54話目 クシャ
ミ
どうぞ!
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ベイレーンは、サベレージ王国の中で最も北の国境に近い位置に造られた街だ。その国境はなんと、三つの異なる勢力と隣り合う中々珍しい都市でもある。
北西方面は同じ人間族国家のディーリス王国と接し、
北北西から北北東の僅かな国境を多種族の部族が散在して生活する魔領と呼ばれる地域と接し、
北東を長らく友好的な関係が続いているエルフィーン連合首長国と接している。
他国からの侵攻の最前線になり得る立地でベイレーンが発展し得たのは、前領主ゾルト=ベイレーンの武勇・政略もさる事ながら、周囲の天然の要害としての地形こそが最たる要因だろう。
その要害の名は、クシャ山脈・クシャ幽谷。
強靭な肉体を持つ獣人族・魔族ですら難儀する凶悪な高低差に加え、亜竜や凶悪な魔獣が棲息し、彼らを刺激する軍事行動は難しいのだ。
それでも少人数ならば山脈の踏破も不可能ではない。
現にエルフィーン国の密偵として潜入していたサクや、二週間ほど前に地下水路を迷宮へと変貌させた悪魔族のガメスオードが縦断している。他にも魔領の少数部族が商隊を組み、南北大陸の交易路を細々と結んでいるらしい。
荒れ果てた旧道を力尽くで進む腕に覚えのある者か、抜け道を熟知している者であれば突破は可能だ。前者に含まれるアーデフェルトにとって峠越えの難易度は低い。
ただ、アーデの選んだ道はそのどちらでもない、空路だったが。
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「――いい景色だ。リリィたちも連れて来れば良かった。ピー子も、あと二人くらいなら乗せられるだろ?」
キュイッ!
風に煽られて靡くローブを押さえ、自身が跨がる鷲獅子ことピー子に呼び掛ける。
翼を広げれば十メートル以上のサイズを誇る使い魔の鷲獅子も、主の問いに甲高い鳴き声を上げ調子良く応え返す。
鷲獅子を駆り遠駆け中の俺は今、サベレージ王国とディーリス王国の国境を飛行中である。
元の世界基準で考えると、パスポート無しの越境行為というとんでもないことをしているわけだが、この一帯は砦どころか兵の哨戒すら来ない空白地帯だ。並みの人間だと、容易く命を落としかねない危険地帯でもあるが。
地上ではたまに地竜が縄張りを彷徨っているのを見かけるし、空中は空中で蛇に羽のついた亜竜が群れを成して飛びまわっている。
隣国の密偵を捕らえる成果よりも、国境警備隊が受ける魔獣による被害の方が格段に高いのだろう。なにせ谷底を適当に三十歩進めば、いずれかの魔獣に当たる魔境である。人間同士で追いかけっこなんてやってられないのだろう。
「最近はアイツらもめっきり近寄って来なくて暇だな。ピー子も空戦したいだろ?」
キュィィィッ!
翼を大きく広げ、彼女だけの空を滑空する天空の女王。猛禽の王を彷彿とさせる咆哮は眼下に広がる森をさざめかせ、森に棲む生き物達も俄かに騒つく。小動物達にはちょっと申し訳ないが、これも空戦の力量を弁えずに喧嘩を売ってきた亜竜のせいだから仕方ない。
(まったく。『彗星光条』一枚で逃げ出すのは流石に度胸がないというか何というか。それなら始めから喧嘩を売るなと言いたい)
亜竜は一メートルほどの蛇のような胴体に細身の翼を生やした魔獣だ。基本的に群れを作って低空を飛んでおり、木々の隙間から見えた小動物を狩って暮らしている。
単体ではあまり強くないことから、竜種の最底辺とも呼ばれることもあるらしい。
その代わり、群がられるとハゲタカのように鬱陶しい存在と化す。以前遊覧飛行中に群れで現れた際、ピー子にちょっかいを掛けようとしたので極太ビームで追っ払ったら、二度と姿を見せなくなった。
習性は兎も角、姿形はちょっと可愛かったので勿体ないことをしたかなと思っている。『星海の紋章』の試行錯誤も兼ねて契約してみたかったのも理由の一つだが。
「……やっぱり使い勝手はあまり変わらないな」
寒空を照らす陽光に左手を翳す。手の甲に刻まれた緻密な紋章は、ピー子のような存在と正しく契約を結ぶためのものらしい。あのまま放置していたら、いずれ契約回路に異常をきたして二度と喚べない使い魔もいた可能性があったそうだ。
全てチビ妖精の受け売りだが、前触れのない故障ほど怖いものはないな。『星海の紋章』がどれほど信頼の置ける代物なのか判らないが。
何にせよ、多少の試行錯誤も兼ねて人のいないクシャ山脈まで足を運んでいる。小休息のための野営地もわざわざ整備したから、いざとなったら一晩くらいなら過ごせるかもしれない。――因みに居住性は劣悪である。
キュィッ!
