異世界転生に失敗しました! ――俺の異世界ショップが開くまで――
「……これは、大変なことになりましたね」
軽く身を乗り出しながら、俊の顔を覗き込んでいる少女が言った。年は十代後半といったところか。白くこざっぱりとした着物を纏っていて、くるんっとした黒曜の瞳が愛らしい。顔を縁取る黒髪もつやつやとしていて、頭頂部には綺麗な天使の輪が出来ている。
「……は?」
状況を飲み込めず、俊は変な声を出した。慌てて周囲を見渡せば、白い世界が広がっている。果てはない。どこまでもどこまでも、ただただ真っ白。白い宇宙にでも浮かんでいるかのようだ。
「あ、あの! ここは?」
「あの世とこの世の境目です」
「……あの世?」
「はい。大変申し上げにくいのですが……上埜俊さん。あなたは死亡しました」
「どういうこと?」
俊はきょとんとした顔をした。死ぬようなことなど、全くした覚えがまったくないのだ。いつものように高校から家へと帰ろうとしたら、いきなりこの場に居たのである。通学路は車どころか人間すら通らないような田舎道。交通事故だってそうそう起きようがない。
「冗談だろ? 何で、俺が死ぬんだよ」
「…………肥溜にですね、落ちたんですよ。それでそのまま、溺死です」
「はい?」
「たまたまですね、牛を乗せた車が道を通ったんですよ。それでその時に、牛の……その、排せつ物が道路に落ちましてね。後から通ったあなたは、それに足を滑らせて……肥溜にダイブなのです」
「つまり、俺は牛のフンに足を滑らせて肥溜に落ちて死んだと?」
「まあ、そういうことになりますね……プッ!」
少女は口元を抑えると、泣き笑いの表情をした。死んでしまった俊の手前、どうにか堪えようとはしているらしい。だが、まったくできていない。くすくすっと、口の端から吐息が漏れる。
「あんたなあ……!」
「ご、ごめんなさい! 本当に不幸だとは思ってるんですよ? で、でもおかしくっておかしくって……」
「思ってないだろ、絶対に思ってないだろ! めっちゃ馬鹿にしてるだろ!」
「そ、そんなことはないのですよ! もし私がこんな目にあったら、恥ずかしくって死んじゃいます! あ、もう死んでいたんでしたか……!」
こうしてひとしきり笑い転げたところで、少女はようやく落ち着きを取り戻した。彼女はパンパンッと着物を整えると、軽く咳払いをする。崩れていた表情が、一気に真面目なものとなった。
「……気を取り直しまして。私、死神をしている神羅あやめと申します」
「神様ねえ……。信じられないな。まあ、この状況そのものがいろいろとあり得ないんだけど」
振り向けば、どこまでも続く白い世界。そんなところに居るあやめが浮世離れした存在であることは、俊にも何となくわかる。だが、神様と言われてそうですかと頷けるほどではなかった。そもそも、俊は神の存在を信じていないのだ。自然と額にしわが寄って、渋い顔つきになる。だが、あやめはそんな彼の訝しげな顔などお構いなしに話を続けた。
「あー、実はですね。今回私がここにいるのは、謝罪をしなければならないからでして。その……上埜さんの死は……私のミスが原因なのですよ。昨夜、あなたの閻魔帳の寿命欄にですね、寝ぼけて液体……つまり、コーヒーを……こぼしてしまいまして……。本当は、肥溜ではなく隣の田んぼに落ちて、軽症で済むはず……だったのですよ。それが……まあこのような有様に……」
しどろもどろになるあやめ。顔は笑っているが、その額には大粒の汗が浮いていた。彼女の情けない釈明を聞くにつれて、俊の瞳がみるみる吊り上がっていく。やがて――
「つまり、あれか。俺はあんたに殺されたと?」
「単刀直入に言ってしまうと、そういうことになります……」
「……ホント? マジ?」
「ええ。トゥルーですよ」
「…………ふ、ふざけんじゃねえぞ、ごるァッ!! なにしてくれとんじゃッ!!!!」
「しょ、しょうがないじゃないですかー!! こちとら三年連続でお仕事ですよッ!! カフェインを摂取しなきゃ、やってられないんですッ!! 神様だって、コーヒーをこぼすことぐらいあるんですよ!」
ある意味、開き直りともとれる発言。俊の堪忍袋の緒が、ぶっちんと千切れた。もはやあやめが神であるかどうかなど、関係ない。
「うるせえ! そっちの都合なんて知ったことかよ!! あんた神なんだろ、責任をとってちゃんと生き返らせろや!」
「それが出来たら、私も苦労しないんですよ! 同じ世界に復活させるのは、聖人級のありがたーい人じゃなきゃダメなんです! 破ったら厳罰ですよ、厳罰!」
「厳罰だろうが何だろうが、やれよ! 責任取るってそういうことだろ!」
「嫌ですよ! だいたい、これから普通に生きてたって上埜さんはせいぜいが課長どまりの平凡サラリーマンなのですよ! そんなつまらない人生のために、仮にも神の私が何でそんなことをッ! 断固拒否しますッ!」
