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そこそこへの挑戦  作者: 幸 弘
1/11

プロローグ 2人で

 さち ひろしと申します。完走を目指します。よろしくお願いします。


 初夏、住宅の並ぶ裏通り、オレは今日も仕事で軽トラ貨物を走らせていた。

(もう昼か……。次の配達が終わったらメシにするか……)

 タオルで汗をぬぐいつつ、頭の中でそうつぶやきながらアクセルを緩める。すぐこの先の左側に公園があって非常に危険なのだ。オレ自身、2度ほど子供の飛び出しで、ヒヤリとしたことがある。


 ……と

 タンッタンッタンッ……。


 公園からボールがコロがってきた。ドッヂボールのちっこいのが道を横切っていく。オレは落ち着いて車をとめた。


「わーー」

 ほら来た。


 幼児が声をあげながらボールを追って飛び出してきた。そう、天気のいい日曜日の昼間は特に要注意なのだ。

(とはいえ、もう3ヶ月以上休みなしで働きづめだから、曜日の感覚がかなり曖昧になってるんだよなぁ……)


 オレは中卒46才独身で、社会的には底辺ってやつだ。仕事はキツく休みも無い。だがこれでもマシになったほうだ。以前は……、特に子供のころは本当にひどかった。


 道の反対側に渡ってボールを拾った男の子がこっちを見てる。今、はじめてオレの車に気づいたのだろう。道の端っこで固まっている。


(ふう、さっさと配ってメシにしよ)


 アクセルに足をのせたその時、ダッともう一人、今の男の子を追いかけて別の子供が飛び出てきた。


「うおっ」

バンッと、とっさにブレーキを踏み抜く!

「あ……あぶねー、今のはビビッた~~、ってええっ!!」

その子供が車の前に倒れていた。


「いやいやいや、当たってねえって! オレ止まったって!!」


 嘘だろぉ!?

 底辺とはいえ自分なりにマジメにやってきたつもりだ。

 その結果がこれかよ!

 ふざけんなよ!!

(どうする? 逃げるか!? ……ダメだ、もう人が集まってきてる。逃げれねぇ!)


(……いや)

 いやそうじゃねぇ、とにかく子供を助けるんだ。オレはオレを育てた、あのクズ二人のようにはならんぞ!

 そう奥歯をかみ締めると、サイドブレーキを引き、いそいでオレは車を降りた。


 ……はずだった。




「おい大丈夫か!?」


「さわっちゃダメ! 今おかしな倒れ方をしたわ。警察に連絡したから救急車もすぐ来るわ。それまで動かさないで!」

「えっと……君は?」

「私は弁護士よ」


 私は松嶋里香、弁護士だ。今日は退社した弁護士事務所のロッカーの私物整理に来たところで、この事故に遭遇してしまった。

 子供を助けたいというこの人の気持ちはわかるけど、それぞれが勝手に動いては状況が悪化しかねない。弁護士という職業は救助活動に直接関係ないのだけれど、今のやりとりで周りは私が主導することを認めてくれたようだった。


 倒れた少女の状態を確かめる。

「小学校高学年くらいかしら? 意識は無いけど呼吸はしているから、とにかく救急車が来るのを待ちましょう。」


「……なあ、あんた」

 自主的に交通整理をしてくれている、男性の一人に声をかけられる。

「オレには車が接触したようには見えなかったんだが……」

「私にもそう見えたわ。突然気を失ったようだった」


「わたし見たわ! その車が女の子をはねたのよ!」

 倒れた子供、少女を助けようと集まった私たちが振り返ると、そこにいた一人の中年女性が大声で主張する。


「えっ……と、失礼ですけど、それを見た時どちらにいました?」

「軽自動車のうしろよ! 女の子が倒れたの!」

(((うしろからじゃ見えないだろ!!)))


 そういえば、さっきから軽トラのドライバーが降りてこないわね。運転席を覗くとハンドルに突っ伏している。


 ?


「ちょっとおじさん?」

 ガラスをノックしてみるが返事がない。子供をはねたと思い落ち込んでいる? それにしては様子がおかしい。ドアを開け肩をゆすって声をかける。


 意識がない……というか死んでる?


(ど、どういうこと!?)

