たかが一文字、されど一文字
あの後、シンからちゃんと魔力を貰い、私達はお互いに食べさせあった。私は、途中から吹っ切れてしまった――なんてことはなく、平常心を保つことにとにかく必死だった。
そして現在、昼食の片付けを済ませた私は椅子に座って少し休憩、シンはベッドに横になって目を閉じていた。ご飯を食べたばかりで寝るのも駄目だと思うけど、できることもないので仕方がないのだろう。
「フルミネ、お願いがあるんだけど」
――と思っていた矢先にシンに話しかけられた。寝てなかったんだ。
「何?」
私はシンに聞く。
けれど、返ってきたのは言葉ではなくジェスチャーだった。お腹に指を指して、そこを押さえる。お腹が痛いにしてはあまりに押さえる場所が下すぎるような気もする。これ、お腹が痛いって意味じゃないのかな。
……あ、もしかして――。
「トイレ……」
「やっぱりっ」
"尿意"……それは人であれば誰もが起こる生理現象。
果たして、シンはいつからトイレに行っていないのか。
昨日は、戦いが終わってからずっとベッドの上だった。ということは、少なくとも一日は行っていないということになる。
それに、我慢しすぎは体に良くないって師匠も言っていた。それじゃあ、私が今すべき最善の行動は――!
「シン、起こすよっ! というか持ち上げるよっ!」
私はシンを抱っこして持ち上げる。そして、できるだけ振動しないようにトイレに向かって私は駆けた。
「ごめん、なんか言い出せなくって」
「我慢しちゃ駄目。次からはちゃんと言ってっ」
そんな会話をして、トイレに到着。ドアを開けるために一旦シンをゆっくりと降ろした。
そして、ドアを開くと新たな問題が出てきた。
「和式……!」
そういえば、ホムストは和式トイレだったということを忘れていた。洋式トイレならシンを座らせるだけでいいのだけれど、和式トイレは怪我人には辛いと思う。私が何か良い方法がないか考えてると、シンが肩に手を乗せてきた。
「それは一人でできるから」
「え、右腕しか使えないんでしょ? 無理しちゃ駄目っ」
それで、傷が治るのが遅れてはいけない。両手を使わずにどうやってするというのだろう。
「別に無理とかじゃなくて、トイレは片腕でもできるよ?」
「……え?」
「できなかったらどうするつもりだったんだ……?」
「…………し、シンのエッチ、変態っ!!」
「あれ、ちょっ、フルミネ――」
私は猛ダッシュで部屋に戻る。これに関しては、シンは悪くない。想像してしまった私が悪い。私、何してるんだろ……。
それと、走らなきゃ良かった。お腹痛い。頭も少し。傷は開いてなかったから良かったけど、今度からは思いっきり走らないように気を付けよう。
――シンが息を切らして這いつくばりながら部屋に戻ってきたのは、それから三十分後のことだった。シン、置いてきちゃってごめん……!
* * * *
夕食は集落長さんがまた持ってきてくれた。私は料理を得意とは言えないし、シンはまず料理できるほど動けないので、こうして持ってきてくれるととてもありがたい。
「そういえば、フルミネって魔力の自然回復はしないの?」
夕食後に、シンにそんな質問をされた。
「言ってなかったっけ…………言ってなかったね、ごめん」
そもそも、シンは魔力を使うことが少ないから、魔力がどうやって回復するのかとかも教えていなかった。
「魔力は空気と同じ。呼吸することで、酸素と一緒に空気中にある"魔素"を肺で取り入れて、心臓で魔力に変えるの。でも、私の肺も心臓も魔道具だから、それができないんだ。ほら、魔道具って、勝手に魔力を回復したりしないでしょ?」
「……魔素って?」
「魔力の原料、かな? この魔素が無かったら、この世界に魔法は存在してないんだよ。神器も無かったと思う。魔獣も生まれないし、もしかしたら魔人だっていなかったかもしれないけどね」
私も、こんな体になることはなかったかもしれない。だから、魔素なんて最初から存在しなければいいって思うことが時々ある。
「そっか、じゃあフルミネに出会えたのもその魔素のおかげだな」
「……?」
「ああ、ごめん……フルミネにとっては辛いだけの過去だから、こんなこと言うのは不謹慎だよね。でも、その過去があったからフルミネがあの森にいて、溺れていた僕を助けてくれた……フルミネに、出会えた」
「……私も、シンに出会えたのは良かったって思ってる」
うん、そうだよね。どんなに気にしても過去は変えられないもん。だから、"もしかしたら"の話をしても仕方がない。
「あれ、魔法がなければそもそも溺れるような事態にはならなかったのか……?」
「ふふっ、溺れてた原因はゲンさんだっけ?」
「そうだよ。懐かしいな……」
別行動で魔獣狩りをしている時に、シンがゲンさんに攻撃されているのを見て焦ったなぁ。私が慌てて仲裁に入ってなんとか誤解は解けたからいいけど、もう少し遅かったらシンが危なかった。
ゲンさんは、私の安全のために素性が不明のシンを殺そうとしていたのだ。その時は、ちょっと過保護過ぎると思った。いくら素性が不明だからって殺さなくてもいいじゃんって。
そんなゲンさんにも、もう、会えない。
「ゲンさん……」
「フルミネ、今日はもう寝よっか」
「……うん」
私に気を使ってくれたのかもしれない。私達は、昨日と同じようにベッドに横になる。
……あれ? 昨日と同じように?
ということは、今、私達は向かい合わせに寝てるということになる訳で――。
「――っ!?」
シンは何を思ったのか、私の頭を撫でてくる。あまりに突然のことで体が硬直してしまう。
今さらだけど私、昨日も相当恥ずかしいことしてたような……!?
ど、どどどうしようっ、これって私が暗くなっちゃったからだよね。ちゃんと大丈夫って言わなきゃっ。このままだと恥ずか死ぬっ。
けれど、顔を上げることができない。シンと顔を合わせられない。
「大丈夫、大丈夫……」
そんなことを言いながら、シンは優しく私の頭を撫でてくる。頭を撫でるシンの手は、私を落ち着かせてくれた。もし、私にお父さんがいたら、こんな感じなのかな。
強く拒む理由も恥ずかしい以外は特に無い。もう、このままでいいやって思えてしまった。
その後、シンは私が眠りにつくまで、頭を撫で続けてくれた――。
"このままでいい"じゃなくて、"このままがいい"だったのかもしれないけれど、一文字変わったところで意味はあまり変わらないよね。