62話目 枯れた竜
平成最後の投稿(4ヶ月ぶり)。
色々ギリギリなので改稿すると思います。
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「騎士エイドリック=ディーリ!クシャ幽谷での危機を乗り越え、よくぞハドヌスに戻ってきた!その武勇、胆力を我々は歓迎するぞ!!」
「……ゼルドラ」
二騎の先導に従い、高原に形成された集落の外れに着陸した俺達を出迎えたのは、大仰な物言いの若い男と、整然と並び隊列を成した兵士達の勝鬨だった。
騎竜騎士を称する若者二人がハドヌスまでの案内役を買って出た時点で、既に碌でもない予感はしていたのだが、遊牧民に似つかわしくない軍勢の出迎えは予想をはるかに上回っており、言葉が出てこない。
唖然として二の足を踏めずにいる俺ことアーデとその袖を掴み怯えるルウェナ、そして苦虫を噛み潰した表情のエイドリックを余所に、若い男は軽く腕を上げ合図を出した。同時に銅鑼と思わしき重い金属音が鳴り響き、その音に合わせて若い男を中央に据え、兵士達は軍靴を鳴らして向き直る。
丁度、男とエイドの邂逅を迎え入れる形で、だ。
「御前試合の優勝者たる貴殿がいればまさに百人力!ドラグと培ったその武勇、存分に奮ってくれ給えよ」
「ゼルドラ!お前っ……?」
芝居掛かったセリフを続ける若い男にエイドが強い口調で詰め寄るその機先を制し、ゼルドラと呼ばれた男は破顔してエイドを抱きすくめた。
(……悪魔みたいなタイミングだ)
間違いなくエイドは友人の行いを咎めるつもりだった筈だ。しかし今の状況は、見方によっては感極まって親友との再会を喜ぶ熱い抱擁にも見える。
溢れんばかりの男の笑顔が、それを強く印象付けていた。一方でエイドの顔は、彼が纏うダブダブのマントによって上手く隠されている。おそらくゼルドラがそう見えるよう狙ったのだ。
エイドが男の名を呼んだことも、エイドの表情を見れない周囲の人間からすると再会を嬉しがる声に聞こえているのかもしれない。だが、エイドのすぐ後ろに控えていた俺は、彼らが交わす小声の会話を耳聡く拾っていた。
「(エイドリック、ここは久方振りの再会を喜ぶ場面だ。兵たちが見ている前で指揮官と第一の騎士が仲違いする様を見せる場面じゃあない。分かるな?)」
「っ!お前は……くそっ」
耳元でそう囁かれたエイドは忌々しげに抱擁を振り払い、間髪入れず差し出されたゼルドラの手を見下ろす。得意げな澄まし顔とを交互に見やり、湧き上がる憤りを抑えるように瞑目して、──その手を握った。
オオオォォォォオオオオ──!!
それを待ち構えていたかの如く、周囲の兵士達から鬨の声が上がる。突然の大声に怯え、俺の背後に隠れてしまったルウェナの頭を撫でて落ち着かせる。
演出にしても些か大仰じゃないか?半ば呆れつつも渦中の二人を眺めていたら、──演出を組んだ当の本人と目が合ってしまった。
「ありがとう、エイドリック卿。……ところで、そちらのお嬢さん方はどちら様だい?いや、先にこちらから名乗るべきか。
我が名はゼルドラ=ディーリ。僭越ながらディーリス国改革派の総指揮官として、ここに集った勇士たちを率いています。
ハドヌスの部族は貴女の来訪を歓迎しましょう。流石に王都並のもてなしとは行きませぬが、相応の歓待はさせていただきます」
長く伸ばした金髪に瀟洒な赤マント。そして常に自信に満ち溢れた笑顔と、少々、いやかなり勿体ぶった口調と芝居掛かったリアクションが印象的な青年だ。
……少なくともエイドよりは若く見える。いやしかし、言葉を交わす二人の態度は互いに侮らず敬わず、気兼ねのないあっさりしたものだ。身分差や年功序列に厳しいと思われる騎士が礼節に欠ける態度を許すとも思えないから、序列と年齢はおおよそ対等、とみるべきか。
(エイド、老けてんのかな……)
連れの老け顔はともかく、だ。
