昔には戻れない
騎士団本部、医療棟の一室。
「すみません……少し熱が入りすぎました」
「ごめんなさいっ」
シンシアさんは目を覚ますと、開口一番にそう言った。そして、フルミネが即座に謝罪を入れる。
――先程聞いた話によると、組手をしている最中、シンシアさんの側頭部にフルミネの蹴りがクリーンヒットしてしまったらしい。
それで気絶だけで済んだのは、不幸中の幸いだったと思う。鈍器で殴られるのと何一つ変わらないのだから。
因みに、フルミネが何故そんな場所を蹴ったのか聞いたところ、ほとんど反射だったそうだ。
「本当にごめんなさいっ……」
「これは私の力不足です。フルミネが気にすることではありません。むしろ、こちらが謝らなければならないことで……」
「――はい、この話はこれで終わりな。不毛だから」
フルミネとシンシアさんの謝り合いが始まろうとしたところで、テトさんが一拍入れた。
「そういえば、何故皆が揃って……?」
シンシアさんは困惑した様子で訊ねる。
この医務室にいるのはグラディスさん以外の遊撃部隊の全員が集まっている。
「心配だったからに決まっているであろう」
「グラディスは先に巡回行っちまったけどな」
「冷たい」
「私は、やっぱり怪我させたから……」
「僕は普通に心配だったので」
僕達はそれぞれ答える。
グラディスさんも心配していない訳ではなく、「せめて誰か一人は巡回しねえと、遊撃部隊が仕事サボってるとか思われるだろ」という配慮があったりする。
「午後の巡回だが、シンシアはここで安静にしておくのだぞ」
「何故ですかっ、私はもう平気です!」
「馬鹿者」
「うぐっ……!?」
ラミアさんはシンシアさんの頭をチョップすると、シンシアさんは頭を押さえて悶える。
「あまり魔法に頼りすぎては自然治癒力も落ちるからな。一日で治る程度の頭痛は残させたのだ」
自然治癒力、落ちるの? 初耳なんだけど、これって常識?
そっと、フルミネに視線を向ける。しかし、彼女は僕の視線に気づいても、きょとんとした顔で見つめ返してくるだけ。
残念ながら、アイコンタクトは失敗のようだ。
「それに、肩の力を抜く良い機会だろう?」
「……ラミアには敵いませんね」
「ふっ、そうだろうそうだろう!」
シンシアさんは諦めたように息を吐き、ラミアさんは腰に手を当てて得意げにしている。
「あ、眼鏡は無事だったぞ。流石、特注なだけあって頑丈だな」
「……ありがとうございます」
ラミアさんが思い出したように眼鏡の話をすると、シンシアさんはチラッとテトさんを見て、微笑みながらそう言った。
何故テトさんを見たのか、僕にはその理由は分からなかった。
「ラミア、そろそろ俺達も巡回行くぞ」
「む、そうか。シンシア、大人しくしているのだぞ」
「分かっています」
――そうして、僕達は部屋を出た。
外に向かって歩く途中、僕はこれからのことについて訊ねる。
「巡回って何をするんですか?」
「ただ街を見回るだけだよ。街を歩いて適当に時間を潰せばいい」
「テト……他に言い方はなかったのか?」
「事実だろ。俺達が歩くだけで犯罪が一つでも減るなら、良い事じゃん」
思っていたより緩い仕事のようだ。まあ、鍛錬の疲れもあるから楽に越した事はない。
そして、テトさんは思い出したように口を開く。
「あ、そうだ。お前らにまだ渡してないものがあるんだ。俺、取ってくるわ」
「ん? ああ、すっかり忘れていたな。では、我らは外で待っておる」
テトさんは来た道を小走りで引き返していく。ラミアさんはそれが何か分かっているようだ。
「渡してないものって何ですか?」
「騎士団の記章だ」
▼ ▼ ▼ ▼
皆が部屋からいなくなり、私は自分のスキルを使って枕を浮かせていた。
上下、左右、前後、回転、着地……やっぱり、動かす対象が一つなら楽だ。
でも、これでは足りない。複数のものを完璧に操れるようにならなければ、このスキルを使いこなせているとは言えない。
「……何もない部屋ね……」
枕と同じぐらいの大きさのものがないか、霞んだ視界で部屋を見回す。けれど、何もない。
そもそも、どうして私を個室に運んだのか。個室じゃなければ、他の枕も使えたのに。
……仕方ない、二つ目は自分の服で代用しよう。
医療棟は基本的に人の出入りが少ないから、人の目を気にする必要もない。遊撃部隊の誰かが戻ってくることもないだろう。
上の服を脱いで、その服を宙に浮かせる。そして、枕も浮かせる。
「っ……集中っ……」
対象が一つ増えるだけで、空中での静止すらままならない。まだまだ鍛錬が足りない証拠だ。
