55話目 逃亡騎士エイドリック
花粉症が酷い。そして主人公の出番なし。
ではどうぞ!
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ディーリス王国は大陸で二つとない、騎竜兵のみの部隊を編成した唯一の国家だ。
先の魔領侵攻を含め、数多くの戦場で功績を挙げる騎竜部隊は国内での人気も高い。所属していたという肩書きだけで箔がつく程だ。
それは志願制であり、条件さえ満たせば平民の男性でも登用される可能性が存在するのも理由の一つだろう。
騎竜騎士に叙勲されれば、仮とはいえ貴族に準ずる扱いを受け、小さな村一つ丸々養える俸給が約束される。毎年出稼ぎに村を発つ若者達は、栄誉ある騎竜騎士を夢見て旅立つのだ。
無論、騎竜騎士への道は狭き門であり、また試練を突破した後も訓練は過酷を極める。
大空が主な任務の舞台である以上、事故死の危険は常に付き纏う。近隣諸国との関係が良好な時期でさえ、無事に任期を終える者より殉職者が多い部隊なのだ。
今では叛逆の輩となった私、エイドリック=ディーリも平民から騎竜騎士に任じられた一人だ。
魔領に程近い遊牧部族で育った私は、出稼ぎのため親友二人と共に王都へと出立した。衛兵の職務を数年勤めた後、衛兵隊長の推薦を受け四度の挫折を味わいながらも騎竜騎士の栄誉を国王から賜った。
それが四年前。騎竜乗りとしての才能が有ったのか、相棒であるドラグとの相性が良かったのか、大隊長の直掩の立ち位置を勝ち取り、騎竜部隊の二番手として収まったのだ。
当に順風満帆、飛ぶ鳥を落とす勢いで武勲を挙げ出世した私だが、それを妬む貴族も少なからずいた。
それでも三年間は大きな諍いも起きずに過ぎた。
何しろ私は騎竜隊大隊長ことレーフェン将軍の傍に控えているのだ。敢えて虎の尾を踏みたがる貴族が居るはずもなく、直接的な手出しは避けられる傾向にあった。
鬼の居ぬ間に行われる嫌がらせも些細なもので、また騎竜部隊としての任務に従事していれば、彼らと顔を合わせることもない。
実力主義かつ戦闘狂揃いの部隊内では貴族出身の同僚とも上手くやっていた。
そんな日常が一変したのは、とある御前試合で優勝した折、表彰台で見えた女性との出会いだった。
レオノーラ=イルノワーレ女男爵。騎士という貴族相当の扱いでしかない私とは違い、正真正銘の貴族として第一王女イリーネの側付き女官を勤める同い年の女性。
美女として有名な王女に、勝るとも劣らない彼女に私は一目惚れした。
彼女の手から勝利の花冠を授けられ、三言交えた後に再開の約束まで交わしていたのだ。
互いが互いの懸想を打ち明け、幾度かの逢瀬を経て恋路を遂げようとしたある日、不幸が起きた。
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曇りがちな満月の夜だった。
月明かりが度々雲に遮られる、暗い王城の廊下を私は歩いていた。灯りを求めるほどではないが、時折指先も見えなくなる深い闇が、視界を塗り潰す。
「む? ……そこにいるのは誰だ」
月明かりが射し込む曲がり角に人影を認め、エイドは訝しみつつも誰何する。夜更けに、灯りも持たず王城を歩く理由など限られているからだ。
(女性、か? 密偵の類ではなさそうだが……)
朧げに見える輪郭は女性的なものだ。と、なると王城勤めの侍女か女官、もしくは――この城の主、その血族しかいない。
「なっ、イリーネ様!? どうなされたのですかっ。どこかお怪我を?」
怯えて身を竦ませた少女の顔が、雲間から伸びる月明かりに照らされる。壁にしな垂れ掛かった彼女が、エイドのよく知る顔であったことに心底から驚き、主家の少女の元へと駆け寄った。
「え、エイド殿でしたか……。よかった、手を貸していただけませんか? 足が震えて妾だけでは立ち上がれないのです」
「勿論ですイリーネ様。しかし一体何があったのです?レオノ、……女官も連れず、何故このような場所まで」
エイドは第一王女の腰と手を支え、助け起こす。短くない距離を走ったのか、頬には朱が差しており、寝間着のはだけた胸元には珠のような汗が光っている。
主君の娘の乱れた姿に、彼は気まずい心境で目を逸らした。騎士として理性的な立ち振る舞いを心掛けてはいるが、美女の艶姿は男にとって目に毒だ。
「あぁ、あぁ……」
「お気を確かに、イリーネ様。王城に無断で立ち入った不届き者ですか?であれば我が剣の錆にしてくれましょう」
一体どんな目にあったのか、未だに膝の震えが止まっていない。それでも一呼吸の後に表情を引き締めてのけた王族の少女は、はっきりと首を横に振った。
「確かに不届き者ではありますが……。エイド殿、妾の寝室に踏み入った無礼者を誅してはなりません。本来ならば断じて許すべきではないのですが、……あの者を生かしたまま追い返してください」
「は、はぁ……?」
エイドは要領を得ない王女の言葉に戸惑いながらも頷く。多少錯乱していたとしても、騎士にとって王族の命令は絶対だ。聞き逃しがないように一言一句記憶に刻みつける。
当然だが、王族に仇なす輩は不敬罪か反逆罪で処刑される。その場で切り捨てられてもおかしくはない。
