56話目 野営地にて
……では、どうぞ!
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「……っ。ここは――……」
パチパチと爆ぜる焚火の音に、エイドは目を覚ました。
霞む瞳が夕焼けの空を映す。同時に芳し……――異様な刺激臭が鼻を刺し慌てて上体を起こす。
……眩暈がする。それに頭痛が酷い。上半身を起こした拍子に全身の骨が悲鳴を上げ、顔を抑えて呻く。騎竜騎士に任命されて間もない時期に、相棒から振り落とされ、地面に叩きつけられた時よりも痛い。
あの時は木々に引っ掛かりつつ落ちたお陰で九死に一生を得たが、今度こそは無理かと……今度?
「っ!? 生きてる、のか」
意識を失う直前の記憶が蘇り、エイドは風穴を空けられた腹をさする。が、致命傷たり得たその大穴は、微かな痕跡を残し塞がっていた。
「……あ、起きた?」
「っ! 誰だっ、……ぁ?」
まるで夢幻に包まれた気分のエイドだったが、唐突に横合いから掛けられた声に振り返り、――瞠目した。
まず目についたのは、黒衣の外套で身を覆う少女の姿。
素顔こそフードで隠しているが、小柄な体格に鈴を転がすような麗しい声、僅かにローブの裾から覗く素足から少女だと確信する。
野外で裸足という疑問は兎も角、女性特有の絹のような柔肌は、レオノーラと触れ合った経験から間違いないと断言できる。
しかしエイドの目を釘付けにしたのは、怪しくも魅惑的な少女――ではない。
「なんだ……、それは……?」
傷一つない手のひらに握る木匙、その先にある鍋のスー、プ……名状し難い内容物から目を離せずにいた。
「ん? 夕餉のシチューだけど」
シチューは紫色の煙を吹き上げたりしない!
喉元まで出かかった言葉を、エイドは断腸の思いで呑み込んだ。しかし少女が夕餉だと称するソレが美しく見えたり、芳しい香りを漂わせるような変化は、残念ながら起きはしない。
目が痛くなる毒々しい色の流動体と、鼻を捩じる痛みを伴った刺激臭が、現実であるとエイドを打ちのめす。……どこの辺境であればキノコの生えた肉や、人面植物を調理する習慣があるのだろうか。
「そ、そうか。ところで、助けてくれたということで良いのか?」
エイドは目の前の闇から目を逸らし、少女に問い掛ける。自身の問いが正しいことを確信してはいたが、それでも尋ねずにはいられなかった。
「あってる。死に掛けのお前たちを引っ張ってここに運んだのは……私」
その言葉に辺りを見渡す。自身が寝かされていたここは、小さな野営地だった。
件の鍋を煮込む焚火を囲む椅子代わりの丸太が置かれただけと、一夜の拠点といえどお世辞にも立派とは言えない急拵えのものだ。
エイドの知るものとの違いを指摘するなら、森の間隙に生まれた空き地の周囲の木々に、長剣が突き立てられていることか。騎竜兵としては接近戦担当だったため魔法の類には詳しくないが、おそらく結界か何かなのだろう。
「君は……魔女、なのか?」
「少し違う。魔導師だから」
どう違うのだろうか。エイドには分からなかったが、深く尋ねるような話でもないと判断し適当に相槌を打つ。
「何故、裸足なのだ?」
「……? 足が蒸れたから」
「森で肌を晒すのは危険だ。不浄の地を踏めば呪われる」
人の手が入っていない森に多く分布し、不死者湧きの原因でもある腐敗土は、視認が困難であり、また一帯は一段と瘴気が濃くなる傾向にある。
死の澱みが人の身体に良い影響を及ぼさない以上、肌に直接降り掛かるような格好は避けるべきなのだ。
「……成程。そうする」
エイドの説明に少女は素直に頷くと、丸太の上で乾かしていた薄手の靴下と紺のブーツを履き直した。革にしては不思議な質感をしているが、魔法の品なのだろうか。
「ちなみにその鍋の中身は――
「シチュー」
即答された。
「…………」
「…………」
いま、目を逸らしたような……?
「コホン。――この身を救っていただいたこと、感謝する。私はエイドリック=ディーリ。ディーリス王国の騎竜騎士を任されていたが、……今は追われている身だ。感謝の念こそ忘れるつもりはないが、あまり謝礼は期待しないでくれ」
ありもしない罪を被せられ、投獄された直後に友人の手助けを借りて脱走したのだ。あの場ではその選択しか取れなかったが、これで無実を訴えるのは難しくなった。
(撃墜で死亡扱いされている可能性の方が高いだろうが……)
腹部に重傷を負って地面に激突したのだ。その時点で既にエイドは気を失ったために前後の記憶は定かではないが、生きていると判断されれば連行されているだろう。
……目の前の少女に聞けば判るだろうか?