 私はこの状況にとまどい、呆然と立ち尽くした。





 目覚めるとそこは病室だった。


 ボンヤリとした意識のなかで周囲に目を向けると、ベッドのそばに立っている女が、なにやら看護婦と話しをしている。女は20代前半だろうか? セミロングの髪をダークブラウンに染めて、緩やかにかかったウェーブが美しい。デニムのパンツ、カーキ色のシャツを肘までめくってラフな格好だ。


(なかなかの美人だ。眼福だなこりゃ♪)

 ハっとして女が振り向いた。薄目でジっと見ていたオレと目が合う。


「ッ……!」

 なんか固まったな。両手を口にあてて絶句している。ほんと美人だな。誰だろう?


「結衣ちゃん!?」

(は?)

「結衣ちゃんっ 結衣ちゃん! 良かったぁ!!」


(はああ??)

 女が抱きついてきたよ。なんだこりゃ!?


「えっと……。だれ?」

「「えっ!?」」


 5分後、

 病室には担当した医師、カルテを持った看護婦、母親を名乗る最初に目の合った女、メガネをかけて小太りで若干頭が薄くなった、40代ぐらいの父親を名乗るおっさんらが集まっていた。おっさんは会社を早退して、ちょっと前には来ていたらしい。

医師がむずかしい顔でオレに聞く。


「……では、自分が路上で倒れたことも覚えていないんだね?」

「ああ、覚えてねえな」


「「「 !! 」」」


 また全員固まってしまった。

 さっきからオレが口を開くたびに息を呑み、互いに顔を見合わせる。そりゃそうだ。娘が目覚めたら突然おっさん口調でしゃべり始めたんだからな。


 点滴が刺さった白く細い自分の腕に目を落とす。

 そう、オレはあの時目の前で倒れた子供、少女の体になっていた。精神が入れ替わっていたんだ。しかしまだ実感などあるはずもなく、何か夢の中にいるような感じだ。


 おっさんが医師にたずねる。

「先生、娘はいったい!?」


「ん~……、記憶障害の一種かもしれません。専門医に診てもらわないと何とも言えませんが……」


「な、治りますか?」

 うわずった女の声。

 医師が看護婦から受け取ったカルテに目を通しつつ答える。


「一時的なものかもしれません。少し様子を見ましょう。脳にも異常があるように思えませんし……」

「そうですか……、そうですね……。幸い娘は落ち着いているようですし」

 そう言うと女はため息をついた。


(いやいや女さん。落ち着いてるわけじゃないから。この状況に、ついて行けてないだけだから)

「いずれにしろまだ少し入院が必要でしょう。20日以上寝たきりでしたから」


 20日!?


 たまげた。

 目が覚めた。

 そしてアセッた。

 思わず聞いた。


「け……軽トラのドライバーは!?」

「死んだよ。過労死だ。」

 おっさんが吐き捨てるように言う。


(え……死んだ?)


「結衣をはねた当然の報いだ。ザマアみろ!」

「パパ!」


「立花さん、娘さんが入院して気持ちは分からなくも無いですが、はねていませんよ。外傷もありませんし、事故ではないと警察の方も言ってました」

「同じことです! 結衣は軽トラに驚いてこんな目にあったんだ。全部アイツのせいだ!」


 死んだ?……オレが死んだ??




 病院で目覚めてから数日後、今オレは自宅に帰って来ている。と言ってもこの体の本来の持ち主、立花結衣の家なわけだが……

 あれから一ヶ月近くが経っていた。オレは退院後に両親の目を盗んで勤めていた自分の会社に電話したんだが、個人情報を盾にオレのその後がどうなったかは教えてもらえなかった。電話に出たのは社長の奥さん。社員のことはいっさい教えられないと、取り付く島もない感じだった。


(おかしいだろ! 以前はそんな情報ガバガバだったじゃないか)


 オレの体は今どうなっているのか……。

 2階の結衣の部屋で花柄ピンクのベッドに寝転がって考える。


 オレと結衣、2人の心が入れ替わったんだとしたら、結衣も今のオレみたいに生きていてほしい……。それならまだ希望が持てる。

 2人で頭をゴッチンすりゃぁ、元に戻るんじゃないか?


 だが、あのとき結衣父 ( ゆいちち )は、はっきり死んだと言った。

それに本当はズサンな会社のくせに、個人情報は教えられないとツっぱねてきた奥さんの対応もおかしい。

 労基(労働基準局)が査察に入ったのかもしれん。それであわてて電話対応を変えたんじゃないか?

