vs【溶獄】こうみょう
――時が止まったように、この場にいる全員が動けないでいた。その場でくるくる回る魔人を除いて。
レティが遊撃部隊に預けられたのは六年前。そして、【雷聖】……フルミネが表からいなくなった時期と重なる。
どうして気づかなかった。気づいていれば、こんな事態に陥ることはなかったのに。
「その子がいなければ、あなたの両親が死ぬことはなかった」
「……」
「その子が、あなたの両親を殺し――」
銃声が響き渡る。
銃の魔道具を持っているのは、この場に一人しかいない。その持ち主を知っていたからこそ、私達は驚いた。
「……なんでよ」
「変わらない」
「……?」
魔人は小首を傾げる。レティは珍しく、口角を吊り上げて言い放った。
「魔人、仇、変わらない」
「……つまんなーい」
魔人は不満を漏らしながら鞭を振るう。その鞭は槍のように直進。レティを貫かんばかりに襲ったそれは、白銀の盾によって阻まれた。
「もー、邪魔しないでよー」
「じ、じじ、邪魔だと思ってくれて光栄だよっ」
テトは震えた声で虚勢を張る。注意が彼に向いた瞬間を狙って、私は魔人に側面から接近した。
「隙ができた、なんて思った?」
「『錬成』!」
横に薙ぎ払うように振るわれた鞭に対し、私は足場の地面を局所的に隆起させることで上に逃げる。
空中で無防備に身を晒す私を見て、魔人は歪んだ笑みを見せながら鞭を振りかぶる。
そんな魔人に、言ってやった。
「隙ができた、なんて思いました?」
「『竜式:石火』」
「――!」
魔人の後ろに回り込んでいたグラディスは、彼が使える抜刀術の中で最速の技を繰り出す。
――狙ったのは、神器を持つ手元。
しかし、一瞬遅かった。グラディスが抜刀する前に魔人は腕を引っ込め、私達から大きく距離を取ったのだ。
「すまん、外した」
「構いません。これで私達を脅威と見なしてくれれば、他の団員は魔物に専念できますから」
ようやく、攻撃を避ける動作を見せた。
魔人は使徒のように不死身に近い性質を持っていても、不死身ではない。あくまで死ににくいだけ。魔人も生き物なら、必ず急所がある。
「やるぞ、シンシア」
「はい、グラディス。レティは援護、頼りにしてますから」
「ん!」
「俺は?」
「団長は無理しないでください」
「シンシアが優しくて逆に怖い!」
私は考える。テトは後で殴ろう。
……そんなことより、だ。神器を奪えれば勝機はあるかもしれない。でも、それはさらなる危険を伴う。
その上、私達がすべきなのは時間稼ぎ。魔人を倒すことではないのだ。
テトの神器であとどれくらい凌げるかも分からない。それを踏まえて、私達はラミア達を信じて時間を稼ぐ。
レティも心配だ。今の話を気にしていない訳がない。彼女は落ち着いてるように見えて、ずっと感情的だから。
……心配事は山のようにある。それでも、私達がここで魔人を止める。ガロウナムスが危険に晒されるなんて、絶対にあってはならない。
「ふふ、あはは、あはははははははは!」
体を半分液状化させた魔人の、狂ったような嗤い声。
「皆仲良く、壊れちゃえ」
――怪物は光の失った目をこちらに向けた。
▼ ▼ ▼ ▼
――ガロウナムスより東――
魔人が鞭の神器を振るえば、鞭から雫のように撒き散らされる溶解液の塊が、乱れ撃ちのように襲ってくる。
私は斧の神器で切り裂き、吸収しながら被弾を防いでいた。
魔物も同時に相手をしなければならないと始めは考えていたのに、魔人の攻撃はあまりに雑だった。
言ってしまえば、私達の戦いの流れ弾で魔物が消えていくのである。
私は魔人の攻撃を避けながら、観察していた。
というのも、今回の【溶獄】は明らかに異常だ。先程の通信も、俄かには信じられなかった。
……【溶獄】が四人いる可能性なんて、誰が信じられるというのか。
でも、通信で嘘を吐く理由なんてないのは分かっている。これが現実なのだ。
「逃げないでよー」
「くっ、ふんぬっ」
鞭が振るわれ、ウラノイアで受け止める。そろそろ頃合いだろう。
この魔人の攻撃は神器と溶解液。この二つとも、魔物に比べれば少なくない量の魔力が含まれている。
そこが魔人の恐ろしい点ではあるが、私はそれらをウラノイアで吸収してきた。つまり、貯蓄は十分。
魔力を貯蓄してきた理由はただ一つ。もう一つの神器を使うため。
「『神器解放』!」