「なんつー自分勝手な理屈だよ! 人の小さな幸せを奪い取って責任も取らねえなんて、てめえ、何様だ!」
「神様ですよ!!」
「そういう問題じゃねえ!」
そのまま、激しい口喧嘩へと突入する二人。しばらくして、疲れて息切れしたあやめは、軽く肩で息をしながら言う。
「ま、まあそろそろお互いに落ち着きましょうか……。日本で復活させるのは厳しいと言いましたが、実は異世界でなら復活させられるのですよ。それで何とかなりませんか?」
「なに? それってつまりあれか? 最近ひそかなブームが来ている、異世界転生って奴か?」
「そんなところですね。厳密には、肉体は死亡当時のものをそのまま再構成するので転生というよりは転移に近い感じなのです」
「それはなかなか……」
俊はゲーマーにしてラノベ愛読者、そしてアマチュアアニメ評論家である。ようは、かなり重度のオタクだ。異世界転生などというファンタジー要素一杯の単語を聞いて、心が踊らないはずがない。
「転生先はファンタジーな異世界なのですよ。ゲームなどの舞台設定でありがちな剣と魔法の異世界そのまんまってところです」
「おお」
「また騒がれたら面倒――ゴホン! お詫びの気持ちを込めまして、転生するならいろいろと便宜を図りますよ。言語の習得とか各種病気への免疫とか、最低限のものは全部こっちでやります」
「おおッ!」
「さらにさらに。出血大サービスで、私から何か一つ特別な能力を差し上げます! どんなものでもいいですよ、ドーンとお任せください!」
「おおおおッ!!」
先ほどまでの険しい表情はどこへやら。俊は目をキラキラと輝かせながら、あやめの話に歓声を上げる。目に嬉し涙すら浮かべたその様子は、あやめを心の底から崇拝しているかのようだ。
「神様仏様、あやめ様!! ありがとうございますッ!! 俺、異世界で幸せになりますッ!!」
「…………すっごい変わり身の早さですね。ま、ちょろい分には問題ないのですよ。では、早速どんな能力がいいのか言ってみてください」
「不老不死にしてくれ! それが無理なら、魔力無限で!」
「……うわあ。さっき小さな幸せとか言ってた人とは思えない……!!」
ここぞとばかりに無茶なことを言う俊に、あやめは大きな大きなため息をついた。最近の若者は欲がないなどと言われているが、目の前の少年には全く当てはまらないらしい。欲望で、瞳が眩しいほどに輝いている。
「あのですね、もう少し謙虚に行きません?」
「出来ないのか? 魔力無限」
「ええ、まあ……それはちょっと遠慮していただけたらなと」
「ちッ」
「舌打ちされた!? 神様なのに!! これでも結構キャリアあるのに!!」
あやめはああだこうだと、百面相をしながら大騒ぎをする。それを軽く聞き流しながら、俊は考えを巡らせた。こういう場合、一番役に立つスキルは何なのか? そもそも戦闘系を取ればいいのか、補助系を取ればいいのか。考えることは無数にある。
こうして、無言で唸ることしばし。あやめも落ち着いたところで、切り出す。
「だったら、日本の物を出せる能力とかは? 異世界っていろいろ不便そうだし、たまにはポテチとか食べたいしな」
「……人の話を聞かずに考えていたことは、この際、不問に処すのですよ。そうですね、それぐらいならば可能ですよ。ただ、出す時には相応の対価を必要としますが」
対価という言葉に、俊の眉毛がびくっと跳ねあがる。また何か文句を言われるかもしれない。そう感じたあやめは、すかさず笑いながらフォローをした。
「対価といっても、法外なものではないのですよ。例えるならそうですね、異世界のお金で日本の物が買える能力といったところでしょうか、もちろん、値段は日本で売られている価格と変わらない感じで」
「ほうほう、それはかなり便利そうだな。商品の品ぞろえはどのくらいだ、ア○ゾンくらい?」
「仮にも神様が用意する能力ですよ? お金で買えるものなら、基本的に何でもあるのです。必要な額さえ用意できれば、スカイツリーでも行けます!」
「何でスカイツリーをチョイス……でも、凄い能力だな。それさえあれば、金には困らなさそうだ」
これから向かう世界は、ありがちな剣と魔法の異世界だと言う。それならば、日本の産物はさぞかし珍しいことだろう。それらを売買すれば、まず金には困らないはずだ。暇つぶしに漫画を買ったりすることもできるし、設備を購入すれば電化製品だって使えるだろう。考えれば考えるほど、可能性の広がるステキな能力だ。
「よし、それで行こう!」
「わかりました、では能力は決定ですね。向こうに着いたらステータスと念じてください、それで使い方とか細かいことは分かりますので」
「何つーか、ゲームそのまんまだな」
