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短編・掌編

浜辺のうた

作者: たびー

東日本大震災を題材にしております。

不快に思われる方は、閲覧をお控えください。


浜辺のお話。

 体の下を波が走っていった。

 寄せる波にうつ伏せの体がわずかに持ちあがり、体の下の砂をこそぐようにして波が引いていく。

 頭をあげると、髪から水がしたたった。穏やかな波にゆられながら身を起こす。首を巡らせ、波打ち際で海を見つめた。

 晴れ渡った空に、カモメが数羽とんでいる。頬についた細かい砂粒を指先で払う。風に舞った砂が口にはいると、わずかに潮の味がした。

 沖合いを行く船を見送り、左右に長く続く海岸線に目を転じる……何か物足りなく感じる。

 そうだ、防潮堤の向こうには松林があったはずだけれど、見当たらない。それどころか防潮堤もなくなっている。わたしの背後の遠くから車の通る音がする。


 駐車場代、五百円取るんだね。仕方ないよね近くて便利な位置だもの。


 わたしは手を引いて、小さな手を引いて。肩にかけたバッグにお弁当を入れて。隣を歩くあの人はビーチパラソルを担いでクーラーボックスを持っている。駐車場から松林を抜けて……今日も球場で試合してるんだね、夏なら泳げばいいのに。でもわたしたちと違って海にはいつでも入れるだろうから……。


 誰と来たんだっけ? なんだかひどく、ぼんやりしている。

 それに、どうしてだろう。立ちあがらなくても遠くまで見えるの。海の反対側の街並みは、見渡す限り平坦に整えられて、なにもない。まるで長方形や正方形ののチョコレートケーキをいくつも並べたみたい。

 溜め息が出た。

 ああ、オーバーが水を吸って重い。靴は片方脱げている。左足にだけ残った、チャコールグレイのハーフブーツ。

 車は……車、置いてきたんだった。車から降りて、佐野のお婆ちゃんに……。

 佐野のお婆ちゃん、って誰?

 ほら、家の前にいたから。

 顔見知りの、話したことがある、あんたワカメ持ってきな……わたしは、エイギョウで……。


 道路を見ていたら、誰か知っている人が通るかも知れない。知っている場所があるかも知れない。

 交差点のところの、ガソリンスタンドは、ちゃんとあるじゃない。隣に大きなスーパーが、仕事帰りによく買い物したスーパーが、あったのに。

 奥の方にはアパートが見える。五階建ての鉄筋コンクリートの。どうして? 窓がぜんぶ破れてカーテンが揺れている。

 車は通る、半袖に麦わら帽子の子どもたちが自転車で通る。花を抱えた人に水桶を下げた家族。短い影が黒々と舗装された道路をいくつも行きすぎる。

 見知っているはずなのに、まるで知らない場所みたい。ここは居心地が悪いわ。

 わたしは静かな波に半身を洗われながら空を見る。

 帰らなきゃ。どこかに、イエがあったはず。でもどこ? 


 みんなで来たのよ。左手に小さな手をにぎって、隣にはあのひとがいて、もう水着に着替えて浮き輪を抱えた女の子がポニーテールを揺らして先に走っていく。

 ダメよ、ひとりで入っちゃ! 危ないから、一緒にいて……。


 危ない、一緒に、はなれないで。


 危ないから一緒に行こう。

 佐野のおばあちゃん、なんでまだ避難しないの?

 サイレンが鳴ってるのよ。


 んだって、チリ地震のとぎだって、こごさハ水こねがったおン。


 だって、すごい揺れたから。一緒に避難所に行こう、車に乗って。


 んだが? 

 足痛いだくて、はっぱど歩げねくてよ。


 手伝うよ。あ、でも道路が渋滞してる。

 なんだろ、木がきしむ音がしたけど。なんで茶色い煙が……水、水が。


 佐野のお婆ちゃんを抱えて数歩あるいただけで水に足元をさらわれた。繋いでいた手は水に倒れ込んだ拍子に離れた。

 茶色い煙は波に押された家々が粉々に砕けて散って舞い上がったものだった。

 黒い海水に飲まれて沈んで。


 ここは、あの浜辺なんだろうか。

 帰らなきゃ。かぞくを、かぞくが待ってる。

 でも方角が分からない。山のほう、山のほうなの。

 目をこらすと、山の向こうが光って見えた。

 きっとあそこだ。わたしは海辺にいながら駆け出していく。まるで風だ。風になって初めて知る稲の花の香り。緑豊かな田んぼに果樹園、深い山ひだを縫うように流れる清流には鮎を狙う釣りびと。

