喪失【1】
失意に消えた偉大なる魔女達に捧ぐ
1881年2月27日
南アフリカ、ナタール共和国
ライフル銃を担いだ肩に痺れを感じながら、ミルトン・ブレイクは眼下に広がる広大な大地を眺めていた。
マジュバ・ヒルと呼ばれる小高い丘を大英帝国の軍が占領してから1週間が経つ。
ジョージ・ポメロイ・コリー少佐が率いる400人あまりの兵士達は、緊張の中 先の苦々しい敗北を噛み締めていた。
事の発端は大英帝国の併合宣言に反発したトランスヴァール共和国のボーア人たちが挙兵したことによる。
周辺諸国を巻き込み拡大した反乱の収束を大義名分に、揚々とやって来た英国軍だったが、当初の予想とは裏腹に戦いは敗北から始まった。
最新鋭のライフル銃や大砲を持ってしても、ブロンクホルスト川、ライングス・ネック、インゴゴ川と立て続けに敗北した英国軍は焦りが見え隠れしている。
ライングス・ネックで特に手酷い打撃を被ったコリー少将は復讐に燃え、山岳地帯に慣れた部隊をかき集め、ここマジュバ・ヒルを深夜のうちに占拠することを決めたのである。
小高い丘であるマジュバ・ヒルを押さえることで、優位を保ち戦闘を運ぶ算段だと聞いていたが、ミルトンはどうにも嫌な予感がしてならなかった。
〈地の利は奴らにある〉
練度の低い農民あがりの軍と侮っていたこともあったが、ボーア軍はここらの地形を知り尽くしている。
最新鋭の武器も無く、戦力差すら乗り越え、ボーア軍は敵ながら見事な戦いを見せてきた。
暑く乾燥した気候にも慣れ、参ってしまうこともない。
荷ほどきをして早々、見張りを命じられたミルトンも、参加した戦いを通じてそれを痛感していた。
一兵卒であるミルトンでさえ予想がつくのだ。
不利な流れが来ているのは少佐もわかっているはずだが、どうも彼は復讐心に捉われすぎている様子だった。
「ようミルトン、大丈夫か?」
ミルトンの背後から声をかけたのは、同郷の友人であるショーン・レナードだった。
「驚かすな。こっちは見張りの最中だぞ」
そう言いながら、ミルトンは肩に担いだライフルを指で叩いた。
「すまなかったよ。様子を見に来たんだ。友人が居眠りをしちまってないかな」
そう言うショーンも、目の下に大きなくまができてしまっている。
「少し話さないか」
「いいとも」
先導するように歩き出したショーンにミルトンも付いていく。
「男が廃るなんて親父に言われて戦争に来たが、くだらないもんだな」
「まったくだ」
「男が廃るどころか、女の前に出られる姿じゃない」
ショーンは大仰な態度で着ている軍服の端を摘んで見せた。
「俺もお前も軍服は似合わない」
思わずミルトンは口を緩めた。
「違いない」
2人は木々の生えた辺りで立ち止まった。
「早く家に帰りたい」
ショーンは聞き逃しそうな小声で呟いた。
両親を早くに亡くしたミルトンと違い、ショーンには家族があった。
口では強がりながらも、母からの手紙を大事にポケットに入れていることをミルトンは知っている。
「ミルトンは帰ったらどうするんだ」
「ロンドンで適当に仕事を探すさ」
「俺もそうするかな」
ショーンはおどけたような調子でそう言った。
戦場に来てからというもの、2人の心には恐怖が常に存在していた。
どれだけ大義や名誉を謳っても、戦場は戦場だ。
命のやり取りであることは今日までに十分思い知らされていた。
「俺たちはアフリカまで何をしに来たんだろうな」
その言葉にミルトンは押し黙った。
大義などというものは、この戦争には存在しない。
もとよりこのボーア戦争は、大英帝国の利益を目的とした面が色濃かった。
「ショーン、それは考えないほうがいい」
「そうだな」
思い沈黙を振り払うように、ミルトンはふと山の斜面に生える木々を見下ろした。
月も沈みかけ、辺りは一層闇に包まれている。
いくら目が慣れていたとはいえ、敵に居場所を知られないように一切の明かりを消していた今、遠くを見るのは困難だ。
それでも、猟師だった父に育てられたミルトンは、僅かな月の光を頼りに動くものを視界の端に捉えていた。
心臓の鼓動が早まるのを感じながらも、冷静を装って口を開く。
「ショーン、みんなに伝えろ」
声に反応したのか、木の陰から覗く髭面と目があったように感じた。
「ボーア人だ」