3話目 名前とツンデレ
自分でも分からない謎のサブタイトル。
「っ、……なんか寒気がするな」
突然背中に悪寒が走り、思わず身を縮こまってしまった。高所を飛び続けた所為かもな。風邪を引いても困るし、とっとと地上に降りるか。
「えーと、そろそろ地上に降りてもらえる? ……ピー子だっけ?」
キュイッ!
空の覇者であるグリフォンの背中で、ゲーム時代に名付けた愛称で呼び掛けてみる。すると言葉が通じているのか嬉しそうに一鳴きして、翼を小さく畳み地上へと降下を始めてくれた。
(メスなのかオスなのか分からないままピー子って名付けたけど、気に入ってくれてるんだろうか?)
ゲームの中だからと適当に名前を付けてしまったが、まさか現実でその背中に乗り込めるようになった今となっては非常に申し訳なく思ってしまう。
名前を変更すれば良いだけなのだが、何故か今の自分がそれをするのは躊躇われた。
(自分の名前を思い出せないような奴に名付けられても嬉しくないだろうし。ピー子の名前を変更するとしたら、それは俺の名前を決められた時だ。……早く名前を思い出すか、自分で決めないとな)
そんな事を考えている内に、巨大な湖がすぐ側まで迫っていることに気付く。慌てて手綱を握り直し、降りる為に体勢を整える。
「よっ……と。サンキュー、ピー子。乗りたくなった時はもう一度乗らせてくれよ」
キュイッ!!
ピー子は降り易い森が切り拓かれた湖岸に四肢をつけ、滑空によって溜まっていた速度を減速させる。
空と陸の王者の因子を兼ね備えたグリフォンとして、ピー子は実に悠然と地へと降り立ったのだった。
ピー子が完全に停止したタイミングで背中から飛び降り、鷲頭の首筋を撫でてやる。
本音を言えば労うよりも初めて見て触ることの出来る幻獣に興味津々なため、もっとベタベタ触りたかったのだが、ピー子も嬉しそうに目を閉じて気持ち良さそうにしているし、良しとしておこう。
「さてと、これからどうするかねぇ……」
一頻りピー子を撫でた後、これからの事を考える為にピー子に寄り掛かって地べたに座る。勇者達の前から訳もなく逃亡してしまったことに対する弁解も考えることもそうだが、取り敢えず一番重要な――自分の名前を決めなくては。
とはいっても、いきなりちょうど良さそうな名前が思い浮かぶ訳もなく、湖に向かって小石を投げながら思案に暮れる。
「……あー駄目だ。元の世界の固有名詞すら思い出せない。普通名詞は覚えてるのにさ」
親しい人だけでなく、町の名前や遊んでいたオンラインゲームの名前なども思い出せない。いざとなったら歴史上の偉人の名前でも借りようかと思っていたが、その名前すらも頭に靄が掛かったかのように引き抜けなくなっていた。
それとは異なり、自分が日本人? だったことや、彼方の世界で過ごした記憶などは何となく覚えている。彼女いない歴イコール……、嫌な事を思い出したな。
まあ彼方の世界の固有名詞を憶えていなくても此方の世界で困るような事は何もない。どうにかして自分の名前を手に入れさえすれば、後はどうでも良いしな。
「ピー子、俺の名前を憶えてたりしないか? ……憶えてても伝えられないんだろうけどさ」
八方塞がりの状況に溜息が漏れ、何となくピー子に話し掛ける。完全に無駄な行為と分かっていても、聞き手がいるだけで少しは気が紛れる。
キュイッ!
「やっぱ無理だよな。……うん?」
首を振るジェスチャーをしたピー子の仕草に思わず苦笑してしまった。……のだが、ピー子の頭上に出現した枠に思わず目を瞬かせる。
■
ピー子、?歳
Lv.100
飼い主・アーデフェルト
称号・天と地の王者、魔導師の使い魔
■
「ピー子ってレベル100もあるのか。……勇者よりも強いな……ってそうじゃない!」
ゲーム内では戦闘に使うことの出来なかった騎乗用の召喚獣にレベルがあった事や、ステータスを閲覧できる事にも驚いたが、もう一つの情報に比べればそんなものは些細なことでしかない。
逸る気持ちを深呼吸で鎮め、ピー子の方に姿勢を正して座り直す。
「ピー子、俺は君の主で合ってるよな?」
キュイッ!
