52話目 這い寄る闇
格好良いロボットアニメが観たくなってきたこの頃。
______________
ベイレーンの街の郊外。緩やかな丘陵地帯の斜面は街に対して死角となり、陰となる箇所が幾つか存在している。
そんな丘の一つ。粗い土が露出する斜面から、突然一本の異形の腕が生えた。ソレは何度か空を掴む仕草を見せた後、地を支えとして腕の付け根ーー本体を地上へと這い上がらせる。
「クソ、クソクソくそガ……!!」
異形の腕を持つ悪魔ーーガメスオードは、生還を喜ぶ余裕もなく崩れ掛けの顔を憎々しげに歪め、曇天の空に向けて吠えた。人族に圧倒された屈辱は、魔族としての矜持を傷つけられたも同義。怒りに身を任せ咆哮を上げる。だが、
「何ダ、ナンナノダヤツハ!? 精霊王ヲ召喚シ、並ミノ悪魔なラ一本デ百は滅ボス聖剣ヲ何百本ト投ゲ捨てル?……フザケルナ!! ソレデハまるでーー
ガメスオードが最後まで言いきることはなかった。
ボトリと、無事だった異形の右腕が身体から剥離し、地に落ちる。やがてそれは蒼い炎に呑まれ、灰になってこの世から消滅した。
「…………ハ、ハ?」
「それほど分かり易い、我が主の特徴もありませんね。如何ですか『好戦派』、呪魂のガメスオード。聖剣には遠く及びませんが、退魔の刃もなかなか捨てたものではないでしょう?」
ガメスオードは素早く振り向くと同時に、背後から自身の腕を断ち切った紅白衣装の女へと口腔を開き、黒焔を放射する。
扇状に広がる焔は周辺の草木を焼き尽くし、瘴気の混じった呪いを土地に刻み込む。しかし百年は土地を蝕む筈の呪いは、女の手にした曲剣が軽く振るわれただけで容易く祓われ、掻き消えた。
その光景に瞠目するガメスオードはしかし、目の前に立つ女の紅白衣装、萌葱色の髪、そして細長い耳を見て全てを悟った。
「エルフ……、退魔の巫女、ダト!? 何故だッ、ナゼ俺ガ瀕死の時ニ都合良ク現れル!!?」
「理由ですか。考えるまでもありません。ーー我が主が貴様如きに負ける理由がない。であれば、万が一に主が討ち損じた場合、敵の逃走経路を押さえておくのは従者として当然の役目でしょう」
鮮やかな萌葱の長髪を靡かせ、サクは軽い仕草で太刀を振り抜く。斬り飛ばした右脚は先ほどと同様、蒼炎によって灼かれ、魔族の再生能力ごと焼却させられた。
「バカ……な」
崩れ落ちるガメスオードを冷え冷えとした瞳で見下ろすサク。淡々と、冷酷に悪魔の心核へと太刀を突き刺した。
「驕りが過ぎましたね。お得意の魂の置換さえしていれば、存在の消滅は免れられたでしょうに。……それとも、神の権能の一端はそれほど甘美で、慢心を呼び起こすものでしたか?」
「ク、ソ……がアアアァァァァアアア!!?」
穿たれた心臓から、黒焔と蒼炎が絡み合うように溢れ出す。初めこそ互角の勢いでガメスオードの肉体を灼いていた異なる二つの焔は、やがて蒼炎が全てを呑み込む勢いで全身へと回り、灰と化していく。
「礼を言っておきましょう、呪魂の悪魔。あなたの愚かな献身のお陰で、我が主が魔王であるという疑いを晴らすことができました」
「ア、アァ……ガ」
魔性を灼く退魔の太刀も、その刀身が自身の炎によって燃え尽き、やがて一枚の呪符を残して風に乗って。
「…………」
地下迷宮の簒奪者・ガメスオードは、肉片も残らず消滅した。
________
呪符を拾い上げたサクは、ふと顔を上げて空を仰ぎ見る。幾つもの雲が風に吹かれ東へと流れる、地上の喧騒とは無縁の光景。サクはその雲の一つに、黒い筋のような靄を認めた。
「瘴風、ですか」
盆地に位置するベイレーンの北西には、東西に国同士を隔てる急峻な山脈が聳えている。その山脈を越えて、魔領から瘴気が流れ込む乾期が訪れる。
(南の王都なら瘴風の流入も少ないでしょうから、それとなく勧めてみますか。エルフの里は……まだわたしの心の準備が出来ていませんし)
瘴風自体は、精々が発熱を引き起こす程度の弱い毒しか持たない。しかし短い期間とはいえ、人族には有害なものに違いはない。小さな主の身に差し障る可能性はある。
本来なら結界に守られたエルフ連合首長国を勧めるべきだ。だが出奔したばかりのサクが古巣を頼るのは、多少なりとも勇気のいる行為である。
そっと俯き、まだ迷宮にいる主へと心の中で詫びる。
才能に驕り油断して人格破綻者に捕まった私を救い、五百年前にエルフの森を滅亡寸前にまで追い詰めた『亡者の王骸』と同系統の怪物を、容易く消滅させた、神域の魔法を行使する白髪の少女。
サクの知る限り、彼女の存在は数年の諜報活動でも耳にしたことがない。本人は大陸の外から来たのだと、いつかの夕餉の席で口にしていた。しかし、少なくともエルフ族、人間族の支配する領域の港に外洋船が寄港したという話は聞いたことがないのだ。
情報の仕入れ難い魔領から来訪したのならば、見落とした可能性も考えられる。その場合、同族以外への敵愾心が強い魔族の領域を抜け、凶悪な魔獣が徘徊するクシャ幽谷を踏破してベイレーンに至る危険な旅をこなさなくてはならないが、……その点は主であれば容易だろう。