「むっ。――今日の相手はあいつか」
ピー子の鳴き声に顔を上げると、一つ隣の山陰を飛行する影が目に入った。
流線状の姿形に灰色の竜鱗。ピー子よりふた回りも大型の翼。そして何よりも目を惹かれるのは、鋭く長い、長剣と見紛う銀の尻尾。
――風翼竜。成竜と称される竜の内の一体にして、この山脈の生態系の頂点に立つ存在。
竜王の直系の眷属として過去の戦争で暴れまわった好戦的な竜種だと、オウビ婆さんの昔話で語られていた。
そんなやつが近場の空を悠々と飛んでいるのだ。同じ空の覇者を駆る身として、喧嘩を売らずにいられようか。
「空戦と洒落込もうか。ピー子、勝ったらドラゴン肉で!」
キュィィィ!!
俺のやる気にピー子は甲高い声で応え、鷲翼を大きく羽ばたき一気に加速する。
鷲獅子の接近に気付き、騎首を廻らせた風翼竜の鼻先を掠めるような軌道で飛ぶことで彼 (?)を煽る。
(鼻先を飛ばれて、プライドが傷付かない筈がない。これでキレて追いかけてくるは――ず? ……あれ?)
……グガァ、
俺の期待とは裏腹に、風翼竜は煩わしげに首をふいと背けてしまった。
身構えた俺達を一瞥しても、のんびりと翼を広げ、なんとも気の抜けた声で鳴いただけ。
そのまま滑空して高度を下げ始めるワイバーン。昔話に語られる気性の荒さは何処へやら、ドラゴンの安穏とした態度に、手綱を握っていた俺自身も毒気が抜けてしまった。
「……興が乗らなかったかぁ。悪いなピー子、わざわざ焚きつけたのに空振りに終わって」
キュィッ!
肩透かしな気分でピー子の首筋を掻き撫でる。なんというか、爺に立会いをはぐらかされた子供の気分だ。……無視されても腹が立たないところとか。
(まあ、ドラゴンの気性も個々で違うだろうし、縄張りを持たない種なのかもしれん。今回は諦めるか)
結局、風翼竜は己よりも上空を翔ける鷲獅子を意にも介さず山の崖へ降り立つと、そのまま巣と思わしき洞窟の中へ潜り込んでしまった。
「――さて、リリィも待ってるしこの山を越えたら帰るか。朝にもっと時間を取れると良いんだけどなぁ」
空振りに終わった空中戦闘に後ろ髪を引かれるが、騎首を上げ、山肌を駆け上がるようにして上昇する。
霧が出始めた幽谷を渡り、ディーリス王国側――北西の山脈から吹き降りる寒風に逆らって針路をと――
(――っ、騎竜!?)
「ピー子! 森に着地っ」
咄嗟にピー子に直下の森に紛れ込むよう指示を出す。手綱をしっかりと握り、振り落とされないよう歯を食い縛る。
キュィッ!
相棒の鷲獅子は急な指示にも即応し、広げた翼を使って空気を逃しつつ、そこそこの速度で山間の、小さな沢の開けた河原へと着地してのけた。
着地の衝撃を殺しつつ駆ける鷲獅子の手綱を手放した俺は、凸凹の石が転がる不安定な地面へと二の足で着地。若干コケそうになりながらも、すぐさま顔を上げて空の飛行体を睨む。
「……ドラゴン。しかも人っぽいの背負ってるな。なぜこんな辺境に?」
ピー子を『星海の紋章』で送還し、自身は『透身』・『飛翔』で透明化しつつ空へと浮かび上がる。
『透身』はピー子にも掛けられるのだが、意外と大きな音の出る羽ばたきや咆哮など、音まで消すことは出来ない。また、物をすり抜けるような芸当は『回避』の領分なので、攻撃されたら普通に当たる。
『飛翔』は使い魔無しで空を飛ぶ唯一の方法だ。あまり速度は出ないのと、(一応)魔力消費量の多さから長距離移動には向かないが、小回りと静音が良好なのでこういった偵察には向いている。
四、五キロメートル以上先で群れるその集団へと、眼下の木々に触れるか触れないかの低空を飛行して慎重に接近する。そして目の錯覚でなかったことに眉を寄せる。
(あれ、騎竜兵だよなぁ……。公爵の話じゃ、この一帯で軍事行動を起こすのはリスクが高いらしいが)
俺が居を構えるサベレージ王国には、ドラゴンライダーこと騎竜兵はいない。故に、あの竜の群れはディーリス王国のものに限られる。
もしかすると魔領に点在する亜人部族の可能性もなくはないが、遠くに見える飛竜の規模を見るに、その線は低い。
軍用馬や騎竜というのは大飯食らいで、地味に維持費の嵩む存在なのだ。山間に隠れ潜む少数部族が何十という竜を維持するには、森の資源は少な過ぎる。
(……やっぱり騎竜だ。数は二十ちょっと……えっ、戦ってるのか?こんな辺境で?)