「エイドリックさんが追われていたのは何故?」
しかしエイドが顔を上げるよりも先に、フードの陰から緋の瞳を覗かせた少女が口を開く。
機先を制され一瞬口ごもるが、命の恩人が相手だ。痛む身体を推し、居ずまいを正す。
「エイドと呼んでくれて構わない。話せば長くなるのだが……」
不逞の輩との騒動から墜落するまでを掻い摘んで話す。
あの男が犯した罪を丸ごと被せられたこと。
被害者の王女や上司たるレーフェン将軍が宮廷魔法師側の主張に異議を唱えたことで、処分保留の扱いになるはずだったこと。
だがその数日後。エイドの牢屋を訪ねてきた同郷の旧友に裁定が覆ったことを告げられ、急かされるままに脱獄を果たし、待機していた旧友を含む知己の騎竜兵九騎と騎竜に跨ったことを。
そしてレーフェン将軍自ら率いた完全武装の騎竜騎士に追いつかれ、森の上空で墜とされたところまで話したのだが。
「…………」
「む、何かおかしなことでも言ってしまったか?」
――聞き手に徹していた少女は顎を細い指で触り、思索に耽っていた。
「……あぁ」
フードの陰から僅かに覗く瞳は細まり、何を見たのか、斜陽に染まる山模様をじっと見下ろしている。
「すまない。何か気になることでもあったのか?」
「……何でもない。事情は大体理解した。それで、エイドさんはこれからどうする? 傷は粗方塞いだけど、体力が回復してから動くことをお勧めする」
「そうだな……。とりあえずは故郷に戻り、途中で別れた友と合流するつもりだ。その後は……レオノーラの無事を確かめたい。今王都へ戻るのは無謀だが、あの男が大人しくしているとは思えないのだ」
王女の居室に押し入る非常識さと素行の悪さを考慮すれば、彼女に対して報復を行いかねない。後のことは兎も角、あの男の手が届かない場所に逃がしたい。
「しかし……魔導師殿はどうしてここにいたのだ?行商人や冒険者にはとても見えないが、この付近に隠れ家でも?」
他国の密偵……の線が一番高いのだろうが、どうもこの少女からはそのような気配は微塵も感じない。
「……薬師もやってる。だからこの辺にしか生えてない薬草を取りに来ただけ。
確認したいことがあるから、私は一旦拠点に帰る。明日の昼にはここに戻ってくる。それまで英気を養っておいて」
予め考えていたような棒読みのセリフを呟いた少女は、一冊の古ぼけた装丁の本を懐から取り出した。そして躊躇うことなく一枚の頁を破り捨てると、紙片を野営地の空いた更地に放り投げた。
「『召喚・ピー子』」
途端、棄てられた紙片を起点に円状の魔法陣が浮かび上がる。そして中から一騎の巨大な生物が姿を現し、主の元へと降り立った。
「まさか……!?」
目の前で巨大な翼を広げるその存在は、獅子の胴体に猛禽の頭と翼を持ち、こと戦いにおいては飛竜にすら匹敵する天空の覇者――鷲獅子だった。
「グリフォンが……服従して……」
王者の幻獣が見た目か弱い少女に付き従うという有り得ない光景を目の当たりにしたエイドは、瞠目して見守るしかない。
彼の知るグリフォンは野生の飛竜よりも気性が荒く、例え同族同士でも熾烈な縄張り争いを行う好戦的な魔獣だ。
希少種ゆえに、辺境の巡回任務に従事していたエイドでさえ片手の指に収まる回数しか遭遇したことはない。しかしどの個体も手強く、常に騎竜数騎で当たるべき強敵である。
それがどうだろう。目の前のグリフォンは黒衣の少女にその身を跨らせ、首筋を撫でることを許している。獰猛な鷲獅子が穏やかな瞳で背上の少女を見つめるのを、エイドは信じられない気分で眺めていた。
「それでは、また明日。……エイドさんの相棒ならここより少し下の水場で寝かせてるから、身体に障らない程度に見舞いに行くと良い」
「まて、いや待ってくれ!君は一体何者なんだ!? 名前すら聞いてない。どこかの国の密偵なのか?」
鷲獅子の羽ばたき一つで森がざわめき立ち、巻き起された突風に身体の痺れが取れていないエイドはよろめく。
それにしても、もう少し言い方というものがあったのではないだろうか。焦っていたとはいえ、我ながら幾ら何でも単刀直入過ぎる問い掛けだと思う。
案の定少女は顔を顰め――たりはせずに、ただ騎上で肩を竦め、口を開いた。
「アーデと呼べば良い。それと私は……ただの魔導師。それ以上でもそれ以下でもない。――行こう、ピー子」
キュイィィイ!
獅子の豪脚で地を蹴り、鷲の大翼が風を捉え夕焼け空へと舞い上がる。その加速は凄まじく、少女を乗せた騎影は瞬く間に遠く離れた山影へと消えていった。
「アーデ。アーデか……」
エイドは少女が名乗った名を反芻する。他国を含め、著名な魔法使いにそのような名の者はいなかったと記憶している。無論、偽名の可能性はあるが、少なくとも「致命傷を癒し、幻獣を従える」魔法使いの話は耳にしたことがない。
何れにせよ、不思議な雰囲気を纏う少女だった。もしかすると人間族ではないのかもしれないが、……現時点では気にしても仕方がないことだ。
(それよりも、だ)
「アーデよ、この鍋はどうすれば良いのだ……」
少女が残していった、目の前で不自然に泡立つ劇物を見返し、エイドは途方に暮れた。
(●ω|「今回はダメだったよ……」
ア「だから推敲ぐらいはやれと」
1話から最低限の修正を順次行っていきます。いつ終わるか分かりませんが。