つまり、結衣父の言った過労死は事実ってことだ。でなきゃこのタイミングで会社に労基が入る理由がない。


 入院から数えて約一ヶ月。

 もう認めないといけない。

 オレの体はすでに焼かれて骨になってる。

 少なくとも死因を特定するために、司法解剖とかはされてる筈だ。


 つまりオレの帰る体はもう無い。


(ぐあああああああっっっ)

 くっそーっザけんな!ふざけんな!!

 頭をかかえて転げまわった。

 過呼吸で気が遠くなった。


 はあっ、はあっ、はあっ、ふーっ、ふーっ


 ……まて、つーことはなんだ、結衣本人はオレの体ごと燃えちまったってことか! 車ではねてなかったのには正直ホっとしたが、それどころじゃねえ。2人のうち1人が完全に死んじまってる。もう元の体にも戻れねえ。

 くそっ、なんなんだ。ったく!


 そのままグッタリしていると結衣母(ゆいはは )がドアをノックしてきた。


「……結衣ちゃん、入ってもいい?」


 あれからこの両親にはかなり警戒されてる。まあ当然だろうな。だからここ数日は、せめて敬語っぽい丁寧な話し方を心がけている。この体に合わせた女言葉なんてオレにはできないが、めしを食わせてもらってるんだ。一応気は使うようにしている。


「……どうぞ」


「あのね、担任の山下先生と結衣ちゃんのお友達がお見舞いに来てくれてるんだけど……」

 そういやぁ、今日、誰か来るって聞いた気がするな……。ベッドに座り直して部屋に入ってもらうことにした。(寝巻きのままだが、いいよな?)


「立花ーっ、元気そうじゃないか!」


 まず入ってきたのは担任の山下か? ムキムキとした体にジャージを着て首には笛をかけ、部活終わりでそのまま来たのか妙に熱くるしいし汗くさい。


「お前の元気な顔を見て先生安心したぞ!」

「はい……ありがとうございます」(……でいいのか?)

「吉田、成瀬、入れ」


 おずおずと制服の少女達が入ってくる。一人はメガネ、一人は少しポッチャリしている子だ。記憶障害の件は当然聞いているはず。2人とも不安そうだ。ムリもない。


「結衣……(私達のこと)わかる?」

 メガネがおそるおそる聞いてくる。


「……すまん」

「「 !! 」」


 気まずい雰囲気になったが仕方ないしどうしようもない。その場しのぎで嘘ついてもどうせすぐにバレるしな。


「まあ、ゆっくり休め。もうすぐ6月も終わる。お前はこのまま夏休みだ。2学期には元気に登校してくれると先生うれしいぞ。」

 そう言うと、バンバン背中を叩かれた。

(痛って~っ、加減しろよ)


「これ……」

 2人が何やら色紙を差し出してきた。クラス全員の寄せ書きだろう。

「……待ってるから」


 色紙を受け取ると最後にそう言い残して3人は帰っていった。

(はぁ~、待ってるかぁ、そう言われてもなぁ……)


 2学期になれば嫌でもクラスメートと顔を合わせる。だが本物の中学生たちと中身がオッサンでは、話しがかみ合うはずがない。間違いなく孤立、いわゆるボッチってやつになるな。(経験はないが)


(……)

「寝よう! もう寝る!!」


 そう宣言すると、イチゴパジャマのオレはベッドにもぐり込んだ。心身ともに疲れきっていたオレは、まるで気絶するように眠りについた。





 夢を見ていた。


 夢だという自覚のある夢だ。


 夢の中でオレは誰もいない、生き物の気配すら感じない街に立っていた。見覚えのある街に。


(ここは……会社の社員寮の近くだ)


 しばらく歩くと社員寮に着いた。古ぼけて全体がベージュ色の見慣れた寮だ。ここの2階の角部屋がオレの入っていた部屋だが、夢の中でも表札にはオレの名前、オレの部屋だ。


 ドアノブに手をかけてみる。

 ガチャリ

(開く……)


 ドアを開けると、そこは黒く塗りつぶしたような奥行きの判らない空間があり、握ったはずのドアノブは既に手の中になく、背後のドア自体も知らないうちに消えている。

 そこには一人、子供がいた。おかっぱ頭で4~5歳くらいだろうか? 膝をかかえてうずくまっている。体は白くモヤがかかったようにハッキリしない。


(座敷わらし?)


