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「ハルー?おい起きろーもう昼だぞぉ」
昨日散々聞いた、渋みのある低温ボイスが聞こえる。そうだ、あたしはさっき、轢かれたブーちゃんを連れてお爺ちゃんちに行ったんだった。
あたりを見渡すと、老朽化が著しい、見慣れた遊具やベンチがある。ここはブーちゃんとよく遊んでいた公園だ。なぜあたし達はここにいるんだろう?
「ブーちゃん。よかった無事だったんだぁ」
「おう!お前俺を担いでってくれたんだってな!ほんとすごい根性してるなぁ!」
「いやぁそれほどでもあるかも」
ブーちゃんはお腹と額に包帯を巻かれ、痛々しい姿ではあるものの、ニッコリと元気そうな笑顔を浮かべている。
「ていうか、元はと言えばあたしが飛び出さなければこんなことにはならなかったんだし。助けてくれてありがとね」
「おう!気にすんな!」
「あ、そういえばカツオ!あれシローさんに朝までに届けないと、あたし元に戻る方法教えてもらえないんだよね?」
「あ、それはな...大丈夫なんだ」
「どーいうこと?」
ブーちゃんの身体が半透明になり、消えかかっているように見える。いや、本当に消えかかっている。
ブーちゃんだけじゃない。
公園の土管、ブランコ、ベンチ、空の雲から隣の家。あたしの目に映る全てのものが消えかかっている。
「実はこれ、夢の中の話なんだ。俺とお前の意思や行動次第でお話が変わる、ちょっと変わった夢の話。現実じゃない。だから、目が覚めたら五月二〇日。テスト初日」
「え!?これ現実じゃないの!?」
「最初会った時と真逆のこと言うなよ。ネコが現実で喋れるわけねぇだろ。ほら、昨日の朝状況説明してくれたじゃん。一時間目に硫黄のにおい嗅いだら鼻が折れ曲がりそうだったって。あれさ、硫黄じゃなくて特殊なクスリなんだよ」
「え!?どういうこと!?あの実験ってみんな同じ硫黄作ってたはずじゃ?藤枝先生が何かしたってこと?」
「そこはわしが説明しよう」
「うわぁ!ふ、藤枝先生!?」
さっきまでいなかったはずの、ボサボサ頭に青髭が特徴の化学の担任、藤枝先生が現れた。まるで最初からいたかのように。
「わしは元々ブーの飼い主でな。でもペット禁止のマンションに引っ越してからは、たまに公園に面倒見に来るぐらいになってたんだ。ずっと後ろめたくて。でも謝ったところで伝わっているかなんてわからない。そこで、薬が放つ臭いを嗅いだ者は、同じ夢の中で会話できる薬を開発したんだ。夢の中でなら会話できるんじゃないかって。そしたら本当に会話できるようになって!俺マジ天才じゃない!?」
「さ、さすが先生天才ですね...。でも先生、どうやってあたしにだけ嗅がせたんですか?」
「ハルさんのだけ硫黄とすり替えておいたのさ。理系だからこんぐらい楽勝。」
「全然気づきませんでした。もう二つ質問いいですか?なんであたしがブーちゃんと遊んでるって知ってたんですか?なんであたしとブーちゃんを会わせたんですか?」
「それは俺から説明する」
ブーちゃんが横から入ってきた。
「お前、最近お前大人ぶってるだろ?俺毎日お前のこと見てっから知ってんだ。夜遅くまで出かけたり、年頃に合わないメイクしだしたりさ。でも、中身はガキだなって。電柱蹴っ飛ばしたり、ムカついたらすぐ殴ったり。ちょっと先輩ともめただけで部活やめたり。だから、俺がいなくなる前に、お前が大人になるための夢を作りたいって、元飼い主様に夢で伝えたんだ」
昨日会話したときも、あたしの趣味とかなんで知ってるんだろうと思っていたが、ここまで知られていたとは。あたしは少し恥ずかしい気持ちになった。
恥ずかしいので、話題をあたしのことから少しそらす。
「あたしが大人になるため?でもブーちゃん。これブーちゃんが設定した物語だとしたら、ブーちゃんはあたしの成長のためだけに轢かれたってこと?下手したら死ぬとこだったじゃん。あたし滅茶苦茶心配で。ほんっとに焦ったんだよ!」