「ゼルドラ様、あなたの好意に感謝します。私は薬師のアーデ。こちらはルウェナ。故あってエイドリック卿の旅に同行させて貰っております。
私の使命はあくまでエイドリック卿の後援。ですが、彼が望むなら、あなた方の謀反も微力ながらお手伝いします」
片足の爪先をもう片方の踵の裏に退げ、軽く膝を曲げて一礼する。
確か、女性のする挨拶にこんな仕草があった筈。……この場面でやっていいものなのか知らないが。
ギョッとしたエイドが何やら口をパクパクさせているが、今は無視だ無視。周りの人は俺を指差して嗤ってないし、多分見当違いな挨拶をしたわけじゃない、と思う。
「…………」
「ふむ。……成程ね」
奥底に野心を湛えるゼルドラの瞳を、分厚い面の皮で繕った笑顔を、フードの陰から見つめ返す。
しかしゼルドラは何やら得心がいったと言わんばかりに深く頷き、むしろ面白がるように視線を俺とエイドリックとを交互に行き来させ、──嫌な笑顔で俺に狙いを定めた。
「……我々は貴女を歓迎しよう!辺境の地に於いて薬師は貴重な存在だ。ああ!大事な人材を連れてきたエイドリック卿には感謝してもしきれんな!」
そう宣いながら、滑らかな動作で俺の目の前に片膝をついて跪くゼルドラ。不意を突かれ、反応が遅れた俺の手をそっと掴むと、気障ったらしい仕草で手の甲に接吻してみせた。
「先の無粋な挨拶を詫びます。貴女のような淑女への挨拶として、あまりにも華のないものでした。田舎者ゆえ洒落た贈り物の一つも持ち合わせておりませんが……許して頂けますか?」
その光景を見た兵士達がにわかに色めき立ち、エイドが見たことのない表情を浮かべ絶句する。……が、一番驚かされたのは、間違いなく俺だ。
(えぁっ?……あぁ、あー。挨拶かっ!びっくりした……)
確かこの手の挨拶は、目上の相手に謙ってするようなものだったはず。もしくは騎士が貴婦人相手にする、古めかしい挨拶とかなんとかだが。……される側になるとは夢にも思わなかった。
「お気に召されたかな?」
「っ……!」
俺の動揺がゼルドラからも見て取れたのか、微妙に口角を吊り上げ、笑みの質を変えて勝ち誇られた。うぜぇ。
ウザいが、何も言い返せん。ファッキンな意味で顔が熱いが、それさえも周囲には別の意味に捉えられかねないのが余計にムカつく。……まあ顔はフードの陰に隠れて、ほとんどの傍観者に気取られていないのが不幸中の幸いか。
(……いや、下手に疑われてテントから出られない……なんて扱いよりはマシなんだがな。むしろ待遇としては良い方、なのか?)
少なくとも、総指揮官が礼を尽くした相手をその部下達が無碍にすることはないだろう。
ゼルドラが最終的にどのような判断を下すかまでは読めないが、取り敢えず敵意を向けられていないと判ったことは大きい。
「して、貴女はエイドリック卿とはどのような関係で?
彼はまあ、あの通りみてくれは良いですが、既に婚約者がいる……のはご存知な様子。
では卿に危ないところを助けられた、といったところかな。また一つ卿の武勲が増えたとなれば、この身も鼻が高い。いやはや、本当に卿は星廻りが良い──
「いや、私がアーデ殿に助けられたのだ」
つらつらと口上を続けるゼルドラを止めたのは、当のエイドだった。
「ゼルドラ、お前と二手に分かれた後、私は団長自らの手で撃墜された。辛うじて墜落死は免れたものの、地に伏し死にかけていた私を救ったのが、鷲獅子を駆って現れたアーデ殿だ」
エイドは一度呼吸を置き、周囲のざわめきが収まるのを待ってから、有無を言わさぬ良く響く声でこれまでの経緯を語った。
「なんと、また」
兵士達が妙な雰囲気で騒めく中、ゼルドラは虚を突かれたように俺を見、そして遠くで翼を休めるピー子を見て口を戦慄かせた。
エイドの語った内容のどこに彼らを驚かせる要素があるのかさっぱりだが、何かあったらしい。騎士が民間人に助けられるのは問題だ、とかその手の話だろうか?