「おい」

 声をかけてみる。その声に子供はゆっくり顔を上げた。ずっと泣いていたのか頬には涙のあとがある。

てか、この顔!


「……お兄さん、だれ?」

 お兄さん? オレのことか? それよりこの子は!

「お前、もしかして立花結衣か?」


 !!


「どうして私の名前を知ってるの!?」


 やはり!

 今、目の前にいるのは結衣の心だ。しかし、これはどういう事だ? 互いに心と体が入れ替わったと思っていたが、一方的にオレがこいつの中に入って体を乗っ取っちまったってのか?

(マジかよ……)


 結衣はガン見してオレの返事を待っている。だがどう説明すりゃいい!? オレ自身も現状わけ分からんのに。

 だが事実として今はオレがこいつの体を使っている。しかし心情的にはオレだって被害者だ。


 いや、

 やはり一番の被害者はこいつかもしれん。オレの死には過労というハッキリした原因がある。納得はしていないが理解はできる。だが自分がどんな状態なのかすら、今のこいつには分かってないだろう。

(今まで、そうとう不安だったろうな……)

 しゃがんで結衣の目線に高さに合わせる。


「お前、今の自分がどういう状況にあるか分かるか?」

「ううん」

「元に戻りたいか?」

「戻りたい! 戻れるの!?」


「分からん、だが……、なんとかしてやるつもりだ」

 思わず口にしてしまったが、その場しのぎじゃなく本心だ。

「本当!?」


 結衣が泣きそうだ。だがその涙をオレが見る事はなかった。オレの体が、この闇に溶け込み始めたからだ。


「これは……体が目覚めようとしているのか!?」

「お兄さん!!」


 体がどんどん透けていく。

「結衣! また来る!」

 しかし目を覚ました時に、この出来事を覚えていられるのか!?


「お兄さん行っちゃやだ!!」


 ガブーッ


 結衣がオレに抱きつき……そこねて、しがみついた右手に思いっきり噛み付いた。

「いってーっ」

 目が覚めた。


(今のは夢?)


 ズギン

「あだっ」

 鋭い痛みに右手を見ると、親指の付け根にクッキリ歯形が付いていた。


 ……マジかよ。




 今朝も、結衣母と日課の早朝散歩に出かける。記憶障害の娘がフラっと行方不明になるのを防ぐためだと必ず2人で歩く。入院中に落ちた体力を戻すために町内を歩くのだが、すでに体調は良くなり、あまり必要はない気がする。

 しかし結衣母には見知った近所の景色をたくさん娘に見せて、早く記憶を取り戻そうとの考えでもあるのだろう。早朝散歩をやめる気はないようだ。

(気持ちは分かる。……ムダだけど)


 あの夢から3日がたった。どうやら結衣は夢に毎回出てくるわけではないらしい。次にいつ合えるかは分からないが、一応今後どうするかは決めてある。


 イメージ的には、ザッとこんな感じだ。


①結衣の回復と、オレの居場所の確保

②学力の向上

③私立中学への転入


この3つの内容を具体的にノートに書いてみる。


 ①結衣の回復とオレの居場所の確保

 まず結衣に体を返す為の方法を探す。そしてうまく返せたらオレは結衣のいた夢のあの寮に留まる。つまり今の2人の立ち位置を逆転させるわけだ。オレの体はもう無くなってしまったが、せめて精神だけでも生きていたい。これは結衣に了承してもらうしかない。


 ②学力の向上

 結衣の学校の成績は、だいたい中の下といったところらしい。勉強嫌いというわけではなく、努力が結果に結びつかないタイプのようだ。中卒のオレの成績はもちろん悪かった。だが今のオレには学力を上げる自信がある。社会に出てから開眼した秘策があるのだ! オレはそれを試したい。


 ③私立中学への転入

 夏休みがあけて今の状態で2学期を迎えると、間違いなく結衣の人間関係は壊滅する筈。だから見知った顔のない場所へ緊急避難する。できれば女子高がいい。(万が一にも男なんぞに言い寄られたくないからな。そうなったら一瞬でキレる自信がある)


 こうやって、ある程度考えを纏めることができたのは、オレが精神的に落ち着いたことが大きい。結衣がこの体の中で、まだ生きていたという安堵感。だが、それ以上に彼女自身の心の変化が、体調に良い作用をしているのだろう。今まではあの暗闇での結衣の不安が体に伝わり、オレの気持ちを落ち込ませていたのだ。割と切り替えの早いオレが、いつまでもグダグダ状態だったのはそのせいのはず。


 つまり結衣の心と体は完全に途切れてしまったわけじゃなく、まだどこかで繋がっている!

