44話目 黒衣の探索者
洗顔シートが手放せない日々。便利ですね、あれ。
本編とは何の関係もありませんが。
では、どうぞ。
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アーデが単独でベッドから抜け出す事に成功した頃。ベイレーンから歩きで半日掛かる場所に位置する丘陵の森で、サクは黒装束の女性と相対していた。
「……では、本当に戻るつもりはないの? サク」
「ええ、私は仕えるべき主を見つけることが出来た。そう長老には伝えてください」
藍色の服を揺らし、サクは頭を下げる。離反行為と受け取られたとしてもおかしくない事をしている自覚はあった。最悪、国と事を構えなくてはいけないかもしれない。
「そ。ならそう伝えておくわ。はぁ、まーたお爺ちゃんの為に胃薬を処方しなくちゃ」
しかし、黒装束の同僚から返ってきた言葉は、それだけだった。余りにも端的な返答に驚いて顔を上げれば、すぐ側の倒木に腰掛けて肩を竦める同僚の姿が。
「どうしたのそんな変な顔して。ウチはその辺適当なの、サクだって知ってるでしょ?」
「それはまぁ、そうだけど。……はぁ、あの国は本当に大丈夫なの? 密偵を簡単に手放すなんて、普通ありえない事だと思うのだけど」
のほほんとした口調に毒気を抜かれたサクは、弁当を箸でつつく同僚を溜息混じりにジト目で睨む。決死の覚悟を抱いて告げた筈の離脱が、こうもあっさりと受諾されてしまっては肩透かしもいいところだ。
「だってねぇ。あの連合を運営してるお爺ちゃん達が、政略とか、他国との情報戦を制する事が出来ると思う? 定例の会議である長老会ですら、ぎっくり腰だー、風邪だー、とか仮病で欠員出してるのよ? 今長老達の中で働いてるのが、私達の上司以外だと勇者様に同行してる『変態爺』のユグリースだけだなんて、信じられる?」
「それは……大変ね」
主に国内の情報を収集する役割を担っている彼女にも、他国での情報収集とは違った苦労があるらしい。彼女の愚痴を適当に流していたサクも、エルフィーン連合首長国の国政のいい加減さに頭が痛くなってきていた。
「ま、そういう理由もあって、あなたの出奔に対して何かする気配はなさそうよ。それに、あなたが仕えてる女の子は大長老の書簡を持ってるから、エルフィーンとは必ずしも無関係ではないからね」
「アーデ様が害意を振りまく存在ではないことは、私が保障する。長老会にはそう伝えておいて」
「はいはーい。ーーま、それは兎も角として、ちょっと私達も看過出来ない情報があるの。聞いてく?」
「……聞きましょう」
箸を動かす手を休め、少しだけ仕事の顔を見せる同僚に頷き返す。だらけた雰囲気が消え去り、自身の身体にも無意識に力が入る。
「……『好戦派』の尖兵・ガメスオードが動き出したわ。クシャ幽谷、山脈を越えてからの足どりは追えていないけど、魔族の領域から一番近くて、あいつが潜伏し易そうな場所はーー人の多いあの街よね?」
「ベイレーン……」
ここからでも目視可能な、山の麓に広がる街を見下ろす。魔族、エルフの領域双方から程近い場所に造られたあの街は、住民達が関知しているよりも更に多くの種族が入り乱れた、坩堝の地なのだ。
『好戦派』の筆頭として強者を討ち破り、勢力を拡大したガメスオード程の大悪魔となれば、街への侵入も容易く行える筈だ。
「魔王の座が空席の今、『好戦派』だけじゃなくて穏健派に含まれる『血統派』も活動が盛んになってるーーって、ちょっと、どこ行くの!?」
「情報共有はまた後日に! 私は戻ります!」
同僚の制止を聞かずに踵を返し、サクは鬱蒼と繁る森を駆け下りる。理屈ではない、本能的な焦燥感に突き動かされて彼女はベイレーンへの帰路を急いでいた。
(ベイレーンに潜入した時期は、おそらく大怪魔の騒動の時。それから盗賊ギルドの目を掻い潜って潜伏していたとなれば、どこに隠れているかなんてーー)
そこまで思考を走らせたサクは、気付く。気が付いてしまった。
今生の主と定めた少女が告げた行き先と、大悪魔の潜伏先と思わしき場所の一致に。
「地下水道の……、ダンジョン」
ベイレーンの地下に巣食う、超越者の迷宮水路である事にーーーー
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「ルージ、骸骨……オリベルはその事を知ってる?」
「うん。マロンと二人で食料を調達してた時に、いきなりモンスターが襲い掛かって来たんだ。泥が人みたいな形になってて、そいつがマロンを水路に引きずり込んだんだ」
ルージの頼みを引き受けた俺は、迷宮への入口が存在する娼館街の裏路地へと向かっていた。因みに、急ぐために俺がルージを担いで駆けている。
俺(140センチくらいの美少女)がルージを担いで走る光景は割と異様なものらしく、疎らな通行人とすれ違う際にぎょっとした表情で避けられてしまっている。……まあ、目的地までの距離が大してないのが不幸中の幸いだ。
念の為リリィとオウビ婆さんには一言告げてから向かっている。文句やら愚痴は、帰ってから受け付ける予定だ。
「泥? マッドゴーレムか……?」
昨日オリベルと偵察した際には現れなかったモンスターの情報に首を傾げる。マロンだけを攫った理由も気になるが、魔物の出現条件がさっぱり分からないのも引っ掛かる。
まさかダンジョンマスターが手動でやってるとか、効率の悪い方法を選んでるわけじゃないよな……?
