狼の居ぬ間に
――ロトン/47カ――
魔人の襲撃から随分と日が経ち、僕もようやく普通に歩き回れるぐらいまでに回復した。
そして、久しぶりに僕は食堂で皆と朝食を共にしていたのだが……。
「フルミネ」
「はい」
「ん」
名前を呼ばれただけで、フルミネは近くに置いてあった醤油をレティに手渡す。
その二人のやり取りはまさに阿吽の呼吸。それを見た僕は目を丸くするしかなかった。
「シン、腹はもう大丈夫なのか?」
「…………」
「シン?」
「……あ、はい。何ですか」
軽く衝撃を受けて思考停止していた僕は、テトさんに顔を覗き込まれて我に帰る。
「まだ調子悪いか?」
「……いえ、いつの間にフルミネとレティはそんなに仲良くなったのかなと」
僕の知らない間に、一体何があったのか。レティのあの警戒心&不満剥き出しの態度は何があったらここまで軟化するのか。
僕がコミュニケーションを取ろうと試みたことはある。しかし、彼女と話す時はいつも壁を感じていたのだ。
彼女は表情の起伏に乏しい。それは今も同じである。でも、今のレティは同じ無表情でも、纏う雰囲気が明らかにに変わっていた。
「……気付いた時にはこうなってたな」
「レティとフルミネのぎこちない会話が懐かしいですね」
「レティも丸くなったってことだろ」
テトさんとシンシアさん、グラディスさんの三人はしみじみ答える。なんだか、僕だけ置いていかれたように感じて少し物寂しい。
「皆、うるさい」
「恥ずかしがらなくてもいいでしょう」
「むぅ」
シンシアさんの言葉に、レティはムスッとした顔のまま油揚げを頬張る。彼女の頰は仄かに赤かった。
その後、朝食を食べ進めながら僕はこれからのことについて訊ねる。
「今日の日程とかってあります?」
「今日は……なんだっけ」
「昼過ぎまでの巡回のみです。団長はそれぐらい把握しておいてください」
「悪かったよ」
シンシアさんの小言にテトさんはばつが悪そうに答える。
そんな二人を横目に、レティが口を開いた。
「フルミネ、午後、来て」
「……また?」
「ん」
「"また"って?」
フルミネの反応が気になった僕が訊ねれば、彼女は苦笑いを浮かべながらも答えてくれた。
「私の魔道具の構造が知りたいんだって」
「なるほど」
レティって魔道具が好きなんだっけ。それならフルミネの体の魔道具に興味を持っても不思議じゃないか。
僕が一人で納得していると、レティが威嚇するように語気を強めて言った。
「シン、来るな」
「まだ何も言ってないから!?」
「まだ?」
僕はサッと目を逸らす。僕も行っていいか聞こうとはしていたから、否定はできなかった。
そもそも、レティと仲良くなることは諦めていない。別に張り合っていた訳でもないけれど、フルミネに先を越されたのは悔しいという少々幼稚な感情もあったりした。
まあ、そんな僕の下心もレティに見透かされていたらしい。
ジト目で僕に無言の圧をかけ続けるレティ。そんな彼女に、隣に座るフルミネが肩をチョンチョンと突いて言う。
「私はいいよ?」
「見られる、いい?」
レティの言葉にフルミネは首をこてんと傾ける。
しばらく間が空いたと思えば、彼女は沸騰したやかんのように湯気を出して、顔を真っ赤に染め上げた。
「やっぱり駄目っ、絶対駄目っ」
そう言って、フルミネは両腕を前に突き出し首を横にふるふると振った。なんという手のひら返し。
「分かった、行かないよ」
けれど、そこまで嫌がっているのに無理も言えない。
だから、内心で少し泣いたのは許してほしい。嫌われているのではないと分かってはいても、本気の拒絶は心にくる。
「ご、ごめんね」
「謝る、必要、ない」
申し訳なさそうにするフルミネと容赦ないレティ。どちらの言葉も、僕にダメージを与えるには十分な言葉だった。
* * * *
街の巡回が終わり、太陽が空の真上にある一日で最も明るい時間帯。僕は一人、ラミアさんの病室に訪れていた。
「――ということがありまして……」
「それを我に言われても」
朝の話を打ち明けると、ラミアさんに困り顔で一言返される。
いや、確かに久々にラミアさんに会って、開口一番にこんな話題出されても困るのは当たり前である。それは僕自身もよく分かってる。でも、言わずにはいられなかった。
「というより、シンは知らなかったのか」
