急転
――僕は、悩んだ末に出した答えをフィンブルさんに告げた。
「…………分かった」
「ありがとうございます。でも、急な出発は無理です。なので、せめて何日かでいいので、この王都に滞在させてください」
フィンブルさんはこのお願いに考え込む様子を見せたが、あまり時間がかからずに「そうだな」と了承してくれた。
「だったら、あたしが宿を手配しとくよ。あとは…………金か。これもあたしが用意しとく」
「ありがとうございます」
その後、フィンブルさんから元々の荷物だったリュックと宿までの地図、そして金貨一枚を受け取って、僕は牢屋を出た――。
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兵士さんもいなくなり、私は一人で暇を持て余していた。
最初は何かされるんじゃないかってビクビクしてたけど、兵士さんは何もしてこなかった。思い切って兵士さんに訊ねてみたところ、師匠に私を見張れって言われていただけみたい。
…………もし、あの師匠が本来の師匠の姿だとしたら、始めから私のことが嫌いだったのかな。
それなら、もっと早くに言ってほしかった。そうすれば、私は変な希望を持たずに済んだから。
師匠は嘘をついてるんじゃないかって、小さな希望を捨てられない私がいる。本当は、誰かに言わされてるんじゃないかって。
――だからもう一度、もう一度だけ、師匠と話したい。
「フルミネ、迎えに来たよ」
「……え……?」
聞き慣れていたような声が耳に入って顔を上げると、鉄格子を挟んだ向こう側に、兵士さんには見えない服装をした獣人の男の子が立っていた。
彼は牢屋の鍵を開けて中に入ってくる。そして、私に手を差し出して言った――。
「ここを出よう、立てる?」
その言葉に対して、私は頭の中をぐるぐると回っていた疑問を投げ掛ける。
「誰……?」
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信じたくない。
「君はここの使用人……の格好じゃないよね?」
「……たちの悪い冗談はやめようか。心臓に悪いから」
嘘だと言ってくれ。
「冗談?」
フルミネは首を傾げている。それはまるで、冗談を言っているつもりはないと言いたげな表情だった。
……きっと、彼女は本気で言っているのだろう。
「君は、誰……?」
…………これも僕への試練だって言うのなら、やってやる。
「僕の名前はシン。【氷聖】から君の付き人をするように言われたんだ」
口調は変えない。ここで急に変えても変に思われるだろうから。
「付き人? 師匠から頼まれたの?」
「……うん。えっと、"臆病者に王都をフラフラされたら困る"って言ってたよ?」
「っ…………そ、そっか……」
フルミネは複雑そうな表情になる。こんなこと、僕も言いたくはない。今、僕がやってることはフィンブルさん達と同じなのだ。
でも、今はフルミネを宿で休ませることを最優先したい。その後にフィンブルさんにこのことを伝えよう。
……幸い、僕の記憶だけが抜けたみたいだし。それに、フルミネは僕が支えなきゃいけないのに、逆に負担をかけてはいけないだろう。
「とりあえず、今日泊まる宿に向かおうか。これがフルミネの荷物だよね?」
「あ、うん。ありがとう……」
「立てる?」
「……うん、大丈夫」
僕が手を差し伸べるが、僕の手を取らずにフルミネは自分で立ち上がった。
僕の気にし過ぎかもしれないが、いつもと違う、他人と接する時のような遠慮が感じられたような気がする。
「じゃあ、ついてきて」
「うん」
ひとまず、これからのことは歩きながら考えるとしよう……。
* * * *
王宮を出た僕達は、地図を見ながらフィンブルさんが手配してくれた宿まで歩く。
「どこに向かってるの……?」
後ろを歩くフルミネに質問される。僕は振り返らずに歩きながら答えた。
「今日泊まる宿だよ。もう暗いからね」
「そっか。あとどのくらいで着くの?」
「そろそろだと思うけど……あ、これかな?」
入り口の前にある看板には『民宿ヘルス』の文字。ヘルスって、確か"健康"だったっけ…………ん? これ、そもそも英語なのか?
「入らないの?」
フルミネに声をかけられて我に返る。そうだ、今はそんなこと、どうだっていい。
「ごめん、少しボーッとしてた」
「……大丈夫?」
「大丈夫だよ。少し眠いだけだから」
フルミネに心配されてしまった。僕がしっかりしなくてどうする。今は目の前のことだけを考えろ――。
* * * *
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宿泊の手続きを終えた私達は、案内された部屋の前に着いた。
「僕は隣の部屋だから、何かあったらいつでも呼んで」
「ありがとう。おやすみなさい…………えっと……」
今になって、私は名前をまだ聞いていなかったことに気がついた。
「……僕の名前はシンだよ。おやすみ、フルミネ」
彼はそう言って自分の部屋に入ってしまったので、私も自分の部屋に入る。表情が少し暗いような気がしたのは気のせいかな……。
――その後、部屋に荷物を置いてお風呂を済ませた私は、ベッドに仰向けになる。
「これから、どうしよう……」
師匠は私の味方だと思ってた。でも、それは私の思い違いだった。
もう、私の居場所はどこにもない。
「明日、考えよう……」
こんなの、ただの問題の先送り。それは分かってる。
でも、今日はもう疲れちゃったから…………少しだけ、少しだけ夢の中に逃げても、罰は当たらないよね……?
――右目から溢れ出るものは止まらなかったけれど、それでも私の意識は自然と沈んでいってくれた。