「オリベルおじさんは俺に……アーデさんを呼んで来いって言って、モンスターを追い掛けて水路の奥に行っちゃったよ」
続くルージの説明を聞いた俺は、あまりのタイミングの悪さに思わず眉を顰め、顎に指を当てて唸ってしまう。
「うわ。……それは、マズいな。ちょうど騎士団とギルドの冒険者が地下水道の探索を行ってる筈。鉢合わせたら魔物と勘違いされて、攻撃されてもおかしくない」
骸骨の身体に海賊帽を冠った船長風の格好。秩序を司る騎士団にその姿を見られたら、間違いなくモンスター認定されるに違いない。
「そんな……。どうにかならないのか!?」
オリベル自身は騎士団の指揮を執っているセレーラよりもレベルが高い。だから数で攻められたとしても、逃げに徹すればおそらく何とかなる。
だが、そうなってしまえばオリベルは不用意に動くことが出来なくなり、下手をすれば騎士団の目的がダンジョンの探索から手強いモンスターの討伐に切り替わってしまうかもしれない。
その展開は非常に面倒な状況でしかない。騎士団が勝手にダンジョンを攻略するならそれはそれで構わなかったのだが、案内役を頼む予定のオリベルを狙われては、迷宮を進むことすらままならなくなる。
(……仕方ない。とっととオリベルと合流して、俺が何とかするしかないな)
『透身』でも使えばオリベルの存在を気取られることもないだろう。何か攻撃的な行動を起こさなければ、長時間透明な状態を維持出来る便利な魔法だ。
目視以外の索敵方法があったら……その時考えるか。
「ルージ。次に朝の鐘が鳴った時に、私とオリベルの両方が帰って来なかったら、私がいた家の婆さんに頼んで、剣帝を介して勇者を呼んでもらって。私の名前を使えば、きっとあいつらは応えてくれるから」
「勇者様に……?」
子供達の寝床であるボロい掘っ建て小屋に辿り着いた俺は、装備忘れがないか確認しつつ小屋の内に入る。
10人近い子供達が俺に気が付き、一斉に見上げてくる。その誰もが表情が固く、少し怯えているように見える。仲間の少女が攫われたと知って、次は自分の番なのではないか、と思っているのかもしれない。
「ルージ、そんな不安そうな顔をするな。俺だけで十分だろうから、大船に乗ったつもりで待っていれば良い」
何か言いたげなルージの頭をポンポンと軽く撫で、俺を見上げる子供達に笑って頷き返す。そして黒のローブーー黒衣を翻して地下への階段を下りる。
「アーデ……アーデ姉ちゃんっ、絶対に死ぬなよ!」
「ーー分かってる」
ルージに軽く手を振り返し、俺は深淵を踏破する探索者の気分で階段を一気に駆け下りる。少年の頼みを達成する為に、そしてーー
(確かツバキとかいう名前だったよな? これ以上俺の周りにちょっかいを掛けるのならーー手加減はしない)
同郷の存在との決着をつけるために。
章タイトル回収。ようやく三章の終わりが見えてきた、はず……?
アーデ「やっと戦闘か……」