今、この時間だけでも
「この後って何するの?」
時刻は昼下がり。
昼食を終えてから、しばらくお腹を休めていた僕だったが、少し気になってフルミネに聞いてみた。
「腕、本当に大丈夫……?」
しかし、フルミネから返ってきたのはその問いに対する答えではなく、心配の意味が含まれた言葉だった。
「大丈夫だって。フルミネも朝に見たでしょ」
「い、一応、見たけど……痛いところとかない? 無理してない?」
「ないない」
僕は昨日に引き続き、両腕に包帯を巻いている。けれど、これは念のためだ。
フルミネが朝に巻き直してくれた時にはその包帯の下の痣は消えてなくなっていて、巻かなくても問題ないレベルまで治っている。
「シンの怪我が治ったら始めようかなとは思ってたけど……それなら、今日からやる?」
「いいよ」
「本当に大丈夫かなぁ……」
* * * *
――戦闘訓練が終わり、夕食や沐浴も済ませて太陽もすっかり沈んでしまった時間帯。
「疲れた……」
床に尻餅をつき、足を力なく投げ出す。
「お疲れ」
「ありがとう……んくっ――ぷはっ」
フルミネから労いの言葉と共に水の入ったコップ差し出され、僕はそれを受け取って一気に飲み干した。ああ……染み渡る……。
「腕、大丈夫? 大丈夫なら、明日もこんな感じでやっていくけど……」
「筋肉痛になりそうな感覚はあるけど、多分大丈夫」
――僕は今日の戦闘訓練を振り返る。
戦闘訓練は、"身動きが取れなくなった方の負け"という、例えるならば、格闘技の試合のようなものだった。
まず、一戦目。
始まりの合図と共に、フルミネは僕の懐に一気に飛び込んでラッシュを浴びせてきた。
僕はフルミネのラッシュについていくのが精一杯で、端から見れば"タコ殴り"という表現が正しい、そんな光景だっただろう。
そして、僕はそのまま反撃すらできず、そのまま一戦が終わってしまった。
早く終わりすぎたために休憩を入れて三戦まで行ったが、それでも、結果は全てフルミネの圧勝に終わったのだった。
「フルミネ、心配してた割には容赦なかったよね。それに、スキル封じてくるなんて思ってなかったし」
それは三戦目のことだ。
この戦闘訓練にスキルの使用制限等はない。だから、ぼくは一、二戦目では頼らなかったスキルを使おうとした。
――しかし、フルミネはそれをラッシュと同時に、僕が口を開くタイミングを的確に狙い、口を抑えてスキルを封じるという荒業を見せてきたのである。
思い返してもあれは人間業じゃない。流石にえげつなさすぎる。
「ご、ごめんね。流石に大人気なかったよね……」
「あ、いや、僕がまだ未熟だったせいだから、謝らないで」
しゅんと、ただでさえ小柄な体をさらに小さくしてフルミネは落ち込んでしまい、慌てて慰める。
これはフルミネのせいではない。僕が弱いのがいけないんだ。
「……やっぱり、これだよな」
今日の反省から、僕は[能力改変]に新しいステータスを設定しようと考えていた。
反撃のポイントは、そもそもラッシュをさせなければいい……つまり、近づかれなければいい。
……言うのは簡単だが、フルミネは速い。足も、攻撃も、全ての動作に無駄がない。
そのため、開始直後に[能力改変]を使ってフルミネから距離を取る必要がある。
それに必要なのは速さ。つまり"AGIを上げること"だ。[A二倍]すら慣れてないけど、何回も使って慣れていけばいいか。
そして、僕は[能力改変]に1つ、新しいステータスを追加するついでに、『通常』を削除して『S三倍』を『通常』に変える。
これは今日一日を過ごして、肉を剥ぐ時にいちいち『通常』に戻すのが面倒だったからである。
「ふぅ……フルミネ?」
スキルの設定を弄り終えて顔を上げると、フルミネが妙にもじもじとしていることに気づいて首を傾げる。
しかし、その理由に思い至るのにそう長い時間はかからなかった。
「……寝よっか。フルミネはどっち側?」
「奥でいい……?」
「うん」
まずフルミネがベッドに横になり。その隣に僕が寝る。お互いに背を向けて。
――どうしてこんなことになったのか。
最初はお互いにベッドを譲り合っていたが、それならお互いに妥協して一緒に床で寝ようという話になったのだ。
掛け布団も一つしか無いため、その案に僕達は納得した。
しかし、その後にフルミネが「これって二人でベッドに寝るのと同じじゃない?」と言い出した。
そして、僕もその意見を受け入れてしまった結果、今に至る。
……殴りたい。あの時、"それなら大丈夫か"なんて思った自分を、ぶん殴りたい。
僕は安易にフルミネの言葉を受け入れたのを後悔した。
ベッドが一人用のために、床で寝ていた時より距離が近いのだ。背を向けているのにも関わらず女の子特有の匂いがする。
フルミネも同じなのかな。
僕は好奇心半分で寝返りを打ってみた。もし起きてたら、お互いが寝れるまで何か話そうと考えて。
――そんな僕の予想を裏切り、フルミネは既に深い眠りについていた。この短い間に、いつの間にか僕の方に寝返りもしている。
「……はぁ……」
思わずため息が漏れてしまう。フルミネがあまりに無防備すぎるからだ。
果たしてそれは信頼されているからなのか、男として見られていないだけなのか……できれば前者であってほしい。
「僕もさっさと寝よ――うっ!?」
再び彼女に背を向けようとしたその時、フルミネは僕の胸に顔を埋めてくる。
フルミネの顔を見ると、まるで悪い夢でも見ているかのように苦しんだ表情をしていた。
「フルミネ?」
「…………ぅ……ししょう…………いかないで……」
……そっか。ずっと、独りぼっちだったんだ。
僕には「ししょう」が誰を指し示しているのか分からない。
それでも、"フルミネと親しい誰か"であるということは想像に容易い。
その親しい誰かも、今はここにいない。たまにゲンさんとやらが話相手なってくれると言っても、寂しいものは寂しいに違いない。
こんな真っ暗な森の、真っ暗な家の中で……独りで、毎夜を越しているのだから。
「大丈夫、大丈夫……」
子供をあやすように、フルミネの頭を優しく撫でる。この行為が自己満足でしかないというのは、僕も分かっている。
それでも、今、この時間だけでも甘えさせてあげたいと思った。
――僕がこの森を出る日まで。