「え、ラミアさんは知ってたんですか」
「まあ、うん。相談してきたのはレティだからな」
遅れているのは僕だけのようだ……待って、本当に僕だけ除け者だったの? 何この悲しい事実。
そういえば、最初は毎日お見舞いに来てくれていたフルミネも、最近は三日に一度くらいにまで減っていた。
なんだか、フルミネがレティに取られたようで複雑な気持ちだ。この気持ちを言葉に表すなら、ホームシックならぬフルミネシック。
……フルミネに親しい友人が増えたのは喜ばしいことなのだ。僕に彼女を縛る権利はないし、僕自身それは嫌だ。
いくら恋人でも彼女を束縛していい理由にはならない。できたのが同性の友達なら尚更のこと。
「……はあ」
「今度はどうした」
「自己嫌悪ですからお気になさらず……」
「そ、そうか」
今になって自覚した。僕はかなり面倒臭い男のようだ。
これほど独占欲が強かったとは思ってもみなかった。自分でも驚いていて、嫌になる。
「……ラミアさん」
「相談には乗れんぞ?」
「それはもう大丈夫です」
いつまでも引きずるほど女々しくはない。多分。
僕がここに来た本当の理由は、ラミアさんに訊ねたいことがあったからだ。
「この騎士団に来たばかりの頃、スポーツの話をしたじゃないですか」
「……したか?」
「あれです、剣道の話をした時です」
「ああ、それか……ん?」
思い出してくれたかと思えば、ラミアさんはすぐに神妙な顔つきになる。
そして、顎に手を当てて眉をひそめながら、僕に訊ねてきた。
「何故、シンは古代語を知っている?」
言っている意味が分からなかった。
「古代語ってなんですか?」
「うん? スポーツの意味は分かっているよな?」
「運動競技の一種……ですよね?」
「スポーツは古代語だぞ」
……やっぱり言っている意味は分からない。代わりに、今すぐ確認するべきことが生まれた。
「今から言う言葉の意味を答えてくれますか」
「ああ」
「ハロー」
「こんにちは……挨拶だな」
「ナイト」
「騎士と夜の二つ意味があったと思う」
「ウォーター」
「水」
「ボンジュール」
「……球と飲み物?」
「それはボールとジュースです」
大まかな確認をしていると、ラミアさんはますます僕を訝しむような視線を向けてくる。
僕だけが理解しても仕方ないので、彼女には打ち明けることにした。
「今話した言葉も古代語なんですよね」
「逆にそれ以外の何がある」
「これ、僕の世界にもある言葉です」
「……何と?」
驚き目を見開くラミアさんに、僕はできるだけ簡単に説明を始めた。
「正確には、僕の住んでいた国とは違う国……外国の言葉です」
「つまり、シンの世界の言葉とこの世界の古代語は同じものだと?」
僕は頷き、今の言葉と元の世界の言語の種別を説明をする。
「その古代語は、僕の世界では英語と呼ばれているものです。最後のボンジュールだけはフランス語の挨拶で、僕の話している言葉は日本語と呼んでいます」
「エイ語、フランス語、ニホン語……」
慣れない言葉なのか、ラミアさんはぎこちなく発音する。
「シンの世界では、どれほどの言語が存在している?」
「正確な数は分かりません。それでも、千以上と聞いたことがあります」
「そんなにか!? シンは何種類の言語を話せるのだ!?」
少し勘違いをしてそうな興奮気味のラミアさんに、僕は努めて冷静に受け答える。
「自分の国の言葉だけで精一杯ですよ。英語も多少話せる程度で、フランス語はさっきの挨拶の言葉以外知りません」
僕は一般的な高校に在学していた普通科の高校生だ。外国語科ではないため、知識にも限度がある。
「僕の聞きたかったこともこの話でした。どうして英語を話せるのか……でも、まさか古代語だったとは」
「……うむ、かつてこの世界にも複数の言語が存在していたのは確かだ。文献にも書いてあった」
「文献?」
「ガロウナムスの蔵書塔には行ったか? あそこに古代語の辞典がある」
文献、辞典、英語……まさか、そういうことか。
「それ、表紙に"英和辞典"か"和英辞典"と書いてありませんでしたか」
「いや、古代語辞典だったぞ」
違った。全然そういうことじゃなかった。
この世界は僕のいた世界の未来的な世界なのではないかという読みは的外れだったようだ。
……次だ、次!