そして、サクの脳裏に燻っていた最後の疑念の一つ。ーー数年前に姿を消した、魔王の落胤ではないのかという疑いは、他ならぬ魔王の近衛によって否定された。
素性も、来歴も正体も不明な魔導師の少女。けれど、サクにとってはーー命の恩人であり、生涯を賭して仕えるべき敬愛する主人であることに一分の過ちもない。
「アーデ様。どうか無事に帰ってきてください」
乾いた風に萌葱色の髪と紅白の巫女服を靡かせ、街を一望する丘の上で、サクは静かに祈りを捧げた。
________
「……寝坊した」
座卓に転がる置き時計を拾い上げた俺は、それが間違いなく昼過ぎを指しているという事実に、そっと息を吐いて項垂れた。
寝癖のついた白髪を手で梳かしつつ、今日着ていく服を桐箪笥から適当に選び出す。といっても、基本紫の服に黒のローブしか選ばないので、そこまで時間は掛からない。
(まあ、これが一番落ち着く服装だし、不満だとは思わないが……)
サクやリリィに文句を言われない程度に身だしなみを整え、寝室を出る。
「ーーあら、アーデフェルト様。おはようございます」
扉を開けると、藍色に染め抜かれた服を身に纏い、萌葱色の髪に白いカチューシャを身に着けたハーフエルフの少女が昼食の支度をしている場面に出くわした。彼女は先のベイレーン城での騒動の際に助け、なし崩し的に従者となったサクという名のーー
「もうすぐ出来ますから、座って待っていてくださいね?今日はアーデ様のお好きな
「誰だお前は」
見知らぬ誰かにそう吐き捨てる。俺自身、思っていたよりも険のある声が出て意外だったが、撤回するつもりは、ましてや謝るつもりは毛頭なかった。
「何をおっしゃいます、アーデ様。確かに私が仕え始めてからの日は浅いですが、覚えていないということはないと思います。例えば昨日の記憶を辿ってーー」
偽物の口上が途絶える。吐き気のする笑みを浮かべた貌のすぐ側を、俺が投げつけた食卓のフォークが掠めた為に。
「もう一度聞く。お前は誰だ、人でなし」
じわりと、内心に吹き荒れる苛立ちに呼応した魔力が身体から漏れ出す。本来ならその衝動ごと魔導書へと込めて解き放つのだが、残念ながら今の俺の手元には何もない。
「そうですよ。今のあなたは魔導書を以っていないのですから。大人しく席に据わって、何もせずに、何も勘がえずに昼食を楽しみに待つだけでいいのですよ……」
妖しく嗤う「何か」の輪郭から、絵の具のような七つの原色が滲み出す。
それは水で薄めずに描く虹のように毒々しい色で、視ようとして生じた眼球の痛みに、思わず目を背けた。
「そうですよ。「「何も観なくて酔いのです」。哀しむ「ことも、愉しむ」必要」も在りません」」。
「何か」の話し声が歪む。まるで同じ録音をバラバラなタイミングで再生させたように、言葉が崩れていく。
理解しがたい発音の脳を揺さぶる苦痛を耐え、テーブルからナイフと紙ナプキンを手繰り寄せる。鋭利なナイフで軽く指先を切り、広げたナプキンへと滴る血を押し付ける。
「諦めるのが最善の策です。何もしないことが最良の選択です。怠惰に耽り、眠りに落ちることこそが貴女の、●●●●●●●様の為なのですから。何故なら貴女のっ
ーー帰るところなんてないのですから。
その言葉が、アーデの耳に届くことはなかった。
________
言葉の代わりに、「何か」の口からゴポリと、生臭い液体が溢れ出す。呆然と目を見開いた「何か」が胸元を見下ろすと、長剣の白刃が血に濡れて心の臓を貫いていた。
「な、ぜ」
何故。魔導書が無ければ魔法を行使できないと聞き、物質を持ち込めない夢現へと引きずり込んだのだ。彼女の持つ全ての魔導書を排除した上で。
「ランク10、『精霊グラィ』。……意外とできるもんだな」
ーーだというのに、この剣はどうやって取り出したのか。
自身の身に降り掛かった不条理に「何か」は目を見開き、「獲物」だった筈の少女を見やる。手癖の悪いその指先には、血塗れの紙切れが一枚握られているだけ。ーーだけ?
「なん「なんですかぁ、」それ」ぇ」
その薄っぺらい紙クズは魔力を宿していた。
何故。擬態の維持にまわしていた力を致命傷の治癒に注ぐ。失敗。この剣のせいだ。霊体を構築する端から喰われていく。
「虹色の怪物……。意外とキモいな」
少女は、感情の乗らない緋の瞳を僅かに細め、血塗りの紙片から太刀を喚び出す。片手で軽々と握りしめ、反撃を警戒してか慎重に間合いを詰めてくる。余計な疑心だ。身を守る余裕などないのに。
「……あー、そうか。暴走した精霊に襲われた後に気を失ったな。精霊王そのものなのか、成りすましかは分からないが……敵か」
何故。創造主の『大父の戯れを止めよ』という命に従っただけ。何故。容易く悪夢に引きずり込まれていながら、●●●●●●●は「」の領域で思うがままに動けているのか。
「な「「な「「ぜ魔法を」」使え」る?」」。
「聞き取りにくいな。……なんでって、今作ったから。魔導書」
理解出来なかった。そして理解が及ぶ前に太刀が振り下ろされる。身体が両断され四散する感覚と、構成する霊魂が太刀に喰われる光景を最期に、夢現の領域は崩れ去った。
(●ω●)「また逝ったかと」




