に会ったところで、どうなるわけでもないだろう。


「聖徳ですか……」


 そう聞き返した校長はジロリとオレの顔を覗き込んだ。


「ふん、まあいいでしょう」

 そして、おもむろにスマホを取り出して、どこかに電話をかける。


「私よ。今度の転入試験にウチから1人行くのでよろしく」

「(ちょ、姉さんっ!?)」


 ピッ

「これでいいわね?」


(どうにかなったよ!)


「(聖徳の現理事長は校長の弟よ。昔から頭が上がらないわ)」

 ヒソヒソ声に振り向くと、女がニカッと笑った。


「(ちなみに私は校長の孫。つまり校長は私のおばあちゃん。私のお願いならムチャな事でもたいてい聞いてくれるからね。感謝しなさい)」

「(おおおっ、感謝しますよ! マジで感謝! すげぇ)」

 縁故コネかよ! 最強じゃねえか。

「(ふふん。私は1年C組担任の加納紗江。試験ガンバリなさい)」

 そう言って女はギュッとオレを抱きしめ、やさしく背中をパンパンと叩いた。


(おお~っ、オッパイやらけ~。それに(す~は~)タバコのいい匂い)

 はっ! タバコ!!


「加納先生。お礼に給湯室の灰皿を片付けておきます」

「えっ?、アハハッ、ありがとう。あなた面白いわ! 灰皿で転入チャンスをゲットってわけね。じゃあ、お願いするわ」


 よっしゃ! ニコチンゲットだぜ。



 その頃、応接室はえらい事になっていた。


「だから何度もムリだって言ってるじゃないですか!」

「何がムリだ! あんたそれでも担任か!?」


(あああ、どうしたらいいのぉ!?)

 おろおろ


「私は立花のために言ってるんです。そもそも制度的に転入試験を受けることは出来ないし、たとえ受かったとしても、あの成績じゃ聖徳の授業についていけないですよ。半年もたないと言ってるんです!」


「あ……あんたウチの娘がバカだと言いたいのか?」

「さっきお父さんがご自分で言ったでしょ。娘は逆バトルONEだって」

「きさまーーっ、言っていい事と悪い事があるぞ、ふざけるなーーっ」


 ガラッ

「はーい、そこまで!」


 パンパンと手を叩きながら入室した校長とオレたちに、場が一瞬静まりかえる。


「(うおっ)」

 見れば、結衣父が今まさに山下に飛びかかろうとしていた。どう考えてもムキムキの山下に勝てるわけないだろ。どうなってる? そこまで頭に血がのぼる何かがあったのか?


「山下先生ご苦労様。お父様、お母様もご足労いただき、お疲れさまでした」

「校長!?」

「聖徳には受験できるように手配しました。本日の面談はこれにて終了です」

「「「えっ? ええ~~~っ!?」」」




 校長室


「あれで良かったんですか? 校長」

「良くありません。転入試験を受けても彼女は100%不合格です。ですから2人とも今日の事を人に話してはいけませんよ」

「おばあちゃん!?」

「校長、それはいったい!?」


「勘違いしてはいけません。私が落とすように手を回す事はありませんよ。ただ山下先生は知っているように、彼女の学力が全く足りていないというだけです。それと加納先生、学校では校長と呼ぶように言っているでしょう?」


「あ、ゴメン」


「えっ、じゃあ結果が分かっているのに、どうして受けさせるんですか?」

「あのままではいつまでも帰らないでしょう? 大声が廊下に響いていましたよ。山下先生はもう少し感情を抑える事を憶えてください」


「あ、いや、しかし……、すいません」

「それに失敗から学ぶ事は多いのです。彼女の復帰は2学期からでしたね? 2人ともフォローをお願いしますよ」

「それはもちろん! 担任としてばっちりフォローします」

山下はドンと胸を叩いた。


(うげ~、勢いでおばあちゃんに頼んだけど、あの子そんなに頭が悪かったんだ)

いやあ、失敗、失敗。




(よしっ! よしっ!!)