「……?」
首を傾げる俺を余所に、何やら奥の集団──集落側に並ぶ兵士達の雰囲気がおかしい。
その騒めきにエイドとゼルドラの二人も視線を引き寄せられ、その先にいる存在に気付き表情を強張らせた。
「(え、え……。何で、どうしてこんなとこにアイツが……!?)」
辛うじて俺の耳に届いた小声に視線を落とすと、襟元に隠れていたはずの妖精が目を大きく見開き、何かを畏れるようにガタガタと震えていた。
その更に下の足元を見れば、ローブに掴まって隠れていたルウェナも、涙目で「ソレ」と目が合わないよう俯いている。
「いつまで外で話しているつもりだい。それとも、この老骨が寒風に身を晒されるのを喜ぶか?ゼルドラ」
「ガッ……、ぁ……ぁっ!?」
声の主に問われたゼルドラはしかし、あらゆる糾弾を躱す口上どころか、否定の声を上げることすらままならずに喉を抑えて藻掻いている。まるで、透明な巨人の手に握り潰されているかの如き光景が、より異様さを際立たせていた。
「エイドリック。お前も若造の口上など適当に切り上げさせれば良かった。いつまでも顔を見せに来ないものだから、あたしゃ年老いたこの身に鞭打ってここまで来てやったんだよ」
「もうしわけ、ありません母上……っ」
地に膝をついたエイドは、血の気が失せた唇を必死に震わせ謝罪する。
それでも大分マシな方で、遂に意識を失って崩れ落ちたルウェナの身体を支えてやる傍らで、不自然に気を失う一般兵が続出していた。
気丈に立ち続ける者も皆一様に顔を蒼白にして、「ソレ」から視線を逸らす。
まるで、突然現れた猛獣を前にして、気分次第でその牙に命を奪われる運命に怯える小動物のように。
どうやらこの場で異常を感じていないのは俺と、──声の主だけらしい。
不意に、整然と並んでいた兵士達の一部が不自然に割れ、道が生まれる。
この異様な状況にも拘らず、海を割って民を導いた■■■みたいだなと呑気な感想が浮かぶ。やってることは暴君側の所業だが。
「ふん。それでその女は誰だい。妙なおまけもついてるみたいだけど、どう見てもそっちの女が本体だろう?」
兵士の人垣を割いて現れたのは、俺と然程変わらない小柄な人影。
────紅蓮。
それが、その女性に対する第一印象だった。
色褪せ、艶の失せた緋色の長髪。その髪をかき分けて突き出た、捩れた鈍銀の双角。かつての美貌の面影を残す、線の整った皺だらけの面相。
そして蛇を彷彿とさせる、──真紅の双眸。
人の姿で在りながら、人に非ざる者。生態系の頂点たる竜の因子を宿し、小賢しい知恵を一蹴する力の王者。
よく似通った存在が知己にいる俺は、目の前の老婆がどんな存在であるか得心がいった。
「(オウビ婆さんと同じ、竜人族か)」
誰に聞かせるでもなくひとりごちる。といっても、俺の家の家主ことオウビ婆さんはこんな超然とした雰囲気を纏ってはいない。たまにお茶をたかりに来る、何の変哲もない婆さんだ。
ていうか、母上?エイドリックと、この婆さんが……親子?