編隊飛行とはかけ離れた軌道を描く騎竜の動きに訝しみつつも、肉眼ではっきりと視認可能な距離にたどり着いた俺は、ようやく彼らが二つに分かれ戦闘中であることに気が付く。
しかし均等な戦力ではないらしい。今もまた一騎がきりもみ状に墜落していくが、上を見上げ必死に応戦する三騎だけ、騎乗する戦士の武装が明らかに心許ないのだ。
鎖帷子に、兜は無し。手にした槍も短く、リーチの差で劣勢に追いやられている。
上空を巧く占有する騎竜兵の方は全身鎧に騎乗槍と、完全武装で反撃を抑え込んでいる。遠目で、鎧の上からであってもその余裕ある態度が見てとれた。
(掲げてる旗は同じみたいだが……脱走兵、亡命か?なんか地味にこっち来てるし。あ、また一体落ちた)
――あろうことか、この期に及んでまだ俺は傍観者のつもりでいた。
残る二騎がこちらに向かって飛ぶ理由に思い至っていながら、彼我の距離が一キロメートル以内に詰まっていることに気付いていながら、のんびりと観戦していたのだ。
(……うん?)
不意に逃亡中の二騎が、それぞれ別の方向へと騎首をとって返した。
一方は南西の、山脈の僅かな窪地を目指して一気に降下していく。おそらくは幽谷まで延びる朝霧の中へ紛れ込むつもりだ。
そしてもう片方は急速旋回による百八十度ターン。つまりは敵騎竜隊のど真ん中へと突貫を仕掛けた。
時間稼ぎの特攻。戦闘から離脱した仲間を逃がすため、残った一騎が敵騎竜へ乗騎ごと体当たりを敢行する。戦術に疎い俺から見ても、それが死地へと向かう行為なのは明白だった。
最後の騎竜兵の突撃は、敵本隊の包囲を強引に抜け、離れた五騎ほどの分隊中央に食い込み足並みを乱すことに成功する。
不意を打たれた二騎がバランスを崩し、包囲網から脱落していく。
が、最後の抵抗もそれ以上は続かない。
(……っ、真上!)
乱戦真っ只中の直上。包囲の最上層から、一つの騎影が急降下を開始する。
後退を始めた周囲の騎竜兵を見、彼もソレを察知する。しかし遅きに失した。
「「…………っ!」」
ギイィィィィン――――!!
高度を利用した最高速の突撃。辛うじて掲げられた短槍と騎乗槍の僅かな鬩ぎ合いの後、あっさりと勝敗は決した。
短槍の鉾先が根元から砕け散る。返す一刺しが隙だらけの脇腹を貫き、重騎士の騎竜が相手の騎竜の首を鋭爪で切り裂いた。
明らかな致命傷。俺のいる場所まで届く盛大な衝突音と同時に、彼とその騎竜は血と金属片を撒き散らしながら墜落する。
(そうなるよな。……って、あれ?)
重力に引かれ、風に流され、――俺の真上に。
「ふぁ――――っ!?」
デカブツの落下地点――沢の河原から全力疾走での離脱を試みる。
直後、沢の流れに逆らうように騎竜が不時着し、その衝撃で盛大に巻き上げられた水煙が一瞬で俺を呑み込んだ。
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「………………冷たい」
タライを頭の上でひっくり返されたかの如く、俺は濡れ鼠と化した。高等級なローブの中身は無事だが、顔に貼りつく白髪が鬱陶しい。
『回避』で短距離転移すれば余裕で避けられたことに気がついたがもう遅い。ついでに『透身』の効果も消失している。
不幸中の幸いなのは、水煙のお陰で俺の存在が露見していないことぐらいか。この状況下で見つかろうものなら、討伐隊(仮)にどう認識されるか想像に難くない。
「……『霧霞』」
念のため、風魔法で濃霧を発生させておく。
本来は敵に命中率低下のデバフを与えるスキルだが、三メートル先も見通せない濃い霧が麓の森に広がっていく。
ここまで濃いと自身の視界すら遮ってしまいそうだ。俺の場合、ページが勝手にロックして狙撃するため、デメリットになり得ないが。
(……あの高さだし、流石に死んでるか?)