 家に戻るとすぐに2階に上がり、部屋の中を行ったり来たりしながら、オレは何度もガッツポーズを繰り返していた。

 細い細い糸を手繰り寄せて、なんとかスタート位置に立つ事ができた。結衣には偉そうな事を言ったが、こればっかりは内心ドキドキだったぜ。最悪、県外の私学もあり得たからな。そうなったら両親の説得は難しかっただろう。


「ここからだ」

 後は針の穴を通す。そう、試験に合格するのだ。


 その後、落ち着きを取り戻したオレは、山下相手に奮戦してくれた2人に礼を言うため1階に下りた。リビングにはなんとも重く、微妙な雰囲気になってる結衣両親がいた。


「ああ……やってしまった」

「パパ……」


 あ~、まぁなぁ、つかみ合いの肉弾戦にこそならなかったが、かなり熱くなっていたからな。だがそれは山下も同じだったし、お互い様だろう。それにしても対山下に期待したのは結衣母のほうだったんだが、まさか結衣父があれほど発奮するとは思わなかったぞ。


「2人とも今日はありがとう。山下先生はサッパリした性格だから(適当)、気にしてないと思う」

「結衣」

「結衣ちゃん……」


「なんなら後で一本電話を入れればいい」

「そうね、それがいいわパパ」

「ああ、そうだな。そうしよう」

「さあ、お昼にしましょう。ちょっと遅くなったけど、気分を変えて」

そう言って結衣母がテーブルにおかずを並べ始める。


「おっ、ブリの塩焼きか、油がのってて、こりゃうまそうだ」


 ブリの塩焼き、キンピラごぼう、白菜の一夜漬け、赤だしか……。確かにうまそうだが、オレの前には、いつもの茶碗一杯に満たないメシと、ミートボール3個、あとココアだけだ。だが食事が始まってすぐ事件が起きる。いや起こしたのはオレなんだけどね。


「おかわり下さい」

「「えっ!?」」

「お、おかわり? ええっと、おかわりね」

「ダメですか?」

「ダメじゃない! ぜんぜんダメじゃないわよぉ、でもオカズが……」

「塩でいいです」


「ゆ、結衣ちゃん、パパのブリはどうかな!? まだ手をつけてないよ?」

「いただきます」

「「 !! 」」


 その後、もらったオカズで3回おかわりをした。逆バトルONEなどと言わせないためにも体を作る! もう遠慮はしない。


「(パパ、結衣ちゃんが……)」

「(ああ驚いた。驚いたが悪い事じゃない。悪い事じゃないぞ)」

「(これからオカズは3人分ね。もちろんミートボールも作るけど)」

「(それがいい、そうしようママ)」


 コソコソと、うわごとのような会話をする2人をよそに、食事を終えたオレは2階の部屋に戻って、結衣が買ってもらっていた中学1年生の時の問題集を開く。


 聖徳の転入試験は8月20日。例年は7月初旬だが、一部校舎改築の影響で今年はこの日にずれ込んでいた。逆算すると今から約一ヶ月半の時間的猶予がある。これが聖徳にこだわった理由の一つだ。


 試験範囲は中学1年のまるっと一年間。そして試験科目は、英、国、数、の3つ。

(最初はたった3科目かと驚いたが、転入試験はだいたいどこの学校も、この英、国、数、なんだよな)

この科目数と一ヶ月半の時間的猶予があれば、十分勝負になる。


 さて、久しぶりにオレの学習テクニックを使うわけだが、やり方は実に簡単。その名も「いきなり問題集」

 教科書は読まなくてもいいが、もし読むなら次のルーティーンを終えた後だ。


 ① 最初は答えを見ながら問題ページを埋めていく。


 ② 次は①と同じ問題ページを答えをなるべく見ないで回答していく。必要なら答えを見て書き込む


 ③ 次は①と同じ問題ページを答えを見ずに自力で回答する。


 ④ ③と同じく①と同じ問題ページを答えを見ずに自力で回答する。


 ⑤ 最後は試験当日の前に確認の意味で答えを見ずに自力で回答する。


 これ①と②は、ゆるい感じでやればいい。③になると答えられない問いにだんだん腹が立ってくる。この感情が重要で、分からなかった問いはそれだけ印象に残る。この時点で7~8割が自力回答できるようになっている筈だ。④では、ほぼ100%回答できるようになっている。⑤は①~④で頭に溜め込んだ知識の、試験本番前の最終確認だ。


