鏡
凛々花は21才、フリーター。身よりもなく、今はゴミだらけの部屋に住んでいる。『ああ、今日もよく寝た。』なんてドラマのように言うことは無い。最近の演劇はリアルだ、この前県の文化館で見た、セットの変わらない演劇、あれはよかった。一人暮らしの女性、そう私と同年代くらいの女性・・・。彼女がベッドに入って、それから夜が明けるまで、ずっと彼女の脳内妄想が3人の役者によって演じられる。私は演劇が好きだ。ドラマと違って、嘘がないから。ドラマは、見る人が違う。子供からおじいさんまでたくさんの人が見る。その場合は、明るく、『健全』な夢のある作品にしないといけないし、(勘違いしないで欲しい。今どきマイホームを買うのも結婚も、子供と犬のいる3人家族ですら夢だ。)また、夜中の、思春期をずっと抱えているような大人向けの時間帯、それには逆に夢のない、しらじらしいほどの絶望の話じゃないとだめだ。それかエッチな話。私はああいうのは嫌い。どちらも嫌いだ、だからテレビを捨てた。
「テレビを捨てたというのは嘘じゃないですか。」
そう言うのは私の医者。
私は今、スイスに来ている。理由は、安楽死実行の為だ。
飼っているうさぎやハムスターを殺すためじゃない。
わたしのため。
「また嘘をつきましたね。あなたが飼っているのはハムスターじゃない。『デグー』だ。」
そう、ハムスターよりちょっと大きなげっ歯類。名前は竜胆。
だって花言葉が好きだから。『可哀想な貴方が好き。』
「あなたが詐病とは言いません。でもあなたの志望理由は・・・尊厳死の志望理由は、嘘が多い。そんなんじゃ通りませんよ。“Dignity for Us”では。」
Dignity for Us Foundation
頭の中でゆっくりと声に出して読んだ。
(ディグニティ、フォア、アス、ファンデーション。)
スイスの尊厳のための安楽死を勧めている団体だ。
賛否両論は多いが、スイスまで飛行機で2時間で来られるこの時代、介護年数は平均で10年をかんたんに超え、もはや生きていることが問題になった。
自分の意思で安楽死をするためには、この団体ではスイスの法律に基づき、自分の病状と、意思を性格に英語で伝える必要がある。
そのための、日本人担当医が、この、高橋さんだ。
男性で、声は低く、落ち着いている。私は女性が嫌いだった。聞いてはいないがきっと40代くらいだろう。でも私には30代に見える。
「では、高橋先生。私がレズビアンであることを、もっと時間的に書く?」
思ったよりも私の声は上擦った。関係が緊張することが何よりも嫌いなのだ。
「あなたは正確にはバイ・セクシャルなので、そう書く必要がありますが・・・。正直に言うとね、僕がどれだけ真剣にかいても、申し訳ないけど・・・、今の状況だとすぐには安楽死できません。あなたの知っているようにたくさんの人が順番待ちしている状況で・・・。」
「では何年ほど待つことになりそうですか?」
高橋先生の説明を遮ってしまった。
「10年、ほどです。他団体も視野に入れれば、6年。」
私は黙り込んでしまった。涙が目の奥でツンと溜まるのを感じて、ヒステリックに声を上げそうだった。そんなのは嫌だ、お母さんや、ほかのおばさんみたいに、『頭がおかしい人』にはなりたくない。
インターネットでよくばかにされている、ああいうタイプには。
『感情的な女』というレッテルはいらない。
6年も、どう耐えたらいいだろう。10年なんて、もっと。あまりにもひどい。私は20年も耐えた。こんなに長い時間生かすなんて、むごい。今日も私はこの診察が終わったら、夕方7時の飛行機にのって夜9時には日本につく。そして東京空港から乗り換えて、徳島県に戻る。
おかしいと思わない?東京からスイスへは最新の技術と入念な整備で2時間なのに、東京から徳島へは1時間かかる。平成から令和に変わった頃からなんら進んではいないのだ、この田舎町は。東京に、カルチャーに、仕事に、経済に、NPOに、人権団体に、捨てられているから。だからスイスへ飛んでディグニティフォアアスに申し込んだ。東京へは住めない。お金がかかるから。そういう楽しくて、生きる活力がある街や、すべては、健康とお金がある人のもの。体力があって、安心出来る家や親とお金、なんの病気の心配もない体、もしくは病気になっても大丈夫な家族の支え、そんなものがないと何も出来ない。
生を楽しむ権利はない、苦痛に24時間耐えることだけ。
ありがとうございました、と礼儀正しく挨拶をして今日の診察を終えた。次回は3ヶ月後。そろそろ貯金はつき、スイスへも行けなくなるだろう。安楽死だってそれなりのお金が必要なのだ。
今日書いた私についての説明シートは、先生に渡してきた。なんの意味もない、今の私の暮らしについて。ゴミ部屋に住んでいて、演劇が好きで・・・。演劇にはもう行けない、スイスの診察室へ行くための料金で貯金が尽きるからだ。
夜10時半、くたくたになって徳島駅についた。
ここにはスターバックスしかない。だからスターバックスに行く。好きとか嫌いとか、揚げ物が食べたいとか関係なく。ひとつしかないものに選択肢はない。一人用の丸テーブルに座って、思いリュックの中から取り出した持ち歩き充電器にスマホを挿す。Twitterを開けて、リプライ欄は見ない。つらいからだ。リプライ欄に通知が1とか2とか赤く表示される度に、心臓がドキドキする。全く無駄なことに疲れる。
さっき頼んだカフェイン抜きのコーヒー、受け取る時に、店員のお兄さんに、季節のドリンクは飲みましたか?と話しかけられた。毎回注文後に何かひとこと喋るのがこの店規定のサービスらしい。いい迷惑だ、と私は店員や逆の立場になって思ったが、正直嬉しかった。今私が外で会話するのはこんな時だけだ。今もお兄さんがこちらを見ていないか、ちらちら気にしてしまう。
目が店員さんの方を向くのを無理やり抑えるために、スマホの画面に目を落とす。
Twitterのタイムラインに、目を引く投稿があった。
“自殺代理店 首吊り 20万円 PR”
目を疑った。PR広告だ、Twitter公式がこんな広告を、いくらお金をもらっても、通すか?
すっと画面をフリックすると、消えた。どれだけ投稿を遡ってもない、幻覚か?
しまった、リプライ欄を開いてしまった。
『りりちゃん、大丈夫?またクッキー送るね。』
『風邪むりしないで、布団で寝て。』
『暇だったら、ゲームしませんか?汗』
『ごめんね、全然気にしないで笑』
新着はこの4件、みんな優しい。それがいやだった。たまらなかった。
コーヒーを一気に飲んで、もう出よう。
私はまた家に帰る電車を待つ。こんなに乗り継がなきゃいけないなんて・・・。
大阪や東京郊外の同窓生の家は、5分で駅から家にも学校にも1本でつくのに・・・。
家に帰ると、もう気力も体力もなくて、敷きっぱなしの湿った布団に飛び込んだ。もちろん、掃除も、夕飯作りもしない。できない。
さっき、みんなからの返信を見た時の気持ちを思い出して、たまらなく悲しく、涙がでそうになる。頭痛がする。なにもかも最悪で・・・。
市販の睡眠導入剤と、地元の心療内科で処方された睡眠導入剤、処方箋以上に飲んで3つを、麦茶で流し込み、ネットサーフィンをする。それでいつか眠れる。