ブレスレットが光ると、一張の弓に形を変えていく。私は弓柄を右手で握り、魔人から大きく距離を取って構えた。
魔力を流せば、発光した短い矢が弦に対して垂直に現れる。
私はそれを口に咥えて引っ張れば、弦も同時に引かれる。
この弓の神器――"アモウ"が持つ力は"魔力増幅放射"。込めた魔力は十倍に増幅され、一本の矢に圧縮される。
その矢は放てば光線となり、地を砕き、海を割り、天を裂く――相殺不可の一撃必殺となって敵を穿つ。
しかし、短所も当然ある。この神器は維持するための魔力とは別に、一矢ごとに追加で魔力を要するのだ。
それは神器の中でも最高威力を誇る代わりに、魔力消費が激しいことを意味する。だからこそ、ウラノイアと併用する必要があった。
「ぴょーん!」
「――っ」
魔人はたった一度の跳躍で私の後退に追いついてくる。
さらに鞭を振るわれ、私は咄嗟にウラノイアで受け止める。その拍子に、矢を口から離してしまった。
放たれた矢は明後日の方向に直進し、射線上の魔物が消滅する。
「相変わらず凄い威力だね!」
「ありがとうっ」
賞賛は素直に受け取っておく。煽ってるのかもしれないけれど、どうにも子供を怒る気にはなれない。
もちろん、手を緩めれば殺されるのは分かっている。だから私は魔人を討つのだ。
まずは矢を外さない方法。いくら神器が強力でも、当てなければ意味がない。
そのための最善手は、魔人の拘束。一瞬でも動きを止められれば、当てられる。
魔人は鞭を振るって再び溶解液の塊を乱れ撃ち、私はウラノイアでその液塊を切って魔力を吸収する。
それに並行して、私は後退しながら魔法の詠唱を始めた。
「灰燼と化せ、邪なるものよ!『スクランブルホーリーバースト』!」
両腕を振るい、多数の光球を放つ。手が塞がっていても発動出来るのは魔法の利点だ。
魔人は鞭でそれをはたき落とそうと鞭で叩く――その衝撃に反応して連鎖爆発を起こし、周辺の魔物をも巻き込みながら魔人を呑み込む。
「ばあ!」
その爆発から、数秒待たないうちに無傷の魔人が飛び出す。迫る魔人に対し、私は後退をやめて別の詠唱を始める。
「聖なる輝きよ、白に染めよ!『ライト』!」
私は魔人の視界を奪うつもりで[光魔法]を放った。
「ざーんねん」
「ぐぁ……!」
しかし、魔人はそれなりの光量だった目眩しを物ともせず、鞭で私の腹部を貫いてきた。
同時に、鈍くなっていた痛覚が元に戻る。[操血]による擬似覚醒が維持できなくなったからだ。
「まだ、まだぁ……!」
鞭から染み出す溶解液が、私の体を焼く音が耳につく。
薄れてゆく感覚の代わりに激痛が襲う。涙で視界が滲む。それでも、私は歯を食いしばってウラノイアを振り上げる。
――その腕に背中を貫通していた鞭が突き刺さり、ウラノイアを振り下ろすことは叶わなかった。
腕から、腹から、口から、血が溢れる。出血は[血液変換]で補うが、長くは保たないだろう。
「終わりだね。楽しかったよー」
「……ああ、お遊びは終わりだ」
「え――あっ!?」
魔人は今になって鞭を引き抜けないことに気づいたようだ。
その原理は、[操血]で腹部と左腕の血を固めるという簡単なもの。
[操血]は己の血液を操れる。当然、"血液凝固"も可能だ。そのために、私はわざわざ血を溢れさせた。
もちろん、血を固めた程度では神器の膂力に敵わない。引き抜こうと思えば無理矢理にでも引き抜ける。
だけど、私は神器を奪おうなんて思っていない。少しの間、止まってくれればそれでよかった。
「我も忙しいからな。別の方角で会えたらまた討ってやろう」
アモウに魔力を込めて右腕を魔人に突き出す。そして、弦に添えられた光の矢を口に咥えて思いっきり引っ張る。
自分がどうなるのか悟ったように、落ち着いた笑みを浮かべた魔人は最後に一つ問いかけてきた。
「詠唱、何のためにしてるの……?」
どうやら、気づかれたらしい。私が無意味な詠唱をしていることに。
私の魔法は正真正銘この世界の魔法であり、グラスが使うような魔法とは違う。だから、『ホーリーバースト』とか『ライト』だけでも魔法は発動できる。
それを知った上で詠唱しているのは、私にとって超重要な理由があったからだ。
「カッコいいからに決まっている!」
私が答えると同時に、極光が魔人を呑み込んだ――。
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