 これだけ何度も同じことを繰り返すと、問題文も答えも一つの文章として纏めて憶えてしまうから、少々ひねった問題の出し方をされたって、たいてい対応できるようになる。ただ、どんなにやっても本番の試験では、頭のどこかに引っかかって答えが出てこない事はある。


 だが、もうそれはしょうがない。こいつは才能があって学習能力の高いヤツに対抗するための、凡人や一般人の技術だからな。しかし、この方法で聖徳も含めて、たいていの試験を突破できる自信はある。


 全科目で使えるテクニックだが、特に暗記系の科目には絶大な効果が期待できる。逆に数学なんかは注意が必要だ。数式ってのは互いに関係しているみたいだから、さかのぼって原因を特定しないと何に躓いているのか判らない事があるようだからな。


 ただウチには結衣父という優秀なのがいるから、あまり心配はしていない。試験日まではアダルトサイトに掛ける時間を削ってもらい、その分を自分の娘のために使ってもらう。ヤツの言うバトルONEの頭に協力してもらうってワケだ。


 それにしても良い時代になった。ネットで検索すれば、各学校の過去の出題傾向や対策が全部出て来るんだからな。

 だが、もちろんそんなサイトに頼って山を張るつもりはない。試験範囲は全て頭に叩き込む。しかしそういったサイトやブログを利用する事で、学習にメリハリが着くのも確かだ。それらの情報は大いに利用させてもらおう。


 すーー ふーー

「よしっ」

 大きく一度深呼吸してパンパンと頬を叩き、オレは学習という名の単純作業の繰り返しにかかる。

な~に肩肘はる必要はない。こいつは自分の意思とは関係なく、知識を頭にインプットするテクニックだから。




 それから一週間ほど経った、ある日の夜。


 バタンッ

「ただいま~。結衣は?」

「おかえりなさいパパ。結衣ちゃんは今おフロ掃除よぉ」

「また?」


「いい気分転換になるんだって。部屋に篭りきりになるよりは良いと思うわぁ」


「いつも掃除はフロだけ?」

「あとは、トイレと自分の部屋ね」

「そ、そうか……」


「パパの部屋もしてもらう? 一応、中には入らないように言ってあるけど」

「いや、僕の部屋は自分でやるよ。仕事で使う大事な物があるからね」

 あ、危なかった。パソコンを覗かれたら父としての威厳が終わってた。気をつけよう。


「ねえパパ、結衣ちゃんの勉強をときどき見てるでしょ? どんな感じ?」


 結衣の勉強か……、う~ん。


「パパ……?」

「ママ、ひょっとすると、ひょっとするかも知れないよ」

「ひょっとするって、受かりそうってこと?」

「ああ、教えていて、何か手ごたえみたいなものを感じるようになってきた」

「まあ!」


 2人は結衣のいる浴室のほうへ、自然と目を向けた。



 ゴシゴシゴシッ

(フロ掃除って落ち着くんだよな)


 最初に勤めた工場ではオレが唯一の中卒で一番下っぱだった。だからフロ掃除を専属でやらされていた。だが従業員用の浴槽はでかくて時間がかかる。仕事が終わってから掃除を始めると、とてもじゃないが社員全員は入浴できない。