(回復のヒントは、この辺りにあると思う)


 早朝散歩の後は家族3人で朝食を取る。テーブルに座ると目の前には茶碗に半分のメシと、小皿にミートボールが3個にアイスココア。朝昼晩3食ずっとこれ。

(なんちゅー組み合わせ。量も異様に少ない)


 最初は虐待を疑ったがそうじゃない。結衣本人が異常に偏食で小食だったのだ。オレには全く足りていないんだが、倒れる前とあまりに違った行動をすれば、本当に精神科に連れて行かれかねんと、すきっ腹をかかえてずっと我慢している。

(この食事内容についても、次に夢で会った時に本人から話しを聞いたほうがいいな)


「じゃあ結衣ちゃん、パパ会社に行ってくるよ」

「はい」

(うう、「パパ、いってらっしゃい」と言って欲しい……)


 結衣父が少し悲しそうな、微妙な表情をして出勤していった。結衣は両親を「パパ」「ママ」と呼んでいたらしいが、

(言えるかそんなもん! 40過ぎのオッサンだぞオレは)


 ここでこの両親の情報を、結衣母の話しも交えて少し整理しよう。今後の計画にも大きく影響するからな。


 まず年齢だがオレより年下で2人とも35歳。幼馴染みがそのまま結婚。(この2人が同い年とは意外だった。パっと見、歳の差カップルにしか見えんかったぞ)


「ママは高校のとき全国大会まで行って、結構有名なソフトボール選手だったのよねぇ。それで卒業したらウチのチームに来ないかって、ある企業から学校を通してお話しがきて、せっかくだから説明だけでも聞こうとその会社まで行くことにしたのよぉ。そしたらその日の朝、駅に行くとパパが待っていてぇ、好きだから行くなって。あの時は感動したわぁ」とは結衣母の弁。


「パパは私がそのまま就職して帰ってこないと勘違いしたみたい。昔からおっちょこちょいなのよぉ」

 笑いながら「そこがカワイイのよね~」とノロける。それが異性からの初めての告白で、めちゃくちゃ舞い上がったそうだ。


 結衣母は小学生の時から背が高く、スポーツができる上に美形なため女子にはモテた。逆に男子からはデカ女などと揶揄されいたらしい。


 運動神経抜群のスポーツ少女だったという結衣母だが勉強は苦手。それに対して結衣父は完全に運動音痴。だが成績は非常に優秀で、某国立大卒業後に大手一流企業に就職。今ではそれなりの役職についているらしい。高給取りで車は2台。結衣父がミニクーパー、結衣母がハスラーに乗っている。しかも自宅は持ち家。この歳で庭付き一戸建てを購入済みとは、人生どんだけ順調なんだよ。


「本当はママも働きたいんだけど、パパが許してくれないのよねぇ」


 嫁が美人だから外に出すのが心配なんだろうか?


 いま結衣母は町内会の草野球チームに所属しているので、週末以外は家でゴロゴロしている。最近機嫌がいいのはオレが家にいて寂しくないからだろうか?

(結衣父よ、もし嫁の浮気を心配しているなら、過剰に暇を与えるのは逆に悪手だぞ)と心の内に言っておく。


 話しをまとめると夫婦仲は良好。そして2人とも娘を大切にしている。さらに重要なことは結衣父の稼ぎが良くて、経済的に余裕があることだ。

(すでに家持ちだしな)

 これならアプローチしだいで私立中学の学費も期待できる。オレは計画を具体化する為、さらに必要な情報を集めることにした。


「ネットで調べたいことがあるので、パソコンを貸してほしいです」

「あれ? 結衣ちゃんパソコンできたっけ!?」


(ぐ、マズったか!? なるべく結衣本人と乖離した言動は避けたいんだが)