「紙と書く物ありますか」
「ああ」
ラミアさんはベッドの脇にある棚から、鉛筆と黒いノートを取り出した。
……思えば、これもおかしな話だよな。こっちを先に確認してみよう。
「すみません、これは?」
「鉛筆と束紙だが、使い方は分かるか?」
「はい、ありがとうございます」
ノートは束紙か、なるほど。
僕はもう一つのことを確認するためにノートを開き、固まった。
「あの、これ……」
「適当なページを使ってくれ」
ラミアさんは特に動揺しているような様子を見せない。
僕がどうして固まったのかというと、このノートの中身が完璧な"黒歴史ノート"だったからである。彼女のメンタルは鋼なのだろうか。
本人が気にしないことに驚かされつつも、彼女に従って僕は空きページを探す。
そして、見つけた空きページに四つの言葉を書き込み、その一つ一つに指を差しながら確認していく。
「これは」
「"漢字"だな」
「これは」
「"カタカナ"だ」
「これは」
「"ひらがな"か」
「最後に、これは」
「……分からん」
「"English"……読み方は古代語です」
「ほう……!」
ラミアさんは身を乗り出して英語を眺める。女性なのに、まるで純粋な少年のように目を輝かせていた。
「ん゛んっ」
「――っ、すまぬ」
僕は話を続けるためにわざとらしく咳をすれば、ラミアさんは我に帰って身を引いた。
ラミアさんの発音は完璧だった。つまり、"English"以外の言葉はこの世界に存在しているということだ。
「何か分かったか?」
「漢字、片仮名、平仮名は僕のいた世界にもあるものです」
「……そうなのか」
「話、ありがとうございます」
「うむ」
また新たな謎が生まれてしまった。ホワルの召喚の影響のことだ。
この世界の言葉を理解できる自動翻訳効果が働くと彼女は言っていた。でも、今確認した言語の区別は翻訳の域を明らかに超えている。
まあ、それが分かったところでそれ以上は何も分からないのだけれど……。
僕は最後に、先程までの話に比べても然程重要ではない、ふとした疑問をラミアさんに投げかける。
「ラミアさんは何故古代語を?」
「"古代語"って響きがカッコいいだろう」
平常運転なラミアさんに、僕は言葉にならない安心感を覚えたのだった。
〜おまけ〜
「今更ですけど、ラミアさんって日光は平気なんですね」
「む? 何だその質問は」
「僕の世界にも伝承上には吸血鬼がいるんですけど、日光浴びると死ぬとか。あと、流水と十字架と銀の杭」
「繊細が過ぎる」
〜おまけ2〜
「あと、生き血が食糧源って話もありました」
「いや、普通にご飯食べてるからな。というか、血は吸わないぞ」
「え?」
「確かに吸血鬼は人に噛みつく行為をすることがある。だが、それは単に魔力を吸っているだけだ」
「……"鬼"は百歩譲っていいとして、"吸血"はどこからきたんですか」
「昔、魔力を吸うのが下手な者がいたらしい。その者は相手を強く噛みすぎて出血させてしまったとか。それを偶然目撃した者には、吸血しているように見えたらしい。そこから、名前も吸血鬼として定着されたと言われている」
「勘違いで命名された種族なんですか!?」