 そのため会社は勤務時間中に掃除をさせる事になり、その間は工場で働かなくてすんだ。


 オレとしては工場の単純労働よりフロ掃除の方がよっぽど好きだった。ちょっとだけ得した良い思い出だ。


「ふぃ~っ、これくらいか……」




 試験勉強は順調だった。

 問題集は英、国、数、とも全部やり終え、すでに2周目に入っている。

 そして今は久しぶりに夢の中で結衣に会っていた。


「お兄さん大丈夫?」

「ん? ああ……」


(よっこらしょっと)その場に胡坐をかく。


「ふう、試験勉強は順調に来ている。もう少し今のをやったら、次は違う出版社の問題集を買って来てやるつもりだ」


 最近は教科書にも目を通してる。重要ポイントは全部記憶ずみだから「ああ、知ってる。これも知ってる」と、ちょっとした予言者になった気分だ。

 この感覚は結構おもしろいんだが、試した人間でないと分からないだろうな。


「お兄さん大変そう。顔色が悪い。ムリそうなら転校あきらめても……」

「いや、うまく行ってるからこの状態なんだ。心配するな」

「そう……」

「でも、そうだな、ちょっと横になっていいか?」

「うん、いいよ」

「ふぁ~、夢の中で眠いってのも変な話しだよな。ハハ……」

 そう笑いつつ、オレは体を横たえた。


 お兄さん、本当にガンバッてくれてるんだ。


「……」


「私も一緒に寝ていい?」


 す、


 すか ぴ~ すか~


「え? もう寝ちゃった」


(じ~~っ)

「ふふ……」

 やっぱり、おじさんじゃなくて、お兄さんだよ。


 大の字で寝てしまったお兄さんの右腕を枕にして私も横になった。


 その時


『お前がウチの子じゃなきゃよかった』


(えっ?)


『このすね齧りがっ! 親がいなけりゃお前なんかみなし子だ。施設に入っとるんだぞ!』


(キャッ、なに?)


『お前が生まれたせいでオレはやりたい仕事をあきらめたんだ。誰のせいか分かっとるのか!』


(ひっ)

 見知らぬ声に飛び起きて、あたりを見回した。


「お兄さん……?」


 いつの間にか、お兄さんは居なくなっていた。



 う、う~~ん

「あれ? 結衣?」


(……おかしいな、結衣に会っていた気がするんだが気のせいか?)


「ふぅ、しかしよく寝たぜ。なんか久々に体が軽いぞ」

 体を起こして肩をクリクリ回してみる。

 そしてまずは顔を洗おうと1階に下りた。そこには何やらピンクのユニフォームを着た結衣母がいた。


(うおっ、短パン! さらに上下ともピッタリと体の線が出ている!!)


「あ、おはよう結衣ちゃん」

「そ、その格好は……」

「えへへ 似合うでしょ? 普通のユニフォームでママに合うサイズが無いからぁ、スポーツ用品を卸している島田さんがぁ、またママの為に特別に用意してくれたのよぉ」


 町内会の草野球チームか! 見れば胸にでっかくチーム名がある。しかしこれは……。


「お父さんはこのことを……?」

「知らないわぁ。だって呼んでも見に来ないんだもの」

 ぷぅーっ、と頬を膨らませる結衣母。


 確かに結衣父にとってスポーツは苦手分野。わざわざ足を運んでまで見ようとはしないだろう。

(しかし、このユニフォーム……)

 町内会のヤツら絶対に視姦目的だろ。結衣母のこのユニフォーム姿を見てニヤニヤ鼻の下を伸ばす、敵味方両チームのオッサンどもが目に浮かぶようだ。


(あ……頭痛て)

 顔を洗ってこよう……って今昼の2時!?

 テレビの時間表示を見て驚いた。


 学習作業を優先させるあまり、生活がメチャクチャになってるな。いっそ今日は完全オフにして生活リズムを戻すか。

(体調を整えるのも戦略の内だ)


「そういえば、結衣ちゃんを助けてくれた人がテレビに出てるわよぉ」


(えっ、オレを助けてくれた人?)