それでも彼女が近衛兵を呼ばずに逃走し、殺すなと命令する理由は、そう易々と排除できない地位の人物だからだと推測する。が、エイドには高官で王女に手をつけようとする者の心当たりがなかった。
「妾はこのまま近衛の詰所に助けを求めます。騎士エイド、貴方は妾の寝室に無断で立ち入った無礼者を排除しなさい」
「ははっ! 騎竜騎士エイド、王女殿下の命を承りました。――では!」
「……レオノーラを頼みますね」
ぽそりと呟かれた王女の言葉を背に、エイドは走り出す。廊下は変わらず暗いが、これまで何度も通った道だ。王女の部屋がある王城第二居住区へと、僅かな月明かりを頼りに駆け抜ける。
「……っ?」
階段を上り、王女の居室に近付くにつれ、エイドは言いようのない焦燥感に駆られる。王城内を漂う異様な静けさも彼の不安を助長させる。
(……おかしい。なぜ巡回の衛兵がいない? 普段であれば、少なくとも一度はすれ違うはずなのだが)
文官や侍女は兎も角、不寝番を勤める近衛兵まで見当たらない。エイドは無意識に剣の柄に手を当て、すぐに抜けるよう構えたまま先を急ぐ。
「っ、何者だ!」
「……おや、人払いの結界を張っておいたんじゃがなぁ。思ったよりも仕事しなんだか」
イリーネ王女の居室、その手前に人影を認めたエイドは足を止め誰何する。
見れば見るほど怪しい風体の男だった。
禍々しい濃紫色のローブで全身を隠し、裾から伸びる枯れ木の手は赤銅色の金属杖をついている。
素顔を窺うことは難しいが、曲がった腰と嗄れた声を鑑みるに老人、それもかなりの高齢だと思われる。
エイドは目の前に立つ老人の風体に心当たりがあった。
「宮廷魔法使いが何故こんな場所にいる……?」
豊富な魔法適正者を擁するエルフ族とは対照的に、人間族は魔法使いとしての適性を持つものは極めて少ない。ディーリス王国においては、詳しい数こそ伏せられているが、噂では全騎竜騎士の半分にも満たないとも言われている。
故に国家として魔法適正者を育て、その中でも指折りの魔法使いを国王直属の配下とする。優秀な彼らを宮廷魔法使いと呼ぶのだ。
「フォッホッホ。それはこちらのセリフ……と言いたいところだがのぅ。子守じゃよ。まったく、若者の後をついて行くのは腰が折れるわい」
「……」
飄々と嗤う老獪な魔法使いを前にして、エイドは足を踏み出せずにいた。何せ老爺の目的がはっきりしない上に、相手は同じ主君に仕えているのだ。迂闊な抜剣は組織間の問題になりかねない。
王女が逃げ出し、レオノーラがいるであろう居室の前に陣取っている以上は無関係であるはずもないが、これではまだ証拠として弱い。職務上の立場こそ同格だが、数の少ない彼らの方が発言力は高い。
エイドが更に問い詰めようと口を開いたその時、女性の悲鳴が響き渡った。音の源は――壁越しの部屋。
最悪なことに、彼が愛している女性の声だ。
「レオノーラ!!」
「……むむっ」
その悲鳴に突き動かされるように、躊躇っていた一歩を踏み出す。それに合わせ老魔法使いも同方向、廊下の奥へ滑らかに距離を取ってみせた。
高齢とは思えないほど鮮やかな後退に内心驚きつつも、老爺が退いた空間――王女の居室の扉を蹴破って飛び込む。
「あん? なんだテメェ」
「ぇ、エイドぉ……っ!」
私が見た光景は、清楚な女官服の前を破かれ柔肌を晒し涙ぐむレオノーラと、それを強引に組み伏せる知らぬ男の姿だった。
エイドリックの中で何かが切れた。
「貴様ァァッ!!?」
「ブフグォォッ!?」
視界が赤く染まるほどの怒りに従い男を殴る。
無防備に受けた男の顎が砕ける会心の手応え。派手に吹き飛んで壁に叩きつけられた男を横目に、エイドは自身の外套をレオノーラに被せてやる。
「エイドリック……。ぅ、わたし、私……」
「もう大丈夫だ、レオノーラ。俺が守ってみせるとも」
泣きじゃくる彼女をかき抱き、傷を負っていないことに安堵する。もし彼女を傷物にされていたらと思うと――。……っ。
「クソが。久々のお楽しみだってのに二度も邪魔が入りやがった。しかも邪魔したテメェらが恋仲? ――ブッ潰してやる」
「覚悟は良いか下郎。レオノーラと王女への狼藉、騎士として、男として許しはしない。――腕の一本は覚悟しろ」
空の水薬を投げ捨て立ち上がった男が拳を構える。月明かりに照らされた顔はまだ若い。
しかし、即効性の高級薬で腫れの引いた顎を引き締め、歯を剥き出しに笑う凶相は街のゴロツキと何ら変わりがない。
王城に勤めているとは思えない風体の男。しかし淀みない足捌きで距離を詰め、自身の足元へと肉薄した男を見、エイドは油断を消した。
「らぁっ!!」
「ふっ……っ!」
鳩尾を狙った蹴り上げを、腕を交差して防ぐ。
続く頭部狙いの回し蹴りを屈んで回避。低い姿勢を維持した牽制の足払いは、紙一重で跳び退かれ空を切った。
片足とは思えない瞬発力に内心驚きつつも、互いに姿勢を立て直す。
……いや、今のは回し蹴りから後方への跳躍、 までが、一つの技か。避けられたとしても勢いを後方への跳躍へと再利用する、攻防一体の技。
ただエイドが知る限り、今の足技を使う流派は見たことがない。
(我流か。身なりから察するに冒険者か?)