「パソコンはパパの部屋にあるけど、ママ使い方知らないのよねぇ。なによりパパが部屋に入るの嫌がるしぃ」


 あ~、なんかイヤな予感がする。


 一緒に部屋に入ろうとする結衣母を、1人で調べたいからと押しとどめて中に入る。もちろん結衣父には内緒だ。部屋は綺麗に整頓されていて、几帳面な結衣父の性格を伺わせた。

 机にあるノートパソコンを開き、待機状態の画面をクリックすると……、やっぱりそこはエロサイトでした~。


 ふぃ~~、夫婦関係の悪化を未然に防いだぜ。


 さてと

「私立中学 女子 転校」っと


 オレは検索を開始した。




 やはりこの街は、生き物の気配がしない。


 今夜オレは4日ぶりに夢の中の社員寮に来ていた。ネットで得た情報をもとに、今後やるべきイメージがさら更に纏まってきている。これからその話しを結衣にするつもりだが、その前に確かめたいことがある。

 今も結衣は2階のオレが使っていた部屋にいるはずだ。しかしオレはその下、1階の部屋のドアノブを回した。

 ここは少し前に入社した後輩の牧野がいた部屋だ。生前のオレはアイツの部屋に一度も入ったことが無かったが、だからこそある予感があった。


 ドアを開けるとそこは、生活用品等は何も無い入居前の部屋だった。


 思った通りこの部屋の記憶がオレに無いせいで、牧野の私物はひとつも無い。しかし2階の部屋と違い暗闇なんかじゃない、キッチンやトイレもある普通の部屋だ。そのまま中に入って意識を聴覚に集中する。すると徐々に何かの音が聞こえて来た。


 すー すー


「よしっ、いける!」


 それは結衣の、この体の寝息だった。オレが確かめたかったこと、それはこの夢の中で外界の情報が入るかどうかだ。2階のあの真っ暗な部屋からは外の様子が全く分からなかったが、1階のここなら今寝息が聞こえたように、意識を集中すれば結衣が元に戻っても、色や匂いといった五感すべての情報が得られるはず。

 外界から完全に隔離された2階の部屋に比べて、こっちのほうがはるかにマシだ。この事実は、もはや帰る体の無いオレにとって、かなりの慰めになった。


 2階に上がって一応ノックしてドアを開ける。見ると結衣は前に来たときと同じように、暗闇の中で膝をかかえて、うずくまっていた。


「お兄さん?」

 顔を上げる結衣。

「ああ、また来た」


 オレの返事にホっとしたような、それでいて縋るような顔をしているな。


「なあ、こんな場所に1人で怖くないのか?」

(ヤベッ、見たまんま、つい聞いちまった。怖くないわけ無いだろ。何やってんだオレ)

 思いっきりやらかした感があったが、結衣の返事は意外なものだった。


「怖くない……でも不安」

「……不安か、だが怖くない? なぜ?」

「自分の中だから怖くない。でもずっとここから出られない」


 結衣は話した。

 この漆黒の空間を、どこまでも歩いていく。自分の中だと分かるし、どこかにたどり着けば、また本当の自分に戻れるような気がすると。

 しかしどんなに歩いても、気付けば、また元のこの場所に戻っている。真っ暗で目印も何も無いのに、元いた場所だと何故か分かるらしい。


(1人で約一ヶ月、今日までそれを繰り返していたのか)