一つ目の質問にどこか嬉しそうに頷くピー子。空と陸の王者なのに、愛嬌のあるやつだ。
「なら……俺はアーデフェルトで合っているん、だよな?」
異世界に来てから思い出した二つ目の固有名詞が、今の俺の姿である、一番お気に入りのマイキャラだとはな。むしろ今まで思い出せなかったことの方が異常かもしれん。
「良かった……。これで『自分とは何か』の自問に答えられる。ああ、俺の名はアーデフェルト。今はそれ意外の何者でもない」
灰色に濁り、澱んでいた己の感情が、嘘のようにすっきりとした気分になった。足どりも軽く湖岸の端に立ち、湖の水面を鏡代わりに自分の姿をしっかり確認しておく。
「ふふん、流石は俺の好みの美少女に頑張ってキャラメイクしただけのことはあるな。自分で自分に惚れてしまいそうだ」
大きめの紅いリボンで結ばれた、腰まで届く新雪のような白髪。
毒々しい印象を与えないように水で薄めたように透き通る淡い緋色の瞳。
叩けば砕けてしまいそうな白磁の如き柔肌に、十代半ばにしては低めの身長。あと壁。
欲望と理想を体現したかのような少女の姿が薄く微笑む姿は、水面ではなく高級な鏡で見つめ直したくなる理想の体現だった。……実際はニヤニヤ笑いだったが。
端から見れば完全にナルシストのそれだったが、別にこの辺りに見ている人がいる訳でもない。ピー子だってこれ位生暖かい目で眺められるだけで済むだろう。
「よし、これで正直に面と向かって勇者と話すことが出来るはず。なら――
「待ちなさい!!」
突如掛けられた声に思わず体が固まってしまう。そんな、まさか。いやだけど……。――見られてた?
キュアアァァ……
ピー子が立ち上がって威嚇を始めた気配を背後に感じつつ、ギギギ、と壊れたロボットのように後ろを振り返った。
「あなた、勇者のことを知ってるみたいだけど、一体何者なの! もし敵だったりしたら、灰も残さずに消し去ってあげるんだから‼︎」
少し離れた森の茂みから現れたのは、高そうなドレスアーマーに身を包んだピンク髮 (!) の少女だった。戦士職なのか、腰にはこれまた高そうな細剣を佩剣している。
身長は俺と同じ程度、年齢は近いかもしれない。……まあ、こっちは14歳くらいと大雑把にしか決めていないし、簡単に年齢詐欺が可能な世界かもしれない。
(ああ、こういう時にステータスを確認すれば良いんじゃないか。さて、この子のレベルは……?)
少女のステータスの一つに目が行き、一瞬だけ再度固まってしまった。
■
レティシア・ノーダ・サベレージ、14歳
Lv.27
職業・姫騎士
称号・サベレージ王国の第3王女、じゃじゃ馬姫、聖印の巫女
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うわぁ、異世界に行ったら関わりたくない人トップ10に入るであろう王族じゃないか。何で人里離れてそうなこんな森にいるんだし。
「見ての通り魔導師だよ。敵になるかどうかは、そっちの出方次第」
懐に仕舞っていた魔導書を取り出して体の横に浮かべてみせる。
そう、関わりたく無いとは言っても、これ以上無駄に揉めさえしなければ、面倒臭い事には巻き込まれないだろう。
「魔導師にどうして獣使いの真似事が出来るのよ! そのあなたに懐いているグリフォンは何なの!? 幻獣を使役出来る人族なんて一握りもいないのに!」
……どの質問から答えれば良いんだよ。てか、どの質問も「出来たから」としか答えられないんだが。
乗り物用の召喚獣は専用のクエストをこなせば誰でも使えるようになるし、最初の頃から使っている召喚獣だから懐いてくれている、はずであり、こっちでは使っているプレイヤーも沢山いたからなぁ……。
「真面目に答えられるほど大した理由はない」
「っ……。なら、この森でアステリオって名前の男を見かけたりしてない? あいつを探しにここまで来て、休憩してた痕跡も見つけたんだけど……」
こちらのセリフから何かを勝手に感じ取ってくれたのか、それ以上の詮索は諦めてくれた。その代わりかどうか分からないが、少し顔を背け、表情を見せないようにして勇者の居場所を尋ねてきた。
……別に指摘するつもりはないが、頬が紅くなっているのを隠せてないぞ?
まあ、おそらくこの姫騎士様は村か何処かで待機する役目だが、勇者のことが気になってここまで来てしまったのだろう。
……探知スキルもなしに、この広い森の中どうやって探そうとしたんだろうか?