「チッ、意外とやるじゃねぇかおっさん。けどこっちも暇じゃねぇんだわ。次でケリつけてやんよ」
油断なく構えるエイドを前に、ニヤついていた男は笑みを消す。面倒臭そうに頭をガリガリと掻いたその手を、――腰に提げた漆黒の剣へと当てた。
「貴様、仮にも王女の居室で剣を抜くか。その大罪、後には戻れんぞ」
「ハッ、捕まるのはどっちだか。そっちこそ今からでも土下座すれば許してやるぜ? 少なくとも……王様はオレの味方だ」
「何?」
エイドが問い質す前に凶刃が閃く。
闇に滲む黒い刃が、鞘革が破れ剥き出しになった剣身と鬩ぎ合い、不快な金属音を奏でる。
(王が味方? この男、一体……)
余裕はある。相手の剣速は並よりも少し上。剣技にしても、十分に対応可能な範囲だ。ただ月光を吸い込む刀身が闇に紛れ、剣筋の視認が難しい。
腕の動きを読めばある程度の軌跡は見当をつけられるが、長引けば些細な過ちを犯す可能性がある。やはり短期決戦に持ち込むべきだ。
「つまりな、――テメェは死んで良いってことだぁ!」
「っ! オオォッ!!」
大上段の振り下ろしに、真下からの切り上げで迎え撃つ。
バキリと硬質な音が響き、エイドの剣が半ばから折れる。真っ向からの力の押し付け合いに、エイドが打ち負けた形となった。
勝ちを確信した男がニヤリと笑い、――エイドもまた凄惨な笑みを浮かべる。
「ふんっ!」
一歩で剣の間合い、その更に内へと潜り込む。
「あ"?」
剣の腹を手甲で払い、がら空きの手首を狙った手刀で漆黒の剣を叩き落とす。驚き同時に組手の要領で足払いを掛け、組手の要領で投げ飛ばした。
「がっ……!?」
背中を強かに打って呻く男の首を片腕で押さえつける。上方という有利な位置を確保し、得意の足技も押さえた以上、趨勢は決した。
「覚悟!」
勝ちを確信し、拳を振り上げるエイド。
刹那、男の瞳に獰猛な光が宿る。同時に男が倒れた床がぞわりと粟立ち始め、濃い魔力が部屋に立ち込めた。
相手はまだ切り札を隠している。直感的に悟るが拳を止めるには遅い。
――先に昏倒させる。それにエイドは賭け、躊躇なく拳を振り下ろす。
が、
「……の名代として招来せん。――そこまでじゃ。『万雷の裁』」
戦場となった王女の居室を赤雷が走り、同時にエイドと男の二人を貫いた。
「「ぐああぁぁぁあああ!?」」
全身が焼け焦げるような痛みに襲われ、エイドは絶叫を上げ地に伏した。男の方も関係なく襲われ、赤い雷に喰らい付かれた箇所が焼け焦げていく。
独特の異臭が鼻をつき、喉、眼球が激痛を訴える。肉体は強い痺れに満足に動かせず、辛うじて自由の効く瞳を魔法の発射元へと向ける。
「じ、ジジイ……。なんで、俺ごと……撃ちやがった……ガフッ!?」
「多少のやんちゃなら目を瞑るんじゃが。其奴はこの国の騎士ぞ。殺せば大事になる。故に止めたのじゃよ。――勇者」
(ゆう、……しゃ?)
麻痺と全身の激痛から薄れゆく意識の中、その言葉だけがやけにはっきりと聞き取れた。勇者とは、サベレージ王国で授任された彼のことでは……。
「ェ……ド! ……っ! ……」
(レオノー、ラ……)
己に縋りつく女性の姿を最後に見、エイドの意識は暗転した。
(●ω|「NTRB要素を含みます」
アーデ「NTR……B?」
(●ω|「寝取られる前にブン殴る」
ア「……」




