穏やかでない心中
「ふぅ……」
グラス様が完全に眠りについたことを確認し、私は彼女を寝台に運ぶ。これなら数時間は起きないだろう。
――私は、グラス様が休憩を促してもお休みになれないことなど分かりきっていた。だから"睡眠薬"という強行手段を取らせてもらったが、後で怒られるかもしれない。
しかし、私が怒られるぐらいでグラス様がお休みになれるというなら、私は喜んで怒られよう。
「貴女は"七聖"であっても、"神様"ではないんですから……」
【氷聖】だとしても、【人類最強】と呼ばれても、グラス様は私達と同じ人であることには変わりない。
それなのに、彼女は……いや、彼女だけではない。七聖の方々は皆、平然と無茶をする。心も体も無茶をして、死んでいく。
「………………」
グラス様は【氷聖】を四百年以上続けていると聞く。これは、それだけ"仲間の死"を経験しているということだ。
守れなかった命も数多くあるのだろう。何回も自分を責めたのだろう。終わりの見えない戦いに、絶望してもおかしくない。それでも絶望しないのは、守りたいものがまだ残っているから。
グラス様が本当に絶望するのは、その守りたいものが全て無くなってしまった時なのだと思う。それも含めて、彼女は【人類最強】なのだ。
私がこの部屋に入った時、彼女は「どうして、あたしはいつも誰かを不幸にするんだ」などと呟いていた。そんな馬鹿みたいな呟きをした貴女に、私は言いたい。
「貴女がいたからこそ、救われた人は大勢いるんですよ?」
貴女がいつも誰かのために動いていることは、私達が知っている。だからどうか、自分を責めないでほしかった。
▼ ▼ ▼ ▼
「フルミネ、起きてる?」
宿に帰ってきた僕はフルミネの部屋の扉をノックするが、反応がない。寝てしまったのだろうか。
「……入るよ」
寝ているところをお邪魔するのは、いささか失礼かもしれない。
それでも、今は少しでもフルミネと一緒にいたかった。だから僕は、宿泊手続きの時に貰っておいた鍵を使って部屋に入ると――。
「……フルミネ?」
――そこにフルミネはいなかった。しかし、彼女の荷物はベッドの横に置いてある。
「僕の部屋にいるのか……?」
宿泊手続きの時、僕がフルミネの部屋の鍵を貰ったように、フルミネも僕の部屋の鍵を貰っている。
だから、荷物を部屋に置いたままということは、僕の部屋にいるということになるのだが……。
「まさか、な……」
嫌な予感がした。僕は自分の部屋に急いで向かい、今度はノックをせずに扉を開ける。
――僕の部屋にも、フルミネはいなかった。
「食堂はっ!?」
僕は階段を駆け降りて食堂に向かったが、そこにもフルミネの姿はない。
「どこに行った……!?」
僕は王宮に行く前に、確かに「宿で待っててほしい」とフルミネに言った筈だ。彼女は約束とかを簡単に破るような人ではない。それは僕自身がよく知っている。
だから、この宿にいないということは"彼女が宿を出る理由となりうる何か"があったということだ。
……でも、その理由は? この宿で事件が起きたような様子は見られない。
――いや、一つだけあった。事件と呼べるものではないが、昨日と今朝、フルミネに起きた異変。
「もし、それがまた起きたとしたら……?」
また僕の記憶が消えたとするならば、今朝の会話の記憶も消えていることになる。
「なら、問題はどこに行ったかだよな」
そんな状態のフルミネが向かう場所ってどこだ。僕の記憶が消えてもグラスさんの記憶が残っているのなら、王宮に行く可能性は低い。
最も可能性が高いのは、意味もなくその辺をふらついている可能性なのだろうが…………とにかく探そう。
「シン?」
「――え?」
外に探しに行こうと一歩踏み出したと同時に、後ろから僕を呼ぶ声が聞こえた。そう、今まさに、探しに行こうとしていた人物の声が。
「……おかえりなさ――むぐ!?」
僕はフルミネを抱き締める。体温を確かめるように、強く。
「――!? ――!!」
フルミネが何か言おうとしているが、今だけは僕の我が儘を許してほしい。本当に心配したんだ。
「…………」
フルミネが静かになったと思ったら、今度は無言で背中をバンバン叩いてくる。
フルミネさん、金属を叩きつけないでください。とても痛いです……って、あれ? そういえば、勢いで思いっきり抱き締めちゃったけど、もしかして……?
「フルミネ?」
サッと腕を離すと、フルミネが「うぅ……」と唸り声をあげながら頭を抱えてその場で蹲る。
「頭、潰れるかと思った……」
「……ごめん」
僕はスキルの影響で普通の人より力が強い。それで思いっきり抱き締められて、痛くない筈がない。
抱き締め方も頭を抱え込むように抱き締めたから、ヘッドロックみたいになってしまったようだ。
でも、これだけは信じてほしい。わざとじゃなかったんだ……。
* * * *
フルミネと共に僕の部屋に戻り、僕は彼女に事の仔細を聞いた。
――結論から言うと、完全に僕の早とちりだった。
どうやら、フルミネはお風呂に入っていたらしい。僕はその可能性を失念していたし、部屋に荷物が置いたままだったのも納得できる。
……冷静に考えれば、その可能性にも簡単に辿り着けただろうに。
今、フルミネが大変な状態なのだから、僕がもっとしっかりしないと……。