血縁として似てないどころか、多分種族すら違うだろ。
「……懐かしい名が聞こえたねえ」
初めて、老婆の瞳がこちらを、──俺と目を合わせた。エイドの隣というそこそこ目立つ位置にいたのだが、今まで眼中に無かったらしい。
というか、俺の呟きはとても老婆の元に届くような声量ではなかったのだが。地獄耳か。
「知り合いですか?」
助け舟を出せるエイドやゼルドラは、軒並み口を挟めるような状態ではない。なので、仕方なしに俺が尋ね返す。人外の存在であることに加え、開口一番嫌味ったらしい口調で息子を詰るような相手なんぞしたくもないが、仕方ない。
「……ああ、そうだねえ」
何が気に入らないのか、老婆はつまらなさそうに鼻を鳴らし、妙なものを見たと言わんばかりに瞳を眇める。
「……何者だい?」
「ただの薬師ですよ。まあ魔導師も兼任してますが」
軽く腕を振って錫杖を鳴らしてみせる。本来の得物じゃないが、らしくは見えるだろう。
「どうでもいいねえ。名乗る気がないならさっさと消えな。この地は異邦の民が気軽に踏み入れて良い場所じゃないよ」
「グニラ大婆様。彼女は──
「黙れ」
「ぐっ……、ぅ…………」
気丈に口を挟もうとしたゼルドラだが、グニラと呼んだ老婆のたった一言で、糸が切れたように白目を剥いて崩れ落ちた。
……先程からあの老婆が周囲に影響を及ぼしている筈なのだが、それが何であるのか俺は感知出来ていない。少なくとも大気に漂う魔力に異常はなく、魔法や呪いの類の線は薄い。ただただ不気味な
(…………ん?グニラ?)
グニラお婆さん。グニラ。グーニラ、グニーラ、……グィニラ?何故だろう、何処かで聞いたことがあるような……。
(そうだ、オウビ婆さんが何か人の名前とは思えないような名称を言っていた筈。何だったか……)
手紙を渡して欲しい相手の名も、確か「グ」で始まっていた。ただあまりにも長かったから覚える気になれなかったが、竜人族に赤い髪、二本の角。……もしかしなくても目の前の老婆が、オウビの話していたババアか?
俺は忌々しげに顔を歪めた老婆を視てその枠を覗き込み、──確信を抱いた。
■
グィニアスアルペンドウリス、478歳。
Lv.187
■
うわ、情報少な。だが知りたかった情報は得られたから、これで十分。
(グィニアスアルペンドウリス。ようやく思い出した。確かにオウビ婆さんの言っていた特徴とも一致するが……。まさか、俺が助けた騎士の母親がオウビの知り合い?そんな偶然、あり得るのか)
違和感の滲む不自然な邂逅だが、兎も角これで望みの薄かった頼みも果たせそうだ。……今のこの惨状で受け取ってくれるかというと、甚だ疑わしいのだが。
「グニラなんとかさん。オウビから貴女宛の手紙を預かっている」
ピクリと、老婆のこめかみに青筋が立つ。しかしそれも一瞬のことで、憎らしげに俺を睨むのを止め、無言で顎をしゃくる。
手紙を届けに来た相手が気に入らなくても、その中身に対する興味の方が勝ったらしい。俺が放った手紙を事もなげに掴み取ると、眉根を寄せてそれなりの文量があるそれを読み進める。そして、
「…………ちっ。寝床ぐらいは用意してやるよ。飯を抜かれたくないなら、突っ立ってないでついて来るんだね」
大きな舌打ちを鳴らし、集落へと踵を返した。
誰もが息を潜めて小さな後姿を見送る中、グニラ婆さんは振り返ることなく俺に向けてそう告げた。一応、招いてはくれるらしい。
「ありがとうございます」
感謝の言葉には何も返さず、人壁の奥へ姿を消した。
まともなコミニュケーションを取れなかったことに肩を竦めて周囲を見回せば、いつの間に立ち上がっていたエイドと目が合う。倒れていた他の兵士達も次々と立ち上がり、荒い息を吐いて呼吸を整えている。
「気難しい婆さんだ」
「……その程度で済むのはアーデ殿くらいのものだ、まったく。一瞬、大喧嘩が始まるんじゃないかと肝を冷やしたぞ」
苦笑混じりに茶化すエイドにつられ、俺も口を僅かに歪め、静かに笑った。
……冗談じゃない。竜の末裔みたいな存在とタイマンなんて張るわけがないだろ。