「その人なら多分会ってる。飛んできた方角にいて、女性を助けてて、村に帰るとも言っていた」
「本当⁉︎ ならここで待ってた方が良いかな……」
素直に方角を指し示すと、少女は顔に喜色を浮かべて悩み始めた。……勇者に関係する事だと、簡単に騙されそうだなぁ……って、
「後ろ! 避けて!!」
俺の警告を聞いて後ろを振り向いた少女のすぐ側に、あまり勢いのないボロい矢が突き刺さった。
「えっ、ゴブリン? ……それにオーク!」
それに驚いた少女は可愛い悲鳴を上げはしたが、すぐに崩れた体勢を整えて腰の細剣を抜き放ち、森から飛び出してきたゴブリンとオークの小集団を迎え撃とうとしていた。
Lv.10のゴブリン五匹に、Lv.25のオークが一匹。
レベル的には普通に少女の方が少し高いものの、1対6ではかなり不利になると思われる。怪我をされても困るし、助けるぐらい別に問題ないだろう。
「ふむ……。ピー子はあっちを手伝ってあげて。こっちは俺一人で十分だ」
キュイッ!
「えっ、きゃっ!」
俺の指示に頷いたピー子は翼を大きく広げて飛び、勢いよくオーク達に襲い掛かった。まあLv.100なら瞬殺してくれるだろ。その間に後ろから俺を襲おうとした不届き者を始末するとしようか。
「ふむ、こっちの魔物は武器を扱うぐらいの芸は出来るんだな。『風弾の弾幕』」
振り向くと同時に魔導書のページを周囲に展開。複数体同時攻撃用の魔法を、湖から上がろうとするサハギン達に向けて放つ。
複数同時選択方式のこの魔法は、基本自動追尾なので狙う手間が省けて楽だ。
そんな事を考えている内に、銛を構えていたサハギン達は『風の矢』と同じ威力の空気の弾を受けて吹っ飛び、そのまま湖の底へと沈んでいった。
「よし、思ったよりも戦い易い」
後は湖の小魚とかバクテリアとかが勝手に処理してくれるだろう。処分する手間が省けたのも、今回の戦闘に関する自分の評価も高くなるというものだ。
「あなた、変わった戦い方をするのね」
ふと後ろから声を掛けられたので振り返ると、細剣とドレスアーマーを返り血で染めた王女が興味深そうにこちらを見つめていた。さらに後ろから同じように前足を返り血に染めたピー子が澄まし顔? でこちらの側に駆け寄って来る。
「それとその子を寄越してくれて助かったわ。オーク一匹くらいなら何て事はないけど、流石に集団で来られたら厳しかったから。
ええと、名乗ってなかったわね。私はレティシア。今は勇、……アステリオ達と一緒に冒険者をやってるわ。最近入ったばかりだからアステリオ達とはレベルが結構離れてるけどね。
それであなた達の名前を聞いても良い?」
身分はまあ当然隠しておきたいみたいだし触れないでおこう。そしてピー子の名前もちゃんと聞いてきたことも評価できる。
「アーデフェルト。この子はピー子」
「ぴ、ピー子……? えっと、アーデフェルトさんはこれからどうするつもりなの? ビスマ村に向かうなら、アステリオ達と合流して一緒に行かない?」
ふむ……。逃げ出した後ろめたさはあるが、その辺りは何とか誤魔化せば良いか。喋るのが得意ではない、的な雰囲気を出せば無理に話し掛けてくることもないだろうし、口調にボロが出ることもない、筈。
それと後でちゃんとピー子の名前を決め直してあげよう。レティシアも少し引いてたし。すまないピー子。
「構わない。それにすぐそこまで来てる。ピー子、ありがとう。『送還』」
キュイッ!
レティシアの提案に頷き、ピー子の首筋を撫でてあげてから送還する。既に見られてるから今更いた所で関係ないとは思うが、相手側になるべくプレッシャーを与えないように配慮はしておく。
「レティ!? どうしてこんな所まで来てるのさ。それに君はさっきの……」
やがて森の奥から五人の集団が姿を現し、先頭にいたアステリオが驚いた顔で俺とレティシアを交互に見やる。さて、この接触は吉と出るか、凶と出るか……。
(面倒ごとに巻き込まれなければ良いんだけどな)
勇者に駆け寄るレティシアを眺めながら、俺はそんな事を考えていたのだった。まあ、まずあり得ないんだろうけどな。
ピー子は固有名詞ではなかった……? まさか⁉︎
いえ、基本ピー子は『そらをとぶ』要員の予定なので、恐らく触れる機会はないかと。
ピー子「……『いあいぎり』も出来ますよ?」