「ほら、あの女性弁護士。憶えてないと思うけどぉ、その場でスグに救急車を呼んでくれたのぉ」

 そう言って画面を指差す。


 救急車? ああ、あの公園の時か。

(松嶋里香……。弁護士コメンテーターねぇ)

 まあ、オレには関係ないな。


「もう有名人になっちゃったから会えないけどぉ、転入試験が終わって落ち着いたらぁ、お礼の手紙を書きましょうね?」


 そうだな、結衣の為にそうしとくか……。


 その後も毎日オレは学習作業を続けた。時々ストレスで何もかも嫌になる日があったが、そんな時はムリせず一日リフレッシュに充てて凌いだ。



 そして遂に来た8月20日。決戦の時! 英、国、数、各問題集をそれぞれ3周、出版社を替えてさらに2周、聖徳の出題傾向も把握済み。最終チェック⑤も全問正解死角なし。体調も万全に整えたオレは、いよいよ結衣にとって人生の分岐点、勝負の瞬間を迎える。


 朝8時30分に2人で聖徳の面接を受けたあと、オレは結衣母と別れて、1人試験会場として用意された教室へと移動。今回の転入試験、2年生はオレを含め2人。そして1年生が3人。試験自体は全員同じ教室で受ける。


 オレは配られた答案用紙を前に、パンパンと頬を叩いて気合を入れた。


「(いざ勝負!)」




 全ての試験が終了したその日の午後2時。


 コンコン、

「おばあちゃん居る?」


 ドアの隙間から顔を覗かせて、孫の紗江が声を掛けてくる。


 まったくこの子は何回校長と言うように……いえ、今は自宅でしたね。


「ふぅ、……なんですか?」

「へへ あの子のことが気になってね。もう結果は出てるんでしょ?」


「そんなことで……、今は夏休み中ですが一部に補習の生徒がいた筈です。家が近いからと自習にして抜けてきましたね?」

「ぶーっ! 結果が分かれば戻りますぅ! おばあちゃんだって気になってるでしょ!?」


「私は個々の生徒をいちいち気にしませんよ。それは担任の仕事です」

「えいっ!」

 掛け声とともに孫が机の上のスマホを引ったくった。


「も~、わざわざ机に出して連絡くるの待ってるじゃない」

「あ、こら返しなさい!」


 ピッ

「こっちから掛けちゃえ」


「こ、こら、こら!」

 あわてて取り返した。

 本当にいつまでたっても子供で困る。


「ちぇっ」

「(はい、愛知聖徳中学校です)」

「あ、あ~、私よ。(こら、離れなさい)」」

 抱きついてスマホに耳をあてに来る孫を、グイッと引き剥がす。


「ぶーっ」


「そう、そうなの……分かりました。ありがとう。はい、ご苦労さま」

 ピッ


「どうだった!?」ワクワク

「ふぅ~」

 椅子に深々と腰掛けた私に孫はキラキラした目で聞いてきた。


「……結果は満点だそうよ」


「は~、やっぱりね~」


 ……え?

「え、ま、満点? 満点っ??」


「試験は合格。これで満足したでしょう? さあ今すぐ戻りなさい。いくら家から学校が近くても、生徒をほっといて良いわけがありません」


「は、はいいっ」


 ふ~っ

 飛び出していく孫の背中を見ながら、盛大にため息を吐いてしまった。

 そして机に肘をつき手に顎を乗せて考える。


 これは一体どういう事? 聖徳は各科目100点、合計300点満点で合否を決めます。実は全科目で満点を取ること自体、しっかりと勉強すればそう難しくはありません。

 大学入試などの試験と比べるまでもなく、出題範囲は狭いし基礎を中心にしている為、捻った問題も出ませんからね。実際、過去にも何名かは全問正解者が居た筈です。


 報告では、あの子には間違っても合格する学力は無かった筈。何か秘密でもあるのでしょうか?


(まさかカンニング?)


 ……あり得ませんね。範囲が狭いといっても3教科の一年分。たとえスマホに全ての情報を入力して、どこかに隠し持っていたとしても、試験管の目を盗みつつ更に答案用紙の全部に、完璧に答えを書き込むなど不可能です。


 あとで担任の山下先生に話しを聞いてみますが、たぶん何も分からないでしょうね。


 ふ~っ

(あ、また、ため息が……)