 峠を越えて、光の柱が何本も立つ里に出た。たくさんの光の中から特別に光って見える家があった。庭先に細く高い木の柱、トオロギが天に伸びている。その先ではためく白い布が輝いていた。

 むくげの花咲く庭先には、赤いタチアオイも生い茂っている。男の子用の青い自転車が玄関の横にあった。


「もうすぐお墓参りに行くんだから、準備手伝って」

 女の子の声だ。呼ばれた男の子がソファから起きて両腕をぐっとうえに伸ばす。ソファのむこうのテーブルには「四年生一学期まとめ」の冊子が開かれたままで置かれている。

「あんた、宿題ちゃんとやっときなよ。お盆すぎたら夏休みなんてすぐ終わりなんだから」

「はーい」

 ちょっとやる気のない声。短く切った髪とよく日に焼けた肩がランニングシャツから見える。

「姉ちゃん、花火っていつだっけ」

「十五日。叔母ちゃんたちも見に来るって。ほら、父さんもうじき迎えに来るから」

 エプロンをした背の高い女の子が手をふきながらやって来た。まだあどけなさが残るふっくらとした頬にニキビがひとつ。手際よくテーブルの周りを片付けている姿は板についている。


 ああ、お姉ちゃん。大きくなったね。ありがとう、お家のことをしてくれてるんだね。

 わたしは渚で日に透ける水の中に手を浸して、薄くほほ笑む。


 ソファに寝ていたダックスフントがひょこっと首をあげてわたしを見た。


 チャコ、元気だった? 子どもたちのそばにいてくれてるんだね。


 チャコは甘えるようにわずかに鼻を鳴らして、外のほうを見ている。


「どうした、チャコ。ネコでもいた?」

 男の子がチャコを抱きあげた。くんくんと鳴くチャコ。

 コートのポケットを探ると、小さく堅いものを指が探り当てた。出してみると淡い桜色の貝殻だった。

 ほら、これ。お土産。


「……姉ちゃん、縁側に貝がある」

「えー、なにそれ。今朝掃除した時はなかったよ」

 ポニーテールに髪をまとめながら女の子が答える。

 少し水に濡れた貝殻は、夏の日差しに小さく光をはじく。


 わたしの小さないたずら。鼻歌でも歌いたい。浜辺をそよぐ風にのってわたしは、わたしを戻していく。


「……!」


 誰かの声に振り向くと、少し向こうに紺色の制服を着た人たちが、スコップを手に何人か立っていた。わたしの方を指さして何か話しているかと思ったら、なかば走るようにわたしのもとへやってくる。


 ようやく見つけてもらえたのかも。


 わたしは水に体を横たえる。

 はるか水底の声が聞こえそう。命の声と祈りの声と……。

 わたしの体を波が、砂が通りすぎる。


 ずいぶん時間を過ごしたのね。

 はやく見つけて。そして、あの家に……帰りたい。



 了



お読みいただき、ありがとうございますm(__)m


地元以外ではあまり報道されていなのかも知れませんが、東日本大震災から五年を経た今も毎月11日には、行方不明者の一斉捜索がされています。


どうか、一人でも多くのかたが懐かしいお家に戻れますように。


なお、本作中に出てくる、「トオロギ」は遠野地方でお盆に立てられるものです。

http://www.rise-tohoku.jp/?p=3000


新盆のお家で立てるのですが、作中ではまだ帰らない主人公のために立てている、としました。


浜辺のうた、わたしにとっては『砂山』がメインテーマです。

http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%A0%82%E5%B1%B1&tid=d36836f91c0e41c15226669929b976a5&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1

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[良い点] 気が付けてもらえたと思いたいです きっと、かえることができるはずだと 今度は桜貝ではなく、ちゃんと家族のもとに・・・ [一言] あの日あの時あの時間に、心も身体も魂も、全てをどこかにぬいと…
[良い点] 最後まで、夢中になって何度も拝読いたしました。 子どもの手を握っていたことを、一緒に歩いた道を、思い出しながら辿っていく姿が胸に刺さります。 あの日あの時、崩れてしまった今までの日常の風景…
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