限られた視界に映る、水に濡れた礫の河原を慎重に進む。転倒しても大したダメージは受けない筈だが、積極的に転ぶ必要はない。
暫くして、白い霧に大きな影が浮かび上がる。敵認定されても即座に反応するため、片手に魔導書を握りしめ、フードを目深に被り沢へと足を踏み入れる。
……最初からフードを被っとけば良かった。
「……生きてる?」
手を伸ばせば触れられるような距離で声を掛けても、一人と一匹は応えを返さない。未だに夥しい量の血が流れ、沢を赤く染めている。
どちらも……長くないが、呼吸はある。
「…………」
懐から等級の高い水薬を取り出しかけ、俺は躊躇う。
目の前の彼らを救う理由があるかと自問し、吐き捨てた。
会話どころか、顔も満足に見ていない相手を救う理由なんて考えつく筈もない。
戦傷者から天使と呼び称えられた●●●●●●●のような無償の奉仕を施すつもりはないが、死に体の人間を見物して、そのまま立ち去るような人でなしになりたいとも思わない。
(願わくば、これから救うこいつが善人でありますようにっと)
適当に神へのお祈りを済ませ、まずは脇腹に大穴の空いた男を騎竜から適当に引き摺り下ろし、邪魔な壊れた鎖帷子を引き剥がす。
「……『風霊の癒し』」
以前の反省を踏まえ、まずは自作でも等級の低い水薬を傷口に振り掛け、その後に回復魔法を掛ける。
――たまたま出席した薬剤師ギルドの講習で習った治療法なのだが、水薬が喪った血の代わりを担うらしい。……民間療法じみた胡散臭さが漂っている。
確かに水薬は赤い色をしているけれども、薬草の煮汁と希釈水と増強剤を混ぜたものを患部に振り掛けるだけで血の代わりになるとは、一体どんな理屈なのか。後に掛ける魔法のお陰なのだろうか?
兎も角、取り敢えず俺が行った応急処置は成功したらしい。背中まで貫通していた風穴はみるみる内に塞がり、若干の傷痕を残し完治した。
等級の低い薬品を使ったため痕が残ったが……、男だし別に良いか。
「次は……お前か」
グルルル……
流石は竜種というべきなのだろうか。
首を半ばまで抉られ、かなりの高さから墜落し、他にも無数の傷が有って尚、目の前に蹲る竜は既に意識を取り戻していた。
それが碌に身体を動かすことも出来ず、焦点の合わない瞳であったとしても、その驚異的な生命力は凄まじいの一言に尽きる。
(傷が多過ぎるな。……纏めて回復させるか。上のやつらが何かする前に終わらせないと)
「せっかく助けるんだし、次は簡単に死んでくれるなよ」
魔導書から『風霊の癒し』を載せたページが次々と分離し、瀕死の竜を囲む。
先ほどの討伐隊(仮)の連中にこの霧の異常さを気取られてしまったのか、俄かに空が騒がしくなる。上空に集まり始めた焦げ臭い魔力は恐らく、炎系統の中級魔法を放つ準備か。というよりあの騎竜隊、魔法使えるのか。
「……っ!」
少し離れた位置で豪炎が上がる。こちらの正確な座標は把握できていないようだが、熱風に煽られ霧が薄くなりつつある。視認されるのも時間の問題だろう。
グルルルァ……
騎竜の傷は全て塞いだが、まだまともに動けはしない。飛ぶのは以ての外だ。叩き落される。
「……仕方ない」
治療だけのつもりだったが、後はなるようになるだろう。魔導書を掲げ、自身の魔力を放出。十分な魔力が周囲に漂ったのを見計らい、そのスキルを呟く。
「――『妖精窟への誘い』」
俺と気を失った男、そして騎竜の姿が薄れていく。直後に降り注いだ火炎弾が周囲一帯を焼き払うが、実体の薄れかけた俺達が炎に包まれることはなく、いたずらに沢の水を蒸発させただけに終わる。
(……俺を、見てる?)
次第に晴れていく霧の中で転移が始まり、視界が暗転する直前、彼らを叩き落とした重騎士と目が合ったような気がした。
(●ω|「書けるときに書く……!」
アーデ「止まるんじゃn……
(●ω|「それ以上はダメだ」