「感覚的に分かりやすいようにしたら、そうなったのですよ」
合理的なような、そうではないような。イマイチ納得がいかないながらも、ここで文句を言ってもしょうがない。俊はあやめにうながされるまま、彼女が地面に描き出した魔法陣の中へと足を踏み入れる。
「では、そこでじっとしていてください。行きますよ……! 異界へと旅立つ者に、大いなる祝福があらんことを! ……あッ!」
「どうし――」
小さく響いた悲鳴。それに俊が反応した途端、彼の視界は白に飲まれたのだった――。
――○●○――
気が付いた俊が目を開くと、そこは先ほどまでの白い世界とは一転して真っ暗であった。体が思ったように動かない。型枠にでもはめ込まれてしまっているかのようだ。さらに全身が冷たく、今にも凍え死にそうである。一体何が起きているというのか。どうやら横になっているらしい俊は、大急ぎで身を起こした。すると――
「いてて……! うおッ!?」
何十人もの人々が、唖然とした表情で俊の方を見ていた。全員、黒の喪服姿で手には数珠を持っている。まさかと思って彼らと反対の方面を見やれば、たちまち、黒い縁に収められた俊自身の写真が目に飛び込んできた。間違いない、これは……遺影だ。となれば、この集まりの正体は一つしかありえない。
「……え、俺の葬式?」
「俊、俊ッ!! 生きてたのね」
「母さん!?」
動揺している俊に、勢いよく母が抱き着いた。彼女はそのまま俊の胸に顔を埋めると、涙を流し始める。大粒の滴が頬を滴り、次々と落ちた。その感極まった表情に、俊は戸惑いながらも何も言うことができない。
「もう、心配かけて……! ほんとに死んじゃったのかと思ったじゃない……!」
「その……確かに死んだはずなんだけどな……!」
「何だっていいわよ! 俊、本当に戻って来てくれてありがとう! あなたが死んだって聞いた時、母さんね、本当にどうしたらいいのかわからなくて……良かった、良かった……!」
膝をつき、そのまま泣き崩れる母。その脇では、父が無言で涙を流していた。……一体何が起きているというのだろう。思考が追い付かず、俊が石化していると、彼の目の前にひらひらと紙が落ちてくる。拾ってみれば、そこには――
『異世界へ転生させる予定が、誤ってそのまま日本に復活させてしまいました。ごめんなさいなのです! でも、最初は復活したいって言ってましたし問題ないですよね? とりあえず、不満はないということにしておきます。 追伸、与えた能力は日本でも有効です、せっかくなので上手く使ってくださいです。あやめより』
「おおう……」
コーヒーをこぼすなんてミスをした時点でうすうすダメっぽい感じはしていたが、まさかここまでダメな神だったとは。俊は綾女のドジっぷりに、頭が痛くなった。何をどう間違ったらそんなことが起きてしまうのか。また、コーヒーでもこぼしたんだろうか?
「……でもまあ、いいか。これはこれで幸せだよな」
涙を流す父と母の姿を見て、優しい気持ちになる俊。冒険は出来なくても、チートで無双は出来なくても。自分を愛してくれる家族と再会できたのだから、悪い気はしない。むしろ、本当に大切な物とは何かを思い出せたような気さえした。
「……あやめ様、生き返らせてくれてありがとう」
そういうと、家族三人で肩を抱き合う。こうして俊たち一家は、家族の温かさを再実感した。
――○●○――
「結局、あれは何だったのかな……?」
数日後。部屋の机にもたれかかりながら、俊は漫然とつぶやく。あの後、あやめ様からのメッセージが書かれた紙は、最初からこの世になかったように消失してしまった。あの日、あやめ様と会ったことを示す唯一の物的証拠は完全に無くなってしまったのだ。
「ステータスっと……。やっぱ、何も出てこないし」
静かな部屋に、声だけが虚しく響く。あやめ様から貰ったはずの能力も、このとおり全く使うことはできなかった。単純に、ここが魔法の存在しない日本だから使えないだけかもしれない。でも、その可能性よりはそもそも――夢だったと考える方が、俊には自然なことのように思えた。
「やっぱ、異世界転生ものの読み過ぎかね。うーん……」
パソコンの画面へと目をやる。そこには、とある小説サイトのランキングページが表示されていた。異世界転生と付いたタイトルが、これでもかというほどに並んでいる。こういう小説をたくさん読んでいるから、瀕死の状態になった時に脳が都合の良い幻でも見せたのだろうか。
「まあ、あんな神様ありえないか。コーヒーを閻魔帳にこぼすって……。でも、もしいるならもう一度会いたいな。人間を復活させたら、厳罰だとか言ってたし。大丈夫かな?」