「ああ、あの件?ごめんごめん実は轢かれてない。轢かれたように見えたブーちゃんを目の前にハルはどうするのか?っていう話だから。現実っぽい血も、俺がお前に見てほしいって思った錯覚ね」
「はぁ!?ちょっと意味わかんないんだけど。じゃあその包帯も嘘ってっこと?」
「うん。はい元通り。」
パッと音を立てて、包帯が消え、傷一つない元のブーちゃんの姿に戻った。
「心配させんじゃないわよ!」
手が出そうになったが、すんでのところで思いとどまった。
今指摘されたばかりだったからだ。
「手出さなくてえらいじゃん。そんな感じでハルには大人になってもらいたいんよ。慣れない身体で長い距離歩かせたり、何時間もメシ貰いにいかせたりしたのは、お前の乏しい根性を養うため。俺が轢かれたふりしたんは、一人でも危機的状況にも対応してほしいと思ったから。まさか二足歩行になるとは思わんかったけどなぁ。意思の強い子だ」
一旦言葉をきり、少し語気を強くして続ける。
「とにかく、お前はまだまだガキだ!背伸びすんな!お前はまだまだ飼われてるネコ。俺らと変わんない!自分はまだまだガキってわかって初めて大人になれる。そういうもんだから。しっかり覚えとけ!」
「う、うん・・・?」
ネコに熱く訴えかけられるというのは不思議な気持ちだ。だが、学校の先生のような陰湿な雰囲気は一切感じられなかった。
「全然話が飲み込めないけど、とにかくブーちゃんは、大人になるために大切なことを伝えたくて、この夢を見させてくれたってこと…?」
「うーん半分正解で半分不正解!」
ブーちゃんは少し視線をキョロキョロさせて続ける。
「ほら、子供の頃から一緒にいるからわかるかもだけど、俺はもう年だ。じきに死ぬ。なのに、ハルは最近さっぱり来なくなったじゃん。ライブハウスいったり忙しいんかもしれんけどさ。だから、俺のことをもうちょっとだけ遊んでほしいなって思って。ネコってのは寂しがりな生き物だからさ」
「ブーちゃん・・・」
動物の本音を聞くというのは神妙な気持ちだ。しかし、間違いなく嬉しい。あたしに遊んでほしいと言ってくれたのだから。本当にあたしに懐いてくれていたとわかったのだから。
少し照れ臭くもあるので、また話題を変える。
「水差すかもしんないけど、あたしが途中で諦めたりしたらどうしてたの?」
「その場合夢自体が覚めるからどうもできんな。俺とお前の意思で話が変わるって言ったろ。だからお前が諦めたら、この夢から覚めたいっていう意思が反映されちまうってわけ」
あたしの意思が関係するということで、一つ疑問が浮かんできた。
「じゃあ、さっきみれいちゃんとサトシ君がでてきたのはなんで?あたしあの二人がイチャイチャ
してるところなんて死んでもみたくないんだけど」
ブーちゃんは少し眉間にしわを寄せたあと、淡々と話す。
「諦める踏ん切りつけたかったとか?俺オスだから女心とかさっぱりわからんけど。深層心理ってヤツじゃない?」
グラグラグラ...!!
突然世界に大地震が起こった。あたしが地面にしがみついていると、ブーちゃんが切なそうな表情を浮かべて話す。
「ハル。お別れの時間みたいだ。もう夢は覚めて現実に戻る。」
「え、じゃあブーちゃんとはもう喋れないってこと??」
「元々喋れるもんじゃねーだろ。そんな悲しそうな顔すんなよ。現実に戻っても遊んでくれたらいいだけの話だろ?」
「そっか。そうだよね。絶対遊びに行く!ありがとね、ブーちゃん!」
ブーちゃんがあたしに伝えようとくれたこと。くだらない無駄話も含め、大切なことなのだろう。
全てを理解したわけではないが、現実に戻ったらゆっくり考えよう。
半透明だった世界は、完全に透明になり、光の粒のようなものに変わって、消えていった。
チリチリリン!!!
iphoneのアラーム音であたしは目が覚めた。
五月二〇日。今日は高校入って最初の大事なテストがある。