「おーい、安静にしてるかー……え?」
…………。
「――変態っ」
「ごめぼぶっ」
私はノックすらせず扉を開けて入ってきた変態に、枕を飛ばしてぶつける。
テトを外に追い出した隙にスキルを使用して服を回収、着用した上で、掛け布団を頭から被った。
「いってえ……お前は服脱いで何してたんだよ……」
「団長は迅速に部屋から出て行ってください」
「眼鏡とか靴とかでも良かっただろ……」
「何か言いましたか」
「……ごめんなさい」
布団から顔を出して睨みつけると、テトは後退りながらも謝罪してきた。
……まあ、ラミアに"安静にしていろ"と言われたのにこんな事をしていた私も悪いのは分かっている。
極めて遺憾だけれど、ここは彼を許すべきなのだろう。
「それで、何ですか」
「あ、ああ……シンとフルミネの記章、シンシア持ってるか?」
「持っていませんが、まだ渡していないんですか?」
「忘れてたんだよ」
騎士団の記章は管理棟にある。それなのに、何故私にわざわざ聞きに来たのだろう。私が既に取りに行ったと思っていたのだろうか。
……確かに、鍛錬が終わったら取りに行こうとは考えていたけれど。
私が考えていると、テトは私から目を逸らした状態で口を開く。
「こうして二人の時だけでも、昔みたいにテトって呼んでくれないか?」
「団長は団長ですから」
「……どうしても駄目か?」
「貴方はフォース団長に、神器に選ばれたんです。だから、貴方が自分を団長と認めていなくても関係ない。私達団員は、勝手に貴方を団長として扱います」
テトが団長であることに疑問を持つ団員も、少なからず存在する。そういう人は"副団長が団長をやればいい"と言っていることもあるらしい。
だからこそ、私はテトを団長と呼び続ける。
フォース団長の思いと神器の選択、それが間違いだったなんて誰にも言わせないために。テトの価値を否定させないために。
……それに、昔みたいに呼んだら私はまた弱くなるかもしれない。彼に期待してしまうかもしれない。
私は戻ってはいけない。これは、私なりの自戒だ。
「そっか……ごめん、無理言ったみたいで。じゃあ、俺はそろそろ行くわ」
「ええ、さっさと行ってください」
私の突き放すような言葉に、テトは苦笑いして踵を返す。
「それと、シンシア」
部屋を出ていこうとしていたテトは、足を止めてこちらに振り返る。
「あんまり心配させるな」
――彼のその一言で、心臓が跳ねるように鼓動を早めた。
私は顔に出さないよう努めながら、一言だけ返す。
「はい」
本当、こういう不意打ちは卑怯だと思う。
嬉しい――そう思ってる自分が恥ずかしくて、彼にそう思わされたことが悔しい。それでも、不快感はなく、どこか心地良かった。
「あと、ちょっと驚いたわ」
「な、何ですか?」
まさか、また不意打ちをしてくるのではないか。私は軽く身構えて、テトの言葉を待つ。
「お前にも羞恥心がまだ残ってたんだばっ!?」
「もう一回ぶつけましょうか!?」
「ぶ、ぶつけてから言うなよ……」
期待した私が馬鹿だった。
……別に期待なんかしてないけど!
▼ ▼ ▼ ▼
「ふんふんふふーん」
私は森を抜ける少し手前の辺りで座って、鼻歌混じりに足をぱたぱたさせる。
準備はほとんど終わった。魔力供給も十分。これなら、一人ぐらいは壊せそうだ。
「お母さん、褒めてくれるかなー」
人に恨みなんてない。別に何をされた訳でもないから。
でも、いっぱい壊せばお母さんは褒めてくれる。それに、私も楽しい。壊す理由なんてそんなもの。
『おい、この配置でいいのか』
頭の中に声が響く。
少しびっくりした。この感覚はいつまで経っても慣れない。
目の前の、何もない空間に地図が現れる。そこにはこれから襲う予定の場所と、その周りを囲むようにバツ印が描いてある。
「うん、いいよー」
私が言うと、ブツっと途切れるような音が頭に残る。連絡はそれだけみたい。
「早く時間にならないかなー?」
向こうの準備を待つ理由はよく分からない。
お母さんの言うことだから聞くけど、そうじゃなかったら私も待ったりしてない。
……あんな子供の言うことなんて、聞きたくない。
「早く帰りたいなー」
一人はつまらない。話す人も、遊ぶ人もいない。壊すものもない。早く終わらせて、お母さんに会いたい。
私は目を瞑る。そうすれば、すぐに時間は来るから。
体を液状化させて、地面に染み込ませる。寝心地は最悪だけど、帰るまでの辛抱だ。
「おやすみなさーい」
そうして、私は意識を手放した。