間違えたとはいえ、結果としてあやめは俊を日本に復活させている。彼女の言葉が正しいならば、今頃は厳罰が課せられているはずだ。もともと彼女の自業自得とはいえ、関わったものとしてちょっとばかり心が苦しい。何だかんだで、俊は綾女のことがそう悪い人間――いや、神だとは思えなかった。
「俊、お友達が来てるわよー!」
「え、こんな時間にか? つか、家に来るような友達って誰か居たっけ……?」
時計を見れば、時刻はすでに午後八時過ぎ。いったい誰が来たのか、不信感を抱きつつも俊は階段を下りた。そうして玄関にたどり着いてみれば、そこには――草臥れた様子のあやめが居た。
「お久しぶりですよ! お元気そうで何よりなのです!」
「あやめ様!?」
「あはは、もう様はつけなくていいのですよ……。天使に降格した上に、下界へ左遷されちゃったので」
「そりゃまた……。ずいぶんと」
前に見た時は美しい純白をしていた着物が、土埃にまみれていた。髪も心なしか艶がない。どうやら、何日もお風呂に入れていないようだ。神様――いや、今は天使様か――なので、体臭がほとんどしないのが幸いか。
「今回の件で、上司の冥界神様にきつーくお仕置きを受けまして。天使として、責任をもってあなたを見守るようにと」
「……はい? 何で俺をわざわざ見守ったりするんだ?」
「冥府としてもいろいろと責任がありますからね。あなたにはきちんと幸せになっていただかないと。それに、与えた能力をこの世界でむやみやたらに悪用されても困りますし」
「ん? 待て待て、俺は能力なんて貰ってないぞ? 仮に貰ってたとしても、今は使えないし」
「え? そんなことはないはずですよ? ちゃんと、ステータスオープンって念じました?」
「オープン? 確かあの時は、ステータスって念じてくださいって言ってなかったか?」
オープンとは、確か一言も言っていなかったはずである。するとそれを指摘されたあやめは、アッと口元を抑える。
「そういえば、あの時はステータスとしか言ってなかったですね……。ははは、申し訳ないのです」
「……あんた、ホントに神様なのか? ただのドジッ子じゃないの?」
「失礼ですね! これでもれっきとした神……ゴホン、元神なのですッ!! とにかく、能力の方を確認してみてください。日本でもちゃんとステータスは出るはずなので」
言われるがままに、俊はステータスオープンと念じてみた。するとたちまち、視界の一角が白く染まって――。
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上埜 俊
称号 :オタク
職業 :高校生
体力 :11
魔力 :8
知力 :21
攻撃力:12
防御力:14
技能 :異世界ショッピング・言語翻訳・鑑定
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「お、出た出た! って、何か微妙な数字っぽいな。ステータスって、平均でみんなどれくらいあるものなんだ?」
「一般人なら、だいたい20ぐらいですね」
「うごッ! 俺、知力以外すべて下回ってるぞ……。魔力に至っては8ってなんだよ、8って!」
「まあ、魔法のない世界の人は総じて魔力は低いのであんまり気にしなくてもいいかと。それより、スキルの方が重要ですよ。確認してみません?」
「え? 確認すると言ってもな、日本で日本のものを買ってもあんまり意味がない気が……まあ、便利な時もあるか」
買ったものがお金と引き換えにすぐに出てくる仕様なら、コンビニいらずである。わざわざ買い物に行く必要がなくなるので、地味に便利だ。そんなことを思いながらスキルを使おうと俊が念じると、予想だにしなかったことが起こる。
「え……何だこのラインナップ」
「どうしました?」
「買える物リストみたいなのが出て来たんだけどさ。ちょっと変なんだよ。火の魔石とかドラゴンの肉とか、そんなのばっかりだ。日本に売ってんのかよ、そんなの」
俊の目の前に表示されたウィンドウ。そこにはネットの通販サイトのようなものが表示されていたが、商品の内容がありえなかった。魔石やそれを使ったアイテムをはじめ、RPGに出てくるようなものばかりが並んでいる。
「ああ、なるほど。たぶん、ここが日本だからそうなってるんですよ。そのスキル、異世界ショッピングなので。おそらく、この場所から見て異世界の物品を買えるようになってるんです!」
「つまり……あれか? 日本円で直接異世界の品が買えると?」
「そうなりますね」
それを聞いた途端、俊の目つきが変わった。そして――
「俺の時代が、始まったかもしれない!」
一か月後。町はずれに小さな店がオープンしたことを、多くの人は知らない――。
このパターンの失敗はたぶん初めて……?
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