 そして夕方5時、立花家

 聖徳から結衣母のケータイに、合否の連絡が掛かって来るのを待っている。


「あああ、どうしよう、どうしましょう」

 結衣母は、さっきからリビングと廊下を行ったり来たり。意味なくトイレを出たり入ったり。


「……少し落ち着いてください」


「落ち着いてる。落ち着いてるわ。面接どうだった? ママの面接どうだった?」


 普段は間延びした話し方の多い結衣母だが、テンションが高いせいか、ずっと普通にしゃべっている。

 ただ内容が少し支離滅裂だが。


「あ、」


「あ?」


「トイレ……」


 ガクッ (またか……)


 カタカタカタカタ……

(そしてもう1人)


 カタカタカタカタ……

 目の前には腕を組み、椅子に座ってふんぞり返って目をつむり、眉間にシワを寄せる結衣父がいた。


 カタカタカタカタ……

(なんでお前がこの時間ここに居る! その貧乏ゆすりをやめろ!)


 周りがパニックだと、かえって本人は冷静になるらしいが、あれは本当だな。


 オレは目を閉じて静かに今日の試験を反芻する。


 回答手順は作戦通り。確実に分かる問題を優先して解いていき、微妙な問題や捻ってそうな問題は、後回しでジックリやる。

 なるべく早めに答案用紙を答えで埋めておいて、残りの時間でミスや書き間違いがないかを最終チェック。

そして名前だ。はやる気持ちで問題に集中するあまり、名前を書き忘れては元も子もない。基本中の基本だが大事なことだ。


(全力を出し切った今回の転入試験、全ての回答に自信がある!)


 だがオレの目的はあくまで試験の合格で、満点を取ることじゃない。しかしスポーツでもそうだが優勝を目指してこそ、初めて2位や3位に届くのであって、最初から低い志では予選突破すら怪しいだろう。


(どうだろう? やれたという手ごたえは有ったが……)

 どうやら2人に負けず劣らず、オレも緊張していたようだ。


『う~さ~ぎ~お~いし、か~の~や~ま~♪』

 その時ついにケータイが鳴った! 聖徳からの合否連絡だ。

(なんじゃ、この着信)ちょっとコケた。


 ドタタタ!

 次の瞬間、結衣母がトイレから飛び出し、テーブルのケータイを奪い取った!


 カッ

 結衣父の目が開いた!


 ピッ

「は、はい、はいっ。た、た、立花です」


「(愛知聖徳中学校です。本日はお疲れ様でした。それではさっそく結果をお伝えしますね)」


(((ゴクリ……)))


「(おめでとうございます。合格です)」

「ご、合格~~~!!??」

「(はい、おめでとうございます)」

「あ、ありがとうございます。ありがとうございますぅ~~~。うわああん」


「うおおおおおっっ!!」


 号泣する結衣母に、両手を突き上げ雄たけびを上げる結衣父。


 オレは感極まって感情を爆発させる2人に替わり、電話を引き継ぐ。

「はい、はい、それで新学期の登校までのスケジュールですが……はい」


 必要なことをメモしていく。転校手続きの書類は今日すでに聖徳から発送済みの筈だが、始業式の9月3日まで日数がない。制服も用意しなくてはいけないし、時間的には結構タイトだ。書類が届くまでに、できる事はさっさと進めたほうがいい。


「はい、分かりました。ありがとうございました」

 ピッ


 お~いおいおい、お~いおいおい

(お、重い……)

 電話中、オレにしがみ付いてギャン泣きする結衣母だったが、鼻をすすりながら立ち上がると冷蔵庫から何か出してきた。

(なぜ誕生日ケーキ? いや違う。チョコプレートに『合格おめでとう!』の文字が!)


 その文字を見た結衣母がまた……。


「うわああああんんっ」


 後ろでは結衣父が顔を真っ赤にして、あちこち電話しまくってるし。


(収拾つかねえなコリャ)

 オレとしては、山を一つ越えたにすぎない。これから他の科目を過去に遡って学習しつつ、平行して学校の勉強もしなきゃならないし、しばらく大変な日々が続くことになる。


「わああん」

「うおおおっ」


 でもま、今日くらいはね。


「ひょおおっ、合格したぞーっ」

 オレはそう叫ぶと3人で輪になり踊り出した。



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