 この4~5才の幼児に見える結衣が、歩き続ける姿を想像して言葉を失った。

 不安だしツラすぎる。


 これは今後の計画を話す前に、今までの経緯と現在の状況を、キッチリ説明するべきだろう。


「今から話すことをよく聞いてくれ」

 しゃがんで結衣に目線を合わせる。次の一言にどんな反応をするか、たやすく想像できてしまうので一瞬躊躇するが、オレは静かに伝えた。


「実は、今お前の体を動かしているのはオレなんだ」

「え? ええーーーっ!?」


 そりゃ驚くよな。


「どうしてっ!? お兄さんが私の体を取っちゃったの!?」

「いやちが……」

「返して! 私の体かえして! ママに会いたい。ママ!!」


「まて! 落ち着いて聞いてくれ」

 興奮する結衣に、オレたち2人に何が起きたのかを大声で叫ぶように話した。


 結衣が公園の外で倒れたこと。

 同時にそこでオレが死んだこと。

 その20日後に、何故かオレが結衣の体で目覚めたこと。

 今は退院して自宅に戻り、あの日から約一ヶ月経過していること。

 そしてオレ自身もどうしてこうなったのか困惑していること。

 オレは早口でまくし立てた。


「……」


 だがこんな説明で結衣は納得するはずもなく、じっとり涙目で睨んでくる。許せないという感情が先に立って、理解するのを頭が拒否している感じだ。


 なので違う角度から結衣に問いかける。

「お前の気持ちは分かる。赤の他人が勝手に自分の体を使ってるんだからな。オレだって逆の立場になったら腹が立つだろう。だが、もしオレがお前の体で目覚めなかった場合、今でも病院のベッドの上で、意識不明のままだったかもしれないんだ。いつまでも意識が戻らないと、どうなると思う? 少し想像してみてくれ」


 怒りを向けながらも、この質問に結衣は小首をかしげて考えているようだ。

(よし、ちょっと冷静になってきたな)


「……ママやパパに迷惑が掛かる?」

「確かにそうだな、家族や周りの人に迷惑が掛かる。しかし本当はもっと重要なことがある。お前の命に関わることだ」

「私の命?」

「脳死って聞いたことがあるだろ?」

「脳死……」


「ずっと意識が戻らないせいで脳死だと判断されれば、心臓や肝臓といった重要な臓器は切り取られ、そして他の患者に提供される。すると切り取られた人間は当然死んでしまう。完全にな。それが脳死だ」


「 !! 」


 結衣は自らを抱きしめるように身をすくめた。

 オレも詳しくは知らないが、それほど間違ってもいないはずだ。話しを続ける。


「しかしオレがこうして体を動かしている間は、その危険は無い。いきなり言葉遣いが変わって、違和感を感じるヤツもいるだろうが、まさか中身が他人と入れ替わっているとは思わないし、とにかく生きて、普通に生活しているんだからな」


「……」


「それに、男のオレが体を使っているのは、お前にとってラッキーなんだぞ」


「ラッキー? どうして?」


「もし女だったら、同じ女なんだから自分の好きなように、この体を使うはずだ。つまりお前の体で男と遊んだり、恋愛したりするだろう」


「え?」

「目が覚めた時に、自分が知らない男と一緒だといやだろう?」

「う……」


 その状況を想像してドン引きしているな。

「それにな、お前は「お兄さん」と呼ぶが、実際のオレは46才のオッサンだ。人生経験もそれなりに有る。お前の力になれるはずだ」


「46才? 高校生くらいに見える」


「オレだって、結衣が4~5才の幼児に見えるぞ。この中では、年齢が若く見えるのかもしれないな。」


「……私中2、14才」


「だから見た目だって。それでどうだ? 話しを聞いて多少は現状を分かってくれたか?」


「うん、少しは」


「それでいい。今すぐ理解しろと言ってもムリがあるしな。そしてここからが本題だ。これからどうするかだが」


 オレは結衣に今後の計画を話した。結衣用に若干内容を変えたやつだ。


 ① 結衣を正常な元の状態に戻すこと

 ② 学力の向上

 ③ その学力で転校して、今の友人関係を壊さないこと


「とにかく今のオレには、何をどうすれば正常に戻るのか見当もつかん。だからその方法が分かって、お前が元の生活に戻った時に、どう転んでも困らないように考えたつもりだ」


「でも、私……勉強できない」

「心配するな。オレに秘策がある」

「もしかしてカンニング?」

「カン……ちがーう!」

「ひっ」


 いかん、思わず素で叫んじまった。

「テクニックだ。テクニックで効率良く知識を頭に入れるんだ」


「テクニック……」

「ただ、これらの計画を実行するにあたって、一つ条件がある」

「条件?」

「オレを、お前の中に住まわせて欲しい」

「ええっ!?」


「さっき話したが、オレは既に死んじまって帰る体がない。だが今こうしてこの心がある以上、精神だけでも生きていたい。だからお前の中のすみっこにでも、オレを住まわせて欲しいんだ」


「え……、でもそんなの……いや」


「まぁ、他人が中に居るのは気持ちいいもんじゃないわな。だが聞いてくれ。実はここは外から見ると、ある会社の社員寮。アパートみたいになっていてな、同じ造りの部屋がたくさんあるんだ」

