可愛い人
顔を見て可愛いとか可愛くないとか、そういうもので女子を評価するのは気が引けるのだが、やはり彼女は可愛い顔立ちをしている女の子だった。
学年で彼女を知らない者はいない。訊けばほとんどの人が「ああ、あの可愛らしい子?」なんて答えを返し、男子に至ってはそれに加えて「おれ、あのこ好きなんだよ」なんてことを言ったりする。訊いてないのに。
そんな注目のまとである彼女、Mと俺は、図らずとも二人きりになった。
遅刻の反省文をかかされていた俺は教室で一人、居残り。適当に文をでっちあげ、原稿用紙を埋めていると、突如ドアが開いたのだ。
髪をすこしはねさせて、やや息を上がらせているMだった。顔もすこし紅潮しているみたいだ。うん、可愛い。
「あ……」
誰かいるとは思わなかったのだろう。数秒入ってきたままの格好で固まり、そしてはっとしたように自分の髪を撫で整えた。
高嶺の花で目の保養の対象。彼女とどうなろうなんて下卑た考えはない。そんな枯れた精神だからこそ、俺は何ともない調子でMに声をかけた。
「どうした」
「え、ああうん、忘れ物しちゃって」
なるほど、そりゃ大変。焦って戻ってくるはずだ。
うむうむと首肯しながら、Mが自分の席に向かっていくのを眺める。他意はない。ただ何を取りに戻ってきたのかすこし気になった。
Mは、机の中からシャーペンを取り出した。俺はそれを見て、つい声が漏れた。
「え」
「え?」
振り返るM。俺がずっと見ているのに気づいて、目を大きくした。
「ええと、なな何かな?」
「ああいや。えらく急いでたみたいだから」
「……?」
小首をかしげるM。俺は視線を逸らしながら、率直な意見を述べた。
「いやなんつーか。たかがシャーペンのためにそんな焦って戻ってきたのかと思って」
「…………」
沈黙。
地雷を踏んだか。たかがシャーペンでも、Mにとっては大切なものかもしれない。いや、ぜったいそうだろ。
俺は弁解をしようと思った。「言葉足らずだった」と。
しかし先に口を開いたのはMだった。
「えっ、と。違うの、これはね、大事なシャーペンで。なくしたら嫌だと思って、それでうん、戻ってきて急いで。そしたらたまたまキミがいて……」
支離滅裂でなにを言っているのか理解するのに時間がかかった。
要するに、やはりシャーペンは大事なもので、俺がいるとは思わなかった。……俺の存在はあのシャーペンに何ら影響なくないか?
「……そうか」
よかったなと、伝えておく。
そして俺は早く帰りなさいと示すように手を振り、反省文に向き直った。刹那とはいえ、悪くない時間だった。明日他の男子に自慢してやろう。
「……ねえ、何してるの?」
すぐ横からのMの声。俺は勢いよく身を引いた。
「ああごめん! 驚かせちゃった?」
「いや、まあうん」
帰らないのか、とう疑問符が浮かぶも、彼女は構わず問うてきた。
「何してるの?」
「……反省文だよ。遅刻の」
努めて平静を装い、俺は反省文に向かう。しかしちっとも反省の文が浮かばない。隣から香るMの柔らかい匂いがどうにも……
「ひとりで?」
「誰かと書く反省文ってどんな反省文だよ」
苦笑しながら言うと、Mは笑った。
「確かにそうだね」
そして、何故か隣の席に腰をおろす。
「帰んないの?」
「え?」
「忘れ物、無事あったんだろ?」
Mは、何故か顔を赤くした。
そしてまた早口に言った。
「いやね、ほら、あれだよ。忘れ物は別に、や、そうじゃないくて……。キミがひとりで寂しそうだからね、待っててあげようかと思ってみたりとかうん」
「……ああそう」
可愛い。
なかなか勘違いしそうなことを言ってくれる。しかし残念なことに俺は鈍感ではないのだ。
それゆえにMの言い分も理解でき、そしてそれは本心だということも理解した。
疑う余地無し。Mは、俺がひとりで寂しそうだから待っててくれる。それ以上でもそれ以下でもない。
「キミ……もしかして迷惑だった?」
「いや、別に」
恋愛感情はない。可愛いとか可愛くないとかはあるが、俺にとってはそれだけだ。
Mにとっても、寂しそうだからとかそうでないとかで、人を待ってくれている。
俺のこと好きなんじゃない? とか、一切思わない。何せMは、
「そういえばキミ、名前なんて言うの?」
俺の名前すら知ってくれていないのだ。何とまあ可愛いことか。天然ジゴロ此処に在り。