あらぬ間違い
一気にまくし立てると、席を立つ菜々子。
お手洗いへとゆっくり歩みを進める。
菜々子に言わせれば私はもったいないらしい。
何度となく菜々子に言われてきた言葉だから、
今更どうって事ないけど、
だけど別に、わざわざ生徒の前で言わなくても。
ヒラケイはへぇと一言だけ呟くとグラスに口を付けた。
菜々子の姿が店内の奥に消えていくと、
不意に顔を覗き込まれ、ヒラケイと目が合う。
「私にそこそこ、なんてのは、もったいないって言いっ…」
気付いたら、唇が重なっていた。
そう本当に気付いたらって表現が、きっと一番的確。
それは、決して短く無くて、
だからって長く深いキスでもなくて、
やわらかく、優しい口付けだった。
どっちから唇を離したかなんて分からない。
だけど、驚く程に心臓がドクドクしていて、
それは酔っ払っているからだと心の中で思った。
「待って、お酒、弱かった?酔っ払っちゃ」
「俺、先生の事好きなんだよね。」
またしても私の話しは途中で遮られ、
どう考えてもシラフであろうヒラケイが、
真顔で見つめる。
次の言葉が見つかる前に菜々子が席に戻った。
空っぽのグラスに残りのワインを注ぎ切ると、
また菜々子の話しがはじまる。
そのあと何を話していたかなんて
まるで覚えていなかった。
ただ、帰り際に鞄を渡してくれた時に触れた、
ヒラケイの指先はあったかかった。