「アパート!?」

「ああ、それでその一室にオレを受け入れて欲しい。つまりオレとお前の立場を逆にするわけだ」


「ここじゃ外のことは何も分からないよ?」

「それでもかまわない。ダメか?」

 あ、これ私のプライバシーは守られるって言ってるんだ。

「……こんなところででいいなら」


「OKしてくれるんだな?」

「……うん」


 よしっ! 良しっ! これで心置きなく計画の実行に移れる。結衣には騙したようで悪いが、オレが入るのはこの下、1階の部屋だ。これで次に進めるぞ。


「まず、最初の目標は転入試験の合格だ。まあ、その前に親を説得するのが先だが、これはまず通る」


「でも私立はお金がかかるって……」


「それも問題ない。お前の親父は稼ぎがいいし、ちゃんとした理由があれば金は出す」

いざとなったら結衣母に働いてもらえばいい。本人もそう望んでいたし、むしろその方がいいかもな。


「……」


 なんだ? この話しが気にいらないのか? いやこれは親に迷惑をかけたくないって顔だな。

「お前は2人に遠慮しているみたいだが、子供なんだから少しくらい我侭言っていいんだぞ」


「……でも」


 ああ、この表情……昔こんなヤツいたわ。自分さえ我慢すれば済むとかなんとか……。

 ん~ 話しの切り口を変えてみるか。

「なあ、親と子は一緒に生まれるって聞いたことないか?」


「一緒に生まれる?」


「そうだ、子供もいないのに親とは言わないだろ? いなけりゃ、それはただの男と女だ。つまり子供の誕生によって、男と女は親としてこの世に生を受ける。この理屈は分かるな?」


「うん、……なんとなく」


「お前は一人っ子だが、2人目3人目でも同じで、その都度その子の親も生まれる」


「うん」


「生まれた以上、親も子と同じように成長する。子供の成長については話すまでもないだろう。じゃあ親の成長ってなんだろうか? それは子供の成長を助け、一人前の人間として独立させるまでに得られる経験だ。その経験こそが親を親として成長させる糧となる。言い方は悪いかもしれんが、親子は互いを利用して成長する関係にあるんだ。だからお前も遠慮することは無い。むしろ遠慮してたらお前の親は成長できないぞ。そうだろ?」


「お兄さん、子だくさん?」

「はあ!? オレは独身だ。子供だっていない」

「でも100人ぐらい育ててそう」

「ひゃく……ゴホン! 話しを戻そう。金については今ので納得したと思う。まずオレたち2人は協力して成績を上げ、試験突破を目指す」


「……でも私は何もできない」

「いや、できる!」

「でき、えっ?」


「前に会った時に分かったが、お前の心と体は、まだどこかで繋がっている。だからお前が気落ちすればオレもグッタリするし、逆に機嫌が良ければこっちも捗る。だから外でオレが頑張ってると想像して、明るく希望を持ってくれ。なるべくでいいから」


「うん」


「それと前もって言っておくが、オレの勉強テクニックでは、100点満点は無理かもしれない。だが80点ぐらいの人並みにはいける筈。つまり普通よりちょっと上の成績を目指す。これはオレたち2人で挑む、そこそこへの挑戦だ」


「カンニ……」

「ちがーう!」


 クスッ


「お、そういえば一つ聞きたいことがあったんだ。お前かなりの少食だろ? あの量で足りてるとは思えないが、何か理由でもあるのか?」


「……」

「人に言えないことなのか?」

「私……できそこないだから」

「できそこない?」

「……」


 そう言ったきり結衣は黙ってしまった。


「あの食事な、量はともかく中身は相当凝ってるぞ。メシは麦やら何やら少しづつ混ぜてるし、ミートボールだって魚や野菜を細かく入れてある。栄養のバランス自体は、かなりのもんだ。母親に愛されてるなお前」


「ママ……」


「おっと、時間が来たようだ」

気付けば、先日のようにオレの体が透明になり始めていた。


「結衣、また右手を噛んでくれ」

「右手を噛む?」

「この前、別れ際に思いっきり噛み付いただろ? 目覚めたら右手に歯型がついてて、そのおかげで、お前に会ったことを憶えていたんだ。だから頼む」


「ん」

 ガブゥッ!


(ぐがーっ)

 オレは夢の中で気を失った。



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